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「一杯飲めや」と「この本に敬意を示して」

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄(上)』(→amazon)を読んでいる。ヨーロッパ人が他の大陸をどうして征服できたのかを考察するモデルとして、スペイン人ピサロによるインカ帝国の征服が取り上げられている。アタワルパはじめ、インカ帝国の人たちがピサロにあっさり騙されるあたり、バレバレの罠にインカのひとたちはどんな風に理解してはまったんだろうと疑問に思う。で、そういえば岩波文庫でティトゥ・クシ・ユパンギ『インカの反乱 被征服者の声』(→amazon)があったなと思い、パラパラっと。

ジャレド・ダイアモンドの本にあるように、インカ人は文字のない文化であるために情報戦において圧倒的に負けていた。スペイン人が永続的に自分たちの支配者たろうと考えているとは思わなかったし、南北アメリカ大陸でヨーロッパ人の来襲のために何が行われているか知らなかったし、そのようなこともあってスペイン人の軍事力をまったく理解していなかった。

端的にいえば、アタワルパがスペイン側の軍事力についてほとんど情報を持っていなかったということである。アタワルパは、海岸から内陸にむかう途中のピサロを二日間訪れた彼の使節から口伝えで少しばかりの情報を得ているが、その使節にしても、いちばん混乱しているときのスペイン側を見ただけで、彼らは戦士とはいえないとアタワルパに報告している。二百人の兵士を出してもらえれば、スペイン側の全員を縛り上げられるとアタワルパに告げているのだ。このような報告を受けていたため、アタワルパは、スペイン側が恐るべき力を持っていることをまったく理解しておらず、挑発さえしなければ彼らは攻撃してこないと思い込んでいたのである。(ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄(上)』,p.117)

文字に情報を記録すれば、口伝えよりも多くの情報をより正確に蓄積することができる。またその情報を地理的にも時間的にも遠く離れたところへ渡すことができるので、それが戦略において優位な立場を作り出す要因になる。文字を使うスペイン人を観察したインカ側の記述は、こうだ。アタワルパの弟、マンゴ・インカ・ユパンギにインカ人の使者がスペイン人について報告する。

主君。間違いなく、彼らはビラコチャ(njm注:インカにとっての神様)であります。と申しますのも、彼らは風に乗ってやって来たと告げておりますし、また、たいそう立派なひげをたくわえ、肌は白く、銀の食器で食事をしているからでございます。(中略)さらに、私どもは、彼らが白い布切れを手にして独り言を呟いたり、誰ひとり何も言っていないのに、ただ目の前にあるその布切れを見ただけで、私どもの仲間の名前をいくつか、間違わずに呼んでいる光景を目の当たりにしたのであります。(ティトゥ・クシ・ユパンギ『インカの反乱 被征服者の声』pp.29-30)

この「白い布切れを手にして独り言を呟いたり、誰ひとり何も言っていないのに、ただ目の前にあるその布切れを見ただけで、私どもの仲間の名前をいくつか、間違わずに呼んでいる」ことの未知の情報伝達方法は彼らの理解を超えたものであったために、あっさりと宗教的な理解のなかに落とし込まれてしまった。文字を持つか持たないかはは論理的思考の発生と関わる。ということは、コミュニケーション上のプロトコルに関わってくる。よく言われるように、文字を持つ文化においては、文字は権威を持つ。情報が詰め込まれているという意味でもそうだし、リテラシーは人間の歴史においては一部の特権階級のものであったからという意味でも(ジャレド・ダイアモンドのおそらく結論と関わる言い方でいえば、農耕社会では蓄積と管理のために文字が生まれた。蓄積は分業をシステムにし、階級を生み出した。管理する階級は文字を効率的に使った)、そうだと言える。また宗教によっては文字が聖性の代理となることがある。スペイン人とインカ人の出会いでも、この点でプロトコルが異なっていた。

伯父(njm注:アタワルパのこと)はふたりを大歓迎し、黄金の盃にわれわれが常用している飲み物を注ぎ、そのうちのひとりに差し出した。ところが、そのスペイン人は伯父から盃を受け取るとすぐ、飲み物をぶちまけたので、伯父は激怒した。そのことがあってから、ふたりのスペイン人は伯父に、神と国王のことが記されたキルカだと言って、手紙か書物のようなものを見せたが、私にはそれが何であったのか、わからない。すると、伯父は、スペイン人がその前にチチャという名のわれわれの飲み物をぶちまけたことで、彼らに侮辱されたと思っていたので、手紙のようなものを手に取るや、その場に投げ捨ててこう叫んだ。『これが何だと言うのだ。とっとと出ていけ』。(ティトゥ・クシ・ユパンギ『インカの反乱 被征服者の声』p.23)

手紙か書物のようなもの、という認識はヨーロッパ世界と出会い、それを知ってから回想しながらこれが書かれているから表現できていることであって、文字を持たない文化にとってはそもそれが何であるか分からないはずだ。ところがこれは、キリスト教が植民地の版図を広げるときに必ず用いた聖書だった。スペイン側の感覚は次のとおり。

するとアタワルパが、聖書を見せるように命じたので、バルベルデは閉じたままそれを渡した。アタワルパはどうやってそれを開くのかがすぐにわからなかった。そこで神父が開いてやろうとして手をのばした。それを見てアタワルパは激怒し、神父の腕を振り払い、聖書を開かせようとしなかった。やがて彼は自分で聖書を開いた。しかし、聖書の紙や文字に驚くどころか、少し離れたところに投げ捨ててしまった。そのとき彼の顔面は真っ赤に紅潮していた。バルベルデ神父はピサロのところに引き返し、つぎのように叫んだ。『クリスチャンたちよ!出てくるのだ!出てきて、神の御業をしりぞけた犬どもと戦うのだ!あの暴君は私の、聖なる教えの本を地面に投げ捨てた。あなたたちは何が起きたか見たであろう。(下略)』(ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄(上)』p.106)

このピサロ側の記述がどの資料に基づいて描かれているのかは明らかにされていないが、感覚としては事実とそう違わないだろう。侵略と教化のためとはいえ、聖なる言葉が記されている本を乱暴に扱ったことが、直情的な怒りを導いたことは想像に難くない。インカ側は「まあ一杯飲めや」、スペイン側は「聖なる書物に敬意を示せ」をコミュニケーションの初歩と位置づけようとしたわけだ。

こうしてみるとインカとスペインの不幸な出会いは、文字を持たない声オリエンテッドな文化と、そうでない文化のディスコミュニケーションが際立った一瞬である、とも位置づけることができる。冒頭の、あっさり騙されたインカ人の問題も、おそらくここに帰着する。いわゆる声の文化では、言葉は文字と違って読み直すことができないので、その一回性のなかで、文字の文化よりもずっと大事な意味を持つ。つまり、虚偽の言葉は通常あってはならないものであって、交渉の中で戦略的に虚偽の言葉を使うことは、おそらく倫理的な制限が相対的に強く現れるはずだ。

* * * * *

本全体の感想は別の機会に。まだ読み終わってないし。

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