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7月, 2010の投稿を表示しています

手加減抜きの

中小大学で教えていると、学生の理解に合わせた授業スタイルが妙に板についてきて、いろんな意味で心配になる。それとは別に、「学生の理解に合わせ」るってどういうことだよ、と自分ツッコミをすることも少なくない。 で、留学生の編入対策勉強会として、姜尚中『ナショナリズム』を本気で輪読。留学生にも分かりやすい文献とか、もうそういう欺瞞を一度止めてみる。分かっても分かんなくても本気で読むからついてこいや的な、それはそれで教育という名の自己欺瞞との誹りも恐れず。「思考のフロンティア」シリーズである同書は、留学生でなくとも、読み通すにはやや骨が折れるのだが、骨が折れてみよう。折れたらくっつけてみよう。 自分で読んだのも大学院生の時だから、内容はかなりうろ覚え。ナショナリズムは曖昧模糊であるがゆえに、公民という概念とは対極であるはずの人種・民族といった「見えやすい」フィクションに根拠を置きがちという話で、ナチスの優生学から血液型まで話が及ぶあたりは、個人的に熱が入りまくり。このところ専門の授業でも出さない本気の本気で、プロレスの試合なのに本気のグーで殴ってしまった感じすらある。でもいいのだ。空気を読んだり八百長をしかけたりしない、会場ドン引きなセメントなことがあったっていいのだ。

夏休み封切り

子供の夏休み。を口実にした大人の夏休み。はっきり言って、山形の喜びは夏のこの水遊びが8割くらいを占めている。ああ、待ちわびたとも。 午後から雨だというも、なんのその。地元の人にとってはお馴染みの馬見ヶ崎川@唐松観音である。 高校生がヤマメやイワナを銛でつく。大した腕前。子供たちが「僕達にも教えてください」と言うが、大きいのが取れるようになるには何年もかかるよ、だって。 今年初回は、子供たち(息子と友達たち)の面倒を見ていたので、自分はあまり遊べなかった。今年はあと何回行けるだろう。車で20分の距離なのに!

チャリ出勤

フレンチバルブ用の空気入れを娘に破壊されてしまってから、やや空気の抜けた自転車に乗れずにいたが、昨日新しい空気入れを購入。自転車の準備はできた。しかし今朝は猛烈な日差し。どうしようと思っていたところに、アメリカに帰った元同僚が自転車でアメリカ横断とかやってるのをfacebookで確認。こういうときに、負けてらんねえな、と思うのがniji wo mitaなのですよ。 少し二日酔い(昨晩は軽くのはずが後半意識を失った)のところを、気合で自転車出勤。当然汗だく、で着替え。汗だくになるのがいやで自転車出勤を嫌がったり、もうしない!着替えさえあれば!そしてアメリカ横断に比べれば!

コミュニティと居住地

上山の山奥にお呼ばれしてのバーベキューだった。バーベキュー自体あまり行くことがないので、バーベキューの相場がよく分からないのだが、昨日はちょっと風変わりなバーベキューだったように思う。農家の方が山奥に持っている農具用山小屋のネムノキの脇で、海外青年協力隊関係の方々を中心としたメンバーが勤務国で学んだ料理を持ち寄り、ブラジルご出身のかたがブラジルの流儀で肉を焼きまくり、畑で取れた野菜や果物を気が向くままにもいで食べる。ブラジルの流儀に従って、名古屋から箱で取り寄せた山のような肉。を、ブラジルの流儀に従って昼から夕方にかけて延々と食べつづけるものだそうだ(だそうだ、というのは農場主のおばあさんがうっかり焼き係に入ってしまったために、短時間でありったけの肉が焼かれてしまい、文字通り山になった眼前の肉を前に一同途方に暮れたため)。 折しも、東北地方に梅雨明け宣言が出た昼。じりじりと気温が上がるも、ネムノキの枝ぶりがよくて、夏の木陰がとても気持ちよかった。 * * * * * ブラジルのかたに聞いた、日本の外国人差別の話が興味深かった。最初は大阪に住まわれたが、大阪は多文化社会であるゆえに同調圧力のようなものは少なかったそうだ。次に移り住んだ群馬県は、大泉を中心にブラジル移民街が形成されており、同胞の方が多いのだが、日系日本人との軋轢は結構あるらしい。体験談の中には、ちょっと信じられないような話もあった。山形ではどうかというと、ブラジルの方は少ないけれども、住みやすさは一番とのこと。移民の数とコミュニティ形成、コミュニティと居住地域の一致、などが日系日本人との軋轢に関わるのだろう。よく「ブラジル人は家族・親族で固まって住むためにコミュニティが形成されやすい」という言説を目にするが、コミュニティと居住地の一致に限って言えば、都市部ではそうとも言えないようだ。とすれば、受け入れる地方社会にも環境的要因があると考えるのが自然だろう。 たとえば地方は人口の流動性が都市部より低く、もともと人が住んでいない場所を開発してアパートや新興住宅地を造成する。もともと人が住んでいる住宅地には、新たに多数の人を受け入れる場所がない。この山形でもよく耳にするが、市街地周辺部のいわゆる「在郷」の地域の若い世代は地元では仕事が少なくて、市街地に移り住むとしたら、新たに宅地造成されたような場所が必然的に選

日本のセックス

久しぶりに超弩級のエンターテイメント的読後感。樋口毅宏『日本のセックス』(→ amazon )。読んだことないけど、たぶん今東光ってこんな感じだと思うし、瀬戸内寂聴もこんな感じではないかと思うよ。全然読んだことないけどな。読んだことある範囲だと、衛慧『上海ベイビー』(→ amazon )、古川益三『邪尼曼荼羅』(→ amazon )的な? スワッピング夫婦がSMプレイ中に起こったトラブルを期に反省会(本気でプロレス技をかけてしまった小学生が学級会にかけられるがごとき夢の覚め方)、夫婦のあり方を探りながら銀杏ボーイズについて議論していると、ついうっかりドライブ中に人を撥ねて大変なことになっちゃって、最後は法廷サスペンスに一気呵成になだれこむ、そういう話だ。こういうの、小説のなかにきちんと隠しておいてほしい。描写が結構えぐいので、万人には勧められない作品。

emacs修行中

ubuntuを中心とした生活をするようになって、約半年か。時折、速度が要求される仕事なんかで、win環境の方がしくじらない自信がある時はwinで立ち上げることはあるものの、生活の大半はubuntuで送るようになっていた。ただ、最重要事項であるはずの、自分仕様のTeX関係設定がまだ整わない。ひとつは、文字鏡を利用した多漢字環境をどう設定してよいか分からないこと。もうひとつは、TeX用のエディタがよくわかんないこと。いろいろ試したが、やっぱりYaTeX(→ Yet Another LaTeX mode for Emacs. )なのだろうなと思って、このところ少しずつemacsを使って文章を書くようにしている。emacsで以前作ったTeX文書を開くと、なんか分かんないけど自然にTeXモードに入っているから、基本的な環境はできているんだろう。 いま、一番困っているのが、emacsにおけるコピーとペーストの概念が、Ctrl+v・Ctrl+cのようなものとは根本的に違うらしいということだ(→ コピーアンドペーストを使いこなす(松山智大) — ありえるえりあ )。しかたがないので、メニューからいちいち選んでいる。ubuntuに標準でついているエディタに比べれば、emacsは動作がきびきびしていて気持ちがいい。YaTeXとの組み合わせで使う限り、最強の布陣なのだろう。しかし覚えるまでの初期投資がかなり重そうで、早くも締切りが心配すぎる。さしあたりの策としては、ubuntuで書いて、コンパイルはwinで行うか…。

俺はまだ本気出していないだけ4

青野春秋『俺はまだ本気出してないだけ4』(→ amazon )。3巻目までギャグ色彩が濃かったのに、ここへ来てブンガク(片仮名の)に大きく舵を切った。宮田が悲しすぎる。もうコメディーじゃないよ。 そしてIKKIがおかしいのは、末尾の広告ページにおばさんが主人公のひねりなしドストレートのおばさんマンガが載っていて、「おっさんもいいけどおばさんも!」の煽り。おかしいだろう。そして5巻で完結とのこと。近年珍しい、完結が寂しいマンガが読めるのはIKKIだけ!

人間に戻る

久しぶりの東京出張、国文学研究資料館に。母校に資料がないときは国会図書館に行くのが昨年までのお決まりコースだったが、今年から資料館がいい感じだ。使い勝手のよさとか、建物が新しいだとか、そういうのとは別にこの気持ちよさは何だろうと考えるに、何だかサービス業な感じがするのだ。考えてみれば大学図書館に慣れきっている身としては、さもありなんな気もする。普段から学生相手の図書館はどこか管理者っぽい雰囲気が、あるあるー。学生アルバイトだといい意味でも悪い意味でも、何だか気をつかっちゃうってこと、あるあるー。国会図書館はしばらく行ってないからどうだろう。数年前は、混むし管理者っぽい感じがあんまりよくなかったな(それでも資料がなければ最後は国会図書館)。いまは違うんだろうか。 資料館はともかくとしても、貴重書などは図書館によって取扱いが違うなあと思うことはある。もちろん、貴重書は図書館の持ち物であると同時に、文化財としてある種の敬意を払う。図書館側も文化財の管理者として、閲覧者を管理しようとするのは分かる。でも図書館は使ってもらうことで初めて意義を持つという根本的な役割があるわけで、だからこそ「閲覧してね、でもていねいにね」というメッセージが出てくるはずで、それ抜きにして管理者だけが前に立った「閲覧させてあげる」は微妙だなと思う。ってどこの図書館のことを言っているのか(笑)。 * * * * * もう一つは立川だなー。やっぱり多摩丘陵で生まれただけあって、あのあたりの街作りも好きだ。自然の中に不自然な区画があって、大ぶりな建造物がどんどーんって。作られた「自然との共生」とかさ。メガロマンションには布団がいっぱい干してあって、とか。歴史とか文化という面では古い町にかなわないけれど、今進化してますみたいな、やってますよ俺たちみたいな雰囲気があるじゃないですか。 関東の高い空、熱泥のなかを歩むがごとき湿度の高い空気のぬめりとか、ここのところ山形での仕事に行き詰まりがちだったので、いいリフレッシュになったかも。「自然に戻る東北の旅」(つまり都市部には自然がない)とか相変わらずの都市目線に「人間に戻る東京の旅」(つまり地方には人権がない)と地方目線で戦うか。いや、冗談だからマジになんなって。

俎上の鯉は二度はねる

あんまりBL読んだことないのだけど。勧められたこれは面白かった。水城せとな『俎上の鯉は二度跳ねる』(→ amazon )は、なんでもBL世界でも一風変わった作風でありながら、このBLはすごい!の2009年度第1位に選ばれたらしい。BLって2人のジェンダーが男女のメタファーじゃないところが面白いのではないかと思っていたら、これはもろに男女で、セクシュアリティだけが行ったり来たりするというところが、僕のような素人には読みやすい。でもプロの方々が1位に選んだんだからなあ…。ノンケの主人公がそっち側に引きこまれそうになりながら踏みとどまる様子は、ある種の異文化接触(笑)としても興味深く読める。たまに書くブログのエントリがこんなんだからなあ。 あ、人称とジェンダーというネタでBLを取り扱う学生がいるので、参考文献として。

ジャガー19巻

「ソレント宮城指定三期のチュルボンヌ四股立ちにハヤマリニッタ萌芽浴ナイト?」が帯に光る19巻が出た。やや外し気味の18巻を模索&実験の時期だとすれば、いよいよアホのツボを捉えることができたうすたは新しいギャグ規格を定めて、良作の量産期に入ったといえる。 いや、どーだろ、自分のツボに入っただけでそこまでホメるのは。と思いつつ、これまでのすべての巻のなかで、19巻は一番「詰まってる」感じがするなあ。ジャンプ連載中にコンビニ立ち読みで涙したパギャルのパロディとか大学案内のパロディとか以外にも、高菜のマニアックアイドルとか、ムガノキョウチ先生の念力夢オチとか、脳を直揉みされているかのような気持ちいいネタが多すぎる。「ハトドル羽戸田ポーのクルッププッピドゥードルルゥ」ですよ? そんなうすた京介『ピューと吹く!ジャガー(19)』(→ amazon )はこちら。