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11月, 2008の投稿を表示しています

怒りのハードルが下がっているのであって。

不法入国:在留許可求め嘆願書 比人中学生と両親が法相に - 毎日jp(毎日新聞) という事件なのであって、まあ時々目にする話ではある。さあ俺はもう怒り心頭である。  日本で生まれ育ち、日本語しか話せないフィリピン人の中学1年生、カルデロン・ノリコさん(13)=埼玉県蕨市=と両親への退去強制命令を取り消してもらおうと、ノリコさん一家が20日、在留特別許可を求める嘆願書を森英介法相あてに提出した。  ノリコさんの父アランさん(36)と母サラさん(38)は92~93年、他人名義の旅券で入国。95年にノリコさんが生まれた。06年にサラさんが入管法違反で逮捕され有罪となり、一家に退去強制命令が出た。取り消し訴訟も敗訴し、今月27日に退去の期限が迫っている。  ノリコさんは「友達とダンススクールを開くのが将来の夢。生まれ育った日本が大好き。フィリピンでの暮らしは想像できない」と訴えた。  入国してくる(して来ざるを得ない)事情は色々あるわけで、その辺の事情を言い出したらきりがないのは分かるけれど、mixiとか見ると「法律を犯したお前の両親が悪い。帰れ」みたいな意見にホントマジ死ぬほどうんざりする。何で法律に自己同一化して上から目線で語るかな。法律を守っているお前は全く偉くない。お前はたまたま法律を守っている結果で生き延びているだけだ。「自分勝手な欲望を持つ無軌道な人間に対する処罰」として当然だと思うんなら、んなもんメディアと世間の欲望にふくらまされている自我を、疑いもなく現状を生きている恥ずかしさを、他者への想像力を欠いて生き延びていることを、もう少し考えろ。そいからあれだ、法律があって人があるんじゃなくて、人があって法律があるんだろうが。構築してんだよアホが。神の視点みたいに語ってんじゃねーよボケ。

マコちゃんのリップクリーム

尾玉なみえ『マコちゃんのリップクリーム(1)(2)』(→ amazon )が、水村早苗『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(→ amazon )とともに届いた。水村氏のはさっさと読みたかったのに、色んな仕事のピークにさしかかって読みにくくなったじゃんかよー。アマゾンおせーよー、と軽くグチをかましつつ、尾玉なみえのこれ傑作だと思った。絵柄の下手キュート度合いとネームのマニアック度合いが絶妙のブレンド具合ですなわち具合よしのお手つき御免なわけです。尾玉氏得意の不謹慎笑いは相変わらず健在で、ゆえに子どもに見せず大人だけでこっそり楽しむマンガ殿堂入り確定なのに、別に書かれていることは小学生社会で日常的に起こっている子供同士のしょうもないやりとりに過ぎないわけで、僕に脳内規制される筋合いはこの際一切ないと言っておきたい。断じて。まれにおませなあれもあるけれど。 打ち切られ続けた負け犬マンガ家がようやくつかみ取った、ダメ世界のダメ女王的殿堂ポジションを失わせないよう、講談社にはぜひがんばっていただきたいなあと切に思う次第であります。つか集英社と切れていたんですかね。知りませんでした。 ところで僕はここに使われているような、関西弁の使われ方が非常に好きです。僕が苦手なのは本気で関西弁で人情かましているときです。あの本質主義的な、本当の人情はこの関西弁でしか語れないみたいな筋の通ったところが苦手なのです。と書きつつ、山形弁でもそれをやられたら嫌だ。つまりあれだ、方言で語る特権的な語り方に嫉妬しているだけなのです。だからネタとして語る方言は大好きだよ。アザゼルさんに使われてる関西弁も好きだよ、ネタだから。 というわけで、よーし、水村本を読む気持ちの土台は整ったぞー。

純粋な反復行動

山形も明日には雪が降るとの天気予報で、タイヤを冬用に変えてないやとか、家族に冬用の靴を買ってないやとか、子どもを雪山遊びに連れて行きたいなとか、諸々考えているうちに、気づけば0才の娘が掴まらずに立っていた!ワオ!気づけば5才の息子が僕に手紙をくれた!マジ! 家庭内で起こっているこの大躍進に今更気づけば、土日も仕事で家族サービスがない現状を妻に揶揄されて母子家庭であると。全然気づかなかった~。スマヌ。片仮名で書くあたり、気持ち半分という感じでもあるが。立って、座るというその行為がただ楽しくて繰り返す娘。書けるようになった文字が楽しくて画用紙に自分で考えたお話を書きまくる息子。ある種の衝動に駆られた反復行動、いいなあ。原初の営為。ロマンチシズムですかそうですか。いいじゃないですか。

うぉー!

今年の夏頃に買って、ほらやっぱり時間も気力もなくてすっかり鞄の中にしまいっぱなしの、DS-10。強力な同僚が笑っちゃうぐらいにはまっていて、定期的に聞かせてくれる90年代臭のただよう良曲に研究室をダンスフロアにしちゃろうかと思うくらい。ほんでなんかもう KORG DS-10公式イベント「KORG DS-10 EXPO 2008 in TOKYO」開催決定! | KORG DS-10 | AQ INTERACTIVE 、こんなところに呼ばれてプレイしてんだから尊敬した。あなた仕事と研究の合間に何やってるんですか…。コジャレのかけらもない同僚がガチでフロアを湧かせています。心からかっけーと思うよマジで。つくづく思うんだけど、うちの同僚たちってホントおもろいよ。同僚ネタで日記を書いたらそれだけで読み物として成立しそうです。 当日のプレイリストを見ると、プロアマ入り乱れての( KORG DS-10 Blog » [DS-10 EXPO] Performers List / ご出演者情報 )催しだったみたい。で、同僚からもらった当日のライブCDをぐわんぐわん聞いているわけですが、DSだからできる新しい音というのがあるのかはさておき、これでここまでできるのかと感動する。エフェクターかけてるのもあるみたいだけど。ヘビロテになってんのは、三人目の出演者の曲。うぉー。言葉にならない魂の叫びです。踊らせれ。うぉー! youtubeで動画見つけた。でも音が割れまくっていてひどいー。

韓国のブーちゃんノート その2

niji wo mita: 韓国のブーちゃんノート で触れたブーちゃんいのは「노ー트(ノート)」の表記について、韓国語に詳しい同僚に色々調べていただいたところ、いわゆる日帝時代のちょっとした遺産であることが分かった。 朝鮮語学小辞典 - 諺文綴字法 によれば、1930年に定められた朝鮮総督府のハングル正書法(諺文綴字法,リンク先では「テイジホウ」とあるが「テツジホウ」では?)に、日本語経由の欧米外来語の表記について記述がある。 3.6. 日本語表記規定 「ス,ツ」を「스,쓰」と表記する点は韓国の現行の日本語表記法と軌を一にしている。その一方で,濁音の表記に「ᅁ(ガ行),ᅅ(ザ行),ᅂ(ダ行),ᅄ(バ行)」といった特殊な表記法を用いたり,長母音の表記に日本語の表記と同様に音引き「ー」を用いたりした。 (上記「諺文綴字法」による) 朝鮮半島に残存する日帝時代の日本語にどのようなものがあるのか全く知らないが、少なくとも「ノート」のような、朝鮮語のリズム体系でうまく受け止められない単語は、どのように表記するか困ったにちがいない(ただし韓国語素人の僕には、ソウル方言老年層に残存するという母音の長短の区別が、引音の「ー」をどうして受け止めなかったのかについては疑問に感じられる)。もしかすると、ハングル正書法が繰り返し改訂される中で、朝鮮語の音韻体系からするとかなり例外的なこの音を、ハングルの記号体系で受け止める工夫を考えるよりも借り物の記号で臨時的に処理した方が楽だと考えることもあったのかもしれない。 と、勝手な妄想を楽しげに開陳してしまうのも言語研究者のサガであるとお許しいただくとして(誰にだよ)、1945年以降の解放後もこの表記が残るのが興味深い。これまた同僚に教えていただいた 공책역사 추억속으로..... (エキサイト翻訳:ノート歴史思い出の中に)によれば、中程にある、赤いノート(エキサイト翻訳によればアリランノート)でも「노ー트(ノート)」という表記が見られる。1950-60年代のものとある。さらに下の方まで見ていくと、日本のロボットアニメ、キャシャーンなどがあしらわれた1970年代のノートが出てくるが、ここにも「노ー트(ノート)」が見られる。以降のものからは、少なくともここに挙がっているノート、及び僕の眼力では件の表記は見あたらない。 同僚および韓国からの留学生にた

不思議な円環

いまさらだが新居の無線LANの接続状態が非常に悪い。つながったり切れたりの繰り返しで、ネットを使った作業が自宅では全然できなくてほとほと困っていた。…ところに本日、ルータから無線親機のWANに有線一本、さらになぜか無線親機のLANポートからルータに有線が文字通り再帰的にささっているのを発見。円環してんじゃん! いやあ驚いた。何が驚いたってこんなめちゃくちゃにつないでたのにネットにつながる瞬間があったということである。こういうのって、機械はひとつひとつの繋がりは1か0かで融通が効かないデジタルな印象があるのに、複合すると素人には分からない経路でアナログ化してしまって、狐につままれた感じ。 なんか機械が心を持つ、使い古されたテーマのSFを思い出してしまった。

韓国のブーちゃんノート

韓国で手に入れたちょっと変わったもの。仁寺洞(インサドン)の屋台で売られている、というか売り物かどうかも判別しがたいボロ雑誌の山から掘り出したノート。知り合いの韓国の方何人かに聞いてみたところ、60年代後半ごろの小学校のノートではないかとのことだったが、定かではない。 「산수(算数)」のノートで、中を開くとわら半紙に似た材質に一面6区画の罫線が引いてある。左上には「꿀꿀이(ブーちゃん)노ー트(ノート)」とあり(ブーちゃんは意訳)、おそらく製品名なのだろう。右下のロゴにも「ブーちゃんノート」と書いてある。 面白いのは「노ー트(ノート)」という表記。韓国語(あるいは現代ソウル方言とすべきか)は母音の長短を区別しない音節言語である。したがって英語などの外来語を取り込む際に、ouなどの二重母音は短母音で引き受けるのがふつうである。日本語では2拍分に伸ばして「ノー」と長音で引き受ける。現代ソウル方言の一般的な表記・発音では「노트(ノト)」となり、これが日本語教育の壁となったりするわけである。ところがこの表記は、まるで日本語式である。そもそも引音の「ー」は韓国語の表記にはないはずである。日本語の表記を何らかの経緯で用いたとしか考えられない。どなたかこのあたりの事情に詳しい方に教えてもらいたいところ。 裏表紙はマンガのキャラクターを使った、紙の模型?があしらわれている。上部左の野球ピッチャーは星飛雄馬?真ん中は70年代の子供向け少女漫画に見える。仮にこのノートが60年代後半のものだとすれば、1998年からの文化開放政策以前の、日本からの文化流入と考えることができるだろうか。 韓国からの留学生に見てもらったところ、裏表紙の解説のなかには、古めかしい韓国語が使われているらしい。

ラブ盛岡

岩手への学会出張。韓国でのおいしくて辛いもの体験を引きずって、カプサイシン的なものを求めていたら、陳麻婆のお店を発見。と思ったら、ここは陳建一麻婆豆腐店(→ 横浜ランドマークタワー|店舗詳細 )でもなく、陳麻婆豆腐(→ 陳麻婆豆腐 )でもなかった…。陳麻家(→ 旨辛至福研究飯店 陳麻家 )という、大衆向けの麻婆豆腐をチェーン系学生飲み屋レベルでさらに大衆化せんとする麻婆世界のワタミとでも。花椒さえ入っていれば本格麻婆なのかよと一人盛岡の夜を噛みしめたのだった。ぶっちゃけおいしくないです。盛岡よ、目覚めよ! ただし翌日の盛岡冷麺はおいしかった。盛岡目覚めた。行ったお店のぴょんぴょん舎(→ ぴょんぴょん舎 だけがそうなのか、北朝鮮系のやけに歯ごたえの強いやつ。盛岡冷麺は初めて食べたんだけど、半島文化をイーハトーブに乗せて、地域型エスニックビジネスとしても面白い融合を果たしていた。盛岡出身のヤツに「おいしかった~」とメールを送ったら「その店は下の中。全然おいしさを分かってない」とお叱りの返事が。これでブロンズ級か!庶民の麻婆の大衆化を嘆いている場合ではなかった。いつかハーデスに会わせていただけることを約束し、快く盛岡を後にしたのだった。ラブ盛岡。