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9月, 2007の投稿を表示しています

漢字の正確さ・近代の幻想なんだけどさ

  漢字テストの不思議 (東京ビデオフェスティバル2007 | 作品視聴・コメント投稿より via 極私的脳戸/日々の与太 )。ビデオとしてよく出来てるなあ、というかよくインタビューしたもんだ。漢字の止めはねに異常にうるさい人書き順にうるさい人、ってのは結構たくさんいて、教員まわりには特に多いようなんだけど、その根拠が指導要領であるとか教科書体ではなくて、現場の先生の思い込みであるとかいう話は読んだことはあるものの、現場の声を聞くのははじめてで面白かった。  日本語学の授業で、この手の話はそれなりに盛り上がる。じゃあこれこれは「正しい」んですか?じゃなくて正しいイデオロギーのことを考えようよ、なんだけども、なかなかね。  ところで漢字検定ではとめはねに甘くて、学校だけが時代錯誤っていう話がビデオに出てくるけど、漢字検定だってなかなかどうしてだよー?協会が何と言おうと採点者はそれをきっちりと理解しているかどうか。  ただ、近代幻想の産物である、とは語りつつも、そのシステムに生きる学生にはそれはそれとして幻想も教条的に語る必要があるという苦しみ。脱構築で終わるのも無責任ではある、かもしれない。ただし受験のためだとか字形がバラバラになってしまうのが困るだとかいう現場の人たちは、もうちょっと言語が国民統合のひとつの表象となっていることにもう少し自覚的になったほうがいいと思った。脱構築しっぱなしの無責任さと、この手の無自覚を天秤にかけるとどうなるんだよ、って答えが出ない話。

運動会延期

 子どもの保育園で運動会があるというので、お父ちゃん張り切っちゃうぞ~てな具合に山形から埼玉に足を伸ばしたのに、雨天にて来週に延期。来週は仕事で上京できないぞ~。昨年はほかの子どもに遠慮をして(笑)本気のダッシュを見せなかったお父ちゃんだが、今年は恥も外聞も捨てて本気のがんばりを見せるべく、世のお父さん方に恥じぬ準備運動もしてきたのであった。残念。  ともあれ、せっかく上京したということで、妹夫婦の赤ちゃんも見てきたし、おしつけがましく台所借りて炊き込みご飯作ったし、自分の子どもとはウルトラマンごっこやったし、実家でアレルギー鼻炎発症したし、ディアスポリス全巻読んだし、生物と無生物の間を読みかけだし、ほかにもプラスチック・ワードも読みかけだし、もりもり盛りだくさんの秋の日をすごすことができた。つか、関東も山形に負けずさみーよ。マジで。

ディアスポリス

 すぎむらしんいち『ディアスポリス』(→ amazon )を既刊5巻まで読んだ。モーニング連載で読んだり読まなかったり(モーニングを欠かさず購読しなくなったから)していたので、欠落していたエピソードが補えて良かった。で、この作品はいろんな意味でヤバイなあと思う。作者、大丈夫なんでしょうかね。  作品の概要は、不法滞在外国人が日本で安全で人権を守られた生活を送るために作られた「裏都庁」なる組織の、たった一人の「裏都庁警察官」=異邦警察(ディアスポラ・ポリス=ディアスポリスという造語)が巻き込まれるアクションコメディといったところか。新宿界隈の多民族・多言語化した猥雑で素敵な雰囲気がにぎやかに描かれていて、個人的には大好き。メディアでフィーチャーされがちな外国人犯罪がのっけのエピソード、続いて外国人を日本から排撃せんとする非合法組織の登場、実質的に難民として入国した外国人たちへの言われなきバッシングの現状など、外国人をめぐる言説をうまく下敷きにしながら、お話が作られている。この手のリアリティを追求するには限度があるのでは?と心配させながらも、それと表裏一体にアクションものとしてよくできているので、ものっそい楽しめてしまった。  脚本のリチャード・ウーって、数年前のSPA!か何かで、歌舞伎町を舞台にした舞台の脚本とかやってるって紹介されてた人だっけか。その記事に興味があって一時期どこかにとって置いたけど引越しでなくなってしまった。(補記に全然違っていたことを記す)  作中、いろんな言語がカタカナで描かれているのが楽しい。マンガとして、外国語を外国語であるとして記号的に活用するときには、niji wo mitaで「 らしさの記号マジック 」にも書いたように、その言語の固有の表記を利用するものだが、この作品はフラットにカタカナで外国語が表記されているので、そのままその声が紙面に響き渡る。猥雑で素敵な雰囲気がにぎやかに描かれるのはそのためだろう。謎の主人公が、登場人物のしゃべる言葉を聞いて、瞬時に言語や微細な地方色、言語生育地などを当てるところは、言語研究者だったというオチか?と思わせるが先の話か。 (補記)  リチャード・ウーを検索してみたら、なんと 長崎尚志であるとwikipedia に!これは驚いた。イリヤッド終わっちゃったねえ。前の話だけど。しっかし、何者このお方。詳細

やれやれ

 異文化理解とか異文化共生というテーマでは、どうしても異なった部分にフォーカスが当たり、ともするとショーケースに入れた「外国文化」をオリエンタリズム的視点で、さながら万国博覧会のように体験して、挙句にこれぞ交流と満足気に着地されることも少なくない。まして、一発当てるぞ的プロモーターの手に係ると、どうしてもこうなりがち。文化的ステレオタイプを疑わない態度は、程度問題として留保できるとしても、当事者の視点にたたず結果的にイベント成功わーいでもって終わろうものなら、当事者から何かを簒奪したことになってしまいかねない。研究とか教育とかの御旗の下での話。教育のある段階では、学生や当事者への説明・対話やイベントの仕掛けを十分に行ったうえで、かつその先の目的がある場合において、行われ得ることではあると思うが、どちらにしても僕は神経がピリピリしてしまう。きっと、世界中で秒速44回転くらいの勢いで起こり続けていることなのだろうから、これで何かをあきらめたりはしない。とりあえず上司に恵まれたい、くらいのことは書いておく。  なんだか例によっていつものniji wo mitaのようなテイストになってきたところで、月山の原生林を歩いたときに出会った、美しいコケの写真を掲げておこう。

本末転倒休息チャージ

 明日から新学期がスタートするというのに、行事関係でへっとへとに疲労している。今日一日は久しぶりに自宅でゆっくり過ごす。夜には秋刀魚を焼いて、青菜とお味噌汁。山形は少し肌寒いくらいの気温で、秋の食事がはまる。締め切りが近いのにいろいろはかどらないのに、体が追いついてこない感じだ。仕事はほどほど、というのがどうしても難しい性分なので、つくづく難儀する。もう少し上手に手を抜かないと本末転倒な事態を招いてしまうのではないかと心配。  掃除機購入。安いやつ。壊れたのは500円で引き取ってもらう。最近は紙パックよりもサイクロンタイプ(紙パックが不要なやつ)が人気だそうだが、サイクロンタイプはごみ捨ての段階で面倒なために、結局旧式の紙パックへの回帰する現象がみられると言う。本末転倒で思い出した、という話。

飲む方もすごい

 山形の近代文学の人の研究会に聴講生的参加をしてきた。言語系研究者は他流試合が少ないとかいう批判めいた話を耳にして、異なった領域の大学院生たちと勉強会をしていたのが3、4年前。懐かしいなあという感じ。主催者がものすごい才気煥発な方で、そういうのも懐かしいなあという感じ。  それはともあれ、本日もいわゆる「気づかない方言」みたいなのに出会った。飲み会の席に全員集まる前にフライング的に始まるビールやらなんやらを「練習」というらしい。「先に練習して待ってて」とかみたいにね。つか見知った関東の方式では全員集まるまで始めないか、遅れてくる人が先に始めておいて欲しいと言付けするので、練習という概念はなく、つまりいつも本番なわけであるが。結局、遅れてきた方がそろって本番が始まる。そんくらい待てよ!とも思うが、これはやっぱりお酒大好き!な東北の風習とみてよいのでしょうか。  ある言語では名称のない現象や対象に、別の言語では名称が割り当てられていると、本当にその意味世界が実感としてたち現れて来るようで、言葉が世界を作るの地を行く味わいである。

壊れるときは一斉に、ではないことを祈る

 デスクトップPCで音楽CDが焼けないという状態が長らく続いていたので、新しく内蔵ドライブを購入した。久しぶりにパソコン開けて、ガチャガチャやってみる。昔は思い切り主流だったATAPI接続が、いまではSerial ATAに取って代わられているようだ。うちのは4年前くらいに購入したemachinesのJ2800台のやつなので、もちろんATAPI。いろいろ進化の早いPC業界ではあるが、中身もそれ相応に栄枯盛衰ありなのだった。見えないところはなかなか想像が及ばない。  話の落ちとしては、取り替えてみてわかった、問題はソフトウェアみたい。というわけで、意味もなくDVDドライブ2連装である。ああ、違う、落ちはPC内部のホコリ掃除に掃除機を出したら、掃除機が壊れてしまっていた。こちらは本当にハードの問題。安くて便利で高機能な掃除機を手に入れるためには天竺に向かわないとダメですか。

台風接近につき首が痛い

昨年11月に追突事故にあってからというもの、鞭打ちの痛みは徐々に低下しつつあったのだが、昨日やたらと痛くて立っているのも辛くなってきた。やはり台風接近によるものか。低気圧が近づくと古傷が痛むという話は何度も聞いていたが、こうリアルに体験すると妙に笑えてしまう。 東北は台風接近や上陸の経験が関東以西に比べて格段に少ないようで、ちょうど関東がわずかの雪で交通網が麻痺してしまうことに対する東北の失笑に近い感覚を覚える。とにかく首が痛いのは勘弁して欲しいので、早く通過してしまって欲しい。