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味付け薄いとたくさん食べられる、は何故?

家族がこちらに越して来てから1週間以上がたつ。山のような荷物は新しい秩序のもとに古い荷物とともに再配置され、部屋の新しい景観をなしつつある。荷物以上に人が一気に3人も増えた。否応なくにぎやかになる。あまりにめまぐるしい変化に、心身共について行けていないが、そうこう言ううちに劇的に冬の風景は消失し、上書きするように摘みはぐったふきのとうが葉を開かせている。変わらないことはただ一つ、僕が料理を担当していることだ。ただし分量が違う。あと、同じ時間で違う分量を作るためにこれまで以上に手際よくやらなければならなくなったことが違う。

褥婦には牛肉がいいと妻が言うので、記憶を頼りに妻の実家で食べた牛肉のポトフを作る。これはお肉と野菜を山ほど食べることに特化された料理なので、素材のうまみをしっかり取り出す代わりにほとんど味付けをしない。ナツメグ、クローブ、ローリエ、塩少々、赤ワインくらいのもの。牛肉もすじ肉を中心に別途長時間ゆでて臭みを抜いたものを使う。あく取りなどの基本的な下ごしらえが終わったら、シャトルシェフで一晩煮込むだけだ。手軽だができあがったものは、おいしいと言えばおいしい。上品といえば上品。このポトフがメインだとテーブルとしてはアクセントを欠くかもしれないので、味付けの濃いものがサイドメニューにあるとよいだろう。

しかしいわゆる薄味だとすぐに飽きて量を食べられないかと思いきや、そうではなかった(食べた感じになかなか到達しない)。薄味を続けていると濃い味のガツンとした感じがほしくなるが、そっちは量を食べることはできない(食べた感じにすぐ到達する)。これは一体どんな身体機制に基づいているんだろうと思う。この食べた感じというのは、満腹中枢を刺激するような意味ではなく、もっと認知機能に根ざした感覚である。食べた感じに到達しきる=味覚への強い刺激に慣れきる、みたいな。

いわゆる「シンプルなものは飽きが来ない」というやつなのだろうが、心理学で言う「馴化」(環境適応のために刺戟に慣れること)が「強い味はすぐ飽きる」ことを十分に説明できるとしても、導かれたその逆の「弱い味はすぐには飽きない」が「だからたくさん食べられる」の根拠になることはない。あるいは逆に、本来生物としての人間が食べられる量は、味付けという文化によって必要量に十分に達しなくなってしまったという仮説はどうか。味付け文化が味を濃くするという方向ではなく、多様化するという方法で発展したのは、味への「馴化」が活動に必要な量の確保を妨げてしまうことへの防御策ではなかったか。これかなりいい加減な仮説です。

この料理を1週間で2回作った。2回目はたまねぎがなかったので大根を使ったが、また違った甘みがあって、おいしいといえばおいしい。多様化とまでは行かないが、微妙な差異化で必要量の確保を狙うのであった。

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授業で、言語地理学の基礎を取り扱うときに出す、おなじみのLAJこと日本言語地図。毎年、「明日、明後日、の次を何と言うか」を話題にするのだが、今年はリアクションペーパーになんだか色々出てきたのでメモ。これまでの話題の出し方が悪かったのかな。 明後日の次( DSpace: Item 10600/386 )は、ざっくりしたところでは、伝統的には東の国(糸魚川浜名湖ライン以東)は「やのあさって(やなさって)」、西の国は古くは「さーさって」それより新しくは「しあさって」。その次の日( DSpace: Item 10600/387 )は、伝統的には東西どちらもないが、民間語源説によって山形市近辺では「や(八)」の類推で「ここのさって」、西では「し(四)」の類推で「ごあさって」が生まれる、などなど(LAJによる)。概説書のたぐいに出ている解説である。LAJがウェブ上で閲覧できるようになって、資料作りには便利便利。PDF地図は拡大縮小お手の物ー。 *拡大可能なPDFはこちら 日本言語地図285「明明後日(しあさって)」 *拡大可能なPDFはこちら 日本言語地図286「明明明後日(やのあさって)」 さて、関東でかつて受け持っていた非常勤での学生解答は、「あした あさって しあさって (やのあさって)」がデフォルト。やのあさっては、八王子や山梨方面の学生から聞かれ、LAJまんまであるが、ただし「やのあさって」はほとんど解答がない。数年前にビールのCMで「やのあさって」がちらりと聞ける、遊び心的な演出があったが学生は何を言っているのかさっぱりだったよう。これはかつての東国伝統系列「あした あさって やのあさって」に関西から「しあさって」が侵入して「やのあさって」は地位を追い落とされひとつ後ろにずれた、と説明する。「あした あさって やのあさって しあさって」は期待されるが、出会ったことがない。 山形では「あした あさって やなさって (しあさって)」と「あした あさって しあさって (やなさって)」はほとんど均衡する。これには最初驚いた。まだあったんだ(無知ゆえの驚き)!と(ただしLAJから知られる山形市の古い形は「あした あさって やなさって さーさって」)。同じ共同体内で明後日の翌日語形に揺れがある、ということは待ち合わせしても出会えないじゃないか。というのはネタで、実際は「~日」と

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