が、山下達郎だけ、という僕としては異常事態である。だいたい3か月持たず飽きるのが常態である。どうやらRCA/AIR時代が一番好きだということが分かった。ライブ盤のJOY、Disk2が良いというexpopの話は嘘じゃなかった。レッツ・ダンス・ベイビーが素晴らしすぎる。そしてライブ終盤あたり、声がジョージ・マイケルみたいだなあと思う。歌い声が好きなんだなあ。
子どもが友人たちと「お尻はいくつか」という論争を楽しんだらしい。友人たちの意見が「お尻は2つである」、対してうちの子どもは「お尻は1つである」とのこと。前者の根拠は、外見上の特徴が2つに割れていることにある。後者の根拠は、割れているとはいえ根元でつながっていること、すなわち1つのものが部分的に(先端で)2つに割れているだけで、根本的には1つと解釈されることにある。白熱した「お尻はいくつか」論争は、やがて論争参加者の現物を実地に確かめながら、どこまでが1つでどこからが2つかといった方向に展開したものの、ついには決着を見なかったらしい。ぜひその場にいたかったものだと思う。 このかわいらしい(自分で言うな、と)エピソードは、名詞の文法範疇であるところの「数(すう)」(→ 数 (文法) - wikipedia )の問題に直結している。子どもにフォローアップインタビューをしてみると、どうもお尻を集合名詞ととらえている節がある。根元でつながっているということは論争の中の理屈として登場した、(尻だけに)屁理屈であるようで、尻は全体で一つという感覚があるようだ。つながっているかどうかを根拠とするなら、足はどう?と聞いてみると、それは2つに数えるという。目や耳は2つ、鼻は1つ。では唇は?と尋ねると1つだという。このあたりは大人も意見が分かれるところだろう。僕は調音音声学の意識があるので、上唇と下唇を分けて数えたくなるが、セットで1つというのが大方のとらえ方ではないだろうか。両手、両足、両耳は言えるが、両唇とは、音声学や解剖学的な文脈でなければ言わないのが普通ではないかと思う。そう考えれば、お尻を両尻とは言わないわけで、やはり1つととらえるのが日本語のあり方かと考えられる。 もっとも、日本語に限って言えば文法範疇に数は含まれないので、尻が1つであろうと2つであろうと形式上の問題になることはない。単数、複数、双数といった、印欧語族みたいな形式上の区別が日本語にもあれば、この論争には実物を出さずとも決着がついただろうに…。大風呂敷を広げたわりに、こんな結論でごめんなさい。尻すぼみって言いたかっただけです。
コメント
悲しみを微笑みに見事すり替える
鮮やかな術の オー、ベイビー!
地球では見られない妙な神秘さに虜になるんすよ!
ところで、ぼくが「レッツダンスベイビー」のイントロだとずっと思ってたのはなんと前曲の「メリーゴランド」の後半部分でしたw 確か会場が同じでつながるもんですから、レッツダンスベイビーだと勘違いしてた。イントロないじゃん!
かつてはテープで聞いてたもんですから……。最近レンタルしなおして気づきました。
最後の方に入っているライド・オン・タイムも、サビ前のあたりで心臓わしづかみされてもう死にそうです。