まもなく6歳になる娘が一生懸命カタカナを書こうとしている。「かくれたもじをさがせ!」なんて、あまりにタイムリーな冊子。父はついいましがた、そういう本を読み終えたところです。
*****
ヒッタイト、ヒエログリフ、線文字Bといった古代文字解読のエピソードに軒を連ねるマヤ文字解読。ひとつ前のエントリに紹介したような文字の一般的性質を手がかりにしながら、言語学者が考古学者と手を結んで文字を解読した物語を紹介したのが、マイケル・D・コウ『マヤ文字解読』(→amazon)だ。こちらは本物の「かくれたもじ(の読み)をさがせ!」である。この訳書は2003年に出版されている。
マヤ文字が表語文字と音節文字の混在したもの、とは言語学の概説書にもある。しかしたとえば僕が小さな頃の古代文明本には未解読の文字とされていたような記憶が、うっすらとある。手元にある『世界言語文化図鑑 世界の言語の起源と伝播』(→amazon)にははっきりとマヤ文字の音節表が示されているが、これは1999年の訳書で、英語版の原書"The Atlas of Languages"(→amazon)は1997年の発行だ。大人になってからこの本を読んで、未解読ではなかったのかと思ったことを覚えている。が、『マヤ文字解読』を読めば解るように、音節文字として体系的に解読されるようになったのは1952年の論文以降のことだそうだし、研究のモードが本格的にそちらに移行したのは1970年代以降のことらしい。後に触れるように、マヤ文字を表音文字と見るか否かについては熾烈な論争があり、表音文字否定派の重鎮が1975年になくなるまで概説書に表音性が記されることは難しかっただろうと思われる。なお、學藝書林から出ている邦訳『マヤ文字』は1996年出版。マヤ文字の解読が世間に認知されるようになったのは、日本社会ではごく最近のことと見て間違いないようだ。
マヤ文字の音節表はネット上にもすでにあふれていて、僕のような好事家(とオカルトマニアも多いみたい)の多さを物語る。例えば、Mayan hieroglyphic script and languagesなどには『マヤ文字解読』巻末よりも多くの文字が収められている(この10年の進展か)。音の同定の際に参考にされた、ユカテカ系マヤ語の音素目録もこちら(Yucatec Maya language, alphabet and pronunciation)に。ここに挙げられるのは音節文字ばかりだが、実際には表語文字の方がバリエーションも多く、未解読のものも多いそうだ。以下、wikipediaで見つけたマヤ文字の写真を少し。
(Maya stucco glyphs diplayed in the museum at Palenque, MexicoFile:Palenque glyphs-edit1.jpg - Wikipedia, the free encyclopedia)
(マヤの放血儀礼,ファイル:Mayapanel.JPG - Wikipedia)
*****
全11章構成の本書を読めば、おおむねどのようにマヤ文字が研究されてきたかが分かる。後半からは考古学と言語学の共同作業による成果がメインだが、前半では言語学が阻害されてきた歴史が述べられている点が興味深い。1800年代の人文学では必ずしも言語学が軽視されていたわけでもなかろうが、当初はマヤ文字は象徴記号のようなもので、音声としては読めないとされていた。このあたり学会ゴシップみたいな話もあり、コウが書くように素直に言語学による分析が受け入れられていたら40年は早く解読が進んだろうとしている。排除された言語学者にはniji wo mitaでお馴染みのウォーフもいる。1933年に先見の明である 表音性を謳った論文を書くも見事に蹴散らされていて、あれだけの言語学者でも愚衆政治的な人海戦術には負けてしまうんだなあと思ってしまった。
マヤ文字解読の功績は、ヒエログリフ解読のシャンポリオンや線文字B解読のヴェントリスといった一人の大天才によるものではなく、学問の精密な積み重ね自体ががもたらしたという点も読んでいてワクワクする。未知なるものに相対して知恵を結集し仮説を積み上げ検証していく様は、研究業界に片足を突っ込む人間なら誰しも胸躍るものと思う。いや、僕が重箱の隅をつつく系の研究、真実が細部に宿る(と信じたい)系の領域といっても良い、をしているからかもしれない。
最後にマヤ文字に対する所感だが、本書でも何度か触れられるように、やはり日本語の書記体系に似ている。表語文字=漢字と音節文字=仮名を用いるという点で特にそうだと言える。時に表語文字を音声的に用いてみたりするところは万葉仮名の発想とも言えるし、判じ絵(リーバス)は有名な戯訓(→万葉集の「戯書」(戯訓))を想起させる。音を分かりやすく示すために「送り仮名」や「捨て仮名」を用いるところは、歴史文献を扱う研究者なら既視感ありありだと思う。
日本ではこのところ文字研究も盛んだが、文字の一般的な性質について述べた概説書を読んだことがない。僕がこの方面に暗いこともあろうが、日本の文字研究はいまがモードであるのは確かである。ネットで検索するとそのモードとは関係ないところで概説的な記述を見ることができる(→文字の体系と文字解読の原理、というかこのPDFも『マヤ文字解読』を参照しているくらいに新しい)。なんでこんなことを書くかというと、『マヤ文字解読』に見慣れないテクニカルターム「多価性」というのが繰り返し出てくるからである。三省堂『言語学大辞典』にも出てこない。『マヤ文字解読』の用語解説(p.425)には「多価性 polyvalence ひとつの文字が複数の異なる音価や意味を持つこと」とある。漢字に複数の読みがあることを思えば、日本語母語話者には当たり前すぎる感覚だが、文字論の世界では立てておかねばならない重要な柱のようだ。日本語母語話者が20世紀初頭に発掘現場にいたら、また違った「かくれたもじ」解読の歴史がありえただろうか。
*****
ヒッタイト、ヒエログリフ、線文字Bといった古代文字解読のエピソードに軒を連ねるマヤ文字解読。ひとつ前のエントリに紹介したような文字の一般的性質を手がかりにしながら、言語学者が考古学者と手を結んで文字を解読した物語を紹介したのが、マイケル・D・コウ『マヤ文字解読』(→amazon)だ。こちらは本物の「かくれたもじ(の読み)をさがせ!」である。この訳書は2003年に出版されている。
マヤ文字が表語文字と音節文字の混在したもの、とは言語学の概説書にもある。しかしたとえば僕が小さな頃の古代文明本には未解読の文字とされていたような記憶が、うっすらとある。手元にある『世界言語文化図鑑 世界の言語の起源と伝播』(→amazon)にははっきりとマヤ文字の音節表が示されているが、これは1999年の訳書で、英語版の原書"The Atlas of Languages"(→amazon)は1997年の発行だ。大人になってからこの本を読んで、未解読ではなかったのかと思ったことを覚えている。が、『マヤ文字解読』を読めば解るように、音節文字として体系的に解読されるようになったのは1952年の論文以降のことだそうだし、研究のモードが本格的にそちらに移行したのは1970年代以降のことらしい。後に触れるように、マヤ文字を表音文字と見るか否かについては熾烈な論争があり、表音文字否定派の重鎮が1975年になくなるまで概説書に表音性が記されることは難しかっただろうと思われる。なお、學藝書林から出ている邦訳『マヤ文字』は1996年出版。マヤ文字の解読が世間に認知されるようになったのは、日本社会ではごく最近のことと見て間違いないようだ。
マヤ文字の音節表はネット上にもすでにあふれていて、僕のような好事家(とオカルトマニアも多いみたい)の多さを物語る。例えば、Mayan hieroglyphic script and languagesなどには『マヤ文字解読』巻末よりも多くの文字が収められている(この10年の進展か)。音の同定の際に参考にされた、ユカテカ系マヤ語の音素目録もこちら(Yucatec Maya language, alphabet and pronunciation)に。ここに挙げられるのは音節文字ばかりだが、実際には表語文字の方がバリエーションも多く、未解読のものも多いそうだ。以下、wikipediaで見つけたマヤ文字の写真を少し。
*****
全11章構成の本書を読めば、おおむねどのようにマヤ文字が研究されてきたかが分かる。後半からは考古学と言語学の共同作業による成果がメインだが、前半では言語学が阻害されてきた歴史が述べられている点が興味深い。1800年代の人文学では必ずしも言語学が軽視されていたわけでもなかろうが、当初はマヤ文字は象徴記号のようなもので、音声としては読めないとされていた。このあたり学会ゴシップみたいな話もあり、コウが書くように素直に言語学による分析が受け入れられていたら40年は早く解読が進んだろうとしている。排除された言語学者にはniji wo mitaでお馴染みのウォーフもいる。1933年に先見の明である 表音性を謳った論文を書くも見事に蹴散らされていて、あれだけの言語学者でも愚衆政治的な人海戦術には負けてしまうんだなあと思ってしまった。
マヤ文字解読の功績は、ヒエログリフ解読のシャンポリオンや線文字B解読のヴェントリスといった一人の大天才によるものではなく、学問の精密な積み重ね自体ががもたらしたという点も読んでいてワクワクする。未知なるものに相対して知恵を結集し仮説を積み上げ検証していく様は、研究業界に片足を突っ込む人間なら誰しも胸躍るものと思う。いや、僕が重箱の隅をつつく系の研究、真実が細部に宿る(と信じたい)系の領域といっても良い、をしているからかもしれない。
最後にマヤ文字に対する所感だが、本書でも何度か触れられるように、やはり日本語の書記体系に似ている。表語文字=漢字と音節文字=仮名を用いるという点で特にそうだと言える。時に表語文字を音声的に用いてみたりするところは万葉仮名の発想とも言えるし、判じ絵(リーバス)は有名な戯訓(→万葉集の「戯書」(戯訓))を想起させる。音を分かりやすく示すために「送り仮名」や「捨て仮名」を用いるところは、歴史文献を扱う研究者なら既視感ありありだと思う。
日本ではこのところ文字研究も盛んだが、文字の一般的な性質について述べた概説書を読んだことがない。僕がこの方面に暗いこともあろうが、日本の文字研究はいまがモードであるのは確かである。ネットで検索するとそのモードとは関係ないところで概説的な記述を見ることができる(→文字の体系と文字解読の原理、というかこのPDFも『マヤ文字解読』を参照しているくらいに新しい)。なんでこんなことを書くかというと、『マヤ文字解読』に見慣れないテクニカルターム「多価性」というのが繰り返し出てくるからである。三省堂『言語学大辞典』にも出てこない。『マヤ文字解読』の用語解説(p.425)には「多価性 polyvalence ひとつの文字が複数の異なる音価や意味を持つこと」とある。漢字に複数の読みがあることを思えば、日本語母語話者には当たり前すぎる感覚だが、文字論の世界では立てておかねばならない重要な柱のようだ。日本語母語話者が20世紀初頭に発掘現場にいたら、また違った「かくれたもじ」解読の歴史がありえただろうか。
コメント