飛行機の中で、ちょっと不思議な体験をした。できるだけオカルトにならないように、説明したいと思う。
僕が飛行機の揺れがとても苦手だということは、このブログでも何度も書いている。墜落への恐怖とかではなくて、ただ揺れることが恐怖を呼び起こして、心拍数が上がり汗をかいて、体が硬直して喉が乾き、居ても立ってもいられない解放されたくてたまらない気持ちになる。自分の捉え方としては、本能に近い(抗えないように感じる)部類の心理的状況に陥る、といったものだ。
今回のインドネシアへの旅程でもっとも憂鬱になるのは、インドネシア近辺の大気の状況が季節的に不安定であることと、赤道近辺に恒常的に気流の悪いところがあることだった。何度もこの仕事に参加することをキャンセルしようと思いながら、でも仕事としては貴重な体験でもあることを表の理由にして、直前まで飛行機の恐怖についてできるだけ考えないようにしてきた。と言いながら、時折突発的にネットで恐怖克服法のサイトを探してみたり、心療内科に本気で通おうと電話で相談してみたり、それなりに手を打とうともしてきた。
調べていく中で、これは「本能的恐怖」ではない、克服可能な心理的現象だと分かったし、実際自分の体験として怖さをある程度薄れさせる方法なども分かっていたので、どうにかなるものだとも思っていた。しかしいざ大きな恐怖の中に置かれると、理性の力でどうにかできるものでもなくて、ただパニックに耐えるばかりだった。
それで、結論から言うと、今回成田からジャカルタに向かう飛行機の中で、僕はこの恐怖を克服してしまったようなのだ。なぜか?というと、そこが難しい。難しいが、説明と解釈のためのポイントはいくつかある。
ひとつは、着陸まで残り3時間くらいある状況で、最後まで終わることのない不安定な気流に突入したことだ。どうにも逃げられない状況。もうひとつは、たまたま機内で見ていた映画、インセプションの影響。この映画は人口に膾炙するようなフォークロア的心理学が下敷きになっていて、簡単にいえば主人公が心の奥底に持っていたトラウマをSF的にクリアするというもの(娯楽映画として楽しめた)。三宅乱丈のPETに似たサイキックアクションでもある。逃げられない状況で、すがった藁がこの映画だったのかもしれない。トラウマはクリアできる、ということがほとんど抵抗がないまま素直に受け止められた気がした、と自分を強制的にそう理解させたと今になって振り返れば思う。
うまく説明できないのがここなのだが、映画の直後、よく分からないフラッシュバックが自分に訪れた。キング『IT』のなかで、どもりの主人公が恐怖と戦うために繰り返す、「カレハコブシヲグイグイトハシラニオシツケユウレイガミエルトシツコクイイハル」 (彼は拳をぐいぐいと柱に押し付け、幽霊が見えるとしつこく言い張る) がひとつ。これはどもり矯正の文章で(原文はもちろん英語)、主人公が幼少期に何度も唱えさせられたもの。作中でそれを唱えることで、主人公は恐怖の焦点をずらしながら、恐怖と向かい合う。全部このセリフを覚えていなかったので、うろ覚えの記憶に基づいて、僕も心のなかで「カレハコブシヲグイグイトハシラニオシツケ」を繰り返していた。
そうこうしているうちに、一昨年亡くなった祖母のことを思い出した。祖母が小さい時に突然僕の目の前から消えてみせたことだとか(これが今でも謎。どうやったのか不明)、三文安のおばあちゃん子だった僕が甘えているところだとか、妹が大事にしていた白猫が死んだ時に、妹がその悲しみから一週間程度で回復したところを見て「死んでもこうやって忘れられるんだよねえ」と寂しそうにつぶやいて、途中でそれを僕に聞かれたことに気づいてごまかしたこと。おばあちゃんが死んだ時にも、たしかに自分は泣いて深く悲しんだり、それを生活に持ち込んで体調崩したりはしなかった、スマートに人の死を受け止めたな、とか。そんなことを時系列無視で、自分の中にある世界が同時並行的に起き上がって一人の自分で同時に全部感じている、みたいな不思議な感覚に陥った。で、そんな感じになりながら、なんかもう涙が止まらないおかしな人になっている。
おばあちゃん。
飛行機は相変わらず容赦なく揺れ続けているなかで、涙が止まる頃、なぜか飛行機の揺れが怖くなくなっていた。いや、恐怖はあるのだけれど怖くないというか。以前は怖いと全身がこわばって、すべてを拒絶する感じ。それが、恐怖が自分をすり抜ける感じ。ああ、怖いと感じていたのは自分なんだなあ、恐怖を怖いと感じないでそのまま通り抜けさせればよかったんだ、と敢えて言語化すればそうなるか。村上春樹的に言えば、心のなかに心の流れを押しとどめようとする石があった、それがきれいさっぱりどこかへ流れてしまったんだ、と。すごく不思議だと思った。でも心のなかではこうなるのが当然だろうとも感じている。
ジャカルタからジャヤプラに向かう国内線は中型で、もっと揺れた。けど、やっぱりどうということはなくなっている。帰りも、たぶん大丈夫ではないかと思う。
心理学的には、おそらく、恐怖への適応を自分でやった、自分で治療したということなんだろうと思う。ただ、意識的にではなかった。これまで読んだり体験したこと、記憶などが組み合わさって、勝手に自分を恐怖に適応させた。そうせざるを得ない状況で、子どもが過剰なストレスに置かれると自己防衛のために突然寝てしまうように、自分で自分を治療した。それが科学的な解釈なのだろう。でも心のなかでは、ある種の神秘現象が立ち現れたように感じられる。
もう自分の身体が恐怖反応のサインを出すことはないだろう。それがなかったら今回の旅程をこなすことはなかったと思うし、そのことを本当によかったと思う。身体に対してそのような感慨を持つことで応答するのだとしたら、心内作用としての神秘現象については、やはりありがとう、と祈って他者との関係で形作られる意味での、広い意味での開いた自我に応答するのが心の健康にとって筋に思える。
インセプション、どもりのビル、おばあちゃん、どうもありがとう。
僕が飛行機の揺れがとても苦手だということは、このブログでも何度も書いている。墜落への恐怖とかではなくて、ただ揺れることが恐怖を呼び起こして、心拍数が上がり汗をかいて、体が硬直して喉が乾き、居ても立ってもいられない解放されたくてたまらない気持ちになる。自分の捉え方としては、本能に近い(抗えないように感じる)部類の心理的状況に陥る、といったものだ。
今回のインドネシアへの旅程でもっとも憂鬱になるのは、インドネシア近辺の大気の状況が季節的に不安定であることと、赤道近辺に恒常的に気流の悪いところがあることだった。何度もこの仕事に参加することをキャンセルしようと思いながら、でも仕事としては貴重な体験でもあることを表の理由にして、直前まで飛行機の恐怖についてできるだけ考えないようにしてきた。と言いながら、時折突発的にネットで恐怖克服法のサイトを探してみたり、心療内科に本気で通おうと電話で相談してみたり、それなりに手を打とうともしてきた。
調べていく中で、これは「本能的恐怖」ではない、克服可能な心理的現象だと分かったし、実際自分の体験として怖さをある程度薄れさせる方法なども分かっていたので、どうにかなるものだとも思っていた。しかしいざ大きな恐怖の中に置かれると、理性の力でどうにかできるものでもなくて、ただパニックに耐えるばかりだった。
それで、結論から言うと、今回成田からジャカルタに向かう飛行機の中で、僕はこの恐怖を克服してしまったようなのだ。なぜか?というと、そこが難しい。難しいが、説明と解釈のためのポイントはいくつかある。
ひとつは、着陸まで残り3時間くらいある状況で、最後まで終わることのない不安定な気流に突入したことだ。どうにも逃げられない状況。もうひとつは、たまたま機内で見ていた映画、インセプションの影響。この映画は人口に膾炙するようなフォークロア的心理学が下敷きになっていて、簡単にいえば主人公が心の奥底に持っていたトラウマをSF的にクリアするというもの(娯楽映画として楽しめた)。三宅乱丈のPETに似たサイキックアクションでもある。逃げられない状況で、すがった藁がこの映画だったのかもしれない。トラウマはクリアできる、ということがほとんど抵抗がないまま素直に受け止められた気がした、と自分を強制的にそう理解させたと今になって振り返れば思う。
うまく説明できないのがここなのだが、映画の直後、よく分からないフラッシュバックが自分に訪れた。キング『IT』のなかで、どもりの主人公が恐怖と戦うために繰り返す、「カレハコブシヲグイグイトハシラニオシツケユウレイガミエルトシツコクイイハル」 (彼は拳をぐいぐいと柱に押し付け、幽霊が見えるとしつこく言い張る) がひとつ。これはどもり矯正の文章で(原文はもちろん英語)、主人公が幼少期に何度も唱えさせられたもの。作中でそれを唱えることで、主人公は恐怖の焦点をずらしながら、恐怖と向かい合う。全部このセリフを覚えていなかったので、うろ覚えの記憶に基づいて、僕も心のなかで「カレハコブシヲグイグイトハシラニオシツケ」を繰り返していた。
そうこうしているうちに、一昨年亡くなった祖母のことを思い出した。祖母が小さい時に突然僕の目の前から消えてみせたことだとか(これが今でも謎。どうやったのか不明)、三文安のおばあちゃん子だった僕が甘えているところだとか、妹が大事にしていた白猫が死んだ時に、妹がその悲しみから一週間程度で回復したところを見て「死んでもこうやって忘れられるんだよねえ」と寂しそうにつぶやいて、途中でそれを僕に聞かれたことに気づいてごまかしたこと。おばあちゃんが死んだ時にも、たしかに自分は泣いて深く悲しんだり、それを生活に持ち込んで体調崩したりはしなかった、スマートに人の死を受け止めたな、とか。そんなことを時系列無視で、自分の中にある世界が同時並行的に起き上がって一人の自分で同時に全部感じている、みたいな不思議な感覚に陥った。で、そんな感じになりながら、なんかもう涙が止まらないおかしな人になっている。
おばあちゃん。
飛行機は相変わらず容赦なく揺れ続けているなかで、涙が止まる頃、なぜか飛行機の揺れが怖くなくなっていた。いや、恐怖はあるのだけれど怖くないというか。以前は怖いと全身がこわばって、すべてを拒絶する感じ。それが、恐怖が自分をすり抜ける感じ。ああ、怖いと感じていたのは自分なんだなあ、恐怖を怖いと感じないでそのまま通り抜けさせればよかったんだ、と敢えて言語化すればそうなるか。村上春樹的に言えば、心のなかに心の流れを押しとどめようとする石があった、それがきれいさっぱりどこかへ流れてしまったんだ、と。すごく不思議だと思った。でも心のなかではこうなるのが当然だろうとも感じている。
ジャカルタからジャヤプラに向かう国内線は中型で、もっと揺れた。けど、やっぱりどうということはなくなっている。帰りも、たぶん大丈夫ではないかと思う。
心理学的には、おそらく、恐怖への適応を自分でやった、自分で治療したということなんだろうと思う。ただ、意識的にではなかった。これまで読んだり体験したこと、記憶などが組み合わさって、勝手に自分を恐怖に適応させた。そうせざるを得ない状況で、子どもが過剰なストレスに置かれると自己防衛のために突然寝てしまうように、自分で自分を治療した。それが科学的な解釈なのだろう。でも心のなかでは、ある種の神秘現象が立ち現れたように感じられる。
もう自分の身体が恐怖反応のサインを出すことはないだろう。それがなかったら今回の旅程をこなすことはなかったと思うし、そのことを本当によかったと思う。身体に対してそのような感慨を持つことで応答するのだとしたら、心内作用としての神秘現象については、やはりありがとう、と祈って他者との関係で形作られる意味での、広い意味での開いた自我に応答するのが心の健康にとって筋に思える。
インセプション、どもりのビル、おばあちゃん、どうもありがとう。
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