仕事、抱え込みすぎな状態になっておるな、と本日、他人事のように発見した。本来抱え込みがちな性分なので、そうならないように気をつけてはいるつもりだったけども、こなさなければならない仕事量が増えると、こなすために抱え込みの穴にはまりこむ罠。体のシグナルとまでは行かなくとも、ほら、ブログの更新が異様に低下しているところから見ても、なんか違うぞと思うべきであった。仕事を開く方法を考えねば。抱え込みながら達成した高い結果と、抱え込まずに達成した低い結果は、間違いなく低い結果の方に大きな意味があると思おう。高いが意味がない結果があるんだということを強く思おう。抱え込みの穴にはまりこまないために。
・他人への不満が増える
・〆切ギリギリの仕事が増える
・理不尽な状況への沸点が下がる
・自分が回さないと回らないかもと思いこむ
・やりたいこととやらなければならないことの違いが判断しにくくなる
こういうことって、大丈夫なときは全然どうとも思わない。大丈夫じゃないときは気づけない。だから大丈夫なときと、大丈夫じゃないときの端境期でないと、気づけないことなのかも。これをサインだと思おう。
自分が出しているサインではないものに、「何となく周りの人の目線が優しくなる」というのを挙げておきたいけど、まあオチにはならんな。
・他人への不満が増える
・〆切ギリギリの仕事が増える
・理不尽な状況への沸点が下がる
・自分が回さないと回らないかもと思いこむ
・やりたいこととやらなければならないことの違いが判断しにくくなる
こういうことって、大丈夫なときは全然どうとも思わない。大丈夫じゃないときは気づけない。だから大丈夫なときと、大丈夫じゃないときの端境期でないと、気づけないことなのかも。これをサインだと思おう。
自分が出しているサインではないものに、「何となく周りの人の目線が優しくなる」というのを挙げておきたいけど、まあオチにはならんな。
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