学生の卒業論文の下読みをしている。初めてのゼミ生なのでうまく行くよう細心の注意を払いながら進めてきたわけだが、思いの外仕上がりが良くて朝からにんまりしている。調査、分析、考察という流れは学生にとっても慣れたものではなかったはずだろうに、新しい知見がそれなりに得られているところからすると、うまくやれたのだろう(本当の問題は新しい知見として挙がってこないところなんだけどそれは僕には分からないし)。短大のような場所では、ほとんどの学生がこれほど長い文章をこの先一生書かないのだろうな。こうやって、アカデミックな手法で何かを自分で調査・発掘して世界を確かめるということも、ないだろう。それが生きる上での何かになって欲しいとは高望みに過ぎるか。
仕上がりに個人差があるのは当然だけど、なんというか武道でいうところの守・破・離のステップをうまく踏めていない学生は、やっぱり少し破綻している。オリジナリティ溢れるものを、守の段階を飛ばして書いているものは、根本的に手法がおかしい(というのは指導の次元の問題)。と書いてみて、それは研究の世界でも同じだな。自戒の念を込めて。
仕上がりに個人差があるのは当然だけど、なんというか武道でいうところの守・破・離のステップをうまく踏めていない学生は、やっぱり少し破綻している。オリジナリティ溢れるものを、守の段階を飛ばして書いているものは、根本的に手法がおかしい(というのは指導の次元の問題)。と書いてみて、それは研究の世界でも同じだな。自戒の念を込めて。
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