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8月, 2011の投稿を表示しています

中国語 ime on ubuntu10.04

ubuntu10.04で中国語imeを使う方法。mozcに相当する中国語google ime pinyin(→)はwin対応のみだったので、今回はスルーです。中国語はサボってたからもうほとんど使えないけれど、来月所用があって台湾に行くので、向こうの親戚とメールにてやりとりをしなくちゃなんない。英語と中国語をまぜまぜでの会話になるだろうし、メールも同じ。 僕はibusから使ってます。標準だと賢いimeが入っていないので以下のリンクを参考にインストールします。システム>システム管理>言語サポート から中国語を追加し、それからibus(scimでもいいですが)から中国語pinyinを追加します。設定はかなり簡単です。 Ubuntu8.10でWord,Excel,Picasa3等のWindowsアプリを動作させる方法: ubuntuで中国語入力(簡体字・繁体字) 為什麼? : Ubuntu10.10で中国語(簡体・繁体)入力 你好。可以用漢語拼音打繁體字!也可以打简体字!

地面を「じめん」と表記すること

twitter経由の話。 ***** 「ぢ」「づ」は、現代仮名遣いでは基本的に認めていませんが、連濁によって生じた場合には残してもよい、としています(その他の例外則は 現代仮名遣い:文部科学省 をご参照ください)。鼻血を「はなぢ」とするのは「ち」が連濁によって「ぢ」になったとみなせるからです。そうでない場合は、原則的に「じ」で書く。かつて歴史的仮名遣いでは「ふぢの花」と表記したものも、これは連濁によって生じたものではないから「ふじの花」と書く。 ところで地面を「じめん」とするのはどのような理由によるか、というとこれが説明が難しい。地は「ち」なのだから「ぢめん」でいいではないか、という理解もある。これにたついての現代仮名遣いの説明は、「これは連濁によって生じたものではないから「じめん」が本則」、ということです。 現代仮名遣いの、「じ」「ぢ」「ず」「づ」に関わる基本的な考え方は、 「ぢ」「づ」は使わない。表音主義を基本とするから。 ということに尽きます。ただし現代仮名遣い以前の表記習慣に中途半端に配慮したので、 連濁に関わる場合などは(語源意識との整合性から)「ぢ」「づ」を使うことも認める。 でした。 歴史的仮名遣いはおおむね中古の仮名遣いを規範とする姿勢を取るのですが、地にはチとヂの表記があります。歴史的仮名遣いを記せば「地面」はヂメンです。単独でも地を「ヂ」と表記されることもありました。つまり連濁と関係なしに「ヂ」という表記(発音としても[di]と推定されている)があったわけです。 ところがこれを丁寧に説明する過程で、「地は漢音でチ、呉音でヂ、すなわち連濁と関係なくもともとヂという発音が古代に存在していた」というエピソードが入る(このエピソードは正しいです)ことがなぜか誤解されて、「もともとジと表記されていた」とか「もともとジと発音されていた」などという誤謬がネット上に散見されます。 「地面」のよみが「ぢめん」とならず「じめん」になるのはなぜ? - 国語 - 教えて!goo とかね。ベストアンサーついてますが(笑)。 地面という字はなぜ「ぢめん」ではなく「じめん」なんですか? - Yahoo!知恵袋 、これは惜しいけどミスリーディングを誘いますね。[チ]と[ジ]があったんじゃなくて、[ti]と[di]がそれ

仕分け見直し対象プリキュア!

娘が3歳。プリキュア大好き。つきあって毎週仕方なく見ている。仕方なく見ています。仕方ないんです。あなたとは違うんです。古いか。ハートキャッチデビューなので、スイートで2作目です。 そんでツイッタで知った、 プリキュアの戦闘シーンすげえwwww : ニコニコVIP2ch 。昔のプリキュアはほとんどドラゴンボールかと見紛うばかりのバトル少女ものだったのですね。初代なんて震脚&合気道で拳児かと思った。バトルリアリズムとでもいうか。ハートキャッチは非常にマンガ的で、シリアス展開もそれほど重たくなかった。スイートも今のところ軽みがあります。 で、スイートは敵キャラのセイレーンが仲間になったところでオープニングがアレンジされました。新キャラがエレキギターの使い手なのでロック調になったのはいいのですが、歌詞がもんのすごい震災キャンペーン。新キャラどこ行ったというか、震災オリジンな歌詞に新キャラ後付けまちがいなしです。ものすごい急ハンドル。HunterxHunterが原爆による放射線汚染を正体不明の有害物質に舵を切ったのと逆方向の急ハンドル( スィートプリキュアの新OPについて。 - Yahoo!知恵袋 )。 こんなんもあったけど( プリキュアから被災地へ応援メッセージ - YouTube )。被災地の子供心にはぐっとくるものがあろう。プリキュアは国民の税金で運営されています、という伝説のネタもあった( ワラノート移転跡地 蓮舫「本当にプリキュアは17人も必要なんですか?」 )。プリキュアの応援に蓮舫が感動しようものならまたも炎上ですか。

さよなら荒木

荒木飛呂彦『奇妙なホラー映画論』を読んだ(アマゾンにリンク貼るのやめる)。荒木がホラー映画を好きなのは、作品を見ていればオマージュだかパクリだかのオンパレードなので、誰でも知るところだと思う。そんな荒木がホラー映画をたくさん見ました!ということがよく伝わる。量が質を上回る時があるとしたら、やっぱり量が質に転化するときしかありえないなあと思ったよ。つまり量は量でしかないってこと。それから、この人は演出の専門家なのであって、良い編集者に巡りあえて初めて作品が作品たり得たんだなあってこと。つまり浦沢直樹と本質的には同じ箱に入る人。 本はそれなりに目を引く所があるけれど、なんかもうダメだあ、って思う時ってあるでしょ。荒木がベタぼめする『プレシャス』という映画を、超絶偶然のタイミングで奥様が借りてきたので一緒に見た。これをホラーとして傑作と位置づけるのは、もう荒木作品読めなくなっちゃうくらいにダメだった。この人は演出のことだけを考えて、大家になっちゃったんだなあ。だったら演出家に徹してくれほうがよかった。『プレシャス』だって演出の特異さ(があるとして)に言及すればよかった。この本はホラーの演出については面白いけれど、時折見せようとする「ホラー映画本質論」については完全失敗している。 僕はそのむかしスティーヴン・キングが好きだった。荒木も好きだと書いているけれど、その好きは全然違う好きだったんだなあと思ったよ。確かに『IT』とか『ドロレス・クレイボーン』とか出てこないもの。それは「読みの違い」として処理できた。でもゾンビの本質と併置される語り方に『プレシャス』を掲げて、「これは誰がどういおうとホラー」とするのは、もうあかん。この人のマンガはもう読めないかも。