長年の犬苦手症候群が友人のところで犬と交流を続けているうちに、なんかこう勘所がわかったような気がしつつあるかもしれない可能性が見えてきた。元来犬と猫のどちらをかわいがるかといえば、昨今の「犬と猫は必ず択一」みたいな派閥構成方法に則るならばもちろん猫であるのだが、犬も両立しうるかもと思うわけです。
犬の何が苦手である(あった)かというと、ずばり距離が近い!ってことなんですね。いや、ちょっと違うな、どちらかというと僕は距離が近い付き合いも生物全般(人間含む)において好きなのですが、相手から詰められると弱いのですよ。猫ならばこちらが近づいていって、なでなでしたり猫の気分が乗っているならだっこしたりできる。猫が寄ってくることは空腹時以外は滅多にない。しかるに犬は違う。オールウェイズ密着距離の強要であります。
相手がどんな美人(美しい人間という程度の意味です)であれ愛らしい犬であれ、その距離を詰めるのは主体的な私であって二人称であってはならないのです。俺こそがその距離を決める。なぜならばどうもコントロールできないものが怖い、という感じが僕の奥底でかなり強い電波を発しているからなのです。思えば小学生の頃、ニケツでチャリの後ろを担当した時もすごい怖かった。けど自分が運転しているときは大丈夫。天敵の飛行機も自分が操縦していると思えば、まだしも恐怖が薄れるのです。
しかしあのアンコントローラブルなお犬様!わたくしの顔を超ベロベロする「ゼロ距離」と、わたくしが腕を伸ばしてよしよしする「腕距離」についてはコントロールすることができるようになりました。その距離は俺が決める。この距離は完全に俺のコントロール下にある。すなわちコントローラブル・ドッグなわけです。至近距離であってもそこに程度の違いを見出してコントロールしたことにする、これは犬のコントロールに見せかけた自己コントロール術にほかなりません。やったぜ、自分。犬克服の瞬間であります。
犬の何が苦手である(あった)かというと、ずばり距離が近い!ってことなんですね。いや、ちょっと違うな、どちらかというと僕は距離が近い付き合いも生物全般(人間含む)において好きなのですが、相手から詰められると弱いのですよ。猫ならばこちらが近づいていって、なでなでしたり猫の気分が乗っているならだっこしたりできる。猫が寄ってくることは空腹時以外は滅多にない。しかるに犬は違う。オールウェイズ密着距離の強要であります。
相手がどんな美人(美しい人間という程度の意味です)であれ愛らしい犬であれ、その距離を詰めるのは主体的な私であって二人称であってはならないのです。俺こそがその距離を決める。なぜならばどうもコントロールできないものが怖い、という感じが僕の奥底でかなり強い電波を発しているからなのです。思えば小学生の頃、ニケツでチャリの後ろを担当した時もすごい怖かった。けど自分が運転しているときは大丈夫。天敵の飛行機も自分が操縦していると思えば、まだしも恐怖が薄れるのです。
しかしあのアンコントローラブルなお犬様!わたくしの顔を超ベロベロする「ゼロ距離」と、わたくしが腕を伸ばしてよしよしする「腕距離」についてはコントロールすることができるようになりました。その距離は俺が決める。この距離は完全に俺のコントロール下にある。すなわちコントローラブル・ドッグなわけです。至近距離であってもそこに程度の違いを見出してコントロールしたことにする、これは犬のコントロールに見せかけた自己コントロール術にほかなりません。やったぜ、自分。犬克服の瞬間であります。
コメント
絶対関係ない予感がします。