新聞各社が「ノーベル物理学賞日本人3人」とするけれど、南部陽一郎氏は現在米国籍を取得されているので(→南部陽一郎 - Wikipedia)、アメリカ人扱いになるのがフツウの感覚?だろうと思っていたら、J-CASTニュース : 「ノーベル物理学賞日本人3人が独占」 欧米では「米国人1人、日本人2人」とのこと。
日本社会におけるこの手の齟齬は、ちょうど、母国語と母語の関係に似ている。単一民族発言しかり、母国語と母語の区別は相当あいまいだと思う。概念上の違いをきっちりと用語で区別するなら、国籍を基準とすれば「~国人」、「民族」を基準とすれば「~人」とすれば少なくともこの文脈(日本の通俗的な理解の文脈)で誤解が生じることはないだろう。もちろん、「民族」を固定的に「~人」の基準にするわけにはいかないので(母語が民族のことばと定義しにくいことがあるように)、厳密には日本国出身者とでも、と思うが日本は出生地主義じゃないので(→血統主義と生地主義)、スッとは理解されにくいかもしれない。
日本国籍を有さない、いわゆる特別永住者が偉業をなせば日本在住なんだから日本人でしょ、みたいなこれまた通俗的暴論もまかりとおるのがフツウのことだろうから、この場合もフツウに空気読んで「やったー日本人が3人、独占だー」と喜ぶのが奥ゆかしき日本人の作法なのでしょうね。
確かに、日本人という定義はあいまいだ。日本の国籍ありなしは関係ないというのが日本の新聞社の考え。外国に帰化しても日本人。つまり「民族」に重きを置いているのだろう。ただ、国際社会では国籍で判断するようだ。帰化した時点で、南部氏も日系の米国人と呼ぶのが正しいことになる。
日本社会におけるこの手の齟齬は、ちょうど、母国語と母語の関係に似ている。単一民族発言しかり、母国語と母語の区別は相当あいまいだと思う。概念上の違いをきっちりと用語で区別するなら、国籍を基準とすれば「~国人」、「民族」を基準とすれば「~人」とすれば少なくともこの文脈(日本の通俗的な理解の文脈)で誤解が生じることはないだろう。もちろん、「民族」を固定的に「~人」の基準にするわけにはいかないので(母語が民族のことばと定義しにくいことがあるように)、厳密には日本国出身者とでも、と思うが日本は出生地主義じゃないので(→血統主義と生地主義)、スッとは理解されにくいかもしれない。
日本国籍を有さない、いわゆる特別永住者が偉業をなせば日本在住なんだから日本人でしょ、みたいなこれまた通俗的暴論もまかりとおるのがフツウのことだろうから、この場合もフツウに空気読んで「やったー日本人が3人、独占だー」と喜ぶのが奥ゆかしき日本人の作法なのでしょうね。
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