上山の山奥にお呼ばれしてのバーベキューだった。バーベキュー自体あまり行くことがないので、バーベキューの相場がよく分からないのだが、昨日はちょっと風変わりなバーベキューだったように思う。農家の方が山奥に持っている農具用山小屋のネムノキの脇で、海外青年協力隊関係の方々を中心としたメンバーが勤務国で学んだ料理を持ち寄り、ブラジルご出身のかたがブラジルの流儀で肉を焼きまくり、畑で取れた野菜や果物を気が向くままにもいで食べる。ブラジルの流儀に従って、名古屋から箱で取り寄せた山のような肉。を、ブラジルの流儀に従って昼から夕方にかけて延々と食べつづけるものだそうだ(だそうだ、というのは農場主のおばあさんがうっかり焼き係に入ってしまったために、短時間でありったけの肉が焼かれてしまい、文字通り山になった眼前の肉を前に一同途方に暮れたため)。
折しも、東北地方に梅雨明け宣言が出た昼。じりじりと気温が上がるも、ネムノキの枝ぶりがよくて、夏の木陰がとても気持ちよかった。
* * * * *
ブラジルのかたに聞いた、日本の外国人差別の話が興味深かった。最初は大阪に住まわれたが、大阪は多文化社会であるゆえに同調圧力のようなものは少なかったそうだ。次に移り住んだ群馬県は、大泉を中心にブラジル移民街が形成されており、同胞の方が多いのだが、日系日本人との軋轢は結構あるらしい。体験談の中には、ちょっと信じられないような話もあった。山形ではどうかというと、ブラジルの方は少ないけれども、住みやすさは一番とのこと。移民の数とコミュニティ形成、コミュニティと居住地域の一致、などが日系日本人との軋轢に関わるのだろう。よく「ブラジル人は家族・親族で固まって住むためにコミュニティが形成されやすい」という言説を目にするが、コミュニティと居住地の一致に限って言えば、都市部ではそうとも言えないようだ。とすれば、受け入れる地方社会にも環境的要因があると考えるのが自然だろう。
たとえば地方は人口の流動性が都市部より低く、もともと人が住んでいない場所を開発してアパートや新興住宅地を造成する。もともと人が住んでいる住宅地には、新たに多数の人を受け入れる場所がない。この山形でもよく耳にするが、市街地周辺部のいわゆる「在郷」の地域の若い世代は地元では仕事が少なくて、市街地に移り住むとしたら、新たに宅地造成されたような場所が必然的に選ばれる。移民コミュニティも住むとしたら同じような場所が選ばれるわけで、コミュニティと居住地域が一致しやすいとのではないか。入り込める隙間がそこに固まって存在しているのであれば。
「在郷」の地域からやってきた日系日本人の場合はもともと持っていた文化を持ち込めないので、都市部に似た「薄い近所付き合い」が居住者同士の連携の基本となるだろう。これに対し、移民コミュニティの場合はもともとあったコミュニティが地域に持ち込まれるので、新しい場所に突如新文化圏が出現し、周辺との異文化摩擦が生ずるのだろう。だからといって、分散して居住するように仕向けるというのも、それはそれでマイノリティの力を削ごうとする人権抵触マターなので難しいとは思うのだが。
折しも、東北地方に梅雨明け宣言が出た昼。じりじりと気温が上がるも、ネムノキの枝ぶりがよくて、夏の木陰がとても気持ちよかった。
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ブラジルのかたに聞いた、日本の外国人差別の話が興味深かった。最初は大阪に住まわれたが、大阪は多文化社会であるゆえに同調圧力のようなものは少なかったそうだ。次に移り住んだ群馬県は、大泉を中心にブラジル移民街が形成されており、同胞の方が多いのだが、日系日本人との軋轢は結構あるらしい。体験談の中には、ちょっと信じられないような話もあった。山形ではどうかというと、ブラジルの方は少ないけれども、住みやすさは一番とのこと。移民の数とコミュニティ形成、コミュニティと居住地域の一致、などが日系日本人との軋轢に関わるのだろう。よく「ブラジル人は家族・親族で固まって住むためにコミュニティが形成されやすい」という言説を目にするが、コミュニティと居住地の一致に限って言えば、都市部ではそうとも言えないようだ。とすれば、受け入れる地方社会にも環境的要因があると考えるのが自然だろう。
たとえば地方は人口の流動性が都市部より低く、もともと人が住んでいない場所を開発してアパートや新興住宅地を造成する。もともと人が住んでいる住宅地には、新たに多数の人を受け入れる場所がない。この山形でもよく耳にするが、市街地周辺部のいわゆる「在郷」の地域の若い世代は地元では仕事が少なくて、市街地に移り住むとしたら、新たに宅地造成されたような場所が必然的に選ばれる。移民コミュニティも住むとしたら同じような場所が選ばれるわけで、コミュニティと居住地域が一致しやすいとのではないか。入り込める隙間がそこに固まって存在しているのであれば。
「在郷」の地域からやってきた日系日本人の場合はもともと持っていた文化を持ち込めないので、都市部に似た「薄い近所付き合い」が居住者同士の連携の基本となるだろう。これに対し、移民コミュニティの場合はもともとあったコミュニティが地域に持ち込まれるので、新しい場所に突如新文化圏が出現し、周辺との異文化摩擦が生ずるのだろう。だからといって、分散して居住するように仕向けるというのも、それはそれでマイノリティの力を削ごうとする人権抵触マターなので難しいとは思うのだが。
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