家族でNiziプロジェクトを見ているうちに、JYPが不思議と気になるようになって、先行してドはまっていた息子の影響を受けてとうとうTWICEに踏み込んでしまった。 Niziプロがそうだっただけかもしれないが、日本のエンタメにあるような後ろ暗い世界と地続きの諧謔が微塵も感じられず、うさんくさいまでのポジティブ展開に、ああこれが小野ほりでいが紹介していたインスタ世界なのか…と思った。折しもNiziU大好き芸能人が語り倒す番組で指原が彼女たちを巡る状況を「浄化」と表現していたのも、心から合点がいったのだった。 この手の話題に強い古い友人に話を聞くと、NiziUを入り口としてTWICEに参入する新規ファンは増えているとのことで、40代のおじさんがそこに1を加算することになった。 それにしても彼女たちというか、JYPも含んだあの人たちのことを好きと呼んでいいのか微妙な躊躇がある。一つは光り輝きすぎていることにたぶんひっかかっているのがある。韓国は日本と同じく儒教的な価値観を文化的地層に持っていて、よく言えば謙譲、悪くいえば自虐に機能するような感覚を持っていると思っていた。というか私が接してきた韓国人にはそういう感覚があった。JYPのあのポジティブさは相当計算し尽くされたものと思うが(と分析するあたりがいかにもTwitter民だが)、とはいえあれを激烈に受容していると思われる文化がどういう文脈を持つものなのかが感覚的に分からなくて戸惑う。ビルボードに打って出るためにアメリカ的な自己啓発めいたのが入っている、というのはそうかもとも思うが、安直な感じも否めない。 もう一つは、女性ののファンが非常に多く、というよりもTWICEが明らかに女性のための女性をやっているのに、自分がおいそれと立ち入っていいのかという戸惑い…。MVもなんというか女子校のノリで、ある種の女性が憧れてまねをしたくなるのもよく分かる、ところに自分がどういう目線でそれを見ていいのか、微妙な落ち着きの悪さがあるのよね…。音楽もダンスもかっこいいというのも分かるし、彼女たちにもJYPにも何らネガティブな感情はないのに、「好きです」と断言できる日が来るのか、もやっとしている。 息子曰く、sixteenというオーディションから彼女たちを見ていれば、ボクサーのごときストイックさと完全主義に打ちのめされるはずだとのこと。 も
since 1998.8.2, niji wo mita