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9月, 2008の投稿を表示しています

黒田硫黄『大金星』

黒田硫黄の最新短編集『大金星』(→ amazon )。7つの中編・短編が並ぶ。読んだことがないのとあるのとがちらほら。奇妙な生物である隣人との生活を描いた「ミシ」は黒田節効きまくりの不条理疾走異世界青春ものとでも呼ぼうか。『茄子』「アンダルシアの夏」のスピンオフ「アンヘル」は、これまた黒田節効きまくりのお話かつマンガ表現的には結構実験的なのでは?というカットがそれとなく潜むなかに、レースの躍動感とスピード感がすさまじい。動いていないのにこれは絶対動いている。熱い。 というわけで、こないだの niji wo mita: 黒田硫黄・福島聡・ハンター 同様、マンガ読みは絶対買いだと思う。

今日のツッコミ

中山成彬衆院議員の失言は、この筋の人として「あるある」という以上でも以下でもないのだが、この言い訳(→ asahi.com:中山前国交相「言葉狩りしては政治が活性化しない」 - 政治 )もまた脱力感に彩られている。見事に語るに落ちてるな。  国土交通相を辞任した自民党の中山成彬衆院議員(宮崎1区)が29日、TBSのテレビ番組に出演し、辞任の一因となった「単一民族」発言について、「言葉には気をつけなければいけないが、言葉狩りばかりしていると政治が活性化しない」と述べた。  番組終了後、中山氏は「言葉狩り」の意味について、記者団に「単一民族という言葉は使っちゃいけないんだなと思った。『同質民族』と言えばいいのか、なんて言えばいいのかと思って、瞬時に言葉が出なかった」と説明した。 言い換えの問題じゃないでしょう。「同質民族」であると仮定すると、どのように「政治が活性化」するのか語っていただかないと。

言うほどオルタナではない

しかしどうも、何なんだ。勉強してこなかった人間に限って、大学に入ってからコンサバティブなことを学びたがる。ちょっとでもオルタナティブなことになると、みんなそっぽを向くなあ。「文化のルーツ」で100ヘーくらい叩き出している裏番組で、「文化の相対化」と「戦略的装い」とか言おうものなら、受講者の差は歴然というグチをここでこぼさせてもらおうか。 それにしても、コンサバティブな領域って、どうして「実学」とか「役に立つ」とか言うことと相性がいいんだろうか。実際そういうのは、教養とある種の階級上昇が結びつきにくくなっている昨今、もう飲み屋のウンチク話くらいにしか役立たない、というか飲み屋でもたいがいウザがられるからもうどこでも役に立たないのに、と遠吠えしてみる。

おいしいお店と音楽イベントの悲しい関係

そういえば、引っ越しのさなか山形にやってきたed君は、この山形で1年に一度開催されるイベント、"Do It!"(→ do it 2008 )を見に来たのだった。僕もライブは見たかったし、ed君ともゆっくり話したかったのだが、なかなか時間が取れず残念だった(引っ越し手伝ってくれてありがとう)。ほとんど知らない出演者の中、少年ナイフとかモーサムトーンベンダーとかあれとかこれとか知ってるのをかき分け圧倒的な存在感をもって鳥肌実大先生(→ 公式サイト )!…行けなかったことがつくづく残念に感じられた。 それはさておき、若きミュージシャンかつイベンターのed君から聞いた話でさもありなん、と思ったのはある種のホスピタリティというか、エンターテインメント性がイベントに足りなかったという話だった。音楽以外の、特にフード!カレーと芋煮くらいしかなかった、というのは寂しい。小さな山形だが、こういうイベントに出店して来客を楽しませるお店はそれなりにあるのになあ。カレーと芋煮しかないと思われてしまうではないか。あそことかそことかあれとかこれとかさあ…。音楽が好きで食べ物もおいしいってお店が、この手のイベントと連携しないのはなぜだ。もうー。

下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち

先週末に引っ越しをした。以前住んでいた、在郷の町から山形県内の県庁所在地、山形市である。以前よりずいぶん便利で、といったあたりをグダグダ書きたい気もするが、段ボールにひたすら本を突っ込みながら感じたことは、「読んでない本がたくさんあるー!」だった。この業界にはいわゆる「積ん読」なしで月間100冊読破を超える猛者もいることはいるが、こちとら読書スピードも読書時間の作り方も、思い切り凡人なのでとにかく読んでいない本がたまりまくっていくのが恥ずかしい限り。今度は自分用に一部屋もらえたので、その僥倖を今週は味わい尽くしている次第。 で、そのうちの一冊。内田樹『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』(→ amazon )を今更ながら読んだ。勉強を嫌悪する子どもの考え方が、市場的に価値あるもの=等価交換できるものでなければ、意味がないとするあたりは(これは内田氏独自の指摘ではないが)仕事上興味深かった。この他、本書の大きなポイントである、誰かと連帯することによるリスクヘッジの必要性、市場原理の前提をなす即時性をどう破り時間性を回復するかという話は、身に浸みまくった。たぶん、僕自身がこの数年かけて内部に感じている変化は、これらのポイントと関係があるのだと思う。 それにしてもこの人の書いていることは、基本的に「昔は良かった」に過ぎない。そのようなオッサン的な蚕主義じゃなくて繭を作らない方の懐古主義は、脊髄反射的にウエッとなりがちだが、こうして筋道立てて説明されると、うん、腑に落ちなくもない。やだなー、こういうオッサンの手から逃れようとあがいても所詮は悟空、私の掌みたいなのって、などと今更言い仰せる35歳であった。

闇の子供たち

映画の宣伝をネットで見かけ、梁石日『闇の子供たち (幻冬舎文庫) 』(→ amazon )の原作をうっかり購入したら、ついファミレスで4時間もの時間を過ごす羽目に。ノンストップで読了してしまった。前半はタイ北部の幼児売買と、都市部で生じている幼児売春の凄惨なさま、後半は幼児を殺害しての臓器移植を阻止せんとするNGOと新聞記者の活躍(と失敗)が描かれる。梁石日なのでほとんど露悪的な描写にとまどうが、人間の欲望をどう低く見積もっても、現実がこの小説以下ってことはないだろう。 この小説では、遠い外国で起こっている凄惨な出来事が日本の社会や生活と無関係ではないんだということが、いろいろな方法で繰り返し訴えられている。また、同時に「無関係ではない」というありかたにもいくつかが示されている。それがその都度後ろからどつかれている感じで、いやな汗をかいた。物語の結末近くでは、主人公の強力な味方であるはずの正義感あふれる新聞記者が、結局は他者の眼差しから事件を新聞記事にするということにとどまって、現場と共に生きようとするボランティアの主人公と袂を分かつ。こういうの、マイノリティ研究とボランティアの確執みたいな文脈で聞き覚えがあって、さらにいやな汗を。

メタルとクラシック

クラシックとヘビメタ、ファンは似た性格:「音楽の趣味と性格」を調査 | WIRED VISION (via. 極私的脳戸/日々の与太 ) とのこと。同記事によれば、 調査を指揮したAdrian North教授は、英国放送協会(BBC)に次のように語っている。「最も驚くべきことの1つは、クラシックのファンとヘビーメタルのファンがよく似ているということだ。どちらも創造的で、落ち着いているが、外向的ではない」 というが、これは実感に合う。というよりも、様式美と呼ばれるレインボウとかイングヴェイとかはクラシック音楽のフレーズやフレームを借りているわけで、音楽そのものが似ているのだからリスナーの傾向が合うのはさもありなんという感じもする。そのような意味では特段驚くには値しないと思う。また、メタルはオタク文化とも親和性が高い。レゲエやラップミュージックのリスナーが外向的で、メタルが外向的ではない、というのも相当なステレオタイプではあるけれども、その表れと思われる。そして経験的には、クラシック音楽の熱心なリスナーは、オタク文化の担い手であることは少ないように思うが、モノへのこだわりという点で相当にオタク的だったような…。 調査法とも関係するが「ヘビーメタル」という音楽をどのように定義しているかは気になる(もちろんクラシックの定義もねえ?)。NWOBHM(→ wikipedia )あたりを念頭に置いているのだとすれば、リスナーの心性に、耽美的で自己愛的というのも加えてもいいかもしれない。

萌える日本語←どうかと

留学生を対象としたエクストラの授業で、近年ちょっとブームになっているシャドーイングを利用した音声教育をやってみようと、『シャドーイング 日本語を話そう 初~中級編』(→ amazon )を借りてみた。シャドーイングとは、以下。 シャドーイングとは同時通訳のための練習法の一つですが…(中略)、流れてくる音声を聞きながら「影」のようにすぐ後ろをできるだけ忠実に声に出して言う、それがシャドーイングです。(上掲書 p.6) 自分が中国語を勉強した時も、テープを聴きながらその通りの発音を何度も繰り返したことがある。効果は結構劇的で、一夏練習したら発音がかなり良くなったことがあった。先月戸田貴子編『日本語教育と音声』(→ amazon )を読んだこともあり、音声教育面白そうじゃん、で、ちょうど機会を得たところに船というわけである。 で、『シャドーイング 日本語を話そう』は、テキストとしては悪くないと思う。学習者の多くが苦手とする特殊音節を盛り込みながら、イントネーションのバリエーションにも目配りがある。明日が楽しみ。 ただこのテキストには一つだけ致命的な欠陥があるよ!附属のCDの音声が、声優さんを使っているのだけども、男も女もアニメ声すぎるよ!声優ってそういうことじゃないだろうが。これでシャドーイングやったら、学習者はみんなアニメ的な発声法になるよ。アニメの声って明らかに一定のキャラクターが付されていて、このCDの場合は、幼なじみで強気ででも二人の時はみたいなツンデレで、男はあれだ、セカイ系で言うところの一人称僕野郎だよ。以上、完全な主観で書いてますが、たぶん間違いねえ(なお、声優の声質とキャラクターを結ぶステレオタイプについてはすでに研究がある。金水敏編『役割語研究の地平』(→ amazon )。 シャドーイングによる勉強法を体験した人なら知っていると思うが、音声をそのまままねるので、言語情報以外の個性や雰囲気など、余剰情報もコピーされてしまうことがある。僕も以前、女性の韓国語母語話者の声でシャドーイングをしたら、結果的に韓国人女性のしゃべりになって留学生に笑われたことがある。なので、こういう音声教育ものの声は、経験的には、日本語社会的に権威があるとされるアナウンサーの声が用いられることが多い。 というわけで、アニメ声はやめろって。マジで。学習者がみんなツンデレと僕になったら

ヤンサン移籍雑感

そういえば、スピリッツが新装だということで。開けてみたら何のことはない、休刊したヤングサンデーの連載陣のうち、救済された作家が加わっただけのこと。度胸星、殺し屋イチ、ザ・ワールドイズマインなどの黄金期が終わってから、というか度胸星を打ちきりにしたということにどうしても納得が行かなくてヤンサンを読まなくなってから10年くらい経つのかな。 食わず嫌いだったヤンサンだが、スピリッツ移籍を果たしたおそらくエース組の作品は、個人的には薄いというか食い足りないというか。しかも、ゆうきまさみや、河合克敏は面白いけど、他の作品には(ゆうきまさみや河合克敏とは全然違って)で、痛い子っぽさがある。青年誌なんだから少年誌みたいなハッタリの効かせ方はちょっと苦しい。少年誌で鍛えたゆうきまさみと河合克敏の方が題材は子供っぽいのに、読んでて大人って感じがする。マンガ読みの皆さんは、どう見ているんでしょうね。niji wo mita一番の大手青年週刊誌は、圧倒的にヤンマガです。『喧嘩商売』面白すぎる。

認知的存在としての音楽

以前目にしたり耳にしたりした時には、全然ピンと来なかったのに、ある日突然これまで価値を見出さなかったことを後悔したりすることがある。例えば、90年代初頭に活躍していたエクストリームのヌーノ・ベッテンコート(→ wikipedia )が大好きで、彼の後のバンドであるモーニング・ウィドウズを初めて聞いた時に、魅力のかけらも感じられなかったのに、という感じだ。で、ファーニッシュド・ソウルズ・フォー・レント(→ amazon )。2000年のアルバム。 ファンク・メタルの下地に、彼独特のタイム感というか、変なフックがかかりまくっていてすごく気持ちいい。横断歩道の白いところを踏んで歩いているだけの、単調な歩幅なのに、なぜか起伏が感じられてしまう。昔のまんまのギターやコーラスのフレーズが耳に付いたりする。すごくヌーノっぽい。なぜ、僕はこれを「ヌーノではない」とスルーしていたのだろうと思う。受取手としての自分の、8年の変化ということだろうか。このあたり、実体としてではない音楽のありよう、つまり認知的存在としての音楽ということなのだろう。 以下、youtubeに上がっていた、ライブ映像。

福島奥地に住んでたあいつ

週末は突貫工事の発表資料がどうにか間に合って、いやある意味間に合ってないのだが、東京での発表を終え、山形に戻ってきて出張。 初めて福島の深奥を訪ねた。大学時代の畏友、横田君の故郷で(完全にウチワネタでスマン)和菓子屋のおばちゃんと仲良くなったっつうのに、横田に電話しても出やしねえ、ではなくて番号が変わっててつながらない。しかし何というか、かような山奥に住む人の生活は何ぞ、と以前の僕なら思っただろう。現代日本社会に対する脆弱なイメージが山形生活を通じて貧弱くらいにはなったかと。それにしても、もっとハードな仕事ぶりを極めている御仁の前では露ほども申せませんが、だいぶ疲れた。この疲れに飲み込まれず、今月中締め切りの原稿と、引っ越しの両輪を絶対ブチこなす、といま断言。 今よりももう少し便利で広い、山形市内のマンションに引っ越します。一部屋多いので、宿泊のお客様の収容も可能です。

黒田硫黄・福島聡・ハンター

いやー、今日はこのクソ忙しい状況をさらに深刻にすべく、黒田硫黄『あたらしい朝(1)』(→ amazon )と、福島聡『機動旅団八福神(8)』(→ amazon )と、ハンター再開のお知らせに血湧き肉躍った。 久しぶりの黒田硫黄の作品は、やっぱり最高。第2次大戦のドイツ、の仮装巡洋船が世界の海で連合国(主にイギリス)の商船を沈めまくる、という話なんだが、実際そこはどうでもよくて、「ドイツ万歳!(一同ビールをぐい飲み)」「ビール万歳!(一同ビールをぐい飲み)」とかね、「地面が揺れ動かないのには驚いたなあ」とかね、オチも何もない一コマ一コマ。何だろう、間ですかね?黒田硫黄はこういうのもう神がかった天才としか思えない。黒田硫黄作品ほど読んでて気持ちよくなるマンガはないな。この人はマンガでしかできないことを高いレベルで実現している。マンガの気持ちよさをことばで説明するのって難しいな。敢えて言えば、勢いだけで乱雑に、いい加減に作っているように見えるのに、むしろそうした方がおいしくできてしまったスコーンみたいな、…いやそれは違うな。大変な量の下調べをしているから、勢いと乱雑さがきちんと完成度の高いスコーンになって我々の食卓に並ぶわけです。そんなんでよろしいか。ともかく、このすさまじいまでの隔靴掻痒感が君に伝わればいい。マンガ好きなら絶対読むべき。 『機動旅団八福神』は、例によって圧倒的な読みにくさが新しいマンガです。この人の時間感覚はおかしい。いつも変な進行のしかた、変なコマ配置、変なネームであるところが気持ちいい。最新巻ではポスト京都原爆と、賢者の静脈の秘密が語られています。 そしてハンター再開だって…。ハンターファンは例外なくマゾヒスト的体質であることが広く知られているわけですが、こうやって絶望しかかったタイミングでフッと再び現れる、その戦略にむしろ毎回積極的にはまっていこうという、ジャンプ砂漠を生き抜くための読者のしたたかな知恵がここで露呈したわけです。マゾヒストは決して受け身ではないのです。

恐るべし漢字字書データベース

周祖謨「校正宋本廣韻」を昔ながらの手作業でめくりつつ、作業終了は遙か彼方…などと家内制手工業に励んでいたら、ネットで「宋本廣韻データ」(→ 宋本廣韻データ )なるものを発見。大幅に作業がはかどり、たったいま一段落したところ。使ってみて、これ相当な労作だなと思いつつ、ものすごく便利!! (僕の環境、WinXP + Firefox3.0では表示できない文字が多数。でもユニコードテキストでの検索には問題ない) しかもこれ、ソースを加工して広韻の反切情報と親字・小韻字を抜き出すと、完全版電子広韻(→ オンライン広韻 )のラフスケッチができあがるのでは…。むむむ…。 IPAも記載されていて、中国中古音研究にとっては便利きわまりないツールなのではないか。ただ、漢文研究者が開発に深く関わっているのだろうか、IPAによるトーンの記述が、日本語学畑(あるいは言語学畑?)とずいぶん違う…。たとえば、上声は日本語学畑ではおおむね高平調(おおむねというのは音節頭子音によって実現形が異なった可能性を考慮して)であるのに対し、ここでのIPAは11-55すなわち上昇調、去声は日本語学畑でおおむね上昇調であるのに対し、ここでのIPAは55-11すなわち下降調となっている。このあたり、言語系研究者は利用の際に注意すべきだろう。 いやー、それにしても便利この上ないなあ。

ボランティアと呼んでいい?

週末は、地域の国際交流協会主催の日本語上級教室講師を担当してきた。学校教育の現場とは違う、市民の教室といった趣を楽しみに出かけたのだが、受講者のモチベーションが非常に高く、「生活の日本語」よりも「学べる日本語」に強い興味があるようで、結果的に大学でやるような授業になってしまった。山形は、全国でも特に日本人配偶者として来日している方が多い。この教室にいらしたのも9割が配偶者の方で、世代も僕と±5歳くらいか。中には小さなお子さんを連れていらした方もいて、教室の中をたえず動いているのが微笑ましかった。 文部科学省による留学生増加計画( 「留学生30万人計画」骨子の策定について-文部科学省 )は、外国人労働力を日本社会が必要としていることを見込んでのものであるようだが、すでに日本社会に生活の場がある人たちにも、高等教育の門は開かれているのだろうかと思う。安価な労働力としての役割を担わされている外国人労働者も、いつまでも安価であることに満足するわけではない。より割のいい、社会的地位の高い仕事を求めたとき、高等教育の門をたたくのは当たり前のことだろう。昨年以来、この国策に沿って全国の大学では留学生募集のハードルを下げまくっている。留学ビザを持たない、この国策の対象外となるひとたちは、現状のままではますます厳しい状況に置かれていくのではないだろうか。それともなにがしかの地域教育?のなかで掬い上げることができるのだろうか。 ともあれ、ボランティア初体験、という記事を書こうと思ってたのに、謝金をいただいてしまったので仕事になってしまった…。他の講師にも謝金が出ているようで、まるっきりボランティアというわけではないのね、というのが意外だった。他の自治体はどうしてんでしょうね。