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1月, 2014の投稿を表示しています

サクみ・ふわみ

昨年のパン作りで購入していた小麦粉の消費に精を出すべく始めたピザ作りは、パンに比べればすごく簡単だった。パン作りのときに懸念だった「ふくらまなさ」はドライイーストの予備発酵さえ行っておけば全く問題がなかった(ということはパンもうまくいくのかもしれない)。焼き加減のクリスピーな食感と、小麦自体の旨味が感じられて、これは行ける。 購入した全粒粉の袋に書いてあるレシピに愚直にしたがって作っただけのピザ。強力粉と半々にしてある。麦の旨さって全粒粉のほうが感じられるとか言うのだけど、どんなだろと思って検索をかけたトップから読んでいくと、やはり全粒粉のほうがアミノ酸系の旨みや甘みの成分が高いのですね。続けてで、読んでいくと不思議な日本語に遭遇( 米粉や小麦粉のことなら熊本製粉株式会社 )。 ●パン・菓子/口溶け、歯切れがよく、サクミある食感になります。 ●めん/ふわみのある食感になります 「サクミ」「ふわみ」ですって。擬音語・擬態語のたぐいに「み」を付けて名詞化するのって、他にある?たぶんないですよね。「うまみ」「あまみ」「にがみ」と来て、パラディグマティックな造語法で「サクみ」「ふわみ」が出てくるわけですが、「サクさ」「ふわさ」よりも「み」の音感で小憎らしい名詞が爆誕されています。もちろん辞書にもgoogle先生の検索にもひっかからないイマココ感あふれる新しみのある名詞でした。素敵だ。 ピザは4枚ドバっと食卓に並ばず、焼き時間が空くので子どもたちが飽きて困ります。 (追記) 「トロトロ」由来の「トロミ」がありました!

ピザでよかった

台湾の親戚が遊びに来たので、急遽アテンド。せっかく山形に来たからには、と食べ物関係とレジャー若干を頑張ってみたい。ただし条件は次の通り。 そばとか台湾もあるからあんまりし…。あとタレが日本のはなぜ甘い…。 寿司とかあんまり好きじゃない 温泉!?みんなの前で脱ぐのはちょっと… お酒は飲まないんで日本酒はいいです。 はい、終了ー。山形において、そばと温泉と日本酒を封じられるのは、サッカーにおいて脚の使用を禁じられるが如き制限プレイ。 しかしどうだろ。自分が台湾の親戚に歓待を受ける時って、もう「台湾らしい食事」とかいいから、そこいらへんのフツーのお店でいいじゃんってなる。有名なレストランとかそういうのはもう勘弁!みたいな。さあどうする?ということで、困ったときの元同僚にふと尋ねてみたら、そこいらへんのスーパーでいいんじゃない?というナイスアドバイスをいただく。 それで。もうマックスバリュででっかい大根見つけたら「うは!でかい!」「うわマジでかい!」「わはは!でかいマジ」ってなって、大根抱えて店内で写真大会になりました。うん、こういうので良かった。僕も必ず地元のスーパー行って、見たことない野菜買うもん。そして隙あらば台所借りて炒めもの作ったりするもん。 そんなことを思い出しながら、「山形のいいところは(実は)リアルな日本の生活(古き良きというバリエーションもあり)が味わえるところだ」、とか言って作られた伝統食を出したりするのは観光ビジネスとしてはいいけどなんか違うって改めて思いました。農家を改造したお店でそば食べる、ってねえ。思い入れのある日本人以外には一瞬で消費されるよね、飽きるから。 ということで思い切ってホテルから徒歩1分くらいのイタリアンに適当に連れて行ったら「最好!」「クリームパスタうまい」「ピザピザ」みたいな反応で、大正解でした。日本ノスタルジー的な日本世代(おおむね75歳くらい以上)でも、ノスタルジー込みのエスニックで初日はそば、二日目は「健康食」で何とかそば、三日目は「これはおしんも食べた」で無理無理そば、くらいそば食べたらもうしばらくいいという感じであるから、若い者はもう1食で無理。そもそも清貧な方向性は別として、まあうまいかっつったらそば別に世界規模では大したわけでもないし。 大文字の文化って、つい使いたくなるものですね。

ThinkPad x200のキーをお掃除

鞄の中のペットボトルの蓋が緩んでジュースが漏れた。キーボードに固まった水飴みたいなものが内部でくっついているようで、打った後の返りが良くなかったり、そもそも打ち込みに「くっついている感」な抵抗がある。幸いにも被害にあったのはカーソルキーのひとつだけだったので、早速お掃除。 (旧) キベジュンイチロウのサイト - X40のキーボードのボタン(キートップ)の外し方・・・ ThinkPad X200s のキーボード掃除 - やた@はてな日記 ここを見ながら、キーボードからキーを外す。キー裏側の構造がどうなっているか分からないので、どこかプラスチックのつながりが折れてしまうのではないかという怖さも伴うが、えいやっと力を入れるとあっさり取れた。裏を見てみると、キー裏側にはめ込み穴が2箇所あって、それがキーボードのつながる支えのプラスチックにはまる作りになっていることが分かる。だから、上記サイトにあるようにドライバーを使って力を斜めに入れるよりも、2本のドライバーを使って左右から均等に力を入れたほうが原理的には良いのではないかと思う。 もっとも、力の入れ方が難しいので、結局は1本のドライバーを使って、テコの原理で外すことになったが。 今もThinkPad x200を使っている。中身を換装しているのでまだまだ現役。こないだお店で最新のThinkPadのXシリーズを見たら、デザインがかなり変更されていて戸惑った。バッテリーの取り外しができないということにネット上の悪評が集中しているようだが、それだけバッテリーの性能が向上したと見るべきか。

岡村星『誘爆発作』

帰りの新幹線で読む用のあれで岡村星『誘爆発作』(→ amazon )を、つい帯に釣られて買ってしまった。作者は帯でハードル上げるのやめてくれと後書きで書いているが、この帯で僕は買いましたからね!正直この帯じゃマンガのライトユーザー層は却って敬遠するんじゃないかと心配申し上げるくらいです。つーか帯が他の漫画を批評しているってどういう帯なのか。ということで帯でグッと来たところを抜き書きで取り上げます。 「魅力的な登場人物」  記号的な、テンプレどおりのキャラではなく、実在するかのような登場人物が作中に息づいています。安易なキャラ立てに食傷している人にも、すぐれた効果をあらわします。(1巻より) ちなみに帯のこの解説はフォントでいうところの5ptくらいの大きさの文字でざっくりぎっしり書かれています。そこをガッツリ読んで買ったわたくしは、帯(幅10センチ程度)の上方に沙村広明による推薦文が書かれているとは気づかなんだ。読んでみてのセリフ回しのしっくり来るヤサグレ感と、油断するとすぐ「あまつさえ」とか「歯牙にもかけない」とか文系大学生っぽいしょうもない言葉遣いに溺れる感じがまさにそんな感じで、これを要するに、好きです!どうしようもない感じが好きなのであります。 「簡潔かつ迅速な展開」  連載誌が季刊なので単行本の刊行ペースはアレですが、物語は一本道でスリリングかつスピーディに進みます。迷走したあげくグダグダな展開に陥り、ラストシーンを見届ける気にならないタイプのマンガではありません。(2巻)  全国のマンガ家さんに殺意を芽生えさせる秀逸なアオリだと思います。そういうアオリは◯ティー◯・ボー◯・ラ◯連載時の◯木◯◯◯に向けていただきたかった。確かに『誘爆発作』は3巻にもなるのに時間的にはこれ数日?主たる登場人物は「犯人を追い詰める」をずっとやっているだけの一本道展開でありながら、濃密な展開で読ませます。 「劣化しづらいスタンダードな作風」 メディアミックスやランキング本の威力で急激にブレイクした作品は、早々に飽きられ、完結を前にオワコン扱いとなるリスクが高まります。本作は殆ど評価されていないため、外的要因による劣化の心配はありません。(3巻) 漫画界の基礎を日々築き上げている凡百の書き手さんに謝れ、つーかこの失礼な言い草に私もお詫び申し上げなければならない

脊髄から直接蜜柑を食べられないことは認めたうえでのこと

たまたまつけたテレビのニュースでテニスの試合が映ってる。日本人選手がどこかの国の選手を打ち負かす数ゲームの、試合運びについ引き込まれた。試合展開が面白いなあと思った瞬間、でもテニスってなんだかいけすかないことを、選手の出で立ちを見て思い出す。なんか、ほら、「休日にテニスやってる」とか「大学時代にテニサー入ってました」ってことに対するステレオタイプ的なイメージもあるじゃないですか。 いやいや、テニスそのもののゲーム性が持つ面白さに目を向けましょうよ、偏向したイメージで物事を見ると真実を見失いますよ、とか。そうですよね。客観的な事実だけを見据えて、イメージに振り回されないことは時に人生を助けるでしょう。 けど、それでも我々の現実社会というか現実世界はイメージのレイヤーの上に乗っかっているので、その文脈というか「偏向した」イメージも現実の一部なんですよね。それはそれとして、現象的にまず受け入れて、そこに一歩引きがたい問題があるのであれば、その現象を生み出した見えない「客観的な」事実とやらについて話し合いましょうよ、ということにはなるだろうと思います。その「客観的」に見えることだって、現象のひとつという見方だって認めてほしいものですけど。 現象的なことから伺いしれない「客観的な」事実に、実は我々の行動や存在が制限されていることは知ってます。そりゃ僕がどんなに頑張っても新幹線になった上で、古代ギリシャに行って蜜柑を直接脊髄で食べることはできないですけど。しかしその制限のなかで生じていることの「客観性」なんて、案外、帆だと思っていたものが舳先だった、くらいのもんかもしれません。 まあ、抽象的すぎな話ですけど、人文系の学問が見据えようとしている世界はこんなもんなので、理系の方にはどこかでお許しをいただきたいと思ったことでした。

乙嫁語り6巻

森薫『乙嫁語り(6)』(→ amazon )。中央アジアを舞台にした婚姻譚は、アミルの親族による牧草地の利権を巡る争いへ。相変わらず重厚な描き込みが目に嬉しいマンガですが、この最新刊は珍しく緊張感のある戦闘で彩られています。 以前から、気になっていました。「舞台となっている部族は何語で話しているんだろう」ということに、とうとう後書きで触れられています。中央アジアのアルタイ諸語以下の、カスピ海東部あたりをイメージしているんだろうなと思います(1巻あたりに地図があったような)。後書きで示されている略式の樹形図を、『世界言語文化図鑑(p.47)』(→ amazon )の記述に従ってリライトしてみます。☆があるのが、森薫が掲げているもの。 上記の言語はすべて日本語版wikipediaにあります。すごいな。中央アジアの言語はさっぱりですが、黒田龍之助氏がこの辺りの言語に通じていらしたような。この他、方言ネタは鉄板であるとのメモと一緒に、山形弁がさりげなく紹介されていました。

Lexical Distance Among the Languages of Europe

google+のLinguisticsコミュニティで紹介されていた Lexical Distance Among the Languages of Europe « Etymologikon™ 。2008年のポストだが、オリジナルは1999年にK. Tyshchenko によってロシア語で書かれた"Metatheory of Linguistics"によるとのこと(google scholarでは見つけられなかった)。 これは印欧語族に所属する言語を語彙でみたときの近似度を視覚化したもの。英語とフランス語の語彙的関係性などからは、言語史の教科書によく紹介される、英語におけるフランス語の流入などが分かりやすくイメージできる。記事でも、1066年のノルマンズ・コンクエストによってゲルマン語である英語にフランス語が流入したことが示される。これにより近代英語の75%がフランス語およびラテン語になってしまうと。それでも英語がゲルマン語であるとみなされるのは、構文がゲルマン語の系統を引いていることと、頻出語の80%がゲルマン語から来ているからとのこと。以下、原文をコピペ。 So why is English still considered a Germanic language? Two reasons. First, the most frequently used 80% of English words come from Germanic sources, not Latinate sources. Those famous Anglo-Saxon monosyllables live on! Second, the syntax of English, although much simplified from its Old English origins, remains recognizably Germanic. The Norman conquest added French vocabulary to the language, and through pidginization it arguably stripped out some Germanic grammar, but it did not ADD French

年頭のご挨拶

2014年になりました。山形にやってきて9年目を迎えます。ブログ人生でいえば半分以上が山形。毎年、ここ山形の日々で得られる貴重な体験があります。食べ物や観光なんてのはそこそこという感じ(色んな種類のがあるのだけど体験しているうちにフラットになってくる)ですが、一昨年くらいに方言のデータベースを作成してみたらそこから言語学的な現象が色々見て取れて、これが飽きさせません。「民間語源」「特殊音節脱落」などのタグをつけていけば、授業でも使えるし概説書などでも事例に使える。 タグといえば、すでにevernoteを2年位前から使っています。この休み中に言語学系のクリップにタグをつけたりしていると、懐かしさもあり新しいアイディアを喚起されたりしています。読んだ書籍の気になる箇所のクリップやウェブのクリップも。手書きメモ帳もカメラでクリップしています。 ウェブからのクリップでは自分の関心でフォローが形成されているのでツイッターが良かった。FBは途中でなんだか疲れてしまって半年ほど放置でした。疲労を招くといえば、授業や会議の合間に一服入れるつもりで見るウェブ、あれはほんとうに良くないと思います。どうでもいいネタにハマって却って疲れるということが一昨年は結構ありました。まとめサイトや海外面白ニュースとかをつい読んでしまう無駄、みたいな。それで2013年の4月に次のようなことを印刷して、パソコンの壁紙にしていました。 「余計な仕事」なんてない!とか言われそうですが、そこは主観で(笑)。研究室にいればいるだけ仕事が増えていくので図書館で仕事することも多かった一年。最初のセメスターは壁紙の目標をほぼ実現できていて、授業も研究も家庭もそれなりにうまく行っていましたが、秋セメスターになると学生も就職活動やら卒業論文などで個人面談が頻繁に入るようになりほぼ実現できなくなります。かといって個人面談も非常に重要な仕事なので、欠かすわけにはいきません。今年はこのあたり、さらに工夫が必要でしょう。 ブログの投稿件数も2013年はこれまでで最低数でした。秋辺りからぱたっと書けなくなってしまったからですが。仕事がハードになるとアウトプット中心の生活になるので書きたいという内的動機に乏しくなるみたいです。自分の切り売りをして生活をしている感覚が出てくるとヤバい。インプット量を増やすために時