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Bonsai meets Otaku. It's a new traditional style !


その他、台湾で気になったことを少し。台湾って、妻がちらと見た現地のニュース番組で昨年からの経済成長が110%ですって。ソースはと思ったらあった(→[世] 実質経済成長率の推移(1980~2011年)の比較(台湾、日本))。経済音痴な僕ではここから読み取れることはほとんどないけれど、台湾が日本より伸びているのは分かる。そしてそのことは数字の上だけではなくて、実際に行ってみた感じと合致している。いい家、いい車に乗っている人がすごく増えている印象があった。7年前と感じが違う?!

高級自転車に乗っている人たちもいっぱりいるし…。円高にものを言わせて一台購入したいくらい。

僕が一番感じたのは、いとこやその子供たちが日本語を学ぶ気をさらさらなくしていたことだった。少なくとも7年前は、社交辞令レベルであったとしても「勉強してみようかなー」という声は耳にした。今回はそれが全くない。それよっか英語がずいぶん浸透している様子で、高校生も英語がかなり上手(といっても英文学が好きなんじゃなくてコミュニケーションが好きってんだから、どこも一緒だよね)。今回は「いやー、日本語はね、ウフフフ」(意訳)という反応。

普段、日本に来ている台湾からの留学生から、僕が受ける印象はオタク系が多いということ。若い子は日本のアニメやマンガがみんな好きなのかと思ってた。そしたらそうでもないのな!口はぼったい感じもあるが台湾の親戚はアッパーミドルクラスの人が多くて、彼らの子どもは「ドラゴンボール?何ソレ」「ワンピース?聞いたことない」という。でも台湾101の地下おもちゃ売り場にはたしかにでっかいルフィのポップがあったし、ホテルのレストランでウェイトレスやっているいかにもいーかーにーもfujoshiな感じの子は「ルフィ大好きです!」「日本語はアニメで勉強しました!」との話だった。

つまりお話を6段階くらいすっ飛ばして考えると、やっぱり東さんが言うようにCool Japanなんてもう過去の遺物、しかもハナっから狭いターゲットを対象としたマーケットで、しかもしかも最初から金にならん世界なのかもしれん。世界に誇るメイドインジャパンと経産省がのたまうことにどれくらい期待して良いのか…。

しかしやはり台湾にも趣味人というのはいるもので、日本の江戸時代に大ブームを起こしたBonsaiと平成時代のOtakuがmeetしたartが台湾にも伝わっているのをmeは発見したざんす。台南で見かけた盆栽展示会にて受賞していた作品がKore!




経産省よ、狙いはここだ!

ある同僚が社会言語科学会で、80年代や90年代にアジアが抱いていた日本へのかっこいい感じはもうないよねえ、という話を耳にしたそうだ。詳細はいずれきちんと聞いてみよう。

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授業で、言語地理学の基礎を取り扱うときに出す、おなじみのLAJこと日本言語地図。毎年、「明日、明後日、の次を何と言うか」を話題にするのだが、今年はリアクションペーパーになんだか色々出てきたのでメモ。これまでの話題の出し方が悪かったのかな。 明後日の次( DSpace: Item 10600/386 )は、ざっくりしたところでは、伝統的には東の国(糸魚川浜名湖ライン以東)は「やのあさって(やなさって)」、西の国は古くは「さーさって」それより新しくは「しあさって」。その次の日( DSpace: Item 10600/387 )は、伝統的には東西どちらもないが、民間語源説によって山形市近辺では「や(八)」の類推で「ここのさって」、西では「し(四)」の類推で「ごあさって」が生まれる、などなど(LAJによる)。概説書のたぐいに出ている解説である。LAJがウェブ上で閲覧できるようになって、資料作りには便利便利。PDF地図は拡大縮小お手の物ー。 *拡大可能なPDFはこちら 日本言語地図285「明明後日(しあさって)」 *拡大可能なPDFはこちら 日本言語地図286「明明明後日(やのあさって)」 さて、関東でかつて受け持っていた非常勤での学生解答は、「あした あさって しあさって (やのあさって)」がデフォルト。やのあさっては、八王子や山梨方面の学生から聞かれ、LAJまんまであるが、ただし「やのあさって」はほとんど解答がない。数年前にビールのCMで「やのあさって」がちらりと聞ける、遊び心的な演出があったが学生は何を言っているのかさっぱりだったよう。これはかつての東国伝統系列「あした あさって やのあさって」に関西から「しあさって」が侵入して「やのあさって」は地位を追い落とされひとつ後ろにずれた、と説明する。「あした あさって やのあさって しあさって」は期待されるが、出会ったことがない。 山形では「あした あさって やなさって (しあさって)」と「あした あさって しあさって (やなさって)」はほとんど均衡する。これには最初驚いた。まだあったんだ(無知ゆえの驚き)!と(ただしLAJから知られる山形市の古い形は「あした あさって やなさって さーさって」)。同じ共同体内で明後日の翌日語形に揺れがある、ということは待ち合わせしても出会えないじゃないか。というのはネタで、実際は「~日」と

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