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2月, 2014の投稿を表示しています

サーバとデータベースと雪と

研究費をいただいているデータベース作成がひとまず納品を終えた。うちの職場には研究教育業績などを外部に公開するサーバがなかったので、サーバ構築からの工程は道のりが長かった。低予算ながら多くの協力を得てどうにか、といった体だった。東京の業者さんに依頼・本学がSSH接続を認めないという条件ゆえ、山形までデータを持ってきてもらったわけだが、あいにくのこの雪。新幹線ストップ。申し訳なさ半分、雪国のすさまじさドヤ(ただし盛り盛り)顔半分。 それにしても計画の段階で、サーバ管理を自分がやることを早々に諦めて大正解だった。無理無理。いや、多少強がって無理じゃなくても、時間と労力をそこにかけてたら他に何もできなかった。餅は餅屋ですね。どこかの国立大学みたいに理系の研究者と連携することができればもうちょっと話は変わってきたかもしれませんが。

風邪が長引く向きは漢方薬局へ

漢方薬のおかげで風邪を引いても長引かなくなった。そう断言してよいか躊躇する時期もあったが、昨年の冬に漢方薬を併用するようになって3回くらい同じ体験をしたので、今では断言できる(3回が統計的に信頼できる母数であるということでは全然なく、統計として現れない質的な合理性を重く見て笑)。 よく知られる事実として、風邪の要因はよく分かっておらず、また処方される薬も基本的には対症療法的な解熱だ咳止めだ頭痛薬だといったものにウイルスを殺す抗生物質が大かたで、良心的な医者なら薬は気休めで一番は寝ることくらいは言ってくれる。それだけ基盤から曖昧なことなら、まだ傷寒論のほうが信じられる。 で、信じる者は救われる(笑)。僕の体質にあった漢方薬を併用することで、これまでは2週間から3週間くらい平気で続いていたのが4、5日、長くても1週間で治るようになった。大人になってからはじめての経験かもしれない。風邪が長引くタイプの方は、きちんと相談に乗ってくれる漢方薬局へぜひ!

有線回帰

うちだけな訳はない、と思ってググってみると同じように困っている方がちらほらいらっしゃる(→ 拙宅無線LAN問題(1・電波干渉):まだ買ってますか。:So-netブログ )。集合住宅の2.4GHz帯が混みまくりの干渉しまくりについての案件。 一昨年くらいからうちのマンションも相当ひどい。一度フリーソフトで電波干渉具合を見てみたら平日朝8時台の上り西武新宿直前っつーか、いくつものチャンネルがかぶりまくっていて、こりゃあ無理だ感がアホでも分かる状態だった。wifiルータは空いてるチャンネルを探しに行ってはどこもだめ、を繰り返しているようで、しょっちゅうブツブツ接続が切れる。自治会のない賃貸マンションの家主有志で「チャンネルをみんなで分け合おう」運動を一瞬思いつくも、そもそもパイがねえと来た。 一方、5GHzはどうかというと平日昼間の山形新幹線グリーン車ばりにスッカスカです。またルーター買い直し(これまでルータが壊れていると思ってすでに短期間で2台目を購入)か。というところで、同僚から5GHz対応のルータを実験的にお借りした。グリーン車なので接続は問題がない。ところが今度はルータ設置場所からPCを使う部屋がやや遠く、電波が減衰気味。 こんな状況を半年くらい放置した挙句、近所の電化製品店で専門の店員さんに相談してみたところ、「(高いルータを購入するほか)どうしようもないですね」という身も蓋もない回答をいただく。これ以上ルータを買うとルータ大臣になってしまうのですよ。できれば大臣は回避の方向で、というニュアンスで「こりゃ有線回帰という方向もあったりしてですかね」と振ってみたら意外にも店員さんの目に光が宿って「それはありの方向ですね」と力強い回答をいただいた。 なんだろうこの本末転倒感。 10年位前に無線環境ができたあの日の喜びと無駄な全能感。とか諧謔精神で無駄とか言ってみたことが、マジでwifi無駄ってこと? その足で薄型ケーブル(20m)を購入し、壁にケーブルを這わせてイマココです。すごい快適。まずはPCがブツブツ切れんじゃ仕事になんねえものな(嘘、してたけど)。ただ、iPadとかの問題は今もって残っている。偉い人、どうにかしてください! 持ち家じゃないひとはwifiが食えない状況に甘んじろと。だったらテザリングにすればいいじゃない?ですと?このマ

専門書の翻訳はきっと大変

翻訳という行為はほんと大変だろうなと思う。とりわけ専門書の場合は、専門家でない限り記述の意図するところを十全に理解して翻訳することなど極めて難しいだろう(いや専門家だってそうだ)。なかでも専門書は注釈を縦横無尽に駆使しているわけで、それを一つ一つあたって解釈して翻訳にあたっている訳者なんて存在するのだろうか?…とここまで書いてみてどのレベルの質を求めるかということで考えれば、翻訳の沙汰も金次第なのかもしれない。 niji wo mita: 未知の文字の推定法 で触れたマイケル・D.コウ『マヤ文字解読』の記述に引かれ、原注に載っていたGelb,Ignace J.1952 "A Study of Writing", University of Chicago Press.を取り寄せてみた。 僕が『マヤ文字解読』で興味を持った記述は、ざっと説明すれば、世界の文字は統計的に20-30の種類が使われていれば音素文字、40-90なら音節文字、それ以上あるなら表音文字ではない(表語文字を疑ってもよいという含み)というくだりである。もっとも、本書のあとのほうで一つの文字が複数に読まれたり(山を「サン」とも「やま」とも読むような)、逆に一つの音を複数の文字で書いたり(日本でも近代に至るまで変体仮名と呼ばれる一つの音節に複数の仮名が存在したような)するので厳密には言えないことだが、ざっくりとした推定としては興味深い考え方だなと思った。もしその統計結果が1952年の時点で書かれているなら読んでみたいと思ったわけである。 ところがゲルブの本には残念ながらそれについて概略的に述べている記述はなかった。であれば、上記の記述はゲルブの以下にみる統計データに肉付けをしてマイケルが独自に考えたことなのだろう。ゲルブの論調には、マイケルも述べているが、19世紀的な言語進化論的価値観の残滓が見られるようで、表語文字が表音文字に進化するのだというパースペクティブのもとで文字の種類が縷縷述べられるばかりであるように読めた(前後数ページを読む限りでは)。ただし、『マヤ文字解読』に紹介される対照表の元になる表は"we may refer to a chart (Fig.60) showing statistically the relationship of word

I Kill Giants

ケンニイムラ(イラスト), ジョーケリー(原著), 柳亨英 (翻訳)『I Kill Giants』(→ amazon )。アメリカの作家さんが描いたものの邦訳。 これは良かった。家族をテーマに寓意で描く、というと日本ではあんまりないかもと思う。山岸凉子とかかな。『夜叉御前』『鬼来迎』とか。ちょっと違うか。少女の成長を描いているのに、日本でよく見るジュヴナイル的センチメント(「あたし」の成長)ではない。人生をサバイブできる意味での自己の成長譚(「私」の成長、と仮に名づけてみた)になっている。まあ、これは感動しないほうがおかしいんじゃない? 「外務省主催・第5回国際漫画賞では最優秀賞受賞を獲得」だそうな。描き手が受賞することよりも、賞を出した外務省のほうが試されてるんじゃないか、とも思います。だってね。もうお家芸的な高みから審査できないでしょ、これは。

マキネッタ

説明書に書いてあるとおり、3回くらい淹れてみて、なんとなくコツがつかめてきた。ミルクで割らなくてもいただける。