後味の悪い仕事をして、ケッタクソわりぃなと思いながら、頼まれた買い物をガッツリすませて、帰宅してすぐ一袋100円のシシトウと卵で炒め物を作る。へたを丁寧に取る。卵は近くの農家が作ったこぶりで黄身がぷりぷりの。卵はよく熱した油でさっと炒めて、いったんボールに取り置きあとでシシトウと合わせる。シシトウは油でしなしなになるまで炒める。カキ油と砂糖醤油で味付け、最初に日本酒を小さじ1で香り付け。アルコールは飛ばす。お皿にがばっと盛る。続いて鶏の胸肉を5ミリくらい幅に切る。中華鍋は十分に熱して、ごま油で炒める。まだ芯に火が通っていないくらいで引き上げる。皮ごと千切りにしておいたニンジンと新ショウガを炒める。何となく火が通ったら鶏肉を混ぜて塩をさっとふる。最後に酢をたっぷりとかけてお皿にこんもりと盛る。妻が作ってくれていたナス焼きとキュウリの即席漬けも並べて、ご飯をかっ込む。で、15分。空腹の子どもも妻も気づけば気持ちも凪模様の僕も、なんとなくセーフの気持ち。
山形に来て2年間、あれほど杉並で振っていた中華鍋をほとんど使わなくなっていた。山形の食材の雰囲気に合わないだとか、和食を求める水なんだとか、思いつきでいい加減なことをたくさん考えたが、要は食べてくれる人がいるかいないか、ただそれだけの問題なのだと思った。中華料理は基本的にそういう設計思想のもとに作られ続け、食べられ続けてきた食事なのだ。
山形に来て2年間、あれほど杉並で振っていた中華鍋をほとんど使わなくなっていた。山形の食材の雰囲気に合わないだとか、和食を求める水なんだとか、思いつきでいい加減なことをたくさん考えたが、要は食べてくれる人がいるかいないか、ただそれだけの問題なのだと思った。中華料理は基本的にそういう設計思想のもとに作られ続け、食べられ続けてきた食事なのだ。
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