一関ネタでもうひとつ。一関市から前沢に向かう途中で右手に「束稲山(たばしねやま)」というのが見える(→束稲山 - Wikipedia)。「稲」を「しね」とはこれいかに、というわけだが、日本国語大辞典第2版を見ると次のようにある。
として、以下、日本書紀など上代の用例が並ぶ。
ところで、日本語の歴史で上代語を概説するときに、「和語は母音の連続を嫌う」というネタを扱う。一般的に文化的な成熟に向かうにつれて語彙が増加するときに、音節数が短い単純語を複合させ多様化する方法を取る。日本語も例外ではないわけだが、複合に際して、後続する単純語頭が母音である場合、母音の連続が生じてしまう。和語は母音の連続を嫌う。これを回避するパターンは(1)片方の母音を脱落させる「わが+いも>わぎも」、(2)母音を融合させる「なが+いき>なげき」、(3)子音を挿入する「はる+あめ>はるさめ」の3通りである、と説明するのがほとんどの概説書の定石である。冒頭の「束稲」が(3)に列される一例であることは、「しね」という形がつねに複合語の後部成素をなすことからも解るだろう。上代語の研究者にはおなじみの例かもしれないが。
ただ、(3)子音を挿入する例はどの概説書も用例が少ない。「こさめ」「ながさめ」「むらさめ」などはあるが、「あめ」以外の例はほとんど紹介されない。「ま+あお>まっさお」もあるにはあるが、中世以降の例とされる。またそもそも何故にsが挿入されるのか、kでは駄目なのかといったことは説明されないのが普通である。ということはこの回避方法は何らかの理由で生産的ではないか、あるいはそもそも回避の分類に入れてよいのだろうか、と考えたくなる。
このあたりの問題は、僕が知るうちでは、亀井孝「『ツル』と『イト』―日本語の系統を考へる上の参考として―」国語学16,1954(→PDF,雑誌「国語学」全文データベースより)に一説がある。直接PDFを参照できるなんて便利な時代!
概説書で勉強した口にはこれはドキッとする指摘だった。誰かこの問題を引き受けた後続の研究者はいるのだろうか。亀井はsを伴う形のほうが元の形であるという。さらに亀井はsを伴う形は古代朝鮮語に由来があるという可能性を提示している。ただ、シネ、サメは複合語の後部成素にのみその古い形を残しているのに対し(複合語のなかに化石的に古形が残存することはある)、スウ、スツはそうでもないというあたりは整合的に説明できないので、どうだろうとは思う。ともあれ、このあたりの問題は比較言語学的な手法が適用されない領域なのですぐにトンデモに傾き得る。立ち入るにしてもほどほどにしておくのが定石だろう(笑)。
稲(いね)のこと。「荒稲(あらしね)」「和稲(にきしね)」など、多くは他の語の下に付いて熟語を作るときに用いる。(以下略)
として、以下、日本書紀など上代の用例が並ぶ。
ところで、日本語の歴史で上代語を概説するときに、「和語は母音の連続を嫌う」というネタを扱う。一般的に文化的な成熟に向かうにつれて語彙が増加するときに、音節数が短い単純語を複合させ多様化する方法を取る。日本語も例外ではないわけだが、複合に際して、後続する単純語頭が母音である場合、母音の連続が生じてしまう。和語は母音の連続を嫌う。これを回避するパターンは(1)片方の母音を脱落させる「わが+いも>わぎも」、(2)母音を融合させる「なが+いき>なげき」、(3)子音を挿入する「はる+あめ>はるさめ」の3通りである、と説明するのがほとんどの概説書の定石である。冒頭の「束稲」が(3)に列される一例であることは、「しね」という形がつねに複合語の後部成素をなすことからも解るだろう。上代語の研究者にはおなじみの例かもしれないが。
ただ、(3)子音を挿入する例はどの概説書も用例が少ない。「こさめ」「ながさめ」「むらさめ」などはあるが、「あめ」以外の例はほとんど紹介されない。「ま+あお>まっさお」もあるにはあるが、中世以降の例とされる。またそもそも何故にsが挿入されるのか、kでは駄目なのかといったことは説明されないのが普通である。ということはこの回避方法は何らかの理由で生産的ではないか、あるいはそもそも回避の分類に入れてよいのだろうか、と考えたくなる。
このあたりの問題は、僕が知るうちでは、亀井孝「『ツル』と『イト』―日本語の系統を考へる上の参考として―」国語学16,1954(→PDF,雑誌「国語学」全文データベースより)に一説がある。直接PDFを参照できるなんて便利な時代!
わたくしは、イネ⇔シネ(稲) アメ⇔サメ(雨) ウウ⇔スウ ウツ⇔スツ エ⇔セ(兄)の如き例におけるサ行立自のあるなしについてサ行音の現らわれない形の方を、サ行音の脱落したものと考へる。これに対しては、サ行子音の方が、サ行音の現れない形の方に添加されたものとみようとする説が、西洋にも日本にもあるが、わたくしは、それを取らない。(p.11)
概説書で勉強した口にはこれはドキッとする指摘だった。誰かこの問題を引き受けた後続の研究者はいるのだろうか。亀井はsを伴う形のほうが元の形であるという。さらに亀井はsを伴う形は古代朝鮮語に由来があるという可能性を提示している。ただ、シネ、サメは複合語の後部成素にのみその古い形を残しているのに対し(複合語のなかに化石的に古形が残存することはある)、スウ、スツはそうでもないというあたりは整合的に説明できないので、どうだろうとは思う。ともあれ、このあたりの問題は比較言語学的な手法が適用されない領域なのですぐにトンデモに傾き得る。立ち入るにしてもほどほどにしておくのが定石だろう(笑)。
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