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越境した日本語―話者の「語り」から―

真田信治『越境した日本語―話者の「語り」から―」和泉選書(→amazon)を読んだ。120ページくらいのフィールドワークノートといった感じで、さらっと読める。が、記されている内容は、台湾、ミクロネシア、朝鮮半島、サハリンなどで聞いたインタビューを文字に起こしたものであって、体験談てんこ盛りな分、とにかく濃い。占領下の日本語体験の残滓と新たな姿が、「日本語」で語られる。日本語学だけでなく、文化研究などの人も読む価値あり、というか持っておく価値ありと思う。

僕がこの手の事柄に興味があるのは、もちろん日本語学に携わる人間としての責任ということもあるけれど、自分の身近な人の体験談によって既に得られている知見に別の光を当ててくれるからということが大きい。台湾については母方の血筋から聞く体験談、サハリン方面は旧満州とのからみで引揚げ組だった父と祖母の体験談、というふうに。体験談としての物語が、学問的手続きで形になるのも、言うまでもなく楽しい。

ということで、知的興味も掻き立てられるし、身近な人の体験談が立体的に見えるようになるし、仕事でもどうせ使わせていただくことになるし、個人的にはいいことづくめのはずなのだけれど、拭えない不安や真田氏との考え方の違いもあって少し苦しさも残る。

* * * * *

不安のひとつは、これらの談話に幾度か立ち現れる「日本時代が懐かしい」とか「日本の教育は良かった」という体験談である。考えにくいことだが、著者ら(調査チームは複数人数で構成されている)がそのような談話を選択的に配置したこともあり得る。しかし前書き・後書きの真田氏の言葉からはその蓋然性は極めて低いだろう(わざわざこんなことを僕が書くのは、こうした植民地下の日本語を戦争肯定の根拠の一つとする考え方が、業界の中にあるから)。だとすると、「日本語」が話せる人(および話そうとする人)自体が、すでにそういう文脈の中に置かれていると考えるのが自然だろう。話せない人・話そうとしない人は、植民地下ではサバルタンであったのではないか、というか逆にサバルタンだったからこそ日本語から遠い位置にいたはずだ。植民地下に限らず、制度としての日本語は、とりわけ周縁において階層を作り出した(ている)のだから。何が言いたいかというと、この本での語りを目にした人間には、「日本の教育は良かった」という部分を取り出して、植民地肯定論に使うこともあるだろうなということ。

真田氏への違和感は、もしかしたら世代論なのかも知れないけれど、あとがき。

できうれば、今後さらに、海を渡り、丘を越え、辺境に分け入って、国境や国家にとらわれない人々の生活史を描いていきたいと思う。普通の人々が生きる山野、その現場にこそ歩く学徒の思索のはじまる場所がある、と考える。その場所こそは、日本人である私が、どこまで日本人離れ、国家離れができるか、そして、それを学問のなかで深めていけるかどうかの、まさに勝負の場であるとも思っている。(「あとがき」より)

言語が国家という制度から解き放たれた姿、というユートピアを僕も夢想することがある。まだ見ぬ「辺境」にあるユートピア、あるいは万葉以前の「古代」に存在したかもしれないユートピア。「自然」で「普通」な言語の発露である「歌」や「歌垣」、心の奥底にある野生の声みたいなもの。って言うけどなあ。脱構築という意味では分かるが…。

植民地下のカッコ付きの「日本語」が当時通行の「日本語」とは異なっていた、とされる記述がいくつかある。体系の単純化や音の短縮が、現代日本語に生じている変化を、先取りしているというものだ。このロジックは、制度を離れれば言語は「自然」な形に立ち返るといったもので、クレオール言語の研究では、時折目にする。しかし、本書にも報告されるように、たとえば台湾のアタヤル語と日本語のクレオール言語などは、近年の多文化主義の隆盛で原住民のアイデンティティの拠り所とされると同時に、新しく制度化されているのではないか。つまり国家語という制度を離れても、また別の制度がそこに待っていると報告されている。結局、お釈迦様の掌だった、ということではないか。

で、何が言いたいか。
(1)国家離れをしても、「普通の人」が住むようなユートピアはないのではないか。
→社会言語学者は、制度としての言語の在り方のほうを考えるべきではないか、ということ。ユートピアは夢想するのは、社会言語学の在り方としては、ずるい、と思う。

(2)思いきり制度の枠に当てはめた日本人が、当てはめられた当事者に向けてユートピアを重ねるのはどうなのよ。
→思い切って書いてしまうと、こういうのってロマン主義に逃げ込んだ、無責任な感覚だと思う、僕の感覚ではね。

* * * * *

ということで、いろいろいちゃもんを付けたのは、こういう本は取扱注意だと考えるからだ。貴重なデータと、その収集に当たられた方への敬意もある。消えゆく言語としての声、歴史の生き証人としての声を残した価値は計り知れなく大きい。だからこそ、慎重に読まれないと、おそらくこの本が書かれた真田氏の思いと、違うところに着地させられることもあるのではないかと思う。

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