山形で、あるいは言葉によっては東北で広く聞かれる変わった発音に、関東では濁音でいうところを清音でいうものがある。「ミツパ(三つ葉)」「ナガクツ(長靴)」「ヒラカナ(平仮名)」「イチチカン(一時間)」「〜トオリ(〜通り:路の名前)など。小林好日『東北の方言』,三省堂1945,p.74にはこれに類した例が、説明付きでいくつか挙がっている(音声記号は表示がめんどいので略式で。なおnは1モーラ分ではなく、鼻に抜ける程度の入り渡り鼻音(njm注))。
この現象は法則的に起こるのではなく、あくまでも語彙的・個別的に生じている。これって、どうしてこういうの?ということを仮説立ててみる。
* * * * *
伝統的な東北方言では、非語頭の清濁は鼻音の有無で弁別される。よく教科書に挙がる例では以下がある。
語頭では他の方言と同様に有声音と無声音の対立があり、非語頭では上記のような鼻音と非鼻音の対立がある(そして有声音と無声音は弁別には関与しない)のが特徴的と言われるが、こうした弁別体系は古代日本語の残照と言われることもある。実証的な論考で明示されたことではないのだが、多くの概説書で「〜と考えられている」といった程度には書かれており、定説とは言わないまでも通説と言ってよいだろう。
非語頭の濁音音節前に現れる入り渡りの鼻音は、中世の宣教師による観察にも現れているので、比較的最近まで(日本語史は中世も最近とかうっかり言います)近畿方言にも残っていたとされる。このあたりは文献資料でも確かめられるために、実証的な論考でも言い尽くされているところ。
さて、古代日本語の残照と言いつつも、その古代っていつ頃を指すの?という問題が残る。中世以前をおおざっぱに古代と言ったりもするが、もう少し踏み込んで平安中古をさらにさかのぼって、上代あたりも含めてもいいだろう。という時代区分は実はこの場合は重要ではなくて、中国からの漢字音定着前としておくほうがいいかもしれない。というのも、上記のような弁別体系は、漢字音とはそぐわないからだ。
例えば漢字音の流入と定着によって新たに日本語に生まれた代表的な音のひとつに、「ん」がある。それ以前には「ん」という音は、少なくともオモテの音韻体系には現れていないので、この音を表す文字が日本語にはなかった。土佐日記で「天気」を「ていけ」と表記した例はそれにあたる。問題は「ん」の書き方だけではない。漢字音では「ん」のあとに有声音と無声音が現れ、清濁の区別となる場合がある。これは古代の日本語における清濁弁別の体系と矛盾することになる。
sinkiという語とsingiという語があったと仮定しよう。古代日本語が伝統的な東北方言と同じ清濁の体系だったとしたら、kiもgiも鼻音nのあとだから、どちらも「シンギ」と解釈されるだろう。非語頭環境では鼻音の有無が清濁を決定するからだ。しかし文字を支えとする漢語の区別意識や、数多い同音語の衝突回避も背後にあってか、sinkiは「心気」でsingiは「真偽」である、というふうに語の区別を発音の違いとして受け止める必要が出てきた。ここにそれまでの日本語における、清濁弁別の体系の例外が発生する。音韻論的に言う、体系のすきま、とでも呼べる例外である。
ところがこれを例外として処理できないくらいに漢語は増え続け、いずれ「ん」は文字も持ち、日本語の音韻体系できちんとした一項となってしまう。ここに大問題が生ずる。つまり、非語頭では基本的には「子音の前に鼻音があれば」濁音、「子音の前に鼻音がなければ」清音でありつつ(今の東北方言でも高年層はバリバリこれを持っている)、子音の前が撥音「ん」に限り、有声音と無声音で清濁を弁別する極めて複雑な体系が要請されてしまうのである。しかも撥音「ん」は鼻音そのものを実質としているので、撥音じゃない鼻音とどう区別すんの?という体系の根幹に関わる問題ぶくみである。だからこそ「ん」の後の清濁は長い間微妙な位置づけにとどまっていて、中世などでは「ん」のあとは全部濁音でいいよ、みたいな資料すらあったりする。
超いい加減なことを言うと、たぶんこのあたりがトリガーとなって、日本語の非語頭環境における清濁弁別は、鼻音の有無から有声無声の対立に置き換えられることになってゆく。そもそも語頭も有声無声の対立だったのだから、そのほうがシンプルで都合もいい。
ところが、近畿方言の微妙な感じを抱えたまんまの清濁弁別体系がとうとう東北方言に伝わってきてしまった。非語頭は鼻音の有無だったはずなのに、そうでない例外が!で、東北方言は撥音「ん」のあとの無声音は有声化させない戦略をとった(これは事実として確認できます)が、その巻き添えを食って一部の有声音も無声化されてしまった。この仮説の一番の問題は、漢語の巻き添え例がいまのところ見当たらないところなのだが、この仮説をもうちょっと押してみよう。撥音「ん」のあとの無声音を有声化させない体系ルールは、撥音「ん」の持つ鼻音としての特徴を通じて、和語における鼻音+有声音をも無声化させてしまったと考えるわけである。
しかるに、「三つ葉」はミツンバ mitunba>ミツンパ mitunpaへと変化してしまった。よく類音牽引と呼ばれる現象ですね、といっておくと座りがいいかも。小林好日氏が他に挙げた古語「めぐし」が メンゴイ mengoi>メンコイ menkoiと変化した理由なども、これで説明できるか。
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研究論文ではないので、以上の仮説について先行研究は十分に見ていません。また実証性も乏しいので、鵜呑みにしないように。某所から説明してくれ、と言われたので、いちおう自分の中に理路を作ってみた次第。
鼻母音があるとその次の濁音が往々にして無声化し、その上にその次の母音まで無声化させることがある。
ミツパ(三つ葉) mitsunpa
マツパ(松葉) matsunpa
マツ(先づ) mantsu
クピタ(頚) kunpita
テプソク(手不足) tenpusoku
カチカ(河鹿) kanchika
ムツケル(むずかる・すねる) muntsukeru
この無声化はなほそのあとの音節にまで及ぶこともある。
アンチコト(案じ事) anchikoto
ミツパナ(水洟) mitsunpana
この現象は法則的に起こるのではなく、あくまでも語彙的・個別的に生じている。これって、どうしてこういうの?ということを仮説立ててみる。
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伝統的な東北方言では、非語頭の清濁は鼻音の有無で弁別される。よく教科書に挙がる例では以下がある。
mado(的):mando(窓)
kagi(柿):kangi(鍵)*ngiは鼻濁音で現れる場合と、入り渡り鼻音+濁音で現れる場合とあり
語頭では他の方言と同様に有声音と無声音の対立があり、非語頭では上記のような鼻音と非鼻音の対立がある(そして有声音と無声音は弁別には関与しない)のが特徴的と言われるが、こうした弁別体系は古代日本語の残照と言われることもある。実証的な論考で明示されたことではないのだが、多くの概説書で「〜と考えられている」といった程度には書かれており、定説とは言わないまでも通説と言ってよいだろう。
非語頭の濁音音節前に現れる入り渡りの鼻音は、中世の宣教師による観察にも現れているので、比較的最近まで(日本語史は中世も最近とかうっかり言います)近畿方言にも残っていたとされる。このあたりは文献資料でも確かめられるために、実証的な論考でも言い尽くされているところ。
さて、古代日本語の残照と言いつつも、その古代っていつ頃を指すの?という問題が残る。中世以前をおおざっぱに古代と言ったりもするが、もう少し踏み込んで平安中古をさらにさかのぼって、上代あたりも含めてもいいだろう。という時代区分は実はこの場合は重要ではなくて、中国からの漢字音定着前としておくほうがいいかもしれない。というのも、上記のような弁別体系は、漢字音とはそぐわないからだ。
例えば漢字音の流入と定着によって新たに日本語に生まれた代表的な音のひとつに、「ん」がある。それ以前には「ん」という音は、少なくともオモテの音韻体系には現れていないので、この音を表す文字が日本語にはなかった。土佐日記で「天気」を「ていけ」と表記した例はそれにあたる。問題は「ん」の書き方だけではない。漢字音では「ん」のあとに有声音と無声音が現れ、清濁の区別となる場合がある。これは古代の日本語における清濁弁別の体系と矛盾することになる。
sinkiという語とsingiという語があったと仮定しよう。古代日本語が伝統的な東北方言と同じ清濁の体系だったとしたら、kiもgiも鼻音nのあとだから、どちらも「シンギ」と解釈されるだろう。非語頭環境では鼻音の有無が清濁を決定するからだ。しかし文字を支えとする漢語の区別意識や、数多い同音語の衝突回避も背後にあってか、sinkiは「心気」でsingiは「真偽」である、というふうに語の区別を発音の違いとして受け止める必要が出てきた。ここにそれまでの日本語における、清濁弁別の体系の例外が発生する。音韻論的に言う、体系のすきま、とでも呼べる例外である。
ところがこれを例外として処理できないくらいに漢語は増え続け、いずれ「ん」は文字も持ち、日本語の音韻体系できちんとした一項となってしまう。ここに大問題が生ずる。つまり、非語頭では基本的には「子音の前に鼻音があれば」濁音、「子音の前に鼻音がなければ」清音でありつつ(今の東北方言でも高年層はバリバリこれを持っている)、子音の前が撥音「ん」に限り、有声音と無声音で清濁を弁別する極めて複雑な体系が要請されてしまうのである。しかも撥音「ん」は鼻音そのものを実質としているので、撥音じゃない鼻音とどう区別すんの?という体系の根幹に関わる問題ぶくみである。だからこそ「ん」の後の清濁は長い間微妙な位置づけにとどまっていて、中世などでは「ん」のあとは全部濁音でいいよ、みたいな資料すらあったりする。
超いい加減なことを言うと、たぶんこのあたりがトリガーとなって、日本語の非語頭環境における清濁弁別は、鼻音の有無から有声無声の対立に置き換えられることになってゆく。そもそも語頭も有声無声の対立だったのだから、そのほうがシンプルで都合もいい。
ところが、近畿方言の微妙な感じを抱えたまんまの清濁弁別体系がとうとう東北方言に伝わってきてしまった。非語頭は鼻音の有無だったはずなのに、そうでない例外が!で、東北方言は撥音「ん」のあとの無声音は有声化させない戦略をとった(これは事実として確認できます)が、その巻き添えを食って一部の有声音も無声化されてしまった。この仮説の一番の問題は、漢語の巻き添え例がいまのところ見当たらないところなのだが、この仮説をもうちょっと押してみよう。撥音「ん」のあとの無声音を有声化させない体系ルールは、撥音「ん」の持つ鼻音としての特徴を通じて、和語における鼻音+有声音をも無声化させてしまったと考えるわけである。
しかるに、「三つ葉」はミツンバ mitunba>ミツンパ mitunpaへと変化してしまった。よく類音牽引と呼ばれる現象ですね、といっておくと座りがいいかも。小林好日氏が他に挙げた古語「めぐし」が メンゴイ mengoi>メンコイ menkoiと変化した理由なども、これで説明できるか。
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研究論文ではないので、以上の仮説について先行研究は十分に見ていません。また実証性も乏しいので、鵜呑みにしないように。某所から説明してくれ、と言われたので、いちおう自分の中に理路を作ってみた次第。
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