まだ一年は終わっていませんが、明日は実家に戻るのでここで一区切りです。
今年度はいろいろよく分かんない感じでした。ひとつは前期に関東で非常勤講師をやったこと。いい経験にはなったけど、ずいぶんめまぐるしかった。そして何より震災の影響、とくに放射線の話は脳に常駐していて、ほとんど何も解決していない今、当然のことながらすっきりしてはいない。何をしていても、次の3つを気にしていた。気がつくと検索していたり記事をたどっていたりして、夜などはあっという間に時間を食い尽くす。
・福島第一の事態把握
・放射線の人体への影響
・山形の放射線量
放射線被曝の話は誰もが考えて、かつ表現して良い話なのに、それによって生じる物理的・心理的な集団の分断なども、重たい問題として常に頭の中にあった。口に出したいけれど、出してどうなる?という自問が口を開くことをどこか押しとどめている。
山形は地震津波にしても放射線にしても激甚被災地に近いわりに被害が少ないので、被害の多少が分断の話に容易に結びついてしまう危険性が常にある。早川さんの発言などは、このブログでも時折話題にするイマココ性からいえば明らかに分断を生み出すという点でたしかに問題なのだけど、彼の偽悪的かつ露悪的な物言いは長期的に問題だと誰も言えないのではないか云々。物を言えば大なり小なり分断は起こるものであって、できるだけ分断を起こさない物言いを心がけることは必要であっても、だからといって慎重さを装って静かにポジション確保に勤しむのも嫌なものだった。このあたりはどれくらい逡巡したか知れない。
じゃあきちんと自分の社会的立ち位置から発言できたかというとそうでもなく、やっぱり少なくとも自分の中で落とし所はそれなり決めた上でないと決断して発言するのは難しい。
職場の方も大なり小なり被害を受けているわけで、それへの対応が時間と体力を削り取っていたのもあった。しかし通常の業務の中に震災や放射線とは別の、とにかく通常の業務の体裁をなして忍び込んでいるので、ただいつもの仕事が増えたかのようにぼんやりと感じる自分がいて、いやそうではないだろうとたまに目が覚める。
まあこんな感じなので仕事はたくさんこなしたように思うが、質の方は全般的に粗悪だったとも思う。自分の専門の研究は思わしくなかったし、仕事も空回っていたかな。なんかもう今の職場に来て、こんだけ仕事として何をやったのか見えてこない、手応えのない一年はなかった。来年はもうちょっと笑って、前向きな仕事をたくさんやりたいなあ。
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