今月中に上げる予定の、共同執筆の原稿について打ち合わせをしていると、タイから突然の電話が。失職中モジャからの「いまタイだぜイエーイ」的なテンション激上がりコールだったため、まだ俺行ったことないのに的かつ人の仕事中に的脊髄反射で切ろうとしたところ、そうだ京都行こう的に巨大ナマズを釣り上げるご趣味のtriphopを紹介するから君はもう釣具屋に就職すればいいじゃんと我ながらナイスプラン。速攻で連絡先を伝えてあとはあれだモジャの新しい人生の門出に勝手に乾杯して寝るよもう俺は。
子どもが友人たちと「お尻はいくつか」という論争を楽しんだらしい。友人たちの意見が「お尻は2つである」、対してうちの子どもは「お尻は1つである」とのこと。前者の根拠は、外見上の特徴が2つに割れていることにある。後者の根拠は、割れているとはいえ根元でつながっていること、すなわち1つのものが部分的に(先端で)2つに割れているだけで、根本的には1つと解釈されることにある。白熱した「お尻はいくつか」論争は、やがて論争参加者の現物を実地に確かめながら、どこまでが1つでどこからが2つかといった方向に展開したものの、ついには決着を見なかったらしい。ぜひその場にいたかったものだと思う。 このかわいらしい(自分で言うな、と)エピソードは、名詞の文法範疇であるところの「数(すう)」(→ 数 (文法) - wikipedia )の問題に直結している。子どもにフォローアップインタビューをしてみると、どうもお尻を集合名詞ととらえている節がある。根元でつながっているということは論争の中の理屈として登場した、(尻だけに)屁理屈であるようで、尻は全体で一つという感覚があるようだ。つながっているかどうかを根拠とするなら、足はどう?と聞いてみると、それは2つに数えるという。目や耳は2つ、鼻は1つ。では唇は?と尋ねると1つだという。このあたりは大人も意見が分かれるところだろう。僕は調音音声学の意識があるので、上唇と下唇を分けて数えたくなるが、セットで1つというのが大方のとらえ方ではないだろうか。両手、両足、両耳は言えるが、両唇とは、音声学や解剖学的な文脈でなければ言わないのが普通ではないかと思う。そう考えれば、お尻を両尻とは言わないわけで、やはり1つととらえるのが日本語のあり方かと考えられる。 もっとも、日本語に限って言えば文法範疇に数は含まれないので、尻が1つであろうと2つであろうと形式上の問題になることはない。単数、複数、双数といった、印欧語族みたいな形式上の区別が日本語にもあれば、この論争には実物を出さずとも決着がついただろうに…。大風呂敷を広げたわりに、こんな結論でごめんなさい。尻すぼみって言いたかっただけです。
コメント
僕が行った時は、町角屋台のグリーンカレーをひとつよろしく。バイマクルーのにおいを考えただけで、よだれが、、、。
え?NJMが来たとき?大丈夫。まったく別のメニューを用意してあるから。グリーンカレーなんてそんな生易しいこと言いません。心配いらないですよ。