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8月, 2008の投稿を表示しています

いつかは自分もここでお世話になるかもしれない

sociologbook | 2008/08「貧困特区」 同僚のブログで紹介された記事から。貧困対策として、貧困特区を作ることはできないか、という問題提起。僕は問題提起そのものよりも、以下の、特に「いつかは自分もここでお世話になるかもしれない」という問題提起のしかたに共感する。 そしてなおかつ、これがもっとも重要だが、まわりの一般市民がこの貧困特区を差別しないこと。いつかは自分もここでお世話になるかもしれない、ということや、そもそも社会や行政が負担しなければならないはずのコストを押し付けているのだ、ということを、市民が十分に理解できるかどうか。 それゆえに、貧困特区が必然的に持つことになるであろう負の表象から、そのような問題提起のしかたの意味が殺されないために、特区という地域しばりはどうなのだろうと思う。階層間格差を認めることについて言えば、認めかたの深度を別とすれば、この社会はもう認めているじゃないか。だから、この記事が述べるような「わざとスラムを作る」ということを真逆の方向から述べている記事も出現したし( お受験のまとめ 。もう削除されてしまったけれど、低所得者が住む公団は特定の区に作れ、みたいなママさんの意見)、そしてそれははてなでやたらにぶったたかれていたけど、そして確かに胸クソ悪かったけど、決して目新しい内容ではなかったはずだ。特定の集団を特定の地域で救うことが、同時にいつでもそのようになり得る自分という可能性に対する想像力を奪い取ってしまっては、本末転倒となってしまうだろうと。 というようなことはこの記事の書き手には十分配慮されていると思うし、何より貧困特区という仕組みが現実的に誰かをすくい上げることを思えば、何を見当違いのコメントをしているんだと思いもするのだが、でもやっぱりその仕組みが作り出し強化する表象を思うと切ないものがある。何しろ、僕のある面ではいまだ外山恒一が全然全く笑えないくらいで。

ウイスキーの小瓶か、鍼灸か

夢のような子供との一週間を過ごした後は、まあ予想通り溜め込んだ分だけ多忙な日々が始まったわけだけど、よほど体が仕事をしたくないのか久しぶりの偏頭痛ラッシュとなってしまって辟易としているわけである。めまいだの吐き気だのが時に交代交代で、時に手をつないで訪れるわけである。階段何度か落ちそうになった。つーか!そんなさなか思い出したのは、あー俺小さいとき母親も似たような感じでぶっ倒れてたかも!ってことで、思い立って電話して聞いてみたら台湾の祖母も同じだっつーわけで、はい遺伝決定。この家系は人生の一時期、原因不明のこの手の現象に悩まされると。母親に当時の対処法を聞いてみたら、そうだねーウイスキーの小瓶を持ち歩いていたなーとのこと。血の巡りが原因だというあまりにいい加減で首肯しがたい説に一票を投じるわけにはいかない。とりあえずサマオクに鍼打ってもらって沈静化。 それはそうと、大学院時代の後輩がかっこいいダンサーになっていた( Cherry Typhoon Web )。前は劇団の座長やってたはずなんだが。バーレスクダンス(→ wikipedia )についてwikipediaに記述があるけれど、ダンサー本人の定義とはまた少し違うようだ。同業の人と大学院生時代のことを話すと、どうも僕が所属していた研究室は不思議な雰囲気を醸し出していたようで…。

トマトカレー

畑で取れたバケツいっぱいのミニトマトと、若干のピーマンとなすを使って、さあ何をやろうか。トマトソースというには分量がありすぎる。というわけで、ミニトマトを刻んで水を使わないカレーを作ってみた。酸味が強めなので食欲がない時でもいける!子供と完食。

秋田出身の漫画家が好きなんだ

よーし原稿一本終わったー。家族が旅行から戻ってきたー。EDENの13~15巻読んだー。次の原稿の締め切り近いぞー。来月の研究発表もあるぞー。でもその前にまた川行くぞー海行くぞー、何よりキャンプ行くぞーあとEDEN全部読んで感想書くぞー遠藤浩輝は秋田出身なんだ秋田いいぞーおおひなたごうも秋田出身だ。山形は冨樫と安彦まさえがいるから十分だ。それにシャアズゴのプラモいい加減作りてーんだよ。遊んでマンガ読んで原稿書いて遊んでマンガ読んでプラモ作るぞーと気炎を上げていたら、急遽仕事の電話が。行かないぞー。ねえ行かない。行かないぞー?行くけど。行かないってば。いや、行くよ。行けばいいんでしょー。どうせ俺はあれだよ仕事好きだよ。家にいたって野球もオリンピックも興味ないし、仕方ないから仕事行くよベイベ。ベイベカモンアイラービュベイベー。

ルービックキューブ

この3ヶ月ほど、仕事の合間にルービックキューブをすることが増えた。うわっ、我ながらネクラー。同僚が先にはまっていて、やたらと熱く語るのでついに僕にも伝染してしまったのだった。小学生の頃から一面たりとも揃えたことがなかったルービックキューブだが、付属の説明書を元にパターンを押さえれば、誰でも6面すべてを揃えることができる。攻略書を読んでゲームをクリアするずるい方法でやり方を覚えると、頭を使わずとも簡単にクリアできる。 ゲームと違うのは、一度クリアするともうおなかいっぱいになる=ストーリーが分かると満足するのではなくて、何度も楽しめてしまう点にある。探求心の強い同僚は、どのような仕組みでキューブが揃っていくのか、その合理的な過程に興味をそそられるようだが、僕の場合は整理整頓の欲求が満たされていくのがその都度気持ちいい。 さて、その攻略法には、目的によっていくつかのバリエーションが存在している。僕が覚えたのは、ツクダ式(→ ツクダ式 - Wikipedia )という方法で、(1)完全2面から(2)中段を揃え、(3)最後はルービック・マヌーバーという手法で完成させるものだ。この(1)から(3)の流れは、(1)と(2)が準備段階で(3)は総仕上げと位置づけられると僕は思っていて、整理整頓の欲望はちょうど(3)で最大を迎える。ドミノでいえば倒す瞬間、料理で言えば盛りつけの瞬間、洗濯物をしまうプロセスで言えばたたんだものをタンスにしまう瞬間とでも言うか。ある種のオーガズムが、いや、それはねーな。 ところで、キューブの世界にはスピードキュービングと呼ばれる速度を競う競技がある。次のyoutubeの動画に見るように、たまにテレビで紹介されるじゃないですかこういう人、みたいなまるで駅名全部言えますよ的なあれである。いや、それは全然違うな。 僕が覚えているツクダ式では、このように短時間で6面を完成させることはできないようだ。僕の最短完成時間は5分程度、同僚でも2分程度。実はスピードキューブで用いられる攻略方法は別にあって、それはLBL式(→ Layer By Layer - Wikipedia )と呼ばれる。この攻略法による世界記録は、wikipediaによれば、2007年4月の段階で11秒台だとのこと。敬意を込めて言うが、全くもってアホだ。現在の世界記録は Welcome to Wor

気温に合わないバンバンジー

盆地山形は日中暑いけれども、朝晩はきちんと冷える。昨晩は日中30度越えしたのに、朝は20度ちょっとで、長袖の上着を着ていないと少し寒い感じ。8月8日の立秋も過ぎたことだし、アカトンボが里に下りてきたりと、スーパーでは秋の風物詩「芋煮」のコーナーを用意する気の早い動きも分からないではないなー。 というわけで今朝は鶏の胸肉でバンバンジーを作った。僕以外の家族が旅行に出ているので(原稿書きのために僕は居残り…)、青唐辛子を刻んだものをトッピングしてちょいピリ辛の味付けにはしたものの、もうちょっとガツンと暑くないと雰囲気出ないかも。 (作り方) ・鶏の胸肉を浅めのお皿に置いて、日本酒を少量振りかけラップ。 ・電子レンジで5分くらい。 ・取り出して冷水であら熱を取り、手で細く裂く。 ・キュウリは細めに切っておき、軽く塩をしてもんでおく。 ・キュウリと鶏肉をボールでよく混ぜる。刻んだネギとごま油。 ・で、あとはタッパに入れておく。調味は取り出して食べるときにその都度がいいと思います。しょうゆでも塩でもごまだれでもマヨネーズでも。

グーグルマップ、ストリートビュー機能

学生の引率で新宿に来ているんだけど、山形の学生ってホントに歩くのだめだね~。車社会だから全然歩くことに慣れていない。駅からホテルまで10分程度なのに、ものすごく疲れてしまうとのこと。人酔いと、湿度の高さが問題なんですよ!と言うのは、分からなくもないかな。それに、都市の人間は無意識に人とぶつからずに歩くことができるから。こういう世界も日本だよ、山形からイメージできる日本だけが日本じゃないよ、こういう歩くのも大事だからー、とか言ってたら、本日からグーグルマップにストリートビュー機能が加わったおかげでありがたみも2割減ってとこですか。 これ、すごいなー。世界をバーチャル化する欲望の是非はともかくとして、ここまで見せてくれる地図が現実化するなんて思ってもみなかった。行ったことがない路地にも入れるし、ぐるっと360度を見回すこともできる。quicktimeにこういう機能あったよね。あっ、ゴールデン街も入り口近辺は見える!知ってるお店もある~。なんだか、知ってる風景を地図上で眺めていると、こっちが見てるんだか見られてるんだか主客転倒するような妙な気持ちになるな。 当初カバーするのは、東京や大阪などの12都市圏にある100以上の市区町村。今後、徐々にサービス提供範囲を広げる予定だ。写真の撮影にはカメラを搭載した自動車を利用しており、「一つの都市の撮影に3~4カ月かかる」という。 ( グーグルが「ストリートビュー」日本版を開始、特定地点の360度パノラマ写真を公開:ITpro ) ということなので、自動車が入れない細い路地は今のところバーチャル化されずに、初めて分け入っていく楽しみが保存されるということらしい。都市部の細い路地って意外に風景の改廃が少ないから、大通りよりもデータの更新が少なくて済みそうだけど、商業的な情報としての価値はあんまり高くなさそうだから、今後もバーチャル化はされないかも。

城生佰太郎『一般音声学講義』

この半期で読んだ数少ない言語系の本で一番おもしろかったのは、城生佰太郎『一般音声学講義』(→ amazon )だった。タイトルはおそらくソシュールの『一般言語学講義』を模しているのだろう。そのためか受講者の講義ノートのような雰囲気と教員の手控えを合わせた印象を受ける。時に実際の講義の口調で進められていて、教室の空気が感じられるところは、何というか同業者としてくすぐったいほほえましさがある。 で、内容はというと、言語学や音韻論から独立した領域としての「一般音声学」を掲げながら、調音音声学、音響音声学、聴覚音声学、そして比較的新しい談話音声への展望まで俯瞰できる作りになっている。個人的には音響音声学の学史がしっかり押さえられているのがありがたかった。概説を押さえるのは比較的簡単だが、学史を押さえるのは骨だから。著者は、脳神経科学と聴覚実験音声学で有名な方だが、そのあたりの記述は控えめ。あくまでも「一般音声学」を意識した作りになっている。 というわけで、この本は位置づけとしては明らかに概説書なのだが、それにもかかわらず読ませる本になっているのが不思議。概説書で読ませる本なんて僕はほかに知らない。ひとつには、これは講義の文字化であるから、言ってみれば声の残響?みたいなものが各所に感じられるということ(音声学だしね)、もうひとつはそれと著者のキャラクターがむき出しになっているということにあると思う。学生に愛された方なんだろうなと思う。しかも、どちらかというとマニアックな学生に。

川遊びと虫取り

ようやく仕事がすっかり終わって、こっから先は飽きるまで遊びと読書と研究だけをします宣言をここに声高にいたします。仕事なんかやるかバーカといいつつも、明後日から引率とか引率とかで新宿宿泊だけどね。君とか君とか君とかに会いたい。しかしまた別の機会に! 原稿の締め切りに恐々としながら、いつも全然遊べなくてごめんとばかりに子供を連れ出して川へ。昨年はできなかった、堰堤からの飛び込みができるようになっていて驚く。しかも浮き輪なし。これはもう僕も父として浮き輪を持たない生き方をせねばならぬと柔らかく決意。だってねえ?足つったらどうすんだよ。 子供の唇が紫になる→甲羅干し→ピンクになる→紫になるという無限ループをやってるうちに、そうだカブト虫取りに行かねえ?と子供より張り切る僕であった。もういいよ川はよー。また今度にしようよー。誰が誰を連れているのか分からない流れである。 折しも子供は堰堤から流れ落ちる水を相手を宇宙海獣に見立ててのパンチ&チョップに一心不乱。どう見てもやばいお子さんである。せめて桜を雪に、であれば風流さが伴うものの…ごめん、僕の子供にそれはなさそうだな。そういうのは和歌の人に任せた。最後はなんだか分からないけれどアイスラッガーで敵を倒したとのこと。教育のたまものである。 何となくいやがる子供を連れて虫取りに。山や森には事欠かない、人生至る所深山幽谷の山形であるから、道をちょっと外れればクヌギやコナラにはすぐお目にかかることができる。夕暮れの中、近所の山に登る。時間が早いのか、全然甲虫がいない。そろそろやばい感じの薄暗さになってきたところで、カミキリムシを一匹ゲット。ノコギリクワガタが良かったのにー。お父ちゃんもそう思うー。ムシキングもほしかったのにー。いやお父ちゃんそれは現実にはいないと思うなー。 大丈夫、夏休みはまだ長い。

海獣の子供(3)

五十嵐大介『海獣の子供(3)』(→ amazon )、満を持しての登場。夏休みの始まりにこんな表紙を見せるなんてひどすぎる。また伊豆に行きたい~。東北の海はどこだ~。入り江の凪いだ美しい海は、日本海側はだめそうだし、太平洋側も三陸海岸ってどうなの。 3巻は、空と海の秘密に一歩近づき、主人公が人間離れした潜水を見せるのが見所か。そもそもがUMAである空と海なわけだけど、ヒトガタ(→ 南極/北極のニンゲン・ヒトガタ/クネクネそしてカバゴン )とかはなし!そういうUMA使うと三文安になるよ。そしてにらみつけるブラックマンタ(→ YouTube - パラオにてブラックマンタと遭遇 ←こわすぎ)も。 それにしても、実は巨大水生生物に存在を揺るがされるような恐怖を感じる僕ですが、このマンガは巨大水生生物てんこ盛りな作品であるが故に、恐怖のツボを押されまくりです。それにもかかわらず読み続けられるのは、UMAの薄暗い生々しさではなく、神話に彩られた抽象度と限りなく透明に近いブルーな感じだな。ダチュラ(コインロッカーのほうの)しかり、万祝(望月峯太郎のほうの)しかり、ドボンと潜れば海洋ロマンの音がする~(文明開化でないほうの)。

Decade of Decadence

1981年に結成されたmotley crueというバンドがその10年目に"Decade Of Decadence"(→ amazon )という、そのまんまなタイトルのベストを出したとき、10年ってやっぱり振り返りたくなる節目なのかなあと高校生である僕は考えたのでした。10年分の退廃を集めれば、それなりのセンチメンタルとは別に、記録としての価値はファン以上に本人たちにとって意味をなすのだろうなーと思っていました。 niji wo mita(→ 旧サイト )を始めてから8月2日で10年が経過して、いよいよご長寿ブログの仲間入りだー、などと軽薄にうすら喜ぶけれど、テキストサイトブームも終盤にさしかかった1998年に始めたこの場所は、盟友 expop をのぞけば、仲間入りも何も極々私的な僕だけの場所でした。大学院修士課程の2年目、学生時代からつきあっていた彼女にこっぴどく振られ、あっちへ行きこっちへ行きしながら、いまになって思えばどの角度から眺め直してみてもモラトリアムそのものの生活をする中で、グダグダ日記を書き出したのを思い出します。いや、志はもうちょっと高いふりをしていたかもしれないな。最初のころは、音楽的母語の存在を探る、とかやってたし。 ともあれ、僕にとってのブログはどんだけ頭悪いと言われても、公共性などクソくらえで、あくまでも私的領域としての自由が保証されていなければならないと考えます。というわけで、motley crueよろしく退廃の10年間に書いてきたテキストのうち、自分にとって意味のある5本を刻み、記念とします。 ジョジョに引用されるモダン・ホラー群 (98/08/12) ガンダムを描けッ (02/03/11) 安心のしどころ~言霊復権 (03/04/30) 味方か、敵か~マルチアイデンティティの提唱 (03/12/14) アーネスト・サトウとピジン日本語 (06/02/01) 次にこういうことをするのは、さらに10年後なのかな。目下、最大の興味は、これを僕の子ども達は読むことになるのだろうか、ということです。親の日記が衆目にさらされているわけで、ここを足場に特殊なコミュニケーションが交わされることになったりして。