山形の近代文学の人の研究会に聴講生的参加をしてきた。言語系研究者は他流試合が少ないとかいう批判めいた話を耳にして、異なった領域の大学院生たちと勉強会をしていたのが3、4年前。懐かしいなあという感じ。主催者がものすごい才気煥発な方で、そういうのも懐かしいなあという感じ。
それはともあれ、本日もいわゆる「気づかない方言」みたいなのに出会った。飲み会の席に全員集まる前にフライング的に始まるビールやらなんやらを「練習」というらしい。「先に練習して待ってて」とかみたいにね。つか見知った関東の方式では全員集まるまで始めないか、遅れてくる人が先に始めておいて欲しいと言付けするので、練習という概念はなく、つまりいつも本番なわけであるが。結局、遅れてきた方がそろって本番が始まる。そんくらい待てよ!とも思うが、これはやっぱりお酒大好き!な東北の風習とみてよいのでしょうか。
ある言語では名称のない現象や対象に、別の言語では名称が割り当てられていると、本当にその意味世界が実感としてたち現れて来るようで、言葉が世界を作るの地を行く味わいである。
それはともあれ、本日もいわゆる「気づかない方言」みたいなのに出会った。飲み会の席に全員集まる前にフライング的に始まるビールやらなんやらを「練習」というらしい。「先に練習して待ってて」とかみたいにね。つか見知った関東の方式では全員集まるまで始めないか、遅れてくる人が先に始めておいて欲しいと言付けするので、練習という概念はなく、つまりいつも本番なわけであるが。結局、遅れてきた方がそろって本番が始まる。そんくらい待てよ!とも思うが、これはやっぱりお酒大好き!な東北の風習とみてよいのでしょうか。
ある言語では名称のない現象や対象に、別の言語では名称が割り当てられていると、本当にその意味世界が実感としてたち現れて来るようで、言葉が世界を作るの地を行く味わいである。
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