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2月, 2008の投稿を表示しています

まさかのsandinisita

2/21、sun( myspace )のedくんからお誘いがあってライブを見てきた。最初に誘われてから3年くらいになるか。リズム隊がすごいうまくなってて、本当に楽しめた。edくんが「踊れる曲です」というのを、その踊れるはこれまで僕が知っている「踊れる」とは違うな、と思いつつも、新しい「踊れる感覚」領域を広げられる感じで終始ニヤニヤしていた。edくんも抽象的なパンツを気持ちよく脱いでいるので、当てられた僕も思わずつられ脱ぎをせんばかりの勢い。思わずCDも2枚買ってしまった(けど、やっぱりライブのほうがずっといいのはなぜ!流した赤い血はなぜ!)。ばったり会ったアンディさんもかなりいい感じになっていたなあ。時の流れるのは早い。いやーもう人生レベルで負けてらんないな実際。 ライブ終了後、悲鳴( myspace )のガンディーさんと合流して軽く台湾料理屋に。ヒンディー語専攻の人に初めて出会った。語順の話などを教わりつつ、話は近代におけるカースト制度の構築性について展開する。この方、偶然にも5年くらい前に某所で出会っていたことが分かったりと、奇妙な縁を感じたりしました。あ、音楽も人物も素敵です。こういうのnatsumenとかと同じジャンルなんだろうか。若い人の「エモ」とか「メロ」とか「コア」とかいう専門ジャーゴンがよく分かりません。 で、タイトルの件。僕が今住んでいる山形には、sandinista( ここ )という小さなクラブがある。ここを拠点にしたハードコアバンドshift( myspace )が、全国で精力的に活動しながら山形にも他の地域のバンドを呼んでしっかりしたイベントを繰り返しているらしい。そんな話を新宿で聞くのも意外だが、あの小さなクラブがよそで話題になっているというのも驚きだった。さながら海外で評価されて日本で話題になる国産バンドみたいな、お馴染みの図式でなぜか申し訳ない気持ちに。でも確かにこのクラブというかライブハウスというか、は、この大きさにしては呼ばれる人がちょっと不思議だなと思ったことはあって、昨年の4月にテクノのそれなりに大御所のjerom hill( myspace )なんかも来ている。shiftのメンバーがどれくらいライブハウスの経営?に関わっているかは分からないけれど、sandinisitaがパッシブではない活動をしているんだなってことは分かった。

puppy linux

ubuntuに挫折しつつあるころから、サクサク動いてすぐにinspiron2600を認識してくれるディストリビューションを探していたが、たぶんpuppy linux(→ パピーリナックス日本語版 )で落ち着くことになりそう。僕がこれを選んだ理由は以下; (1) 低スペックのPCでもサクサク動く (2) オフィスソフト類がデフォルトでそろっている (3) TeXが動かせる 現状でも(1)(2)は満たしている。本当は日本語環境が最初から充実しているvineとか、このところインストールに苦心していた(そしてとうとううまく行かなかった)ubuntuにしたかったんだけど、どうもinspiron2600とは相性が悪いらしくて満足行く結果が得られなかった。puppyはいまのところ日本語化を地道に進めているところが面倒といえば面倒だけど、この速度の速さは驚くばかり。ちうか、こういう素人の体感速度は、ディストリの問題というよりもX-windowの仕組みによるのかな。puppyはJWMをデフォルトで採用しています。 firefoxの最新版をPETパッケージで導入したら、youtubeだって問題なく見られているし、このエントリだってpuppyで普通に書けている。日本語変換のAnthyだって、MS-IMEとどっこいどっこいの変換効率だから、悪く言えば同じくらいバカってことになるけど、よく言えば同じくらい使えるということでもある。(追記:firefoxは重いのでやっぱりseamonkeyにしました) 現状での一番の問題は、TeX導入がうまく行かないということだ。デフォルトではもちろん入ってないわけで、追加で TeX Wiki を見ながら苦戦中。インストールのためにはmakeというコマンドを使わなきゃいけないのに、puppyは開発環境のインストールをまずは行わなければならない。んだけども、これがなかなかうまく行かない。もう少し根気よくやってみよう。 東京にいるころから、基本的なPCソフトは、コンピューターリテラシー習得の機会はできるだけ経済的事情に左右されてほしくないという観点で、低価格で提供されるべきと考えていた。そのような中でのリナックスの選択だったのだけど、こちらで少しモチベーションの角度が変わった。というのも、地方と都市の格差だからなのか短大だからなのか分からないけれど、経済的理由のた

偏頭痛メモ

テラナスをサボったために21日に偏頭痛を起こしてから、立て続けに22日も。今度のは睡眠中に前兆ごと終えたようで、麻起床してみたら頭の片方だけが痛い。ああ、通り過ぎたんだなあと分かった。新しかったのでメモ。2週間分のテラナスを使い終え、病院で新たに3週間分もらう。ゾーミックはやめて、イミグラン5錠も。そいえば21日と22日は関東地方に大型の低気圧が接近とかで天気が大荒れだった。偏頭痛の要因がたった一つと考える方が不自然かなと最近は思うので、可能性のある要因として留保しておこう。 それにしても、最近は薬の力でどうにか偏頭痛を予防したり抑え込んだりできるようになったが、軽いめまいだけは消えない。以前から「視線が浮く」という自分でもよく分からない表現をしているように、活字を読むのが非常に辛い。とはいえそれを辞めたら商売上がったりなので、辞めるわけには行かない、というよりも辛くても読んじゃうわけだけど。左右の視力も急速にずれてきている気もする。眼科か次は(っつか神経内科の医者に眼科で調べてもらってきてくださいと言われた)。 偏頭痛で悩む人たちよーう。検索でここに来ちゃったら、偏頭痛で悩む人はたくさんいるんだからあんまりがっかりしないようになー。ちゃんと病院行けば普通に生活できるようになるよー。

マンガ一気読み

福島聡『機動旅団八福神(7)』( amazon )、福島聡『鵺の砦』( amazon )、うすた京介『セクシーコマンドー外伝すごいよ!!マサルさんウ元ハ王版(2)』( amazon )、石川雅之『もやしもん(6)』( amazon )、小川幸辰『エンブリヲ(3)』( amazon )。買いまくりの読みまくり。もやしもん最新刊のおまけつきバージョンは、巨大オリゼー付きの2650円。さすがに見送ったけど、池袋リブロで注文商品を受け取っていたお客さんはその巨大さに失笑していたのを僕は見逃さなかったのだった。八福神は京都で核がうっかり爆発で古都が灰燼と帰しました。不謹慎ながら何だろうこのいけない爽快感は…。マサルのコメンタリーはアシスタントの平野さんと一緒に。完全版(いや、あくまでもウゲンハオウ版ではあるが…)とはいえ、雰囲気は明らかに楽屋落ち的雰囲気に包まれており、ファンしか楽しめない排他的な作りになっている。なおジャンプコミックス版で話と話の間に書かれていたひとこまマンガみたいのがない。したがって、「おいどんは赤貝の身を食べゴワス」という有名なセリフを味わうことができないのは残念である。エンブリヲは大団円。エロ作家に行かないで、エロ以外のマンガも描いてほしかったなあ。

テラナスさぼりの偏頭痛

21日、偏頭痛勃発。このところ10日以上も偏頭痛フリーだったのは、予防薬テラナスが劇的に効いたためであるが、さすがに人間は調子がいいと油断する。朝晩一回ずつの予防薬を両方ともサボって朝まで飲んでたら、見事に勃発。ゾーミックで無理やり押さえ込み、新幹線の中で爆睡したら治まった。そろそろ偏頭痛の原因が見えてきたような気がする。

初めてのお使い

隠すつもりもない親バカ話やってもいい?答えは聞いてないけど。 オクサマからのメールで、うちの5才の子が1キロ先のデパートまでお使いをしたという、驚愕のお知らせがあった。携帯電話だけ持たせて、何かあったら自分で掛けるよう指示したという。掛けられるんだねー、自分で。お使いの品物は、妹のスタイ。電話で子供に直接感想を聞いてみたら、おもちゃ売り場のボガールの人形が買いたくて迷ったけど、がんばってかわいいスタイを選んだんだって。買い物を終えたあと、パン屋でドラえもんのチョコパンを見つけて、その魅力にはあらがえずにオクサマに電話かけて許可とって、そいで購入したと。買い物とかできるんだねー。よく無事に帰ってきた…お父ちゃんはテンション跳ね上がりです。 このお使いをやらせるために、オクサマは想定シミュレーションを何パターンもやったらしい。車が来た時の対応、犬が現れた時の対応、車と犬が同時にが来た時の対応、怪しいおじさんに声を掛けられた時の対応、咄嗟の声出しの練習…。ちなみに車と犬が来た時は道路際に寄って恐怖に耐える、という教えだそうです。怪しいおじさんに声を掛けられた時は電柱に捉まる、という教えだそうです。おかしくないか?というかなんなんだこのイベントは! とりあえずさっき電話で子供に素で「おめーつえーなー」を連発してたら、「あんまり恥ずかしいから大学の学生には言わないでねー」とか言うので、ネットで世界中に発信すると宣言したら「ギャー」ってゆってた。だから僕はここを通じて世界中(10人くらい)に発信します。どのみち僕はおまいがうまれたときからこの近辺に観察記録をちょくちょく公表しとるわけで、大人になってから恥ずかしさに身を焦がすがいい。 史上最強にオチのない話なのにまったく恐縮していない僕がいますが、いいんでしょうか?答えは聞いてないけど。

ubuntu失敗記2

2008.1.17の ubuntu からの進展というか、膠着状態の続き。 dellのinspiron2600(Celeron 1.2GHz, メモリ 512MB, HD 60GB)を先輩から貰い受けたので、ubuntu7.10をインストールして遊んでみようかと思ったのだが、これがインストールからこけまくっていて、しばらく放置していた。なにがこけるかというと、モニタが全然映らなくなってしまうのだった。そこでalternate版をDLしてみたが、インストールの途中でやっぱりおかしくなってしまう。7.04もダメ。このほか、同バージョンから派生ディストリビューションeco-linuxやxubuntuを試してみるも轟沈。上記ディストリビューションは、liveCDを立ち上げるところさえもうまく行かない。 在米のいろんな意味で強力な(笑)友人からの助言を得て、inspiron2600はいろいろ問題があることが分かってきた。で、ひとつはbiosがa08というバージョンでないとうまく行かないという説。 ・http://ubuntuforums.org/showthread.php?t=265962 ・http://ubuntuforums.org/showthread.php?t=51023 で、biosアップデートのうえ、7.10および派生ディストリのインストールに挑戦してみるが、うまく行かない(涙)。 うまく行ったのは、6.06のみ。ただし非常に動きが遅い。biosがをa04からa08にしてみたら、心持ち速度が上がったような気もする。うーん…。インストールが超楽チンというウワサを聞きつけて期待してみたのに、よりによって試すマシンが例外的にうまく行かないものらしいのは不運としか言いようがないな…。

あの日スターパインズカフェで

デートコース"MUSIC FROM CHAOS"の、アイアンメイデンじゃねえや、アイアンマウンテンのライブがすさまじくかっこいい。アイアンマウンテンのライブじゃない方をずっと聴いていたので、ライブでのアレンジがいちいちツボです。音楽理論とかコードとか全然分からないので、語る言葉がないのが口惜しい…。こないだ同僚がCATCH22を聴いて、すぐさま「すげーノイズっぽいけど、あ、コードはあるんだ」と言っているのを聞いて密かにうらやんだことを公言したのでいま密かではなくなった。で、でも五線譜は読めるもんね!役に立たないけど。相対的な絶対音感もあるような気がするもんね!そういうのは絶対音感とは言わないけど。さあ、ツンデレのフラグが立ったところでこの話題はやめようか。 デートコースのライブ、一回だけ行ったことあんだけど吉祥寺スターパインズでー、そんときのライブもこんな感じだったよなーって思ってCDのケースに入ってる説明(これ何ていうんだっけ)見てたら、あんときのライブかも!って思ってniji wo mitaの2002年ごろのログみたら違った。すまん、こういうオチで。なおうにごせきさん紹介されたの、すごい懐かしい! ちうわけで今日は読みかけの本を読み終えたり、シラバス作成のためにネタ仕込んだりしながら音楽を聴き倒し、適当にご飯を作って食べて、そして夜は学生と授業の打ち上げ。しかし出かけるにも外は例によって粉雪(というのはわずかに雪が降るイメージをもたれがちだけど、粉のような状態の雪なんであって分量は関係ない。むしろここでは鬼のような分量の粉雪が降り注ぎます)なので、ちょっと億劫ではある。写真は鬼のように胡椒をすりまくって粉雪のようにパスタ山にそそいだ様子だ!セロリと鶏肉でトマトソースを作ったのに胡椒の香りが強すぎて台無しだ!

ラテン語の世界

小林標『ラテン語の世界 ローマが残した無限の遺産』(→ amazon )を読了。著者は京大系の方のようで、京大の独特のディレッタンティズムを感じることができた。前半がラテン語に関する記述、後半がラテン語による文学作品の記述、最後にわずか日本におけるラテン語ラテン語文学の受容に関する記述あり。 大学院生のときに、非常勤先の同僚の影響で、勇み足でラテン語を齧ろうとしたら堅すぎて歯が欠けてしまったことがある。そのとき読んだのが、逸身喜一郎『ラテン語のはなし―通読できるラテン語文法』(→ amazon )で、ラテン語の屈折性について思い知るには十分な本。語学を身につけるのはどれにしたって相当の努力を伴うが、これはきついだろうなあということがよーく分かった。ただ、身につけるのではなく、言語の概要を分かったような気にさせるには十分な本。そういう意味では、今回読んだ『ラテン語の世界』も同じ。 ちょっと話はそれるが、石川九楊の本を読んだときにも感じた、「先人が作り上げてきた人為的構築物としての言語」観には、いまだ馴染めない。いや馴染むも何も、確かに言語には一部の知識人が伝承し、時に創作した単語が(というのは分かるけど日本語の場合漢文の影響のための語順とか言う人もたくさんいるから、、、)ある。しかしそれをもって、日本語を作った偉人とかいわれるとなぜこんなに違和感があるのかというと、僕が「言語は自律的で自然なもの」信仰に頭からやられているからだろう。 はっきりいうと、ちょっとこの感覚は古い。歴史言語学をやっていると、「自然な・自律的な」言語みたいなものを前提とすることが多い。たとえば音韻変化などに見られる規則的な変化は、明らかに人為的なものではないように思われる。しかし近年の社会言語学が明らかにするように、言語には人為性というものが不可避的に潜んでいて、音韻変化を担うような側面だけが言語の姿ではないことも「言語学的に」分かってきている。 で、言語について書かれたものはすべて著者の言語観があらわになってしまうわけで、本書も随所から匂いが発されていた。僕にとってとりわけ馴染めないのは、こうした人為的構築物としての言語観が、エスタブリッシュメントと結びついて、正しいものが俗なるものに堕落することを嘆くといったパースペクティブを持つことだ。そこが京大のディレッタンティズムなんであって、知的好奇

テラナスがはまったっぽい

偏頭痛予防薬であるところのテラナスを服用して、ちょうど1週間が過ぎた。見事に偏頭痛が来ない!しかも何となく気分がいい。プラシボ的効果も多分にあるんだろうけどね…。ただ、仕事が詰まってくると、眩暈がしたり、偏頭痛後の視界の浮く感じがしてくるので、ちょうど防寒具で体を守っているけれども外は猛吹雪みたいな感じではある。 関係ないけど、ネットを見てると偏頭痛で苦しんでいる人はほんとにたくさんいる。小さいころからずっと偏頭痛という人もいて、想像を絶するね。そして皆さんお決まりのように最初は「すわ脳腫瘍か」と不安のどん底に叩き落されて(実際脳腫瘍というかたもいますごめん)、なんだ偏頭痛かと落ち着いて、でもやっぱ嫌だなあとへこんで、でも生活あるしなって薬と上手に付き合うというロールモデルをなぞっていくのであった。 昨晩、読売オンラインでニュース読んでたら、発言小町んとこで偏頭痛の悩みを見つけてしまって、共感しまくりで読みまくりでしたよ。子虫感覚どころじゃねえって話。このブログに検索でたどり着いてしまった方、大きな病院の神経内科に行ってしっかり診てもらってください。薬がきちっとはまれば、問題なく生活できる可能性はかなり高いですよ。

エンブリヲ

小川幸辰『エンブリヲ』(1)(2)(→ amazon )を読んだ。復刊ドットコムからファンの熱い声に押されて復刊したもの。帯にはバイオロジカルホラーとある。もしワームホラーというジャンルがあるなら、ワームホラー世界のジュブナイルとか黒ナウシカとか呼ばれて差し支えないくらいの、ちょっとさわやかでえげつない読後感だった(全3巻で終わるみたいなのでまた途中)。 94年8月からアフタヌーンで連載されていたようだが、思い起こせば90年代後半はバイオホラーブームだったように思う。瀬名秀明『パラサイト・イヴ』が1995年、鈴木光司『らせん』が1995年、ゲームの「バイオハザード」が1996年にカプコンから発売されていることを考えると、90年代後半に盛り上がったように思えていたバイオホラーブーム(ってのがあったとして)の、嚆矢がこの『エンブリヲ』だったのかも知れない。ドーキンスの『利己的な遺伝子』が1991年に邦訳されたことも大きいんだろうね。そうそう、今の脳ブームの前は遺伝子ブームだった、そうだった。 お話は、いまんとこ、工業・生活廃水の汚染物質で突然変化をきたした30センチくらいの知性を持ったしゃべる芋虫が人間を襲いまくるけど虫姫さまたる主人公が芋虫の子供を受胎して芋虫の女王と一騎打ちする雰囲気です。息切れする。虫が苦手な人は読んだらいけまてん。絵柄が微妙に夏子の酒なので、言うほど気持ち悪くもないし、虫ラッシュを見ているうちに間違いなく新しい昆虫感覚が芽生えてきて、芋虫愛らしいという、子宮感覚にも似た暖かな子虫感覚に包まれるので、やっぱ虫が苦手な人も読めばいい。だって、下水溝奥深くの芋虫の巣に潜入して行くエピソードで、途中に大量のゴキブリに見舞われるシーンがあるんだけど、こうですよ。 「おちつけっ ばか ゴキブリだよ ほら…な?」 「ふーっ なあんだ」 登場人物の一人である、身も婀娜な女子高生がやれやれといった風情で指でゴキブリを払い落としています。ゴキブリ怖くない、虫大丈夫、いじめかっこ悪い。主人公たちは生物オタクの生物部のひとたちなので、まあそういう設定なわけですが…。主人公も芋虫の子供を受胎して、あたしこの子を産むからね!って母性愛に包まれているあたりも、まあそういう設定なわけだからね。突っ込まずに、その母性愛に共感すればいいんだきっと。

箪笥ではないのだ

モノノケダンスのPVをオクサマに見せたら、「ふーん、スリラー?」、義父に見せたら「つのだじろう?」と世代世代のナイスな反応が得られたので満足げな僕であったが、出てくる妖怪が某かのパロディだということは気づかなかった。ミクシでつながってるDie - skёさんが元ネタを縷々あげつらっていらっしゃるので、ご本人の許諾を得たうえで一部を転載。 それにしてもこの妖怪のラインナップときたら!まず子泣き瀧から始まって、ラッキィ天狗、敗訴キョンシー、逆ド根性ガエル、ぬらりフランケン、合わせ遺影、ドミノぬりかべ、かっぱ巻、サンタ・フェ、布団叩きババア、小島よしお、ギター法師、そしてトドメにベム卓球。と、わかるだけでもこれだけある。他にも元ネタはわからないにしろ、ぶっ飛んだ妖怪ばかり。みそ汁のアサリの中身が顔なのは何? サンタ・フェなんてよく気づいたなあ。何度も見てようやく分かった。頭の上に乗っているオブジェで判断されるラッキィ天狗も言われなきゃわかんねえよ(笑)!布団叩きババアは何度見ても分かりません。僕が見つけたのは、ふくらはぎがガチャピンになってるオバケ。あと上からドスンと落ちてくる妖怪(名前忘れた)の顔は、キングクリムゾンの このアルバムジャケット 。なお、 なお、布団叩きババア(でてけ! でてけ! で捕まったババア)は-2:31、合わせ遺影(合わせ鏡の遺影版)は-2:03、サンタ・フェ(卒塔婆と幽霊女が例のあの形)は-1:40、ギター法師(琵琶法師というか耳無し芳一?)は-1:10のあたりです。その後には松井鬼がバット金棒を振ってやる気満々です。 とのことだそうで、物好きな人は確かめてみればいいさ。天久さんの引き出しの多さはすごいなあ、ということでモノノケダンスはモノノケのタンスであるというミスリーディングを誘ってお茶を濁したい。youtubeはさすがに画像があれなので、DVDとかで見たいなあ。それよっか、このところなんで瀧は女役なの? 再掲。

少年ヤング

偏頭痛の合間に電気グルーヴの少年ヤングを(→ amazon )。ゴローの表紙を想起させるアイドルからバンドから角川からロボットダンスの幕開けからレディースへと展開する80年代的ファンシーさの海にわたくしはしとどに濡れます。そして何というか、非常に言いにくいんですが、この微妙なブサイク具合が80年代をものすごく喚起します。

テラナスを使う勇気

2/8と2/9は人生初の2日連続偏頭痛に見舞われた。もうこれはきついなあ。 で、劇的に効果があるイミグラン錠剤は、効くことは効くんだけど、偏頭痛後って視界が浮いた感じになるので(これは偏頭痛持ちの人には分かってもらえるかもしれないんだけど、焦点の合う範囲がとても狭くて活字を読むのにものすごく時間がかかる状態)、これってもしかしてイミグランの副作用ですかね、ってことで医師と相談の上薬を変えてみた次第です。というわけで新しく処方されたゾーミッグ(→ ゾルミトリプタン )は、うーん、あんまり効かないな。この2日は薬を飲まないのとほとんど同じ頭痛と吐き気できつかった。 イミグランに戻してもらうように医師と相談、したいのはやまやまだけど、いまのところかかりつけが池袋なのでもう少し先になりそう。そして前回診療を受けた時に、予防薬であるテラナスをもらった。頭痛の知識を得るためにお世話になっている 頭痛大学 の、 片頭痛対策編 「塩酸ロメリジンが片頭痛を予防する理由」によれば、 1. 片頭痛の第一段階である脳血管収縮を抑制する 2. セロトニン放出のきっかけとなる血小板凝集を抑制する 3. 脳を安定化する 4. 神経原性炎症を抑制する とのことだが、継続的に薬を飲むのはやっぱり副作用とか気になってしまう。同等の薬効は、漢方薬では「釣藤散(ちょうとうさん)、呉茱萸湯(ごしゅゆとう)」などが良いというので、そちらで試してみたい気も…。

モノノケダンス

メモしとこう。電気グルーヴのモノノケダンス(→ amazon )、のPV。例によって天久さんの作品なんだけど、墓場鬼太郎のオープニングのくせに、絵柄はどうみてもつのだじろう。そんなうしろの百太郎テイストな紙絵が織りなすスリラーばりのモノノケだらけのレイブオン大会に、涙すればいいじゃない。パンツかぶり子なきじじいが巨大化するくだりとか、猫目小僧がレコードまわしてるところとか、もう仕事が細かいです。そしてすがすがしい朝を迎えたカップルが直面する、衝撃のラスト!マ、マ、マ、マジで~? テンションがおかしいことになっています。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実

上京の折、電車のなかで米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(→ amazon )を読んだ。筆者が中学生のころ滞在していたチェコスロバキアで知り合った友人たちの、ソ連崩壊後のそれぞれを描いたオムニバス形式のノンフィクション3連作。通訳としての言語センスもさることながら言語文化への独特の距離感が、読んでて気持ちいいところもあり、苦笑いするところもあり。 3連作のうち、東欧圏であるチェコスロバキアを離れてドイツに住んだ友人、イギリスに住んだ友人、ユーゴスラビアの住んだ友人とが出てくる。それぞれが歴史に翻弄され、運命を大きく変える。興味深いのは、3人のうち著者がもっとも生き方に共感できていない人物が主人公(アーニャ)の話が表題作となっていることだ。アーニャは共産主義圏で理想的社会をうたいながらも、特権階級の恩恵を浴びながら、自己矛盾に気づかない。 「そうよ。マリ。民族とか言語なんて、下らないこと。人間の本質にとっては、大したものじゃないの。今わたしは英語でしゃべり、マリはロシア語でしゃべっているというのに、お互いにほぼ100%分かり合っているでしょう」(p.187) 共産主義を後ろ足で蹴飛ばしてイギリスで成功したアーニャと再会を果たした著者は、彼女の「不誠実」を責める。 「アーニャ、私たちの会話が成立しているのは、お互い英語とロシア語を程度の差はあれ、身に付けているからよ。あなたがルーマニア語でしゃべり、私が日本語でしゃべったら、意思疎通はできないはず。だいたい抽象的な人類の一員なんて、この世に一人も存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くもない」(p.188) おそらく、この一くだりのなかに、米原万里のエッセンスが全て詰まっているのだと思う。具体的な場を僕たちは生きているという点は心情的によく分かるが、現場を成立させている枠組みは時に「民族」「国家」であって、そこに「ペラペラ」でない実体性みたいなのを与えているところが、米原万里のありかたなんだなあと思