久しぶりの東京出張、国文学研究資料館に。母校に資料がないときは国会図書館に行くのが昨年までのお決まりコースだったが、今年から資料館がいい感じだ。使い勝手のよさとか、建物が新しいだとか、そういうのとは別にこの気持ちよさは何だろうと考えるに、何だかサービス業な感じがするのだ。考えてみれば大学図書館に慣れきっている身としては、さもありなんな気もする。普段から学生相手の図書館はどこか管理者っぽい雰囲気が、あるあるー。学生アルバイトだといい意味でも悪い意味でも、何だか気をつかっちゃうってこと、あるあるー。国会図書館はしばらく行ってないからどうだろう。数年前は、混むし管理者っぽい感じがあんまりよくなかったな(それでも資料がなければ最後は国会図書館)。いまは違うんだろうか。
資料館はともかくとしても、貴重書などは図書館によって取扱いが違うなあと思うことはある。もちろん、貴重書は図書館の持ち物であると同時に、文化財としてある種の敬意を払う。図書館側も文化財の管理者として、閲覧者を管理しようとするのは分かる。でも図書館は使ってもらうことで初めて意義を持つという根本的な役割があるわけで、だからこそ「閲覧してね、でもていねいにね」というメッセージが出てくるはずで、それ抜きにして管理者だけが前に立った「閲覧させてあげる」は微妙だなと思う。ってどこの図書館のことを言っているのか(笑)。
* * * * *
もう一つは立川だなー。やっぱり多摩丘陵で生まれただけあって、あのあたりの街作りも好きだ。自然の中に不自然な区画があって、大ぶりな建造物がどんどーんって。作られた「自然との共生」とかさ。メガロマンションには布団がいっぱい干してあって、とか。歴史とか文化という面では古い町にかなわないけれど、今進化してますみたいな、やってますよ俺たちみたいな雰囲気があるじゃないですか。
関東の高い空、熱泥のなかを歩むがごとき湿度の高い空気のぬめりとか、ここのところ山形での仕事に行き詰まりがちだったので、いいリフレッシュになったかも。「自然に戻る東北の旅」(つまり都市部には自然がない)とか相変わらずの都市目線に「人間に戻る東京の旅」(つまり地方には人権がない)と地方目線で戦うか。いや、冗談だからマジになんなって。
資料館はともかくとしても、貴重書などは図書館によって取扱いが違うなあと思うことはある。もちろん、貴重書は図書館の持ち物であると同時に、文化財としてある種の敬意を払う。図書館側も文化財の管理者として、閲覧者を管理しようとするのは分かる。でも図書館は使ってもらうことで初めて意義を持つという根本的な役割があるわけで、だからこそ「閲覧してね、でもていねいにね」というメッセージが出てくるはずで、それ抜きにして管理者だけが前に立った「閲覧させてあげる」は微妙だなと思う。ってどこの図書館のことを言っているのか(笑)。
* * * * *
もう一つは立川だなー。やっぱり多摩丘陵で生まれただけあって、あのあたりの街作りも好きだ。自然の中に不自然な区画があって、大ぶりな建造物がどんどーんって。作られた「自然との共生」とかさ。メガロマンションには布団がいっぱい干してあって、とか。歴史とか文化という面では古い町にかなわないけれど、今進化してますみたいな、やってますよ俺たちみたいな雰囲気があるじゃないですか。
関東の高い空、熱泥のなかを歩むがごとき湿度の高い空気のぬめりとか、ここのところ山形での仕事に行き詰まりがちだったので、いいリフレッシュになったかも。「自然に戻る東北の旅」(つまり都市部には自然がない)とか相変わらずの都市目線に「人間に戻る東京の旅」(つまり地方には人権がない)と地方目線で戦うか。いや、冗談だからマジになんなって。
コメント