50代の方からお聞きしたんだけど、山形市内のナンバースクール第九中学校はかつて「くちゅう」と呼ぶよう教員から指導されたことがあるとのこと。
わざわざ指導されるのは、「きゅうちゅう」と呼ぶ人が多かったからで、事実今でも「くちゅう」と呼ぶ人にはお目にかかったことがない。 なぜ「くちゅう」と呼ばねばならないかと言うと、「宮中」と同音になってしまってそれがある種の不敬になるからであると。今からざっくり40年前くらいのこととすれば、1970年代ころか。教壇に立っていた者の中にはまだ戦中体験のあった方もいらしただろう、と想像してしまう。
このあたりの調査で「ワガダ」(上方=ウワカタ)という言葉もあって、いわゆる「のぼり」「くだり」と関連付けられているのだけど、「のぼった先には何があるんですか」と問うたら、「皇居がある」とお答えになった方もいらした。まず「くちゅう」とは関係はなかろうけれども。
言語学的には忌避とか言われる現象で、「するめ」を縁起が悪いから(お金をするを連想するので)「あたりめ」と言うとか、「一ニ三四」を「いちにさんよん」(死を連想することの回避)と唱えるような類い。
わざわざ指導されるのは、「きゅうちゅう」と呼ぶ人が多かったからで、事実今でも「くちゅう」と呼ぶ人にはお目にかかったことがない。 なぜ「くちゅう」と呼ばねばならないかと言うと、「宮中」と同音になってしまってそれがある種の不敬になるからであると。今からざっくり40年前くらいのこととすれば、1970年代ころか。教壇に立っていた者の中にはまだ戦中体験のあった方もいらしただろう、と想像してしまう。
このあたりの調査で「ワガダ」(上方=ウワカタ)という言葉もあって、いわゆる「のぼり」「くだり」と関連付けられているのだけど、「のぼった先には何があるんですか」と問うたら、「皇居がある」とお答えになった方もいらした。まず「くちゅう」とは関係はなかろうけれども。
言語学的には忌避とか言われる現象で、「するめ」を縁起が悪いから(お金をするを連想するので)「あたりめ」と言うとか、「一ニ三四」を「いちにさんよん」(死を連想することの回避)と唱えるような類い。
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