井筒の『ガキ帝国』見たよ。映画ってマンガと違って長い。『闇の子ども達』を読むよりも長く感じた…。慣れないこととは言え、己の根性のなさを笑いつつも、作品としても民俗学的にも面白かった。
ダイグロシアを説明するための映像例ということで、同僚に紹介していただいたわけだが、ダイグロシアでこの作品というのは、なんというかエロマンガを紹介するために丸尾末広を取り上げるがごとき不適切さというか、逆に意にも介せず是非これで説明したくなる不謹慎さというか(笑)。ただ、在日朝鮮人の言語にフォーカスをあてる以前に、ここに出てくる関西方言の8割くらいも理解できたかどうか。現代の非関西圏の人間がこれを見て、いったいどれくらい分かるのだろうか疑問に思う。
そういえば、山形の女子高生を漫画ゴラク読者に特化した形の「リアル山形弁話者」として描いた珍作『め~どイン山形』(→amazon)も、最初読んだ時はものすごく時間がかかったし、内容も消化不足なところがたくさんあった。描かれた時代は、『ガキ帝国』で描かれた大阪よりもずいぶん新しいのだけど…。山形に約3年住んでみて、先日久しぶりに紐解いてみたらほとんど分かるようになっていて驚いた。留学生がある日突然言葉が分かるようになっていた、という感覚がものすごい希釈度で理解できたというか。
東京にいると、方言はもう日本にないだとか、メディアでの描かれ方もあってじいさんばあさんしか話さないようなイメージあるけど、若い人でもバリバリ関東の人には分からないような言葉をしゃべるよね。「日本語」ってそういうことじゃないじゃん。それは山形に来て良かったと思うこと。
ダイグロシアを説明するための映像例ということで、同僚に紹介していただいたわけだが、ダイグロシアでこの作品というのは、なんというかエロマンガを紹介するために丸尾末広を取り上げるがごとき不適切さというか、逆に意にも介せず是非これで説明したくなる不謹慎さというか(笑)。ただ、在日朝鮮人の言語にフォーカスをあてる以前に、ここに出てくる関西方言の8割くらいも理解できたかどうか。現代の非関西圏の人間がこれを見て、いったいどれくらい分かるのだろうか疑問に思う。
そういえば、山形の女子高生を漫画ゴラク読者に特化した形の「リアル山形弁話者」として描いた珍作『め~どイン山形』(→amazon)も、最初読んだ時はものすごく時間がかかったし、内容も消化不足なところがたくさんあった。描かれた時代は、『ガキ帝国』で描かれた大阪よりもずいぶん新しいのだけど…。山形に約3年住んでみて、先日久しぶりに紐解いてみたらほとんど分かるようになっていて驚いた。留学生がある日突然言葉が分かるようになっていた、という感覚がものすごい希釈度で理解できたというか。
東京にいると、方言はもう日本にないだとか、メディアでの描かれ方もあってじいさんばあさんしか話さないようなイメージあるけど、若い人でもバリバリ関東の人には分からないような言葉をしゃべるよね。「日本語」ってそういうことじゃないじゃん。それは山形に来て良かったと思うこと。
コメント
そうなんですか。
私自身はあまりそういうふうに感じたことはないですが、今ふと思い出したのは、ずっと地元にいる友人が仕事の関係で東京の人に電話してるのを横で聞いてたとき、本人はいわゆる標準語をしゃべっているつもりなのに、すんごく方言だったってことです。
私も地元を出る前はそうでしたが、日常的にテレビでいわゆる標準語に接しているのに、自分がそんなに方言を使っているという意識がありませんでした。
コメントいただいたことをずっと(嘘、1週間に1回くらいは)考えていました。mutampoさんがおっしゃるように、「標準語のつもりで方言」というのはよくあることだと思います。で、東京の学生も「標準語のつもりで方言」ということが普通にあって、自分たちの言葉が無色透明であるかの感じがしていると。同時に地方も方言はあっても通じないほどじゃないや、みたいに認識していると。
そいで、問題は僕がこのサイトで何度か繰り返す「東京の学生は方言をしゃべっているとは思っていない、地方にも方言をしゃべる若手が居るとはリアリティをもって想像できていない」という記述なのかなと思いました。山形に来てみて、強烈な方言体験をしているということが、ことさらに東京時代の学生の発言記憶を呼び起こしているような気がしてきました。
そういう自分に都合がいい記憶だけを選択してステレオタイプを作り出している可能性は否めないのですが、関東育ちの学生が山形に遊びに来て、ちょっとした方言を耳にした時の衝撃を受けた様子はやはり事実としてはあります。みな口をそろえて「本当に方言しゃべってる!」って言うんですね。あれは東北弁だから驚くのだろうか。君らがテレビでさんざん耳にしている関西弁だって方言だろうが、と思わなくもないのですが。