それにしても今回の東京滞在は有意義だった。久しぶりに会えた人の多さが際立ったなあ。荻窪に住んでいる古い友人、6年ぶりくらいの教え子の人たち(みなさん立派になられて)、大学院の仲間とか先輩たち。宿をとった新宿から新大久保を通って、母校まで歩く道すがら、学生時代よく行ったお店とかを覗くと皆すこしずつ老けていたり。関東地元の人間が関東に就職したのではこの感覚は味わえないだろう。懐かしいといえば渋谷な!若い人がいっぱいいるので僕はなんだか恥ずかしかったです。8年ぶりくらいじゃないかな。
そうそう、メインは母校の所属学会のシンポジウムだったことを忘れてはならない(笑)。そのシンポジウムも実りが多かった。テーマはいまさらながらの、言語にとって正しさとは何か、なのだけどもちろんただの正しさ批判(と近代批判)で終わるわけもなく、じゃあ僕らは「正しさ」の基準をどこにおけばいいのかという話が基音となった。
あるパネリストの話は、「自然な」言語と、教育コストをかけて身につけた「人工的な」言語とが、層となって言語史を担えるというような話だったと思う。また別のパネリストの話は、言語の「正しさ」には弁別に関わる正しさと、価値に関わる正しさがあるといった話なのだけど、挙例がユニークながらシサに富むものばかりでシンポジウムが盛り上がった。
でも一番面白かったのはパネリスト自身だなー。あんまり書くとあれなんだけど、先輩筋の中でもとりわけ天才肌のひとと、ゲストで呼ばれた他大学の天才肌のひととがパネリストになって、天才じゃないと分からない説明をするわけ。だからもう説明が飛びまくってて、本人たちは聞き手が了解しているつもりで進めるからもうおかしくって。それが今回自分に分かったのは、普段からそのネタをなんべんも聞いたことがあるからで、予備知識なかったら僕も絶対分からん。僕の研究についてコメントをもらう時も、その先輩が言うことがその場ではほとんど分からなくて、だいたい帰る道々、ああそういうことが言いたかったのか、と分かればいいほう。他の人からの補助的説明を聞いて分かったり、そのままブラックホールに吸い込まれてしまったものもたぶん山ほどあるな。
よく言われるけど、凡人からすると論理の連続性が途切れるとつい止まってしまうところを、ひょいっと飛び越えるのだよね。絶対本人は飛び越えているつもりないと思うけど。
そうそう、メインは母校の所属学会のシンポジウムだったことを忘れてはならない(笑)。そのシンポジウムも実りが多かった。テーマはいまさらながらの、言語にとって正しさとは何か、なのだけどもちろんただの正しさ批判(と近代批判)で終わるわけもなく、じゃあ僕らは「正しさ」の基準をどこにおけばいいのかという話が基音となった。
あるパネリストの話は、「自然な」言語と、教育コストをかけて身につけた「人工的な」言語とが、層となって言語史を担えるというような話だったと思う。また別のパネリストの話は、言語の「正しさ」には弁別に関わる正しさと、価値に関わる正しさがあるといった話なのだけど、挙例がユニークながらシサに富むものばかりでシンポジウムが盛り上がった。
でも一番面白かったのはパネリスト自身だなー。あんまり書くとあれなんだけど、先輩筋の中でもとりわけ天才肌のひとと、ゲストで呼ばれた他大学の天才肌のひととがパネリストになって、天才じゃないと分からない説明をするわけ。だからもう説明が飛びまくってて、本人たちは聞き手が了解しているつもりで進めるからもうおかしくって。それが今回自分に分かったのは、普段からそのネタをなんべんも聞いたことがあるからで、予備知識なかったら僕も絶対分からん。僕の研究についてコメントをもらう時も、その先輩が言うことがその場ではほとんど分からなくて、だいたい帰る道々、ああそういうことが言いたかったのか、と分かればいいほう。他の人からの補助的説明を聞いて分かったり、そのままブラックホールに吸い込まれてしまったものもたぶん山ほどあるな。
よく言われるけど、凡人からすると論理の連続性が途切れるとつい止まってしまうところを、ひょいっと飛び越えるのだよね。絶対本人は飛び越えているつもりないと思うけど。
コメント