先日、山形方言についてちょっと語ることがあって、そこで得た情報のメモ。
山形県村山地方には火葬場のことを「らんば」と古くは言う。それが新しくは標準語の流入を受け、「火葬場」と言い換えられるようになった。概略的にはそういうことなんだけども、色々お話を伺うと、過渡的に「らんば」と「火葬場」には意味内容に応じた使い分けがあったという。「火葬場」というのは街中にあって(高火力で)遺体を焼く炉を持つ企業が経営している施設、「らんば」は集落の外れに塀で囲まれていて、集落のメンバー数名で交代交代で焼き加減を見ていくような私的領域にある施設、と言い分けていた時期があるらしい。
新語形が流入したときに、旧語形の意味が限定されたり、意味の役割分担が生ずることの好例。教科書的には、東日本に西日本から「しあさって」が流入したときに、明明後日を意味する「やのあさって」がもう一日先を示す意味にずれてしまったという例があるけれど、「らんば」「火葬場」にも同じ現象があったみたい。ただ、集落の外れにある「らんば」は事物自体が消滅してしまったので、役割分担をしたはいいが、結局言葉ごと消えてしまいつつある。
通常、我々が知らない言葉を理解する時、知っているもので言い換えたり喩えたりするけれど、それが必ずしも同じ概念を指し示すとは限らない。僕も、なんとなく「らんば」をメモリアルホールとかに併設されている焼き場みたいな感じでイメージしていた。それでは「らんば」と「火葬場」の違いは分かりようもない。やっぱり、その事物が具体的にどんなものか聞いてみないと見落とすことはたくさんあるものだ。
山形県村山地方には火葬場のことを「らんば」と古くは言う。それが新しくは標準語の流入を受け、「火葬場」と言い換えられるようになった。概略的にはそういうことなんだけども、色々お話を伺うと、過渡的に「らんば」と「火葬場」には意味内容に応じた使い分けがあったという。「火葬場」というのは街中にあって(高火力で)遺体を焼く炉を持つ企業が経営している施設、「らんば」は集落の外れに塀で囲まれていて、集落のメンバー数名で交代交代で焼き加減を見ていくような私的領域にある施設、と言い分けていた時期があるらしい。
新語形が流入したときに、旧語形の意味が限定されたり、意味の役割分担が生ずることの好例。教科書的には、東日本に西日本から「しあさって」が流入したときに、明明後日を意味する「やのあさって」がもう一日先を示す意味にずれてしまったという例があるけれど、「らんば」「火葬場」にも同じ現象があったみたい。ただ、集落の外れにある「らんば」は事物自体が消滅してしまったので、役割分担をしたはいいが、結局言葉ごと消えてしまいつつある。
通常、我々が知らない言葉を理解する時、知っているもので言い換えたり喩えたりするけれど、それが必ずしも同じ概念を指し示すとは限らない。僕も、なんとなく「らんば」をメモリアルホールとかに併設されている焼き場みたいな感じでイメージしていた。それでは「らんば」と「火葬場」の違いは分かりようもない。やっぱり、その事物が具体的にどんなものか聞いてみないと見落とすことはたくさんあるものだ。
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