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「稲(いね)」を「しね」と読むこと

一関ネタでもうひとつ。一関市から前沢に向かう途中で右手に「束稲山(たばしねやま)」というのが見える(→ 束稲山 - Wikipedia )。「稲」を「しね」とはこれいかに、というわけだが、日本国語大辞典第2版を見ると次のようにある。 稲(いね)のこと。「荒稲(あらしね)」「和稲(にきしね)」など、多くは他の語の下に付いて熟語を作るときに用いる。(以下略) として、以下、日本書紀など上代の用例が並ぶ。 ところで、日本語の歴史で上代語を概説するときに、「和語は母音の連続を嫌う」というネタを扱う。一般的に文化的な成熟に向かうにつれて語彙が増加するときに、音節数が短い単純語を複合させ多様化する方法を取る。日本語も例外ではないわけだが、複合に際して、後続する単純語頭が母音である場合、母音の連続が生じてしまう。和語は母音の連続を嫌う。これを回避するパターンは(1)片方の母音を脱落させる「わが+いも>わぎも」、(2)母音を融合させる「なが+いき>なげき」、(3)子音を挿入する「はる+あめ>はるさめ」の3通りである、と説明するのがほとんどの概説書の定石である。冒頭の「束稲」が(3)に列される一例であることは、「しね」という形がつねに複合語の後部成素をなすことからも解るだろう。上代語の研究者にはおなじみの例かもしれないが。 ただ、(3)子音を挿入する例はどの概説書も用例が少ない。「こさめ」「ながさめ」「むらさめ」などはあるが、「あめ」以外の例はほとんど紹介されない。「ま+あお>まっさお」もあるにはあるが、中世以降の例とされる。またそもそも何故にsが挿入されるのか、kでは駄目なのかといったことは説明されないのが普通である。ということはこの回避方法は何らかの理由で生産的ではないか、あるいはそもそも回避の分類に入れてよいのだろうか、と考えたくなる。 このあたりの問題は、僕が知るうちでは、亀井孝「『ツル』と『イト』―日本語の系統を考へる上の参考として―」国語学16,1954(→ PDF ,雑誌「国語学」全文データベースより)に一説がある。直接PDFを参照できるなんて便利な時代! わたくしは、イネ⇔シネ(稲) アメ⇔サメ(雨) ウウ⇔スウ ウツ⇔スツ エ⇔セ(兄)の如き例におけるサ行立自のあるなしについてサ行音の現らわれない形の方を、サ行音の脱落したものと考へる。これに対し...

帰省時にやりたいこと/来年もまたよろしくです!

ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で』(→ 天皇の逝く国で【増補版】:みすず書房 )。途中まで読んだ。オーラル・ヒストリーに基づく質的研究の良書でありながら、読み物として成立している。うまく言えないけれど、読んでいて気持ちいい。初めから日本語で書かれているものと思ったら翻訳だった、というくらいに文章も読ませる。読み終わったら感想を書きたい。 あとは読む暇があるだろうか、 [改訂第5版]LaTeX2e 美文書作成入門 のOpenTypeのところと、ユニコード関連のところ。自分の研究で今年地殻変動があったのは、データをjisからunicodeで記録し始めたこと。共同研究者との関係からズルズルとそうなったのだけど、ユニコードと文字鏡フォントをTeX上で表示させることはできるのかどうか。 XeTeX - TeX Wiki なども見ている。漢字文献、というか歴史文献資料を研究している人たちは電脳処理をどうしているのか?というと、ネット上での情報は少し古いように見えるかな。TeXを使って論文を書く人自体が以前にもまして貴重種になりつつあるのかもしれない。既存のワープロソフトでもはやいろいろできちゃうからね。そして僕も今年はMS-Wordの軍門に降ったのだった。 さて、簡単な片付けをして、これから関東に向かう。先に関東に行っている家族を、正月明けに車で連れ帰るために、ひとり長距離ドライブ。BGMは岡村ちゃんほか。 ひとまず2011年のniji wo mitaはこれにて終了です。ほんとうに投稿数が少ない年だった。体験の種類や質と投稿数は相関がある。来年は元のレベルくらいには戻したい。一年間どうもありがとうございました。実名でお付き合いの方も、ネット上でしかご存じない方も、来年もどうぞよろしく。皆様のご健康とご多幸をお祈りして。

メガネっこクラブ

年内の仕事も終わり、近いところの原稿仕事も書き上げ、あーいますっかりやることがなくなっている。と思ったら気持ちの上で次のことを考える精神的な余裕が少しできたような。友人と待ち合わせの途中、まずはボワボワの髪の毛を切るか、ユルユルのめがねを直してもらうか考えて、よしメガネだと思った矢先に店頭の安いメガネをほぼ衝動的に購入してしまった。だって安いよ、Zoff(→ メガネ(眼鏡・めがね) | Zoff(ゾフ) )。標準のレンズとフレームセットで7000円台って安い。ショーウィンドウの前面に陳列するフレームはどれも若者がかけるようなシャレオツな太くてカクカクした感じのものばかりで気後れしたが、隅っこの方にあるフツーのやつをお試しで購入した。  いまかけてるやつはもうフレーム調整ではダメなくらいになっていて、すぐ鼻の下の方に降りてきてしまう。ただでさえ髪の毛が白くなってきたのに、マジでおじいちゃんに見えちゃうのはおいしいと思いつつもクイッと上げるのがめんどいからね。 所持しているメガネから度数を測って、同じ度数のレンズを在庫から取り出して、視力を測ることもなく30分で受け取り。すげーなー。これまでかけてたやつだって2万円というのは安い気がしたもんです。ただ、安いやつだとちょいと重めのレンズですね。何千円か払えば、あとでグレードが上のレンズと交換してくれるってどういう仕組。

台北へ・ゲイパーティー

4人家族になってから初めて台湾に向かう。山形、東京、成田が一番長かったかな。台湾に行くのに気持ちのハードルが低いのは、自分にとって半分のルーツがあるということ以上に、成田からの飛行機が余り揺れないことにあるのではないかと思う。でも今回はいくつかのスポットでやや大きな揺れがあった。昨年の12月、インドネシアへの出張で飛行機の恐怖を不思議な形で克服してしまってから( niji wo mita: 恐怖を克服するために )、あれは夢なのかどうかもう一度本当に確かめないうちにはやはり安心するわけには行かないと思っていた。して、結果は、やっぱり克服できていた。揺れればいい気持ちはしないものの、以前のように体が硬直するような恐怖はない。生理的反応とすら思っていたことが、治療や事件がないままにある日を境にスパッと断ちきれて、違う世界を味わうことになろうとは人間は不思議なものだ。 台北桃園空港にて、村上隆チックなアートに遭遇。 * * * * * 初日、鳥スープのお店にて台北チームの親戚から歓待を受ける。 濃厚すぎ。激烈においしかった。どうも豚足も入っていて、それゆえにコラーゲンたっぷりなスープの表面になっているよう。 へちまとにんにくの炒めもの。沖縄もへちまは食べますよね。 このあたりはよくあるよくある。シャンツァイを食べたの、どんくらいぶりだろう。 日本では「法事などで山のような親戚に会って、顔と名前が一致しないけれど適当に話題を合わせる」みたいな体験に乏しい。台湾でのこれがそれなのだな、と思う。あなたのことは小学生の頃から知っている、誰々と喧嘩して大泣きした云々。僕が台湾に時折来るようになったのは23歳以降なので台湾を意識するのもかれこれ15年のこと、今度は15年前以降小さかった台湾の親戚の子供たちが大きくなって、僕のほうが君らのことは小学生の頃から知っている、大学での専攻は?などと聞く立場に。かわえーのー。 ホテルに戻り、僕と子供2人が眠った後、深夜の台北を妻は散歩していたらしい。翌朝、戦利品の傘を見せてもらう。ホテルの下の方のフロアでは、クラブでゲイの大パーティーが行われていたようだ。にぎやかなことで。

LITE CUBE

隣人からいただいた謎の物体、LITE CUBE7(→ ライトキューブLITECUBE.jp(公式サイト) )。シャワーを浴びて水を飲もう、と思って、ああ、あれやってみよう、と。 3秒程度ごとに色がどんどん変わっていく。上から見たところも。 クリスマスの時期とかいいかもですね。

雅から性欲へ、じゃなくておいしくて良かった話

UCCから出たジャパンプレミアムシリーズの新作「雅」がおいしい(→ 美(おい)しい香 雅| レギュラーコーヒー UCC JAPAN PREMIUM(ジャパンプレミアム)凛・艶・雅 )。キャッチの「香り立ち良く、コクのある味わい。メープルのようにやさしく、ほのかな甘み。」は、ほんとにほんのり甘みがある。スーパーで買う豆でおいしいお得感とあいまってなんか良かったので、HPをキャプチャ。 よく行くコーヒー豆屋さん(→ スイカフェ Sui-cafe + beans store 山形県山形市 焙煎工房 スペシャルティコーヒー専門店 )も、もちろん豆もおいしいのだけどキャッチの書き方がいつも上手だなあと思っていて、つい買ってしまう。香りや味を別の食べ物になぞらえて表現するというのは、僕はこの店で初めて体験した。ナッツ系の香り、フルーツ系の香り、チョコの香りなど、ちょっと新鮮。と思っていたら、コーヒーテイスティングの世界では、ある種の専門用語としてこうした言葉のラインナップが存在するのだね(→ コーヒーテイスティング用語|上海珈琲実験室・自家焙煎珈琲屋アルトコーヒー )。 肯定的な評価に用いられている言葉、ああ見たことあるある。独創性ということではなかったみたい。それでもやっぱり目を引くのはあるね。なかでも、口に含んだ質感で「きつく目の詰まったニットのような」ってどんなだろう。こうやってコーヒーを表現する語彙が豊かであるのは、気安く「文化的な香り」がするなどとは言いたくないけれど、実際楽しい。 * * * * * 臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』((→ amazon )によれば、ピューリタン革命後の17世紀イギリスでは、アルコール廃絶運動とともにコーヒー・ハウスが隆盛を極めたそうだが、ご婦人からはコーヒー飲むと夫がインポテンツになるからやめろ、などとコーヒー反対運動が起こったとの苦笑いしちゃう話がある。ほんで18世紀フランスではヴェルサイユの貴婦人方に大受けしつつも、やっぱり性欲減退させる説が妻帯に厳しいカトリック僧侶にも受けて、というこの本はなぜ近代市民社会を性欲で語ろうとするのでしょうか。近代市民社会を作ったカフェ文化の話は、イギリス、フランスどちらの章も性欲の話で終わっています。 コーヒーといえば、昔アラブの偉いお坊さんが西田佐知子に歌を教え...

コントローラブル・ドッグ

長年の犬苦手症候群が友人のところで犬と交流を続けているうちに、なんかこう勘所がわかったような気がしつつあるかもしれない可能性が見えてきた。元来犬と猫のどちらをかわいがるかといえば、昨今の「犬と猫は必ず択一」みたいな派閥構成方法に則るならばもちろん猫であるのだが、犬も両立しうるかもと思うわけです。 犬の何が苦手である(あった)かというと、ずばり距離が近い!ってことなんですね。いや、ちょっと違うな、どちらかというと僕は距離が近い付き合いも生物全般(人間含む)において好きなのですが、相手から詰められると弱いのですよ。猫ならばこちらが近づいていって、なでなでしたり猫の気分が乗っているならだっこしたりできる。猫が寄ってくることは空腹時以外は滅多にない。しかるに犬は違う。オールウェイズ密着距離の強要であります。 相手がどんな美人(美しい人間という程度の意味です)であれ愛らしい犬であれ、その距離を詰めるのは主体的な私であって二人称であってはならないのです。俺こそがその距離を決める。なぜならばどうもコントロールできないものが怖い、という感じが僕の奥底でかなり強い電波を発しているからなのです。思えば小学生の頃、ニケツでチャリの後ろを担当した時もすごい怖かった。けど自分が運転しているときは大丈夫。天敵の飛行機も自分が操縦していると思えば、まだしも恐怖が薄れるのです。 しかしあのアンコントローラブルなお犬様!わたくしの顔を超ベロベロする「ゼロ距離」と、わたくしが腕を伸ばしてよしよしする「腕距離」についてはコントロールすることができるようになりました。その距離は俺が決める。この距離は完全に俺のコントロール下にある。すなわちコントローラブル・ドッグなわけです。至近距離であってもそこに程度の違いを見出してコントロールしたことにする、これは犬のコントロールに見せかけた自己コントロール術にほかなりません。やったぜ、自分。犬克服の瞬間であります。

タモリと山下洋輔の出会い

あー。授業の教材をyoutubeで探していたらこういうのにぶつかっちゃうんだ。xVideoServiceThief( xVideoServiceThief Official Web site )でガンガンビデオをDLしておこうと思った矢先に一発目がこれですよ。タモさんの多言語ネタが欲しかったのですよ、本当は(見つけたけどね、やまほど)。 今でいう江頭だなんて。九州ネタということでしょうか。

ルール変更をしたふりをする

一昨日、娘がお定まりの「幼稚園行きたくなあいー」でぐずった。我々夫婦も最近は心得てきて、「そっか、行きたくないよね、行きたくないもんね」と肯定しまくり、気持ちを落ち着かせて幼稚園バスに突っ込む荒業を繰り返していた。が、乗車時まで気持ちが落ち着かない先日、幼稚園先生の必殺技が繰り出された、と妻から聞いた。 「そっか、じゃあこれから幼稚園に行って、◯◯先生(担任)に幼稚園行きたくない、って言いに行こう」 娘は「?!」とした顔をしたのだろうと思う。腑に落ちない感じで、でも分かった!とバスに乗り込んだらしい。傑作である、と僕は思った。「ルール変更したことにしているが、実はルール変更していない」だましのトリックは小さい頃から好きだったなあと思い出すに、ほら例えばという感じ。なので思い出し2つメモしておく。 〈ココアといったらコーヒー〉 「ココアと言ったらコーヒーって言ってね」 「ココア」 「コーヒー」 「コーヒー」 「無言」 (ココアで反応、コーヒーで無反応というルールを悟らせたあとで) 「じゃあピザって10回言って」 「ピザピザピザ…」 「(ひじを指さして)じゃあここは?」 「ひじ」(ピザとヒザを混同させるルールだと思わせて) 「ブブー。コーヒーでしょ」 〈中東のとんちばなし〉 あるところに頓智で有名な男がいた。男が隣町を歩いていると、建物の2階の窓から呼ぶ声がする。お前の評判を聞いているぞ、頭がいいらしいな、そんなに頭がいいのなら、お前のとんちで俺を1階まで下ろしてみろ、と。とんち男が答えて曰く、確かに俺は頭がいい。でもそんな俺でも2階にいるやつを1階に下ろすのは無理だ。ただ1階にいるやつを2階にあげることならできる。やってみるか?おーし、というので2階の男は1階に降りてきてしまう。 * * * * * と、ここまで書いてみて、日常的な交渉事って少なからずこのロジックを使うことはあるかも、という気もしてきてきた。子ども相手でも、職場でも。交渉の基本なのかもしれん。この手の話をご存じの方、募集中です。

マイア・ヒラサワ

九州の新幹線CM。うん、いい感じ(via. my heart beats - しゃかりきレモンパイ )。そんで確かにビヨークっぽいですね。 下の曲、"Star Again"これも好きだな。

地球の男に飽きたところよ

久しぶりにyoutube開いて音楽聞きながら仕事と思ってたら、なんすかこのUFOブームは! おばちゃんの声、最高です。「朝日新聞に!」のあたりが微笑を誘います。にしてもだ。今回の災害と一緒に日本に現れまくっているとかいう、不可思議な飛行物体がずいぶん話題になっているよう。福島にも東京にも。不謹慎とは思いながら、つい見入った挙句にブログに上げる。 このあたり、ずいぶん煽ってますね。そのまんま未確認な飛行物体であることは、まあみたまんまです。しかし数の多さ、ほんっとキモイな!にも関わらず見ちゃうな!やっぱりムー世代であるからか…。

放射線チェッカー

放射線チェッカー - Android マーケット は、文科省発表の、都道府県別放射線量を見やすく提供してくれるアプリ。環境、水道、降下物についての情報が示される。類似のアプリがいくつかあるなかで、ちょっと目をひくのは放射線量だけでなく「避難すべき基準」が示されているところ。数値だけでは脅威との関係が見えにくいので、参考にはなる(文科省の発表しているデータそのものを疑う向きには使えないアプリだろうが)。 脅威に対する考え方は、スウェーデン国立スペース物理研究所山内正敏氏の 放射能漏れに対する個人対策(第3版) に基づいている。これによれば脱出(避難)の基準は例えば以下; (1) 居住地近くでの放射線濃度が1000マイクロSv/時(=1ミリSv/時)に達したら、緊急脱出しなければならない = 赤信号。 (2) 居住地近くでの放射線濃度が100マイクロSv/時(=0.1ミリSv/時)に達したら、脱出の準備を始めた方が良い = 黄信号。 (3) 妊婦(妊娠かどうか分からない人を含めて)や小児の場合、居住地近くでの放射線濃度が300マイクロSv/時(=0.3ミリSv/時)に達するか、ダスト濃度が 500 Bq/m3 に達したら、緊急脱出しなければならない = 赤信号。 (4) 妊婦(妊娠かどうか分からない人を含めて)や小児の場合、居住地近くでの放射線濃度が30マイクロSv/時(=0.03ミリSv/時)に達するか、ダスト濃度が 50 Bq/m3 に達したら、脱出の準備を始めた方が良い = 黄信号。 (12) 現在、日変化の最低値が15マイクロSv/時(子供や妊婦なら5マイクロSv/時)ならば、早めに脱出すべき 山形は2011.5.15は0.046マイクロシーベルトなので、この基準で言えば避難するほどではないということになる。もっとも、文科省のデータは各地のモニタリングポストの設置の高さがまちまちだから信頼できない、という話もあって(→ 「官邸の指示で出さなかった」 警戒区域4カ所で毎時100マイクロシーベルト超(産経) otoppi )どうかなとも思う。たとえば 放射線・原子力教育関係者有志による全国環境放射線モニタリング では同じ機器で地上1m、の基準で計測した有志の数値が公表されている。これによれば文科省の観測値のほぼ2倍の放射線量が出ている。山形市では他にも毎日観測してい...

ルービックキューブ

この3ヶ月ほど、仕事の合間にルービックキューブをすることが増えた。うわっ、我ながらネクラー。同僚が先にはまっていて、やたらと熱く語るのでついに僕にも伝染してしまったのだった。小学生の頃から一面たりとも揃えたことがなかったルービックキューブだが、付属の説明書を元にパターンを押さえれば、誰でも6面すべてを揃えることができる。攻略書を読んでゲームをクリアするずるい方法でやり方を覚えると、頭を使わずとも簡単にクリアできる。 ゲームと違うのは、一度クリアするともうおなかいっぱいになる=ストーリーが分かると満足するのではなくて、何度も楽しめてしまう点にある。探求心の強い同僚は、どのような仕組みでキューブが揃っていくのか、その合理的な過程に興味をそそられるようだが、僕の場合は整理整頓の欲求が満たされていくのがその都度気持ちいい。 さて、その攻略法には、目的によっていくつかのバリエーションが存在している。僕が覚えたのは、ツクダ式(→ ツクダ式 - Wikipedia )という方法で、(1)完全2面から(2)中段を揃え、(3)最後はルービック・マヌーバーという手法で完成させるものだ。この(1)から(3)の流れは、(1)と(2)が準備段階で(3)は総仕上げと位置づけられると僕は思っていて、整理整頓の欲望はちょうど(3)で最大を迎える。ドミノでいえば倒す瞬間、料理で言えば盛りつけの瞬間、洗濯物をしまうプロセスで言えばたたんだものをタンスにしまう瞬間とでも言うか。ある種のオーガズムが、いや、それはねーな。 ところで、キューブの世界にはスピードキュービングと呼ばれる速度を競う競技がある。次のyoutubeの動画に見るように、たまにテレビで紹介されるじゃないですかこういう人、みたいなまるで駅名全部言えますよ的なあれである。いや、それは全然違うな。 僕が覚えているツクダ式では、このように短時間で6面を完成させることはできないようだ。僕の最短完成時間は5分程度、同僚でも2分程度。実はスピードキューブで用いられる攻略方法は別にあって、それはLBL式(→ Layer By Layer - Wikipedia )と呼ばれる。この攻略法による世界記録は、wikipediaによれば、2007年4月の段階で11秒台だとのこと。敬意を込めて言うが、全くもってアホだ。現在の世界記録は Welcome to Wor...

川遊びと虫取り

ようやく仕事がすっかり終わって、こっから先は飽きるまで遊びと読書と研究だけをします宣言をここに声高にいたします。仕事なんかやるかバーカといいつつも、明後日から引率とか引率とかで新宿宿泊だけどね。君とか君とか君とかに会いたい。しかしまた別の機会に! 原稿の締め切りに恐々としながら、いつも全然遊べなくてごめんとばかりに子供を連れ出して川へ。昨年はできなかった、堰堤からの飛び込みができるようになっていて驚く。しかも浮き輪なし。これはもう僕も父として浮き輪を持たない生き方をせねばならぬと柔らかく決意。だってねえ?足つったらどうすんだよ。 子供の唇が紫になる→甲羅干し→ピンクになる→紫になるという無限ループをやってるうちに、そうだカブト虫取りに行かねえ?と子供より張り切る僕であった。もういいよ川はよー。また今度にしようよー。誰が誰を連れているのか分からない流れである。 折しも子供は堰堤から流れ落ちる水を相手を宇宙海獣に見立ててのパンチ&チョップに一心不乱。どう見てもやばいお子さんである。せめて桜を雪に、であれば風流さが伴うものの…ごめん、僕の子供にそれはなさそうだな。そういうのは和歌の人に任せた。最後はなんだか分からないけれどアイスラッガーで敵を倒したとのこと。教育のたまものである。 何となくいやがる子供を連れて虫取りに。山や森には事欠かない、人生至る所深山幽谷の山形であるから、道をちょっと外れればクヌギやコナラにはすぐお目にかかることができる。夕暮れの中、近所の山に登る。時間が早いのか、全然甲虫がいない。そろそろやばい感じの薄暗さになってきたところで、カミキリムシを一匹ゲット。ノコギリクワガタが良かったのにー。お父ちゃんもそう思うー。ムシキングもほしかったのにー。いやお父ちゃんそれは現実にはいないと思うなー。 大丈夫、夏休みはまだ長い。

Decade of Decadence

1981年に結成されたmotley crueというバンドがその10年目に"Decade Of Decadence"(→ amazon )という、そのまんまなタイトルのベストを出したとき、10年ってやっぱり振り返りたくなる節目なのかなあと高校生である僕は考えたのでした。10年分の退廃を集めれば、それなりのセンチメンタルとは別に、記録としての価値はファン以上に本人たちにとって意味をなすのだろうなーと思っていました。 niji wo mita(→ 旧サイト )を始めてから8月2日で10年が経過して、いよいよご長寿ブログの仲間入りだー、などと軽薄にうすら喜ぶけれど、テキストサイトブームも終盤にさしかかった1998年に始めたこの場所は、盟友 expop をのぞけば、仲間入りも何も極々私的な僕だけの場所でした。大学院修士課程の2年目、学生時代からつきあっていた彼女にこっぴどく振られ、あっちへ行きこっちへ行きしながら、いまになって思えばどの角度から眺め直してみてもモラトリアムそのものの生活をする中で、グダグダ日記を書き出したのを思い出します。いや、志はもうちょっと高いふりをしていたかもしれないな。最初のころは、音楽的母語の存在を探る、とかやってたし。 ともあれ、僕にとってのブログはどんだけ頭悪いと言われても、公共性などクソくらえで、あくまでも私的領域としての自由が保証されていなければならないと考えます。というわけで、motley crueよろしく退廃の10年間に書いてきたテキストのうち、自分にとって意味のある5本を刻み、記念とします。 ジョジョに引用されるモダン・ホラー群 (98/08/12) ガンダムを描けッ (02/03/11) 安心のしどころ~言霊復権 (03/04/30) 味方か、敵か~マルチアイデンティティの提唱 (03/12/14) アーネスト・サトウとピジン日本語 (06/02/01) 次にこういうことをするのは、さらに10年後なのかな。目下、最大の興味は、これを僕の子ども達は読むことになるのだろうか、ということです。親の日記が衆目にさらされているわけで、ここを足場に特殊なコミュニケーションが交わされることになったりして。

ものすごい東部オリエンタリズム カンフー・パンダ

久しぶりに時間を取って、上の子どもと2人で映画を見に行った。見たのは、カンフー・パンダ(→ オフィシャルサイト )。 このところ、我が家はカンフー・ハッスルだのカンフー・サッカーだの、カンフー・麻雀だの、例のB級カンフーブームが来ている。オクサマが酔拳時代からのジャッキー・チェンファンということもあるので、遺伝的な影響もあって子どももカンフーが好きなのだ。そして他人事のような顔をしている父親はというと、往年のサンデーマンガ、松田隆智/藤原芳秀コンビの『拳児』(→ amazon )の気合いの入ったファンである。じゃあもう家族そろってカンフーじゃん、というとつまりそういうことだ。 カンフー・パンダのストーリーはとてもわかりやすい。町のラーメン屋の息子たるパンダが、1000年に1度現れる伝説の龍のカンフーマスターに選ばれた。デブで根性なしのパンダが?と本人も兄弟弟子たちもびっくりする中で、強大な力の暗黒面に引きずり込まれた兄弟子と対決するために、ご都合展開を迎える。以後ネタバレになるのであれですが、やっぱり東洋の神秘ネタだと、アメリカはスターウォーズになってしまうのかね。オイディプスのシークエンス、そして内なるフォース。 後ろに座っていた子どもたちはケラケラずっと笑ってたし、ドリームワークスの面目躍如たるアクションシーンには確かにかっこいい。パンダがとつぜん「自分を信じて」カンフーに目覚めて伝説のカンフーマスターになっちゃうくだりも、90分のお話だからいいんだ。うちの子どもも喜んでたし。 ここにツッコミを入れるのは野暮以外の何者でもないのだが、そろそろ東部オリエンタリズムは本気でアメリカになめんなコラと突っ込みたい。「自分を信じろ」とは、カンフーの教えとはむしろ相反した教えではないか。エゴを捨てて宇宙と一体になるのが、梵我一如たる究極の到達点であると、拳児のじいちゃんも言ってるぞー。ドリームワークスは拳児全巻、オイゲン・ヘリゲル『日本の弓術』嫁。ほんでカモメのジョナサン読んでもっかいフラワームーブメント池。じゃなーくーてー。70年代どころか20世紀前半まで戻って間主観性からやりなおせやコラ。 (追記) 老子の大阪方言訳を久しぶりに再発見。ちょうど7年くらいまえに、このサイトを一生懸命に読みあさっていた。こういうとき大阪方言ってずるいよねー(いい意味で)。 「 老子 第7章...

ミャンマーのサイクロン

ミャンマーをサイクロンの影響で、4000人近い人が亡くなったという。教えている留学生はいまどんな思いで日本の連休を過ごしているのだろう。さしあたり、情けないばかりだが、被害者に近しい人がいないことを祈る。 " ミャンマー、サイクロンで約4000人死亡 写真21枚 国際ニュース : AFPBB News "では3969人の死者が出ていると報じられている。" BBC NEWS | Asia-Pacific | Burma's storm toll 'nears 4,000' "では3000人近くの行方不明者と40名程度の負傷者を伝える。圧倒的に負傷者が少ないのはやや不自然に感じるがどういうことだろうか。国際ニュースのサイトに上がっている写真は台風一過という感じのものばかりで、事態の深刻さはいまいち伝わってこない。" Myanmar death toll 'could reach 10,000' - CNN.com "では1万かよ!という数字はさておき、被害の様子が動画で伝えられる。 4日のニュースでは351人と報じていたのが、5日になって10倍以上の数字となった。軍事政権がやってる国営放送だ、ということをどのような重みで解釈すればいいのか分からないが、1999年にインドを襲ったサイクロンが1万人の死者を出したということを考えれば、あり得ない数字ではない。イラワディ地区だけで約4000人だというから、数字が正しければ今後報告される数字は増えるのかも知れない。阪神淡路大震災の時も、最初はとても少ない数字が報道されていた。 自然災害で亡くなる人の数というのが、どれだけたくさんなのかいつも感覚的につかみにくい。ひどいことが起こっているのだと思う。

昼寝とおやつが必要なとき

リベラルヅラを決め込んでいる上司がクソマッチョだったときの憤懣やるかたない感じ、いや逆ですね、クソマッチョなくせにリベラルを装って進歩的な人間ヅラしているのを見るほど首しめたろか、って思うことはないですね。こういうヤカラは装いでしゃべっているので対話のしようがありません。親方日の丸・美しい日本、で首尾一貫しているほうがよっぽど対話できるってもんだ。で、何か語らせるとぜんぜん勉強していないくせに研究者批判をしながら、かならず本質主義的なところに落ちて「古来変わらぬ日本の心」「まごころ」「感情」が大事とか抜かす。心や感情がどんだけ社会や歴史の文脈から自由だと思ってんだろう、とたまには全力で愚痴らせてください。思い出し怒りにつつまれるときは、まず寝不足栄養不足である可能性が高いので、おいしいものでも食べて昼寝します。

久しぶりの、子供との散歩

3月末に家族が越してきてから、両方の時間感覚などを合わせるのにお互いにそれなりの労力がかかりつつも、学期初めの多忙業務が一段落するまもなく授業期に突入。 合間を縫って、子供と上山市を散歩。取り残されて生きながらえている昭和と、遺跡となってしまった昭和の発見などあり。 商店街に面した廃屋の一軒から小路に入ると、小学生向け雑誌の看板が見つかる。書店だとは気づけないほどの荒廃ぶり。小路の先は寺町通り。 土曜の昼だというのに、お城のある月岡公園の無人ぶりも大したもの。芝生広場のある公園、天気よし。倒れ込む子供。 見ての通り。大気常時監視で思い出したが、関東では光化学スモッグ警報をよく聞いた。空気と水に全く申し分のない上山で何を測定しているのかは不明。 春先ということもあるのだろうか、ほとんど全く手入れをされていない薬草園。 サウンドノベルでお馴染みの弟切草(→ wikipedia )ですよー。ゴンゲー!ある登場人物の有名なセリフですが、ご存じですか? まあ、そうでしょうな。 山形では春先に食べる山野草、アマドコロ(→ wikipedia )。苦みと甘みがある。萎蕤(いずい)のことなんだ!本草和名にも載ってる古くからの植物みたい。ご存じですか? まあ、そうでしょうな。 月岡公園を降りて、しばらく歩く。下二桁だけで通用する地域社会、の名残? デズニーランド的なね。 ちうか、ブログ更新する時間をどうやって確保しつつ、仕事や研究の時間を確保するか。あれ?

いまさらですが

すっごく分かりにくいあれですみません。4月1日のはエイプリルフールネタをやってみたかっただけです。言語専門の人に本物だと思ってスルーされてしまったので、はっきりとウソであると書いておきます。以前、フランス語専門の人にウソフランス語を教わったとき、ほとんど同じ反応をしてしまったことを思い出しました。ウソと分かりにくいネタは面白くなくてダメだな。ごめんなさい。