よーし原稿一本終わったー。家族が旅行から戻ってきたー。EDENの13~15巻読んだー。次の原稿の締め切り近いぞー。来月の研究発表もあるぞー。でもその前にまた川行くぞー海行くぞー、何よりキャンプ行くぞーあとEDEN全部読んで感想書くぞー遠藤浩輝は秋田出身なんだ秋田いいぞーおおひなたごうも秋田出身だ。山形は冨樫と安彦まさえがいるから十分だ。それにシャアズゴのプラモいい加減作りてーんだよ。遊んでマンガ読んで原稿書いて遊んでマンガ読んでプラモ作るぞーと気炎を上げていたら、急遽仕事の電話が。行かないぞー。ねえ行かない。行かないぞー?行くけど。行かないってば。いや、行くよ。行けばいいんでしょー。どうせ俺はあれだよ仕事好きだよ。家にいたって野球もオリンピックも興味ないし、仕方ないから仕事行くよベイベ。ベイベカモンアイラービュベイベー。
子どもが友人たちと「お尻はいくつか」という論争を楽しんだらしい。友人たちの意見が「お尻は2つである」、対してうちの子どもは「お尻は1つである」とのこと。前者の根拠は、外見上の特徴が2つに割れていることにある。後者の根拠は、割れているとはいえ根元でつながっていること、すなわち1つのものが部分的に(先端で)2つに割れているだけで、根本的には1つと解釈されることにある。白熱した「お尻はいくつか」論争は、やがて論争参加者の現物を実地に確かめながら、どこまでが1つでどこからが2つかといった方向に展開したものの、ついには決着を見なかったらしい。ぜひその場にいたかったものだと思う。 このかわいらしい(自分で言うな、と)エピソードは、名詞の文法範疇であるところの「数(すう)」(→ 数 (文法) - wikipedia )の問題に直結している。子どもにフォローアップインタビューをしてみると、どうもお尻を集合名詞ととらえている節がある。根元でつながっているということは論争の中の理屈として登場した、(尻だけに)屁理屈であるようで、尻は全体で一つという感覚があるようだ。つながっているかどうかを根拠とするなら、足はどう?と聞いてみると、それは2つに数えるという。目や耳は2つ、鼻は1つ。では唇は?と尋ねると1つだという。このあたりは大人も意見が分かれるところだろう。僕は調音音声学の意識があるので、上唇と下唇を分けて数えたくなるが、セットで1つというのが大方のとらえ方ではないだろうか。両手、両足、両耳は言えるが、両唇とは、音声学や解剖学的な文脈でなければ言わないのが普通ではないかと思う。そう考えれば、お尻を両尻とは言わないわけで、やはり1つととらえるのが日本語のあり方かと考えられる。 もっとも、日本語に限って言えば文法範疇に数は含まれないので、尻が1つであろうと2つであろうと形式上の問題になることはない。単数、複数、双数といった、印欧語族みたいな形式上の区別が日本語にもあれば、この論争には実物を出さずとも決着がついただろうに…。大風呂敷を広げたわりに、こんな結論でごめんなさい。尻すぼみって言いたかっただけです。
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