niji wo mita: 韓国のブーちゃんノートで触れたブーちゃんいのは「노ー트(ノート)」の表記について、韓国語に詳しい同僚に色々調べていただいたところ、いわゆる日帝時代のちょっとした遺産であることが分かった。
朝鮮語学小辞典 - 諺文綴字法によれば、1930年に定められた朝鮮総督府のハングル正書法(諺文綴字法,リンク先では「テイジホウ」とあるが「テツジホウ」では?)に、日本語経由の欧米外来語の表記について記述がある。
朝鮮半島に残存する日帝時代の日本語にどのようなものがあるのか全く知らないが、少なくとも「ノート」のような、朝鮮語のリズム体系でうまく受け止められない単語は、どのように表記するか困ったにちがいない(ただし韓国語素人の僕には、ソウル方言老年層に残存するという母音の長短の区別が、引音の「ー」をどうして受け止めなかったのかについては疑問に感じられる)。もしかすると、ハングル正書法が繰り返し改訂される中で、朝鮮語の音韻体系からするとかなり例外的なこの音を、ハングルの記号体系で受け止める工夫を考えるよりも借り物の記号で臨時的に処理した方が楽だと考えることもあったのかもしれない。
と、勝手な妄想を楽しげに開陳してしまうのも言語研究者のサガであるとお許しいただくとして(誰にだよ)、1945年以降の解放後もこの表記が残るのが興味深い。これまた同僚に教えていただいた공책역사 추억속으로.....(エキサイト翻訳:ノート歴史思い出の中に)によれば、中程にある、赤いノート(エキサイト翻訳によればアリランノート)でも「노ー트(ノート)」という表記が見られる。1950-60年代のものとある。さらに下の方まで見ていくと、日本のロボットアニメ、キャシャーンなどがあしらわれた1970年代のノートが出てくるが、ここにも「노ー트(ノート)」が見られる。以降のものからは、少なくともここに挙がっているノート、及び僕の眼力では件の表記は見あたらない。
同僚および韓国からの留学生にたずねてみると、体験としては日常的に外来語「노ー트(ノート)」あるいは「노트(ノト)」はあまり使わず、固有語「공책(コンチェク)」を用いることが多いという。敢えて外来語でいえば「노트(ノト)」であり、すでに「ー」を用いた表記も発音のしかたも失伝していると考えて良いだろう。この間の経緯を知ることは僕にはできないが、正書法改訂にともなうかつての表記遺産「ー」の廃止と、急には止まれない社会慣習的な「ー」の使用のダブルスタンダードな時期を経て、おそらくは新たに現れた固有語「공책(コンチェク)」という言い方に呼称の座を奪われ、そうこうするうちに「ー」が完全に失伝したのではないだろうか。
* * * * *
この話にこれだけくらいついてしまったのは、ちょうど授業で台湾植民地時代前後の、日本語・台湾語(および国民党以前の諸語)・北京語によるダイグロシアの変遷を取り扱っていて、同じく植民地であった朝鮮半島の事情が、たまたまインサドンで購入したボロノートからかいま見えてしまったからなのであった。
朝鮮語学小辞典 - 諺文綴字法によれば、1930年に定められた朝鮮総督府のハングル正書法(諺文綴字法,リンク先では「テイジホウ」とあるが「テツジホウ」では?)に、日本語経由の欧米外来語の表記について記述がある。
3.6. 日本語表記規定
「ス,ツ」を「스,쓰」と表記する点は韓国の現行の日本語表記法と軌を一にしている。その一方で,濁音の表記に「ᅁ(ガ行),ᅅ(ザ行),ᅂ(ダ行),ᅄ(バ行)」といった特殊な表記法を用いたり,長母音の表記に日本語の表記と同様に音引き「ー」を用いたりした。 (上記「諺文綴字法」による)
朝鮮半島に残存する日帝時代の日本語にどのようなものがあるのか全く知らないが、少なくとも「ノート」のような、朝鮮語のリズム体系でうまく受け止められない単語は、どのように表記するか困ったにちがいない(ただし韓国語素人の僕には、ソウル方言老年層に残存するという母音の長短の区別が、引音の「ー」をどうして受け止めなかったのかについては疑問に感じられる)。もしかすると、ハングル正書法が繰り返し改訂される中で、朝鮮語の音韻体系からするとかなり例外的なこの音を、ハングルの記号体系で受け止める工夫を考えるよりも借り物の記号で臨時的に処理した方が楽だと考えることもあったのかもしれない。
と、勝手な妄想を楽しげに開陳してしまうのも言語研究者のサガであるとお許しいただくとして(誰にだよ)、1945年以降の解放後もこの表記が残るのが興味深い。これまた同僚に教えていただいた공책역사 추억속으로.....(エキサイト翻訳:ノート歴史思い出の中に)によれば、中程にある、赤いノート(エキサイト翻訳によればアリランノート)でも「노ー트(ノート)」という表記が見られる。1950-60年代のものとある。さらに下の方まで見ていくと、日本のロボットアニメ、キャシャーンなどがあしらわれた1970年代のノートが出てくるが、ここにも「노ー트(ノート)」が見られる。以降のものからは、少なくともここに挙がっているノート、及び僕の眼力では件の表記は見あたらない。
同僚および韓国からの留学生にたずねてみると、体験としては日常的に外来語「노ー트(ノート)」あるいは「노트(ノト)」はあまり使わず、固有語「공책(コンチェク)」を用いることが多いという。敢えて外来語でいえば「노트(ノト)」であり、すでに「ー」を用いた表記も発音のしかたも失伝していると考えて良いだろう。この間の経緯を知ることは僕にはできないが、正書法改訂にともなうかつての表記遺産「ー」の廃止と、急には止まれない社会慣習的な「ー」の使用のダブルスタンダードな時期を経て、おそらくは新たに現れた固有語「공책(コンチェク)」という言い方に呼称の座を奪われ、そうこうするうちに「ー」が完全に失伝したのではないだろうか。
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この話にこれだけくらいついてしまったのは、ちょうど授業で台湾植民地時代前後の、日本語・台湾語(および国民党以前の諸語)・北京語によるダイグロシアの変遷を取り扱っていて、同じく植民地であった朝鮮半島の事情が、たまたまインサドンで購入したボロノートからかいま見えてしまったからなのであった。
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