以前目にしたり耳にしたりした時には、全然ピンと来なかったのに、ある日突然これまで価値を見出さなかったことを後悔したりすることがある。例えば、90年代初頭に活躍していたエクストリームのヌーノ・ベッテンコート(→wikipedia)が大好きで、彼の後のバンドであるモーニング・ウィドウズを初めて聞いた時に、魅力のかけらも感じられなかったのに、という感じだ。で、ファーニッシュド・ソウルズ・フォー・レント(→amazon)。2000年のアルバム。
ファンク・メタルの下地に、彼独特のタイム感というか、変なフックがかかりまくっていてすごく気持ちいい。横断歩道の白いところを踏んで歩いているだけの、単調な歩幅なのに、なぜか起伏が感じられてしまう。昔のまんまのギターやコーラスのフレーズが耳に付いたりする。すごくヌーノっぽい。なぜ、僕はこれを「ヌーノではない」とスルーしていたのだろうと思う。受取手としての自分の、8年の変化ということだろうか。このあたり、実体としてではない音楽のありよう、つまり認知的存在としての音楽ということなのだろう。
以下、youtubeに上がっていた、ライブ映像。
ファンク・メタルの下地に、彼独特のタイム感というか、変なフックがかかりまくっていてすごく気持ちいい。横断歩道の白いところを踏んで歩いているだけの、単調な歩幅なのに、なぜか起伏が感じられてしまう。昔のまんまのギターやコーラスのフレーズが耳に付いたりする。すごくヌーノっぽい。なぜ、僕はこれを「ヌーノではない」とスルーしていたのだろうと思う。受取手としての自分の、8年の変化ということだろうか。このあたり、実体としてではない音楽のありよう、つまり認知的存在としての音楽ということなのだろう。
以下、youtubeに上がっていた、ライブ映像。
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