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5月, 2008の投稿を表示しています

space truckin'

asahi.com:ディープ・パープル名盤の1曲、収録は大阪でした - 文化・芸能 とのことだが、間違われていたのはスペーストラッキンとのこと。そもそも僕なんかは東京のライブ一本だと思っていたよ…。にしても、この手のことはコアなファンの間では知る人ぞ知るみたいな飲み屋のウンチク話として流通していたのではないかと思われる。だって誰も気づかなかったって、あり得るかなあ。今日あたりG街では「そんなことは俺は20年前からとっくにお見通しよぉ」などと吹いて回りながら、デビカバは整形してからバンド参加を認められたんだぜえ、などと得意満面に語るヤカラも同時多発的に現れることでしょう。日本、平和です。 「ライブ・イン・ジャパン」は、東京・日本武道館と大阪・フェスティバルホールであった72年の初来日公演を収録。89年にCD化された際、7曲目の「スペース・トラッキン」の収録会場を日本武道館と記したが、正しくはフェスティバルホールでの演奏だった。昨年末、大阪のファンから指摘を受けワーナーが調べたところ、誤りが分かった。 73年のニューヨークでのライブを記念に(何のだよ)。 YouTube - Deep Purple - Space Truckin' - New York 1973 。 便乗してジョン・ロードのソロ。ハモンドオルガン大好きです。

原稿用紙の使い方

今回の日本語学会は、なんか不思議な大会だったなー。企業セミナーみたいな話もあったし、内部告発みたいな話もあった。もちろんきちんとした研究の方が多かったんだけど、正直、印象はそちらに持って行かれた感じがする。なんかもう、詳しくはここには書けない感じ。シンポジウム「漢字文化と日本語の未来」は、常用漢字への追加漢字の話題もあって(→ asahi.com:「鶴」「亀」「尻」…常用漢字の追加候補 220字公表 - 文化一般 - 文化・芸能 )、いい意味で波乱含みな企画だったのに、結果的にそんな釣りには乗らないぞ~という会場の空気があらぬ方向に向かって、あんまり良くない展開を見せた。 むしろ学会後のこじんまりとした飲み会で、教育の現場ではどうして漢字や送りがなや同訓異字の書き分けに、あんなにやっきになっているんだろうと話したことの方がずっと楽しかったなー。中でも面白かったのは、漢字の話題ではないんだけど、原稿用紙の使い方に関わる話。原稿用紙は、その名の通り「原稿」のための用紙なのであって、正式なものではないのだと。いずれ写植されて印刷される前段階のものなのであって、印刷物への移し替えが効率的に行われるためのルールがいわゆる原稿用紙の使い方である、というわけ。したがって原稿用紙の使い方が一人歩きして、ルールを守らないと×にするという話は本末転倒で、写植する人にとって見やすくするというのが本義。なるほどなあと思った。原稿用紙の書き方に異様にこだわる現場は、いったい何のためにやっているんだろう?と問うべきと思う。wikipedia(→ 原稿用紙 - Wikipedia )、近代の作家たちの原稿料払いの規格化と関係があるような書き方がされているが、まあ飲み屋の吹き上げ話なんでそもそもが正確さは保留しなきゃなんないでしょうね。 そいで久しぶりにその後ゴールデン街に流れる。友人と軽く飲んで帰宅。ふう。

2台目のサーモス

妹夫婦からサーモスのステンレスボトルをもらった。ふたのところがカップになってるタイプだ!自分のコーヒー持ち運び専用に黒いサーモスを使っているのだけど、直に飲む使用になっていて誰かとシェアできたりはしないので、これはうれしい。と書いても、妹夫婦が住んでいる中国ではgoogleのbloggerは閲覧制限されていて見えないのだよね…(というか見えないからすでに持っているサーモスのをプレゼントしてくれる羽目になっちゃったわけだけど。もちろんこれはこれで重宝する!) プリンに塩を入れすぎた、じゃないけどずっと昔、妹二人が同時にコーヒーミルをプレゼントしてくれたことがあって、うれしかったけどタイミングがこんななのが笑える。僕もそういう間の悪い何かをしたような記憶がある。我が兄妹はこんな感じでいつも間が悪いのだろうな。

KORG DS-10

KAOSSILATOR Dynamic Phrase Synthesizer |KORG INC. もそうだし、こないだ niji wo mita: テノリオンが欲しい で触れたテノリオン、今度はNINTENDO DSで遊べる KORG DS-10 | AQ INTERACTIVE の登場と、このところのおもちゃと電子楽器の接近はワクワクするものがあるなあ。 4800円でここまで遊べるなら、初心者でも手が出せる感じです。

水田地帯に出現した異空間

県道を車で走っていると、歩道のガードレールに自転車をもたれかけさせて、そのすぐわきにおじいさんが倒れていた。いったん通り過ぎたのだが、心配になってUターンし車を止めておじいさんに声をかけようと近づいたところ、よく見ればおじいさんはゴザの上に寝ていたのだった。大丈夫、疲れたからちょっと休んでたっけよとあっけらかんとした調子だ。そっか、邪魔したねと言いつつも、やっぱりあり得ない。新宿じゃねえんだぞここは。 用事を終えて数十分後同じ場所を通りかかると、もうおじいさんはいなかった。昼間の涼やかな水田地帯を横切る県道での話。のどかすぎる。

適応する能力

いつも近所のダイハン(小規模チェーンの地元スーパー)に徒歩で買い物に行っている妻を、ちょっと離れたヤマザワ(中規模チェーンの地元スーパー)に連れて行ったら、カートにアメリカ人みたいに食材を詰め込んでいる。明らかに興奮している風だ。興奮してない?って聞いたら、興奮しているって。帰宅してからも、いや~ヤマザワには興奮したなあ、広いフロアにたくさんの食材、だって。広さも量もまあ相対的なものではございますから。 君は数ヶ月前まで、三越も松坂屋もそごうもないところで暮らしていけるかものすごく不安がっていなかったか。という山形にいる人じゃないと絶対分からないちょっと切ないネタ。 * * * * * 共同授業の準備を2本上げて、無アクセント地域のイントネーションの論文を読む。音調句の現れ方に意味に応じた規則性がある、ということを音響分析の観点から論じたもの。おもろい。子どもと借りてきた「のび太の日本誕生」(→ ドラえもん のび太の日本誕生 - Wikipedia )と「ベルヴィル・ランデブー」(→ 映画「ベルヴィル・ランデブー」オフィシャルサイト )のDVDを見る。のび太の~シリーズを子どもと見るのは3本目だが、映画世界のジャイアンがいい人だというのは定説として、映画世界ののび太の住む町は関東郊外型ですよね。普段はサザエさんとかと同じ下町風情なのに。ベルヴィルランデブーは絵も良かったし音楽も良かった。ジプシーギター風のテーマソングもいいし、とか書いてるけど作中にジャンゴ・ラインハルトに似せた男性が出てくるので、風じゃなくてそのものを意図しているんだろうな。気持ちよかったー。

帰化申請時の名前変更メモ・続

こういうページもあるんだなー。「 帰化申請サポートセンター.net 帰化後の名前 」では、次のように記載されている。 帰化後の名前は、ひらがな、カタカナ及び人名漢字表に載っている漢字の範囲で自由につけることが可能ですし、通称名をそのまま使うこともできます。 法務局へ行くときの心構えや(→ 帰化申請サポートセンター.net 法務局へ行く )、納得行かないケースの相談案内(→ 行政相談シンボルマークを作製!行政苦情110番を全国統一番号化! )ページへのリンクまで張られていて、あら用意周到だこと。これってやっぱり行政処分とか行政行為って呼ばれる領域の問題なんでしょうかね。 (関連エントリ) niji wo mita: 帰化申請時に名前の変更を迫る niji wo mita: 帰化申請時に名前の変更を迫るについてのメモ

マンガ3つ

久正人『ジャバウォッキー(4)』(→ amazon )、切り裂きジャックとナイチンゲールのお話。荒木飛呂彦『スティールボールラン(15)』(→ amazon )、今回のスタンドは作品中もっとも難解かも。新井英樹『RIN(3)』(→ amazon )リンが立ち直って円満解決、ではとどまらない新井英樹ならではの展開があるのでしょう。

帰化申請時に名前の変更を迫るについてのメモ

一つ前のエントリ niji wo mita: 帰化申請時に名前の変更を迫る についての、メモメモ。 マイノリティの地位と権利 - PukiWiki によれば、  政府は2000年7月14日答弁書で、『-手引』で「帰化後の氏名」欄に日本人らしい氏名を例示しているのは、「帰化許可申請者の大半が、帰化後の氏名として日本人らしい氏名を使用することを希望している実状を踏まえたことによる」との見解を示した。日本式氏名に変えるという法的規定もなければ、強要もしていないと公言しつつ、実際には、民族名の変更を求め、しかもそれが本人の希望だと言うのは、かつての朝鮮総督府と同じ手法である。 とのこと。特別永住者の置かれた微妙な立ち位置を考慮すれば、この記述にも一定のバイアスがかかっている可能性を保留する必要はあるだろうが、ともあれ「大半が帰化後の氏名として日本人らしい氏名を使用することを希望している実状を踏まえた」というあたり、それが仮に事実だとしてもそれがどのような契機で立ち現れた「内的動機」であるかはもちろん別問題だろう。 基本的には、国籍と名前を「日本に住むなら当然そういう気持ちになるはずだ」だとか「国籍と名前は連動する」みたいな押しつけは、端的に同化政策だと思う。国家と名前はいちおう別物と見る必要があるだろう。 僕は個人的には国籍は国家のサービスを受ける権利(と共起する義務)の問題であって、名前はアイデンティティの問題だと考えているが、国籍こそがアイデンティティのよりどころで名前は大した問題ではない、という立場があることも一つ前のエントリで示したとおりだし、それはそれとして十分な根拠があるんだろうとは思う。 国籍と名前のどちらが大事という話は実は本質的な問題ではなくて、両者はどちらかがどちらかの包含関係になっているんじゃなくて、別々に選択できるものであるべきではないのか、ということだ。

帰化申請時に名前の変更を迫る

先日留学生と話していて、帰化の話題になった。日本人学生も混ざっていて、帰化すると具体的に何が起こる?みたいな質問が出た折りに、留学生は驚くべき答えをした。 「帰化するってことは、日本人の名前に変えなければならないってことだよ」 うおーいマジか本当にそう思ってんですかとつい勢いよく突っ込むと、少なくともうちの界隈の留学生はみなそのような理解をしているという。いやいや。人権マターだから、それは微妙な領域に踏み込むことになるけど、たとえば日本人風の名前にしなければ日本国籍を取得することはできない、ということはないはずだと強弁した直後に附属の留学生担当部署に行って、尋ねてみた。 すると、「国籍を取得するってことは名前もそれ風に変えるってことでしょ」と驚くべき答えを出す人もいる。「いや、名前を変えさせるってことは人権マターじゃないの?国籍と名前は別じゃないすか」と突っ込みかけると、外国籍を持ちつつ日本で生活している職員が「名前を変えることなんて造作もないこと。国籍を変えることのほうが重要問題だ」とか言い出して、百花繚乱な場となった。ま、国籍と名前を同じに捉える人、名前のほうが大事だと捉える人、国籍が大事だと捉える人がいるようで、人権マターだと言う僕もかなり一方的な議論の仕掛けかたをしているなとは思った。 * * * * * しかし、そういう個人のナショナリティへの向かい方はそれぞれあるとしても、やっぱり国籍を変えるときに名前を変えることを制度的に強制される、ないし事実上強制されるということがあったら、それは僕個人の倫理観としては強く違和感がある。ウィキペディア(「 改名 - Wikipedia 」の項目)によれば また、日本の国籍を持たない人が日本に帰化するとき、国籍を取得したことを分かって貰うために改名を行う場合がある。 これは、帰化もしくは国籍を選択する際に薦められる行為であって、必ずしも日本風の名前に変更する必要は無い(とはいえ、実態として、日本風の名前に変えなかったことを理由に帰化を却下された実例がある。 とあり、この範囲では分からない話ではない。たとえば山形のような地域の力が強い場所では、いわゆる日本風の名前のほうが便利なことはあるだろうから、そのように薦めることはあるかも知れない。問題は、後半のような実態があるということだろう。なお法的な根拠があるのだろうかという

ミャンマーサイクロン続

ミャンマーのサイクロン被害の続報によれば、2万人以上の死者、4万人以上の行方不明とのこと。" BBC NEWS | Asia-Pacific | Burma's cyclone death toll soars "では、途中まで15000人の死者だったのがこれだけの数字に変更されたのは、サイクロンそのものではなく、高波の影響とのこと。3.5メートルの波が海抜の低いところに住んでいる住民を襲ったらしい。昨日も書いたことだが、数万人単位の死者が出る震災というのがピンと来ない。想像力の欠如ということよりも、それよりも想像力の範疇を超えているという感じに近い。ここ、" BBC NEWS | Special Report | Timeline: Major tropical cyclones "によれば歴代のサイクロンの被害規模が掲げられている。バングラディッシュを襲った'91年のサイクロンは14万人?広島原子爆弾とほぼ同じ規模だ。戦争でなく、これだけの人間が1件の自然災害で亡くなることもあるのか。何かが麻痺する感じだ。 ミャンマーのことは、たまたま教えている留学生がいるのでこうして気になっているわけだが、軍政が敷かれていること、軍政に抵抗するアウン・サン・スー・チーのことわずか、を除いて実のところほとんど知らない。これだけの被害が出ているにも関わらず、新憲法案についての国民投票を予定通り強行する、といったあたり混乱は長引きそうだ。

ミャンマーのサイクロン

ミャンマーをサイクロンの影響で、4000人近い人が亡くなったという。教えている留学生はいまどんな思いで日本の連休を過ごしているのだろう。さしあたり、情けないばかりだが、被害者に近しい人がいないことを祈る。 " ミャンマー、サイクロンで約4000人死亡 写真21枚 国際ニュース : AFPBB News "では3969人の死者が出ていると報じられている。" BBC NEWS | Asia-Pacific | Burma's storm toll 'nears 4,000' "では3000人近くの行方不明者と40名程度の負傷者を伝える。圧倒的に負傷者が少ないのはやや不自然に感じるがどういうことだろうか。国際ニュースのサイトに上がっている写真は台風一過という感じのものばかりで、事態の深刻さはいまいち伝わってこない。" Myanmar death toll 'could reach 10,000' - CNN.com "では1万かよ!という数字はさておき、被害の様子が動画で伝えられる。 4日のニュースでは351人と報じていたのが、5日になって10倍以上の数字となった。軍事政権がやってる国営放送だ、ということをどのような重みで解釈すればいいのか分からないが、1999年にインドを襲ったサイクロンが1万人の死者を出したということを考えれば、あり得ない数字ではない。イラワディ地区だけで約4000人だというから、数字が正しければ今後報告される数字は増えるのかも知れない。阪神淡路大震災の時も、最初はとても少ない数字が報道されていた。 自然災害で亡くなる人の数というのが、どれだけたくさんなのかいつも感覚的につかみにくい。ひどいことが起こっているのだと思う。

尾玉なみえ新作

久保保久『よんでますよ、アザゼルさん。1(1)』(→ amazon )、笑いが稲中っぽい懐かしさ。下ネタがえぐいので人を選びます。イブニングで連載していいのかこれ。うすた京介『セクシーコマンドー外伝すごいよ!!マサルさんウ元ハ王版 4』(→ amazon )、これで腹を抱えて笑っていたのが懐かしい。いまでも読むといい脳波が出てるのが分かります。今回のコメンタリーはハチクロのひとがいちぶ担当していて、ハチクロがマサルからものすごく影響を受けているのが分かりました。舞台とか芸術系の人に人気あるよね、マサルって。 ジャンプSQ6月号(→ amazon )の読み切りが、尾玉なみえ大先生!これまで、荒木飛呂彦、鳥山明・桂正和と大御所がめだっていたゲスト読み切りですが、ここへ来て尾玉なみえという編集部の英断に熱いエールを送りたいと思います。相変わらず不謹慎な笑いでした。面白いなあ。先月の鳥山(原作)・桂(マンガ)というのもとても面白かった。鳥山は一貫してシリアスな展開とかテーマとかが嫌いで、桂はすぐテーマとか人間とか言うので、噛み合わない感じがインタビューと作品から滲み出ていて、作家性がどかっと前面に出てくるおもしろさ。個人的には、連載漫画にはあまりピンと来ないのだけど、ゲスト読み切りは一癖あっていいと思いますこの雑誌。

昼寝とおやつが必要なとき

リベラルヅラを決め込んでいる上司がクソマッチョだったときの憤懣やるかたない感じ、いや逆ですね、クソマッチョなくせにリベラルを装って進歩的な人間ヅラしているのを見るほど首しめたろか、って思うことはないですね。こういうヤカラは装いでしゃべっているので対話のしようがありません。親方日の丸・美しい日本、で首尾一貫しているほうがよっぽど対話できるってもんだ。で、何か語らせるとぜんぜん勉強していないくせに研究者批判をしながら、かならず本質主義的なところに落ちて「古来変わらぬ日本の心」「まごころ」「感情」が大事とか抜かす。心や感情がどんだけ社会や歴史の文脈から自由だと思ってんだろう、とたまには全力で愚痴らせてください。思い出し怒りにつつまれるときは、まず寝不足栄養不足である可能性が高いので、おいしいものでも食べて昼寝します。

血液型ハラスメントというのはマジで存在するか

「B型の人は時間を守らない」というハラスメントに本気で何度も抗議してもぜんぜん聞き入れてくれない人が世の中にたくさんいるので、ここいらでネタ的に抗議します。真剣にネタ的に抗議します。いいか、よーっく聞けコラ。 * * * * * 90年代の知られざる名作マンガに山田芳裕『度胸星』(→ amazon )がある。ヤンマガがまだサブカルくさい元気さを保持していたころの連載だ。打ち切られてしまったために、未完の大作などとも言われているようで、きちんと終えることができたらSFマンガの金字塔になったのではないかと思う。というようなことはネットでさんざん書かれているので割愛。最近デラックス版が出たことを喜びたい。 偶然書店でNewtonの別冊『次元とは何か―「0次元の世界」から「高次元宇宙」まで (ニュートンムック Newton別冊サイエンステキストシリーズ) 』(→ amazon )を手にとってめくってみた。宇宙の外はどうなってるの的子どものヘリクツから抜け出ることのできない5歳児病(うちの子どもと同い年だ)としては、この手の話題にはいつもすぐ飛びついてしまって、でもなかなか理解できずに積ん読状態となるわけだが、今回のは一般人向けに書かれているためにすごく分かりやすかった。 面白かったのは、度胸星にも出てくる4次元の物体「テセラック」についてだった。面積を持たない線が1次元、高さを持たない面が2次元、高さと面を持つのが3次元とされる。それにさらに一つの要素(次元)を加えたものが4次元とされる。物理学では理論的に記述される4次元というものが、直感的にはなかなか理解できないのだが、そしてそれはわれわれ人間が3次元の枠組みで感覚できる世界しか生きていないから当然なのであるが、直感するとしたらどんな感じなのだろう、と思った人は僕だけではないと思う。度胸星では、その直感できない4次元の超立方体と言われる「テセラック」なるものが、8個の立方体で模式的に描かれている。それが連載当時は僕の好奇心を激しくかき立てたものだった。 その「テセラック」は、山田芳裕なりの創作かと思っていたら、きちんと理論的背景があったのだと知った。別冊ニュートンによれば、概略次のように説明される。 1. 線分は、2個の点によって囲まれている。(1次元) 2. 正方形は、4本の線分によって囲まれている。(2次元) 3.

塩豚と筍ご飯

タマキさんに教わった塩豚の料理に初挑戦した。豚バラブロックの全面に塩を塗り込み、ジップロックで4日保存し、熟成が進んだところを炒め物にする。タマネギと小松菜と。塩豚がいい塩梅に漬かっているので調味料は一切使わなかった。オカヒジキのカラシマヨネーズ和え、エノキのおみそ汁。それと、季節ならではの筍ご飯。妻が下ゆでをしてくれていたので、油揚げとシメジと併せて具とした。 最近変わったことは、仕事の合間、夕方頃にいったん帰宅してご飯を作ったり食べたりすること。それから、ご飯は大きな鍋でどかっと炊くこと。7合くらいはたぶん行ける。一人暮らし用の炊飯器はもうそろそろお蔵入りかな。 タマキさんありがとう、そして写真には不穏な飲み物が写り込んでいて大変申し訳ない…