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水村美苗「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」

水村美苗「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」(新潮2008年9月号)を読んだ。今秋刊行される7章にわたる第3章のみということだが、これで280枚あるというシロモノで十分読み応えがあった。2008-10-18 - 東京永久観光で掲載を知って、図書館ですぐに借りた。

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この小編は3つのパートに分かれる。第1パートがアイオワで世界中の小説家が集められ様々な言語で小説を書くという現場の体験談。多言語による小説生成の現場体験(多言語体験とは違う)がテーマ。第2パートがフランスで行われたシンポジウムでの講演を主軸した語り。二言語使用が強い言語/弱い言語といった非対称の営みであって、例えば弱い言語の使い手であるたとえば日本語話者である「われわれ」は、強い:フランス語/弱い:日本語のような構図にほとんど強制的に気づかされるという。でもグローバル社会たる今では強い:英語/弱い:フランス語という構図になりつつあるわけで、ようこそフランスわたしたち日本語は先輩ですよてなユーモアを交える。このパートではイディシュ語の使い手である聴衆から「日本文学のような主要な文学」と指摘されある種の保守回帰に傾きつつ次パートへ。第3パートは特に話が多岐にわたってまとめようもないのだけど、私に理解すれば、

「そのような非対称な世界は近代以前から山ほど存在していた。かつてのヨーロッパ社会では強い言語はラテン語でありあるいはフランス語であり、そうした言語は往々にして特に一部の知識層の手によって、とりわけ芸術・学問の領域において書き言葉として地域を超えて流通した(外から来て社会上部に流通する言語=〈普遍語〉)。一方現地で用いられる近代以前の母語=〈現地語〉はそのような意味での書き言葉にはなり得なかったけれども、国民国家形成と相互依存しながら強い言語の立ち位置を獲得していった。」

ということで、いわゆる「近代国語の成立」解説自体については僕が改めて記すまでもないことである。国語で内面も描けるし、芸術や学問で切ったはったができるし、国語に出世した〈現地語〉(の人工的な寄せ集め)はかつて〈普遍語〉から一方的に翻訳されるしかなかったところを〈普遍語〉たる英語に翻訳されて川端なんかはノーベル賞取れて良かったねという時代に突入するわけだ。が、筆者が言おうとしているのは、英語が出現したことによって、そのような状況から国語が再び〈現地語〉に転落するのではないかという危惧である。

今、人は、〈叡智を求める人〉であればあるほど、日本語で書かれた文学だけは読もうとしなくなってきている。かれらは、知らず知らずのうちに、そこに、〈現地語〉文学の兆し=ニホンゴ文学の兆しを見いだしつつあるからである。日本語で書かれたものの中で、よりによって、文学という言語空間が、いち早く、〈世界性〉から取り残された人のふきだまりとなりつつあるのを、どこかで鋭敏に感じ取っているからである。


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水村はこのような複数言語間の政治的力学関係に基づく使い分け・住み分けを、言語学者は全然相手にしないよねと書いているが、社会言語学の領域ではダイグロシアと呼んで取り扱っている。ダイグロシアの提唱は1959年であるから、読書家たる水村は当然知っているだろうが、敢えてこのような書き方をしているのは、ダイグロシアという概念が左翼的な運動に用いられることからだろうか、とあらぬ疑いを抱いてみた。

ハイカルチャーの文化的遺伝子キャリアーを自称する人たちによるこうした言説、と僕が批判的に書いてしまいたくなるのは、端的に母国語による母語抑圧の話がここからすっぽ抜けているからである。そしてまた弁解しながらでないと批判的になれないのは、母国語の持つ力というか、階級的な力の恩恵をお前も受けているではないかという自分の内なる声のためでもある。

それと関連してもう一つ思い出したのが、小松英雄と石川九楊の対談。ハイカルチャーとして磨き上げてきた日本語文化を守れ!というスタンスを徹底して崩さない石川九楊と、(おそらく構築物としての日本語は言語史を担う日本語とは一応別物と考えているであろう)言語学者の小松英雄の、当然ながら妙にかみ合わない対談を読んだのは2年前か。「ことばは自然に変化するんだから、劣化させるな退化させるなという文化人の言説はおかしい」という言語学者の多くがよりどころとしている「言語は自然なものイデオロギー」を僕も少なからず持っているわけで、石川九楊のスタンスが奇異に見えたわけである。もちろん言語学はすべて「自然な」言語を取り扱うものでもないし、「自然」かどうかも「人工」から逆照射されての構築的な認識である。したがって、水村のおそれも分からないではない。盛りを経験した「近代日本文学」が英語との出会いでハイカルチャーの地位から引きずりおろされる、そしてその先には外部に流通する力を失い身近なことしか記述できない一俗語に転落するのではないかというおそれ。

ハイカルチャーな人たちの、きわめて現実主義的な物言いに戸惑ってしまうのであった。しかし、こうしたおそれは、多層をなす言語による文化的覇権主義への盲従とは言わないまでも、それを前提とした上での「現実」主義なのであって、小説書きのような生存をかけた現場での言語圧力に日々接していない僕としては、そうですねと石を積むわけにはいかない。安月給研究者ではあるけれども、こういう現実主義を超えたところに足場はないか、と思うのだがいまのところ答えはないのだった。

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