久繁哲之介『地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)』(→amazon)。タイトル強烈(笑)!ケーススタディ的な失敗体験談+ノウハウ集。話の構図は「ハコモノ行政で儲かるのは行政と土建屋、あと地域再生関係者は都市部の僅かな成功例を地方社会に導入して大失敗、だからコミュニティ志向のカフェとかスローフードとかやるといいよ」的なもの。で、その筋はあるある話だし、間違っていないので、読み潰せる話。
気になっていたのは極東ブログの書評(→[書評]地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?(久繁哲之介): 極東ブログ)の以下を読んだから。
やー、読んでみてそういう理想郷的なコミュニティーって成立するかな、と思うよ。もちろんfinalventさんが言う生き返りの大切さも、宮台的な社会的コストの重要性という意味において分かる。でも、山形に住んでみて、僕がよそ者だということの要因もでかいと思うけれど、地域コミュニティーのある種の閉塞感てすごい感じる。排他的な意味、ではなくてね。山形にもたくさんの地域コミュニティーがあるよ。でも著者が書いているような、カフェやスローフードにつながりうるような文化的背景や厚みをもったコミュニティーというと、たとえば子どもでつながる地続きのコミュニティーとは別物なのですよ。子連れファミリーが作り出すコミュニティーはあるけれど、著者が言う地域再生ってそこがゴールじゃない。極東ブログは「鶏と卵」というけれど、そして「生き返る」という表現を使うけれど、その循環の輪が成立するのか疑わしいこともあるわけで。これはもう歴史的な蓄積の有無が決定しているようにさえ思えてしまうこともある。
で、それは打破できないのかというとできるような気もする。けれど、「若者と高齢者の再結合」のところで、厳しいなあと思う。若者に地元に定着して欲しいという層(世代にかかわらない社会的な意味での層)が自己変革抜きで若者にメッセージを出す話が、福島を事例としてp.100前後に上がってくるのだけど、これが結構キツイ。短大で地域連携の話をしていて、一番キツイのがここ。若者をただの労働力、既存の地域システムを保守する一要因くらいにしか思わない話がてんこ盛りだったりする。
というようなことを再確認させられたということで、ちょっとキツイ本。
気になっていたのは極東ブログの書評(→[書評]地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか?(久繁哲之介): 極東ブログ)の以下を読んだから。
これで地域再生は可能になるだろうか。読後、私が思ったのは、この「使える」提言を「使う」ためには、地域コミュニティーが生き返ることが前提になるだろうということだ。それは鶏と卵のような循環になっている。提言が目指すものこそ、地域コミュニティーの再生だからだ。もう一点思ったのは、本書が言及していないわけではないのだが、この難問には地域における若者と高齢者の再結合が問われていることだ。地域の若者の現実的なニーズと高齢者のニーズをどう調和させるか。そしてその二者の背景にある巨大な失業の構造はどうするのか。問題の根は深い。
やー、読んでみてそういう理想郷的なコミュニティーって成立するかな、と思うよ。もちろんfinalventさんが言う生き返りの大切さも、宮台的な社会的コストの重要性という意味において分かる。でも、山形に住んでみて、僕がよそ者だということの要因もでかいと思うけれど、地域コミュニティーのある種の閉塞感てすごい感じる。排他的な意味、ではなくてね。山形にもたくさんの地域コミュニティーがあるよ。でも著者が書いているような、カフェやスローフードにつながりうるような文化的背景や厚みをもったコミュニティーというと、たとえば子どもでつながる地続きのコミュニティーとは別物なのですよ。子連れファミリーが作り出すコミュニティーはあるけれど、著者が言う地域再生ってそこがゴールじゃない。極東ブログは「鶏と卵」というけれど、そして「生き返る」という表現を使うけれど、その循環の輪が成立するのか疑わしいこともあるわけで。これはもう歴史的な蓄積の有無が決定しているようにさえ思えてしまうこともある。
で、それは打破できないのかというとできるような気もする。けれど、「若者と高齢者の再結合」のところで、厳しいなあと思う。若者に地元に定着して欲しいという層(世代にかかわらない社会的な意味での層)が自己変革抜きで若者にメッセージを出す話が、福島を事例としてp.100前後に上がってくるのだけど、これが結構キツイ。短大で地域連携の話をしていて、一番キツイのがここ。若者をただの労働力、既存の地域システムを保守する一要因くらいにしか思わない話がてんこ盛りだったりする。
というようなことを再確認させられたということで、ちょっとキツイ本。
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