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投稿

1月, 2015の投稿を表示しています

近藤ようこ

近藤ようこ『説経小栗判官』(→ amazon )、『五色の舟』(→ amazon )。どっちも日本文学ミーツガロみたいな雰囲気。古川益三を思い出させます。

池内恵『イスラーム国の衝撃』

池内恵『イスラーム国の衝撃』(→ amazon )読了。中東に関することはさっぱりドシロウトだが、ニュースを賑わせる事件から、日本社会に対する国内外からの政治的インパクトを感じて。読んでみてよかったのは、宗教・思想、近現代史に沿ったパースペクティブが得られたこと。あわせて宮田律『イスラム潮流と日本』(→ amazon )も読んだけど、基礎的情報を頭に入れるならといった感じかな。池内氏のほうは成熟した市民を育成せんとする理念が下敷きになっているようなので、体系立てて読むことができた。分かりやすい授業を聞いているようでした! 途中、イスラム国の行動が宗教テキストのみならず、言語からも規定されているあるいは照応関係があるとするところがあって、非イスラム世界からの容易な異文化理解を許さない難しさがあると思った。しかし本書では逆説的に異文化理解の重要さが際立たされてもいる。政治学のダイナミックなものの見方にばかりこの領域をまかせていてもいけない。

久しぶりの偏頭痛

6年間沈黙していた偏頭痛が昨年末から再開。物の本には「再開することもある」とあって、あるんだなあ。ひっさしぶりにこのブログでも偏頭痛ラベルを使う羽目になったよ。いまのところ平均してひと月に1回ペースなので、日常生活は送っていけるレベル。 6年前に持っていた薬は賞味期限切れで、久しぶりに病院に行った。若いお医者にひと通り説明すると、40代男性で典型的な症状を持っている人もなかなかいない、と言われる。よくわかんないけどありがとう。この6年でそっちの世界では進展ありましたか?と聞いてみると、ほとんど進展はないけどよく効く薬は開発されたから飲んでみるといいですとのこと。アマージというのを処方された。あとかつてお世話になっていたトリプタン系のイミグランはジェネリック医薬品が出ているのね!ちょっとだけ安くなっていた。 なんとなくだけど、6年前より偏頭痛の認知度は上がったのかなという気はする。そんなこともないのかな。偏頭痛の話を学生にすると、自分もです!と名乗りを上げてくる人や、対処方法などについて話題が上がってくる。入学時のカードにも偏頭痛のことを書いてくる学生も増えたという話も聞く。 啓蒙サイトも強化されましたねえ。例えば、 トリプタン系薬剤と服用タイミング | 片頭痛の治療と予防 | スッきりんのバイバイ頭痛講座 、こことか。トリプタン系薬剤を服用するタイミングとか、前はどこにも書いてなかったように思います。昨日偏頭痛をかまされたときは、前兆の段階で飲んでしまって、それで効きが悪かったのかと思いました。 しかし、あれだけ苦しんで調べ倒して、偏頭痛に俺は日本一詳しいんじゃないかと思うくらいだったのに、6年間すっかり忘れていた。人間というのは当事者でなければこんなに簡単に我関せずになってしまうのですね。苦しみに共感して欲しいという気持ちも、思いやる気持ちも、なんと頼りない博愛精神に築かれた楼閣であることよ。 昨日はゲストスピーカーを招いての授業中に前兆が起こりまして、ほとんど反射的に薬を飲みました。偏頭痛が起こっていることもゲストにさとられることなく、たぶん学生のなかには気づいたのもいるかもしれないけど、事なきは得られた。 いずれにしても、6年で何が変わったということも本質的にはなくて、要するに暴風がやってきたときには布団かぶってやり過ごすのが一番という

ことばの忌避・山形九中

50代の方からお聞きしたんだけど、山形市内のナンバースクール第九中学校はかつて「くちゅう」と呼ぶよう教員から指導されたことがあるとのこと。 わざわざ指導されるのは、「きゅうちゅう」と呼ぶ人が多かったからで、事実今でも「くちゅう」と呼ぶ人にはお目にかかったことがない。 なぜ「くちゅう」と呼ばねばならないかと言うと、「宮中」と同音になってしまってそれがある種の不敬になるからであると。今からざっくり40年前くらいのこととすれば、1970年代ころか。教壇に立っていた者の中にはまだ戦中体験のあった方もいらしただろう、と想像してしまう。 このあたりの調査で「ワガダ」(上方=ウワカタ)という言葉もあって、いわゆる「のぼり」「くだり」と関連付けられているのだけど、「のぼった先には何があるんですか」と問うたら、「皇居がある」とお答えになった方もいらした。まず「くちゅう」とは関係はなかろうけれども。  言語学的には忌避とか言われる現象で、「するめ」を縁起が悪いから(お金をするを連想するので)「あたりめ」と言うとか、「一ニ三四」を「いちにさんよん」(死を連想することの回避)と唱えるような類い。

山本美希、2本

山本美希『爆弾とリボン』(→ amazon )、同じく『Sunny Sunny Ann』(→ amazon )。『爆弾とリボン』はデビュー作のようで習作という感じですね。『Sunny Sunny Ann』は良かった。大島弓子のマンガから引用があるのも、大島弓子はほとんど読んだことがないけど(いずれ読みたいと思いつつだけど)、良いように思います。 こういう力強く太い線で、デッサンをざっくりと捉えて描く絵で、映画っぽい構図をやってくれるのが好きなのかも知れない。黒田硫黄とかも好きだものな。

ハウアーユー?

久しぶりにブログを記すにはちょうど良い作品、というには出来すぎなのだけど、すでに語りかけることができなくなった相手に「ハウアーユー?」と語りかける行為は、だいたい贈答の起源にも似た見返りなど想定もしないコミュニケーションの原始形態のようにも思える。 山本美希『ハウアーユー?』(→ amazon )は、帯の「マンガ表現の極致」に惹かれて購入したけれど、お話も良かったです。この作者の他の作品も読んでみよう。 リハビリがてら、昨年読んだものを少しずつ報告していくかもしれない。間が空いたのは、ウェブ上のコミュニケーション全般がなんとなくダルかったからです。