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10月, 2009の投稿を表示しています

科研費LaTeXに感謝

科研費LaTeX - 2010(H22)年度版 (2009年秋応募分) の書式に則って、どうにか書類を完成させた。今年は代表で申請ということで、自分の好きなフォーマットでやらせていただいた。ワードで作成するときもいったんエディタで書いてワードに貼ったり、手直しするときも段落ごとエディタにコピーして編集してから貼り直す、ということをやっていたので、最初から最後までエディタで書けるのはとても楽だった。仕上がりもきれいで申し分ない。論文をTeXで書く者にとってこれほどありがたいものはない。構造と内容に集中できる楽さはワードでは味わえないだろう。実際、これまでで一番少ない労力で書類を作成することができたと思う。 出来上がっている書式に書きこんでコンパイルするだけでできあがる、とはいうものの、全くの初心者にはお勧めできないとも思った。インストール自体にしても、ちょっとした文字装飾にしても、やはり最低限のTeXの知識は必要だろうし、ワードに慣れ親しんだ人ではwysiwyg文化からエディタ文化に慣れるまでの時間も必要だろう( 科研費LaTeX FAQ で丁寧に対応されているが、TeX文化?なのかジョークが曲者)。 ちなみに、ワード書類にブーブー言っている僕ら世代だが、科研費LaTeXの前身であるTeXマクロの作成秘話を読むと(→ 青木健一、"不条理の薔薇「科研費マクロ」", bit 2, 58 (1999) )、恐るべきことに手書きの時代があったことが分かる。もうそれだけで先人には全く頭が上がらない。これを?申請のたびに手書きで7部も?しかも自分で申請書を製本?正気の沙汰ではない。この記事が書かれた1999年頃に僕も申請して見事に落ちた(そしてトラウマになった笑)競争的資金があったが、一太郎とワードの書式をダウンロードして使うものだった。所持しているワードのバージョンが異なるために思うような印刷結果が得られず、文科省の担当部署に違うバージョンはないのか?と電話したこともあった。返事は言わずもがなの「仕様です」。泣く泣く他人から当該バージョンがインストールされているパソコンを借りた覚えがある。しかし手書き時代を思えば「ありがたいと思えよ」と言わんばかりのあの対応も分からないではない。 将来的には申請書のエントリーシートみたいなやつと同様に、Webブラウザ上でP

携帯どこか分かるかな(30点)

子どもの書いた絵が県立美術館に飾られたというので見に行った。県内の各地から選ばれた絵が、学年ごとに100枚くらいあったか。どれも個性豊かでー、と言いたいところだが、同じような構図が多いなあと思う。まれにトレーニングを積んだらしき絵もあるが、ことごとく受賞していない。期待される「子どもらしさ」に反しているのだろう。うちの子の絵は、期待される「子どもらしさ」に反していない一枚であった。妹が仕事で作るポスターで「子どもが書いたふうの絵が欲しい」というのに見事に応えた連作の一枚を、学校でも書いたもののよう。まあこの手の展覧会はそういうものだ。 美術館前では葉を赤く染めた桜の木が敷地を彩っている。秋っぽい。そして秋っぽい感じを演出するかのような家族っぽい。下の方の写真は赤い携帯が木の葉に擬態している設定。桜の葉を携帯に挟み込んでみたり、乗せてみたり、下敷きにしたりしてみた。 そして最後はそのまま放置して帰宅したところ心やさしい美術館員から妻に電話があった。よくその擬態見つけられたな!じゃなくて、よくその電話番号が妻のものだって分かりましたね!じゃなくて、忘れずに帰れよ!でしょうね。山形では失くしたものや落としたものは必ず帰ってくる。前住んでた隣の市では、鍵かけない人多いみたいだったしなあ。 落ち葉の中に携帯を埋めて行方が分からなくなる事件は、数年前町田市でも起こしました。その時も秋でした。

眠い

締切まで残り一週間を切りつつ書類作成は遅々と進む。 合間の立ち読み。喧嘩商売の救いと潔さのなさに落ちる。悪党の終わり方としては、無限のシラを見習って欲しい。 合間の上村一夫。赤い方が一葉裏日記の再録で落ちる。短編集は組み合わせが肝だが、昭和の流れに突如幕末の余韻漂う明治初期は戸惑う。

上村一夫2冊

上村一夫『紅い部屋―上村一夫晩年傑作短編集1980-1985』(→ amazon )と、『白い夏―上村一夫初期傑作短編集1970-1972』(→ amazon )。せっかく買ったヴィンランド・サガ最新刊が完全にかすんでしまった。昭和の濃厚な香り。

モスのコーヒーが転生

良く行くモスのコーヒーがおいしくなっててびっくりした( MOS BURGER はじめての「W認証」コーヒー、モスから。 )。モスといえばコーヒーがマック以下という、バーガーのうまさとバランスの取れないところにかわいげのあるお店だったのに、これじゃ完璧すぎて面白くないじゃないか…。嘘、普通にうれしい。おかげさまで書類がはかどったような気持ちになれた。嘘、普通にはかどらなかったよ…。素直になれよ自分…。

はまった

なんだかのなんだかで優勝したという東京03をユーチューブで見てみたら自分の好きな笑いであることを確認したうえで数時間ぶっ通しで見ているうちになんかすこし鬱状態っぽくなってきた。このラーメンズっぽさはそして73年生まれっぽさは何だろう。 飯塚さんの最後の表情がとてもいい。 これからモス行って書類書いてきます。

科研費LaTeX書式のありがたさ

今年は初めて使ってみる、 科研費LaTeX - 2010(H22)年度版 (2009年秋応募分) 。ご存じ、ワードだと体裁がめちゃくちゃになってしまう、悪評高い書式がTeXだとすんなりサクサク。もっとも、中身が辛いところではありますが。気づけば、一太郎は書式として用意されていないのですね。なんかもう、どこから言えばいいのか分からない感じです。 で、うかうかしていたら、政権交代のあおりが、 平成22年度科学研究費補助金の新規募集課題の公募停止について-日本学術振興会 にも。

またも…

曲がいいのに、クリップみたらがっかりのパターン。何この悪趣味なビデオは…。歌詞の軽薄さとかは好きなのに。ビデオまんまじゃねえかよ、と一人で突っ込む朝。CDだけ聞いとけばよかった、m-floのSummer Time Love。試しに音だけ切ってこのビデオを見ると、何だろうこのシュールさは。その昔見たDeee-Liteのわけわかんないビデオみたいだ(そしておしゃれ音楽に対する理解のなさをここでご開陳)。 そのほかcosmicolorに収録されている曲のことごとくが、ビデオはチープ&悪趣味に見えてしょうがない。何あのボニー・ピンク。何あれ。一人でがんばったクラス委員長にみんな謝ってよね!

ディスレクシア

ディスレクシア(失読症,難読症)のことを長い間ディスクレシアと勘違いしていた。今朝、ニュースを見ていて突然気がついた。こんなの原語にかえってみれば、Dyslexiaなんだから、言葉を意味するラテン語のlexが形態素に含まれているわけで、レクスのつらなりを間違えるはずがない。ええっ、と思って杉本亜未『ファンタジウム』(→ amazon )を開いてみると、確かにディスレクシアと書いてある…。いままで何を勘違いしていたんだ…。実家の酒屋のおばちゃんがいつもキュラソーのことをキュソラーと言っていたことを、そして中学の美術の先生がいつも左右対称のことをシメントリーと言っていたことを、専門家のくせに間違えんなよと思っていたことが、こうして我が身に降りかかる。音位転倒の悲しさよ。

Heartland

缶ビールより瓶ビールがおいしいっての常識ですか?いまお気に入りのハートランドに限らず、瓶ビールがおいしい。瓶の処理にだけ困るけれど。夕食の残り物とか、大量に買ってある三陸沖で上がったオキアミをちょっとレンジで温めてつまみにする。 今日は台所回りの片づけをやっているうちに明朝の食事の仕込みなどにまで手が回り始めて。栗の炊き込みご飯と、茄子と油揚げの煮びたし、小松菜のおひたし、なめこの味噌汁といったラインナップの準備完了。ちょっとベタすぎるかなあ。よしながふみなら、味のバリエーションがないと批評するはずだ。 先輩と師匠から出版予定の本を下読みしてくれと依頼があった。喜んで引き受ける。しかし分量がすごいので結構大変。どちらもその筋では第一線の論考なのでひたすら勉強になる。と思っていたらそのうちの一章が雑誌に掲載される。師匠の論文はキレッキレだった。なのに分かりやすい。こういうのを自分も書かないとなあと思う。 その他にもいろいろ読んでいるけど。マンガとかはそのうち。音楽は、なぜかm-floのcosmicolorを。並行してもちろんヤマタツも。JOYは通り抜けて、it's a poppin' timeの坂本教授のピアノが泣ける。 昨晩、流氷に押しつぶされて死にそうになる夢を見た。流氷に飲み込まれて這いあがれないだろうと感じたとき、ああ死ぬな、ということをやたらにリアルに感じた。内臓がつぶされて口から血反吐を吐いて死ぬ、そうやって生が終了するということを瞬時に理解し生を諦める自分がいると思いつつ、ギリギリのところで氷の山を義経ばりに飛び超えてどうにか生を得る。あの時、刹那、僕は死ぬことを完全に受け入れた。そんな夢を見るのは初めてだし、これまでもそのような形で死を受け入れたことはない。ああ驚いた。