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2月, 2009の投稿を表示しています

MS-OfficeとOpen-Officeの互換性雑感

1月に新規購入したThinkPad x200にはもうMicrosoft Officeはインストールしないと決めて、OpenOffice(→ ja: OpenOffice.org日本語プロジェクト )への移行に挑戦している。ネット上には高い互換性との謳い文句が見えるが、やはり使い慣れたMS製品の操作を手が覚えていて、なかなか以前ほどの作業効率に到達しない。Wordで多用していたショートカットキーなども微妙に違っていたり、デフォルトでは用意されていなかったりする。書式コピーのCtrl+Shift+C(V)がないのは苦しい。書式の設定方法、とくにぶらさげインデントの設定などは、明らかにMS製品に軍配が上がる。おおむねOoでも同じことは実現できるのだが、そこまでの手数が違うのはかけた金銭的コストの違いである。 互換性が問題になるのは、操作性よりも表示結果だろう。如実に表れるのは、ワープロソフトとプレゼンテーションソフト。ワープロソフトは、たとえば研究予算の応募書式はワードで用意されることが多いのだが、だいたいの書式は表と罫線が焼け跡に立ち並ぶバラックのような複雑な入り組み方をしていることがほとんどで、Ooで開くとまず表示が崩れる。画像等をちりばめてポスターやチラシにしている場合も同様。というかワードはそもそもそういう用途を想定されていない。この点、Ooでは作図アプリのDrawがデフォルトでついているので、軍配を上げてもいいかな(→ ITmedia エンタープライズ:OpenOffice.org「Draw」はMS Officeには無い付加価値へ (1/3) )。プレゼンテーションソフトも、パワポで作ったデザインは、特に画像やアニメーションなどがうまく対応しないこともあり、インプレスで崩れる。こうした表示結果の問題を回避するためには、できるだけデザインに凝らないという方法を取るのが良いだろう。パワポの表示エリアを手動で調整した場合はまずインプレスでおかしくなってしまうが、デフォルトの場合はほとんどズレが起こらない。あとはOoの対応を待つのみ。 表計算ソフトは、いまのところ表示が問われるケースがないので問題がない(というかエクセルで凝ったデザインというのは筋違い)。ワープロもプレゼンもあわせて、挙動は快適。慣れさえすればさらに快適になるだろう。OoとMS製品とで操作方法が異なる点

村上春樹講演要旨

そんなにいい読者だったとは思わないが、20代には村上春樹を一生懸命読んだ気がする。文体が気持ちよかったということだけが人に言える感想だったのに、彼が小説を通じて伝えようとしていたメッセージが知らずに伝わっていたのかなと思えるほど、記念講演の要旨は響いた。小説家でなくとも、僕も卵の側に立ちたい。 中国新聞・詳報 から、要旨をコピー。  一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ。  一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。  一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。  一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。  一、壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。 asahi.com(朝日新聞社):村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判 - 文化 によればエルサレム賞は63年に始まり、「社会における個人の自由」に貢献した文学者に隔年で贈られる、とある。賞の主旨には合った講演だが賞を贈る主体は撃ち抜かれている、と単純にとらえてよいのかどうか。

台湾故宮博物院

asahi.com(朝日新聞社):中台の故宮院長、初の公式交流へ 台湾院長が訪中 - 国際 とのことで、中台の文化的交流という表向きに何があるかは分からないが、国民党政府時代にいいものは北京、上海、南京を経由して台湾に流れ込んだと聞いている(ソース忘れた)。かつて楊守敬が江戸期から明治期にかけてのパラダイムシフトに乗じて、二束三文になった日本の医書を買い込み中華民国に帰ったような。宝が国外に流出して再評価される時代にはもうよそ様のもの、という話。このあたりは鴎外『渋江抽斎』(→ 図書カード:渋江抽斎 )にも書いてあった気がする。現に僕も台湾でそのうちの一書、『本草和名』( 本草和名 - Wikipedia )を調査したことがあった。台湾故宮博物院やあるいは国立台北大学の、日本から流出した文献のリストは誰かがまとめていたな。と思ってciniiで検索したらたくさん出てきたが省略。

西武新宿線も人身事故で止まる。どういうこっちゃ

とりあえず埼玉の実家に戻って、日帰りで山形に。実家は何を思ったか業者にもろもろをお願いしなかったばかりに、僕と妹2人で案内状作成と各方面へのアポ取りとで忙殺された。横には一睡もしていなかったためにうつらうつらとする父と、薬をガバ飲みして辛気臭い顔をしている母。合間に原稿の校正を速達に突っ込みつつ、妹も仕事の締め切りを片手にこなしながらの、大車輪。101歳で大往生の祖母は東の部屋にひっそりと眠る。1906年生まれで、明治大正昭和平成ヘイヘヘーイを駆け抜けたバイタリティの持ち主でもある。お線香の横で、というか祖母の遺骸の真横で一人、いや二人か?黙々と案内状を作った。 まあお婆ちゃん子は三文安いと言われるように、何か詰めの甘い僕である。昨日無理をして混雑しまくった最終に乗り込めば死に目にも会えたなと思う。道すがら、乗り継いだ大宮駅のホームの端っこに、珍しく喫煙コーナーが設置されていて、いかにも東北本線な感じの利用客がモクモクと煙を立てて煙草を呑んでいた。これはかつて何度も見たような光景。ひと時代、ふた時代、あるいはそれ以上昔の残景。僕は確かにそれを見た。何やら妙に薄暗い彼らの活気が、煙草を呑まない祖母の空気に重なって、動揺した。 落ち着くまでもう少し。

やはり交通の便わるし

山形新幹線はしょっちゅう遅れが出る。在来線をそのまま使う、全国でも有数の「踏切のある新幹線」という貧弱さもあるが、東北新幹線のトラブルのあおりをすぐ受けてしまうという問題もある。昨日は、強風で東北新幹線に遅れが出たため、山形新幹線も何本か運休(→ NIKKEI NET(日経ネット):社会ニュース-内外の事件・事故や社会問題から話題のニュースまで )。折しも祖母が危篤ということで、晩のうちに実家に戻ろうとしていたところだった。実家まで帰るための新幹線が運休となり、こちらの体調も悪いので実家の様子と連絡を取りながら翌朝午前まで持つだろうと判断して自宅に戻ると、夜半に亡くなったと。今日ほど遠隔地にいるんだと思ったことはない。 祖母のことは機会を改めて書く。

お尻はいくつか

子どもが友人たちと「お尻はいくつか」という論争を楽しんだらしい。友人たちの意見が「お尻は2つである」、対してうちの子どもは「お尻は1つである」とのこと。前者の根拠は、外見上の特徴が2つに割れていることにある。後者の根拠は、割れているとはいえ根元でつながっていること、すなわち1つのものが部分的に(先端で)2つに割れているだけで、根本的には1つと解釈されることにある。白熱した「お尻はいくつか」論争は、やがて論争参加者の現物を実地に確かめながら、どこまでが1つでどこからが2つかといった方向に展開したものの、ついには決着を見なかったらしい。ぜひその場にいたかったものだと思う。 このかわいらしい(自分で言うな、と)エピソードは、名詞の文法範疇であるところの「数(すう)」(→ 数 (文法) - wikipedia )の問題に直結している。子どもにフォローアップインタビューをしてみると、どうもお尻を集合名詞ととらえている節がある。根元でつながっているということは論争の中の理屈として登場した、(尻だけに)屁理屈であるようで、尻は全体で一つという感覚があるようだ。つながっているかどうかを根拠とするなら、足はどう?と聞いてみると、それは2つに数えるという。目や耳は2つ、鼻は1つ。では唇は?と尋ねると1つだという。このあたりは大人も意見が分かれるところだろう。僕は調音音声学の意識があるので、上唇と下唇を分けて数えたくなるが、セットで1つというのが大方のとらえ方ではないだろうか。両手、両足、両耳は言えるが、両唇とは、音声学や解剖学的な文脈でなければ言わないのが普通ではないかと思う。そう考えれば、お尻を両尻とは言わないわけで、やはり1つととらえるのが日本語のあり方かと考えられる。 もっとも、日本語に限って言えば文法範疇に数は含まれないので、尻が1つであろうと2つであろうと形式上の問題になることはない。単数、複数、双数といった、印欧語族みたいな形式上の区別が日本語にもあれば、この論争には実物を出さずとも決着がついただろうに…。大風呂敷を広げたわりに、こんな結論でごめんなさい。尻すぼみって言いたかっただけです。