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1月, 2009の投稿を表示しています

ナツカシイ!or Die!

たぶんヴォーカルのハヤシの発声方法だと思う。ハードロックの人の妙なハイトーンを出すための発声法なのだと思う。エレクトロでパンクでロックで、まあたぶんサイケといえば歌詞がサイケというかナンセンスなバンド。どの要素を取ってみても僕が好きな要素しか出てこないので、当然、はまるわけだ。ピッピキピッピッピーがサビになる曲なんて初めてだった。千葉市の少年が作った短歌「ぼくゴリラ ウホホイウッホ ウホホホホーイ」に衝撃を受けた審査員(→ asahi.com:「ぼくゴリラ」の短歌で市長賞-マイタウン千葉 )も同じような気持ちだったのだろう。ちなみにこの短歌が僕の敬愛するうすた京介大先生のマンガ『ピューと吹く!ジャガー』のパクリであるという批判(→ まにあっくすZ いま話題の「ぼくゴリラ ウホホイウッホ」に人気漫画からの盗用疑惑 )はおかしい。違うだろう。今からでも遅くない。うすた大先生にしかるべき賞を与えなさい。与えるべきっきぴきっぴっぴーである。 そんなゴリラの悲しみを伝えてくれるわけではないが、National P(→ amazon )は名作である。ウィーダーという曲の聞き取り不能の叫びとポップなメロディ展開。漏れそうです。 続いてWe ate the machine(→ amazon )。機械食べちゃいました、がアルバムタイトル曲だが、これもフィネガンズ・ウェイクな方向で。 そして普通に聞けるPolysics or Die!!!! Vista(→ amazon )は、タイトルからして宇宙の波を受信した感じである一方、80年代のロックの作法を守ったような曲もあり、衒い抜きで気持ちいい。少し泣ける。上記2作は、アマゾンで初心者はここから聞け!みたいなレビューにしたがって買ったわけだが、こっちのほうが初心者向きなんじゃないの? 絶対コレライブ楽しいだろうと思って、行くぞ~と意気込みながらmixiのコミュニティに参加してみたら10代のファンばっかりで引いた。そのライブには行っちゃいけないというご先祖様の声が聞こえました。お札を買ってでも行きたいな~。

戦略としての「正しく美しく豊かな」日本語

水村美苗『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(→ amazon )を読んでから、レビューを書こうと思いながら2ヶ月くらいが過ぎた。最初に新潮に掲載されたものについて書いた niji wo mita: 水村美苗「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」 が、このブログにしては予想外のビュー数となったためちょっと気負ってしまったということもある。が、今日、職場で同僚と話していて、まあそんなところだろうなと思うことがあった。以下、ものすごく個人的なレビュー。 前回僕は水村の記事を読んで、次のように書いた。 ハイカルチャーの文化的遺伝子キャリアーを自称する人たちによるこうした言説、と僕が批判的に書いてしまいたくなるのは、端的に母国語による母語抑圧の話がここからすっぽ抜けているからである。そしてまた弁解しながらでないと批判的になれないのは、母国語の持つ力というか、階級的な力の恩恵をお前も受けているではないかという自分の内なる声のためでもある。 通読してみて、やはりこの本には言葉による制度的暴力の話が抜け落ちていると感じた。それが意図的なのかそうでないのかということだが、僕は意図的なのだと思う。近代人としての母国語賞賛は、領域をめぐる闘争を意味するのであって、水村はそのことについて、いちいち具体例を掲げたりしないが、とても自覚的に書いていると思う。言うまでもなく言葉は暴力なのだ。暴力どうしがぶつかれば、そこには勝敗が生まれ、言葉の階級差が生まれる、と書いてあるではないか。〈普遍語〉が普遍的な知のリソースを形成しているというのは、帝国の地位を勝ち取ったというだけのことであって、そう読めばいいのではないか。帝国が辺境を圧するように、いろんな意味での周縁を特定の言語が圧殺してきたことは、一方で帝国を豊かにした。それは列強の一角を担う日本語も同様であった。ところがいまや帝国は夕暮れのときを迎えていると水村は、超訳すれば、述べている。われらの没落を許すな、われらの豊かさをもう一度!というわけだ。 こう説明してみると、水村はそれをメタフィクションとして書いているのかな?という可能性すら微妙に感じる。だから正義ヅラして直情的に批判する気にはなれない、ということを書きたいのではない。繰り返すが、その言葉の力から自分が無関係ではないことに、どう向き合ってよいか、あるいは首尾一貫した批判をするこ

ママはテンパリスト

しばらくマンガ日記書いてないので、東村アキコ『ママはテンパリスト』(→ amazon ))を読んだ件について!『ひまわり』(→ amazon )のウイング関先生が関羽雲長のもじりだと気づいてから猛烈に東村アキコが好きになってしまった僕は(今週のひまわりで、編集さんが困った系オタ女子作家さんに合わせた仕事をするぞって決意するシーンはマジイカスと思った。今週号でさらに東村アキコが好きに。というか東村アキコじゃなくてウイング関が好きなのかもしれない)、コーラスで評判が地球の引力圏を振り切る勢いで上昇中の本作を購入した次第。 っつか前置きはどうでもいいんですが、榎本俊二『榎本俊二のカリスマ育児』(→ amazon )しかり、子育て奮闘体験者から笑いを取りつつ、「親はこうあるべき」イデオロギーのもたらす育児圧から開放してくれるこういうマンガはホント貴重だと思う。これで救われる親、というか90%以上がママと思われるが、はゴマンといるはず。榎本俊二の方が、同じ育児マイノリティの男性だった分、共感を持って笑読できましたけどね…。育児書なんかこの世に不要だよ!ただ体験談だけあればいいんだよ!と吼えるわけです。体験談ということであれば、西原理恵子『ああ息子』(→ amazon )『ああ娘』(→ amazon )も掲げておこう。 話は逸れますが、単身赴任を2年経験してつうのもあるけど、このところ育児らしい育児を全然してません。東京で非常勤講師をやりながら食いつないでいたときは、子どもと奥さん第一、研究第二、授業第三、そのほかの仕事など眼中にないわっ!という感じでした。世の育児パパをエンパワーする育児パパエッセイを書いてどうにかなってやろうと一瞬妄想を抱けるくらいのあれなそれでした。育児パパに対する世間の眼の冷たさと戦うぜ、云々…。しかし何というか専任職というのはそういうのをなかなか許してくれないもので。己の筋を通して子どもと奥さん第一と貫くには、単身赴任が長かった…。家族がいない生活はそれなりに苦しいものがあったけど、人間の適応する力をなめてはいけない。疲れて帰ってくれば思うように家事もできず、しかもこの1年ほど偏頭痛ひどくなるしで大体家では寝ている父さんだよ…。こうゆう人間にだけはなるつもりなかったのに! というわけですが、卒業式などで女子学生に対して「君らは結婚して子どもをたくさん生

thunderbird + lightning + gcalender + 携帯電話?

メーラーを Thunderbird に切り替えてから数日たった。使い勝手は、 AL-Mail と特段変わらないが、スケジュール管理ソフトの Lightning を導入してみたら、メール以外のところでの使い勝手が格段に増した。メール以外の使い勝手というのも変な言い方だが、要はメールとスケジューラーの統合環境が出来上がったことで、これまで別々に立ち上げていたソフトが1つで済む。両方を頻繁に使う状況が少しスマートに実現するわけだ。 この実現はx200のモニタサイズがやや横に広め(12.1型ワイド)であることによるところが大きい。これまで使っていたx40も、臨時的に使っていたlet's noteもワイドではなかったため、ワイド画面に違和感もあったのだが、こういう使い方を体験するとワイドいいじゃんと思う。 lightningを導入すると、デフォルトでは画面の一番右側にtodayペインが現れるため(thunderbirdの画面右端領域にはめこまれる)、ネットを検索すると、本体であるthunderbirdの画面が狭く感じられるなどの不評もヒットする。僕はalmail時代の慣れでメッセージペインを表示しないいわゆる2ペイン表示で用いているが、3ペインでも何ら表示上に不具合はないように思う。 問題は携帯電話との連携。これまでは niji wo mita: outlookとauでスケジュール同期 でも書いたように、outlookとauを同期させてスケジュールを手元でもみられるようにしていた。lightningではいまのところ携帯電話との同期例はないようだ。ただ、lightningをgoogle calenderを同期させた上で(→ Mozilla Re-Mix: 「Lightning」にGoogle カレンダーを同期させる「Provider for Google Calendar」 )、google calnederを携帯から管理可能な状態にさせれば(→ Googleカレンダーを携帯電話から完全管理 TAKE24/7 )やりたいことのほとんどは事足りる。 もっとも、僕はこの方法にはまだ踏み込んでいない。lightningとgoogle calenderの同期をさせると、lightningの動作がおそくなるということと、ネットがつながっていない場所ではこの機能は使えないということ

子供の腸炎にやられる

数日前に下の子が腸炎にかかった。上の子がノロウイルスという沖縄の巫女みたいなのにやられたときもそうだったが、律儀に感染。子供の病とか思いとか受け止める僕は偉すぎると思います。嘔吐して腹痛。 折しも上の子は新しいオリジナル拳法を考えるのに夢中。テレビのない我が家でyoutube見まくっているのだけど、最近大好きなパーマンから、サブ拳だと。技は「カバ夫くぅん」つってサブの物まねをするだけの、そのどこが拳法か。父親の頭おかしいところは継承せずとも。色んな意味でお腹苦しいんですけど。

はい、終了~

行き詰るとなぜかキッチンをきれいにしたがる「キッチンに引きこもり癖」で、またもムダにキッチンがきれいになる…。で、サマオクにあーだこーだ愚痴ってたら、今年は新しいことにはあまりトライしない方がいいと、年始のなんだかに出ていたとの由。じゃあ自分にとっての文字コード問題はもう考えなくていいってことですかね?との問いに、考えなくとも良し、それよっか自分にとっての中身だろと強烈なご神託が。はい、vistaでユニコードが満ち溢れた環境ですが、研究はJIS漢字(X0208)で行くぞ~ということで、utf/otfもしばらくは手を出すのやめます。神仏を全然信じない癖にこういうときだけは…。 関係ないんですが、昨日は全国レベルの試験のあれで遠隔地に監督に飛ばされ、帰宅途中にうまい団子屋に入って囲炉裏端で焼きたて団子のアンコ盛り盛りと胡桃餡盛り盛りをぱくついてウサを晴らしていたら、久しぶりの爆裂級の偏頭痛勃発。前兆だけで2時間かけるというオッサンぶり。ズガッと行けよと言いたい。で、そのまままさかの14時間睡眠を敢行した上、今日も一日寝て過ごした。合計で20時間は寝たな。そしていまはやたらと甘いものが欲しくてイチゴに鬼のような練乳を、いや気分的には練乳にイチゴを浮かべてくらいの、イチゴ練乳を食べた。偏頭痛前後には甘いものが欲しくなる、のか?

utf8環境であろうとどのみち文字鏡必須

一昨日の続きで、多漢字環境をうまく構築して研究を進めているひといないかなあと思って、ネットを徘徊するも、なかなか記述がない。TeXで論文を書いているのを唯一知っている、古典語研究領域の人のページに行っても、5年前くらいから更新がない。安定しているのかな…。それともすでに古い話だけどvistaは旧来のwindowsとの間に文字コード問題が存在するので(→ Vistaがもたらす文字コード問題:ニューストレンド )、次のosで改善されない限り、みなさんxpで止まっているのかな…。いまさらながら Vistaで化ける字,化けない字:ITpro で詳細を見ていると、このところ使ったことのある文字が散見する。秋田県仙北市西木町の手書き文化でのみ用いられる「泻」(←うわ、JIS外ユニコード文字がフツウに表示されてる…と感動するも、ハングルだって表示できてんじゃねえかと自分ツッコミ)とかね。 というか他力本願はやめて自分でどうにかしなさいという声もあるだろうけれど、文字専門というわけでもないので、その恐ろしく深い森に立ち入るつもりもないのよね。それはさておき、utf/otf導入というか、ユニコードを用いたデータベース作成にそろそろ切り替えるべきか。一番安定しているということでJIS漢字に依存してきたけれども、普段使うPC環境はとっくにユニコードベースなのだし、移動してもいいのかも。躊躇してきた理由は、上の世代の研究者との連携、あるいはネット上に公開されている有用なデータベースにはいわゆる83jisで作成されたものが多いということによっていた。 あとはutf8対応のTeX環境を作るのがめんどくさいというのが大きいな。だってJIS漢字環境でも、JIS外漢字は全部文字鏡フォントで実現させれば全然問題ないわけだし。そしてどのみちutf8対応にしたからといって文字鏡フォントをインストールしないことには全然研究環境は整わないわけだし。モチベーションがいまいち上がらない。うーん。

10万字版はvistaに対応しにくく、15万字版はTeXに対応せず

さて、TeX環境である。平安鎌倉期の漢字文献を取り扱うという専門の性質上、多漢字環境の構築は必須、で、文字鏡フォントに依存した環境を利用している。今回は(も?)インストールに苦労したので、以下メモ。 まずはTeXの環境づくりだが、例によって TeX Wiki を見ながらひとつずつインストールはめんどくさいなあと思って、ネットを検索しているとTeXインストーラ3 0.72(→ TeXインストーラ3 0.72 )を使うと、dvioutからgs関連ソフトまで、自動でftpからダウンロードしてインストールしてくれるという。vistaの成功例もあるようだからと思ってトライしたが、インストールが完了しても、うまく文書ファイルがコンパイルされない。PATHが通っていないので環境変数を書き込んでもうまく行かない…。 結局、 インストール(Windows) - TeX Wiki を見ながらゼロから環境構築して行くと、途中で自動インストーラと、この手動の方法では、なぜかディレクトリ構造が違うことに気づいた。通したと思い込んでいたPATHが違ったようだ。でも、そもそもインストーラがPATHを間違えるはずはないし、原因はよく分からない。手動インストールでは、TeX Wikiの説明に完全に従ったので、問題なく文書ファイルがコンパイルされた。 つづいてTeX用文字鏡フォントのインストールだが、参照した Windows 用 TeX で文字鏡フォントを利用する方法 の情報は少し古い。文字鏡研究会はフォントのダウンロードサービスを停止している( ダウンロードサービスの中止について )。サーバ移転のため2008年2月から約1年の停止というから、そろそろの開始となるのだろう。代わりにスタンフォード大学のサイトからダウンロードせよとの指示に従ってクリックすると、今度は Stanford University: Page not found! となる。結局、すでにTeX用文字鏡フォントがインストールされているパソコンからコピーして事なきを得た。 ちなみに僕はいまだに10万字版今昔文字鏡を使っている。現状で大きな問題にぶつかったことはない。15万字版では何が増えたのかネットで検索する限りは詳細は分からないが、5万字分利便性が高まったのだろう、と想像する。10万字版はvistaでは実害はない程度の不具合が出る。

almailからthunderbirdへ

イナゴの大群が押し寄せるのはこんな感じなのかなあと思いながら、外の雪を眺める。山形はこの2日間断続的に雪が降りしきり、良い子のみんなは家の中で遊ぶかお仕事するしかないのである。ということにかこつけて、締め切り間近なひとたちの頻繁な来訪の合間合間に、新しいthinkpadの環境作りにいそしむのであった。 研究面ではTeX+文字鏡環境さえあればとりあえず事足りるのだが、インストールにはいつも手間取るので後回しにして、まずはブラウザとメーラー。 Firefox と Thunderbird をインストール。メーラーはこれまで10年くらい使い続けていた AL-Mail からの乗換えとなった。almailはシンプルで使い勝手が非常によかったのだが、ハングルや中国繁体字・簡体字が読めない。今の職場ではそうした文字との付き合いが発生することがあったため、乗換えを決意した。 乗り換えの決め手はalmailからthunderbirdへの移行ツールが用意されていたことも大きかった( komatの古往今来: ALM2Thunderbird )。 くふぉーるSEブログ  AL-MailからThunderbirdへの移行手順 などを参考としながら無事移行できた。 ブラウザfirefoxは、何となく研究職のひとたちには広く使用されている気がしていたが、案外そうでもないようだ。同僚の部屋をのぞくとieユーザーのほうが多いくらい。niji wo mitaへの来訪客は約6割がInternet Explorer約3割がFirefox(Google Analytics使ってます)。firefoxのほうが早いのに用いられないのは、ieでしか閲覧できないページが多数存在するためだろう。というか職場の成績入力等システムはie上でしか動かないという、ちょっと信じがたい状況なのでieを選択するユーザーは当然増える。firefoxのほうがHTMLの文法に厳密に対応しているのに対し、ieのほうは独自の挙動を認める仕組みになっているためなわけだが、どっちが「独自」かは勝てば官軍の世界だからなあ…。

thinkpad x200到着

昨年の秋口にモバイルのメインマシンthinkpad x40のモニタが死んでしまってから、モニタの修理に4,5万円かけるか、新しいthinkpadを購入するかで迷っていた。しばらくの間、出費の問題もあるので借り物のlet'noteで過ごしていたが、これだと日常の業務はこなせてもどうしても自分の研究にかかわるデータ入力が進まない。キーボードとの相性は、単純作業の繰り返しにもっとも大きく影響するのだなということがよく分かった。 ついては年末ボーナスを頼りに、えいやっとthinkpad x200をネット購入。今ではフルカスタマイズもできるので、メモリ2G、HDD320GB、9セルバッテリにだけして、到着を待った。SSDにしたり、そもそもx200sにしないあたりが小心者だが、どのみち山形での移動は自動車メインだから小型であることは必須ではないし、東京都の行き来もさほど頻繁ではない。9セルバッテリは初期状態で9時間程度もつというからたまの出張も問題ないだろう、などと考えながら今や遅しと到着を待った。 年末の12/21に注文して、12/28に発送との通知。10日+5営業日を目安にとは聞いていたものの、納期が守られないのがレノボの常と頼りないウワサも耳にする。 ThinkPad X200 Series part 7 で納期の話を読んだり、 解雇された職員「2京円」求める訴訟、被告はレノボ 2008/12/14(日) 12:09:53 [サーチナ] なんてことがあったら納期ますますヤバイよなとか思ったり、そろそろ春節だよやべえとか気づいたり、 ThinkPadについて今日学んだ8つのこと - IDEA*IDEA ~ 百式管理人のライフハックブログ ~ を読んで到着を待つ気持ちに拍車をかけるなどしていたら、1/14に到着。だいたい予定通りの到着となった。さらばlet's note。わーい。

新春 歌詠みごっちん初め

 新年を言祝ぎまして。  雪深き 路面は滑る 止まれない  ポール衝突 バンパー割れる  ポール衝突 バンパー割れる(リフレイン)  というわけでこれで前面の攻防と言い訳して張り巡らしていた、我が盾ペルソナとおさらばして新しきnjmよこんにちはそして悲しみよこんにちはでございます。ございます。リフレインが止まらない。  3年目にして洗礼食らった~(涙)。住宅街の裏道を低速で走っていたつもりだったのだけど、場所によってはものすごい低速でも止まれないのね。 (問題)タイヤがロックして、目の前には停車中の車、道路脇にはポール。あなたならどちらを選ぶ?」(制限時間2秒)  僕はポールを選びました。低速なのでごっちんではなくて、こっちんミシミシという感じです。チュウチュウアイスを真ん中で割るときのような、鈍い音でした。職場に着いてから確認してみたら、チュウチュウアイスを割るのに失敗した感じの割れ方をしていました。すごい分かりやすいたとえ!さすが!さすが俺(折れとかけている)!車検終わったばっかり!イエイ(バンパーご臨終ということで遺影とかけている)!  この夏はもうチュウチュウアイスなんか食わねえということで、新春のご挨拶に代えさせていただきたく存じます。あと今年はダジャレとかに恐れを抱かない。どんどんカムアウトでございます。

守・破・離

学生の卒業論文の下読みをしている。初めてのゼミ生なのでうまく行くよう細心の注意を払いながら進めてきたわけだが、思いの外仕上がりが良くて朝からにんまりしている。調査、分析、考察という流れは学生にとっても慣れたものではなかったはずだろうに、新しい知見がそれなりに得られているところからすると、うまくやれたのだろう(本当の問題は新しい知見として挙がってこないところなんだけどそれは僕には分からないし)。短大のような場所では、ほとんどの学生がこれほど長い文章をこの先一生書かないのだろうな。こうやって、アカデミックな手法で何かを自分で調査・発掘して世界を確かめるということも、ないだろう。それが生きる上での何かになって欲しいとは高望みに過ぎるか。 仕上がりに個人差があるのは当然だけど、なんというか武道でいうところの守・破・離のステップをうまく踏めていない学生は、やっぱり少し破綻している。オリジナリティ溢れるものを、守の段階を飛ばして書いているものは、根本的に手法がおかしい(というのは指導の次元の問題)。と書いてみて、それは研究の世界でも同じだな。自戒の念を込めて。

原稿ひとつ終わったー。

もう締め切り延ばしまくりで本当に編集の方には大迷惑をおかけした。一般向けの読み物だったのがかえって難しかった…。自分の専門ど真ん中は、チェックしているものもあるし、本当に必要なものはすでに購入したり関東でコピーしまくった論文が手元にあるのでいいのだけれど、少し手を広げようとすると新たに取得しなければならないのが大変だった。しかも話には聞いていたけど、東北には文献が少なすぎる!レファレンスから郵送してもらえるように頼むなんて、ターゲットが分かっているときに有効な手なのであって、このシリーズ全部目を通して初めて必要なターゲットが判明するなんてことが要求されるケースは、文献が豊富にある図書館に足を運ばないと無理。しかしこの多忙な職場でそうそう関東や母校の図書館に行けるわけはなくて、ほんっとうに苦労した。近所の国立大学の図書館も、日本語学の特に音声すっごい弱いし…。というか、今更ながらわかったのは母校の図書館の偉大さだな。私大最大の規模とは知っていたけど、まさに遠く離れてみて分かるありがたさ。ないものはまずないという環境は当たり前ではないのだな。師匠から、地方大へ就職する可能性も考えてお金はできるだけ文献集めに投入しなさい、という言葉が思い出される。 とはいえ、地方には地方の論文の書き方というのがあるはずで、そのノウハウをまだ体得していないだけなのだとも思う。じゃないと地方の人は論文書けないってことになるわけだし。いや、その分、質がってことがあるのか?!あんまり怖いことは考えず、いまではciniiもオンライン上の文献索引も専門分野ごとに豊富になりつつあるから、手元の環境を最大限に使う方法を考えよう。

お正月

暮れも押し迫った30日に風邪を引きながらも強行に南進することを決定したnjm家は、自家用車で鬼の380キロを走破したのだった。道中お約束の偏頭痛に見舞われたり、イミグランで押しとどめたりしながら、実家の埼玉で正月を迎えられましたよ。 正月は実家で、2日目はオクサマ実家に、で3日目は山形に戻る、と。風邪を悪化させる行軍でしたが、孫の顔を見せるという親孝行プレイはそれなりに功を奏して、変わらぬ友好関係が今年も続けられることが確認されたのでした。 高速道路の長時間運転は、正直かなり苦手です。というか、できることなら車はあまり運転したくないのが本音です。移動は新幹線で(飛行機、ダメ、ゼッタイ)のんびりがー。などと子供が二人いるとそろそろ贅沢も言えなかろうということでの自動車旅行でした。混雑の方向が逆なので、渋滞は大丈夫ですが、高速道路の運転も慣れるまでが辛い。マラソンみたいにペースを守って走るのが大事なのだなーと、帰路で気づきました。1時間走って少し休んで体を動かす、の繰り返し。 写真は車の横で、ソーセージの串を構える子供。突け! そして撃てよ迫り来る巨大な何かを! 単身赴任が終わって、久しぶりに家族と過ごせた1年でした。まあたくさんの人と暮らすと色々あるけど、色々あってなんぼだよねー。時間の捻出が昨年のテーマでした。 そういえば、がんばって編集したorbitalのCD、車の中で全然聞かなかったな。子供用に編集したアニメソングばっかりでした。 福島インターを過ぎつつあるポイントで満タンにしたタンクもそろそろ危なげということで、給油をどこでするんだろうか考えながら進むと、国見SAを超えてしまってから全然給油ポイントが見つからない…。そのままかなりギリギリな状態で山形道に入り、古関SAに停車。どう考えてもこのまま山越えできるとは思えず、トンネル内停止だとか雪道で暖房もつかずに1時間待ちとかは怖すぎるので、涙をのんで初のJAFを呼びました。会員ではないのでアホみたいに高い。山形道には給油ポイントはただの一カ所もありません。そういう道路です。 なんかもう今年もこんな出だしですが、昨年よりは落ち着いた一年を過ごしたいです。あとはもう今年はpolysicsを重点的に聞いていきつつ、仕事と研究を普通にがんばる、あと締め切り伸ばしてもらうなどとゆう迷惑を出版社の人にかけない!夏休みの宿題は