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1月, 2010の投稿を表示しています

モーリー解説中に逝く

podcast探索中に出会ってしまった。モーリーさん、最近どうしてんのかなあと思ったら。 3:55あたりからおかしくなるモーリー。しかも4:25あたりから番組そっちのけでキてしまっている。最後は「宇宙に抜けそうな気がする」発言のまま何かが崩壊して終了。素敵だなあ。

娚の一生

西炯子『娚の一生』(→ amazon )、2巻まで。いやーこれは、ふんふん。単純に面白いと思ってしまう36歳ですが、詳細を紹介する気にはなれん。僕は女性ではないんであれですが、ランキング上位に挙がるのは分かる気がする。まあ、なんやかんや言っても、ロマンチックラブイデオロギーが語られているのだが、切り口はそうではないな。結婚はそういうもんじゃないだろう、という否定形による語りでもない。mixiニュースで紹介されていた、30代後半女性をターゲットにした、というより90年代後半におしゃれ女子でした、という層を撃ちまくり、との記事を思い出す。そうですか。 なお、タイトルは「娚」を「おとこ」と読ませる。今昔文字鏡では「めおと」と訓じる。大漢和にはそのような訓を生ずる解釈はないし、学研漢和大字典には立項自体がない。だからといってこれ以上調べるのもバカバカしいのだが、手書きタイトルでは旁の「男」が大きく表記されていて、いろいろ深読みしたくもなる。

言うた矢先にですで

そんな午前を迎えたら、午後は午後で学生が発表直前にUSBのデータをすっ飛ばしましたよ、っと。USBの中身にあるはずのフォルダ名やらファイル名やらがすべて文字化けして、タイムスタンプが2185年とかだった。vistaでスキャンして修復したら、9割くらいきれいに掃除されてしまって、おかげさまで肝心のファイル群はすべてなくなってしまった。どーしてくれんだよ、vista、お?で、大騒ぎして、結局自前のパソコンにデータがバックアップされていて、よかったよかった。常日頃データはバックアップしてあるほうが本体!USBのはあくまでも出先機関!と口を酸っぱくして伝えていたことが奏功した、ということにする。

勝手に再起動を止める

windowsの自動更新&勝手に再起動機能によって、書きかけの文書が消失。学生にはレポート類の提出間際によく文書が消失するトラブルが起こるから、保存はこまめにと言っておきながらですからね…。しかも消えたのは学生が書いた卒業研究へのコメント集だったという皮肉。これまでも勝手に再起動によって、作業が中断されてうんざりしたことは何度かあったけど、未保存の文書が消失した経験はなかった。さすがに今回の出来事できちんと設定を変えることにした。 「更新プログラムを自動的にインストールする(推奨)」をやめて、「更新プログラムを確認するがダウンロードとインストールを行うかどうかは選択する」に設定を変更。それだけ。デフォルトで再起動ありってユーザーに対してひどくない?

降雪後の晴天

自宅から歩いて出勤。たった30分なのに、車生活に慣れると遠いかもって思い込んでた。 圧雪(あっせつ)のところは歩きやすいけれど、氷がむき出しになっているところは要注意、ってところは車と同じ。車が通らないところを歩くのは、普段と違った風景の発見があっていいよね。 自転車の轍を発見して驚く。スリップしたら橋の欄干を越えて、厳寒の河の中へ落下するぞ…。が、雪の日の高校生はコートもまとわず(高校生的にはコートはカッコ悪いらしい。地域ごとの美意識の発露)、果敢にチャリをこぎ、そしてたまに豪快にこける。怖くないのか、と思うが僕にはわからない雪の日の常識があるんだろう。

かいじゅうたちのいるところ

「あなたの中の子どもへ-『かいじゅうたちのいるところ』公開を前に」(→ 2010-01-14 - THE KAWASAKI CHAINSAW MASSACRE )を読んで、この映画は絶対に見なければならないだろうなと思った。できれば子どもを連れて行こう、と思う。退屈で飽きたらそれはそれで。 Weekly Teinou 蜂 Woman: どんな子どもにも金の冠を捧げるべきなのです。 でも私にはくんなかった!(新宿ピカデリー!) 経由で上記エントリを知ったのだけど、映画自体はスパイク・ジョーンズに興味があったので知っていた。また原作は子どもが生まれてから「大人が読ませたくない絵本」として名高い、と幼児教育畑の同僚から聞いて購入して読んでいた。僕の家の中には、子どもの教育に明らかに悪影響を与える、とされるものが山ほどある。僕自身が読んでいるものを知られることが気恥しいので読まれることを良しとはしないが、こういうものにもいつか興味を持ってもらえたら少しうれしいかも、とも思っている。 思い返して欲しいが、誰だって子どもの頃親や先生をはじめとした大人から理不尽な扱いを受けて暴れたくなったことがあるはずだ。そんな葛藤や怒りを「なかったこと」にする大人をセンダックは軽蔑している。 上記エントリではこのように述べられている。なかったことにできるはずがない。なかったことにして誰かと対話することなどできるはずがない。だからアソビさんのサイトでのオンくんの話を見ると、アソビさんのことを心底すげえなあと思ってしまうのだ。僕にはそれを貫くことができるだろうか? 親バカの僕は恥ずかしげもなく言うが、上の子ども(下の子どもは未知数)は突然変異と思えるほど優しくナイーブな何かを持っている。それが東京から山形に至るまでの、僕と別々に暮らした体験や、僕抜きでの僕の実家暮らしなど、特殊な体験が追い込んで作った、という側面的責任から逃げるつもりはない。この優しくナイーブな何かを抱えて成長するのは決して楽観的に捉えられるものではないし、僕や妻がある種の盾や鎧とならなければならないことは確かだろう。そして、三つ子の魂ではないが、この優しくナイーブな何かから子どもが完全に自由に生きることはないだろう。たぶんだが、上記エントリを読んで、また原作を読んで、子どもに好ましくないとされるいくつかの描写が子どもを助けてくれ

出張中

盛岡→遠野→一関(イマココ)。雪深きみちのく。岩手に来る時はなぜか岩手ご出身の某研究者の論文を片手にしている。服部四郎の音韻論に若干の修正を加えて解説するもの。服部音韻論は「表層の音形を最も合理的な形に解釈して確定する」ことを目指したとされる。したがって表層の音声観察にも高い厳密さが目指された、との由。挙例含め、示唆多き論文。

網野善彦『日本の歴史をよみなおす (全)

網野善彦『日本の歴史をよみなおす (全) 』(→ amazon )読了。大変恥ずかしいことだが網野善彦の本は初めて読んだ。もっと早くに読んでおかなければならない本だった。言語史(あるいは過去における共時言語学)を取り扱おうとすると、ともすれば当時の社会的背景への体重配分が軽くなってしまう。それは自分の専門が言語学の分析手法に重きを置くことで成立しているから当然のことなのだけれど、ふと「それがなぜ書かれたか」という視点から開放されてしまうことがあるので良くない。網野氏の「百姓=農民ではない」「商業主義的な人口の流動」「権力と階級」あたりのグワっとしたところの面白さもさることながら、古代の識字層ってステレオタイプに語られるほど少なくないという示唆は改めて貴重だなと感じた。

ヘトヘト

よその大学に遅ればせながら、卒業研究シーズン、本日最終日。うちのゼミは全員出し終わった…。今年はギリギリだったのでヒヤヒヤ。ホカホカになるためにシャブシャブに行きます。

中村明日美子『Jの総て』

中村明日美子『Jの総て』(→ amazon )。絵が怖いと思って食わず嫌いだったが、食べてみて美味しかったけどしばらくはいいやという比喩で変な誤解を招かないといいなと思う(笑)。途中から妙に「アメリカ社会におけるゲイ」が強調される社会派マンガになりつつ、フツーに恋愛マンガの数年後みたいにしてベタ足で着地。 構図としては、両性愛・性同一性障害(MtF-GID)の主人公=Jが、同性愛・非性同一性障害・男性=ポール、異性愛・非性同一性障害・女性=リタ、両性愛・非性同一性障害・男性=ユースタスとをめぐる物語。Jがポールと結ばれて大団円だが、リタとJの間には子どもができて、ユースタスはJともリタとも関係するという大筋。つまり、Jとリタとユースタスの三角関係が置き去りにされて、ポールと結ばれる。 んー。物語としてはそれだけなのだけど、セクシャリティを絡めるとちょい複雑。リタ視点ではユースタスもJも男性。ユースタス視点ではリタは女性、Jは男性なのかなと思う。そっか、ポール視点だけがJのセクシャリティを男性とも女性とも位置づけず、そのまま受け止めたわけか。いいのかな、この解釈で。「君は君のままでいい」がオチだとすると、全くもってベタな恋愛マンガなわけだが、JはMtF-GIDなのだからポールはJを女性として受け止めたはずだ。しかしポール視点では同性愛だからJは男性に見えているはずだし、と。いや、やっぱそのまま受け止め仮説が正しいのか? 絵についてはね…。なんで食わず嫌いだったかというと、基本的に読んでみて分かったのは、御茶漬海苔に似ているですよ…。乾いた線の感じとかが。しかも点描の感じがさらに本能的に何かを避けさせている…。

ipod touch中古で

iPod touch(第1世代)を同僚から安く譲ってもらった。そもそもは音楽だけが目的で、山形に来てから音楽が聴けるのは、ほぼ車の中なのにCDの持ち運びが煩瑣のために、いつも同じようなCDしか回転しないこと。長距離移動の子ども退屈対策用にCDを焼くのが面倒なこと。そして子どもが寝るのが早いために家ではスピーカ経由で音楽が聴けないのだが、パソコン経由で聞くのは音質があんまり良くないしパソコン自体の挙動が遅くなってしまうこと。以前も同僚に見せてもらったことは何度かあったが、決め手は車の中で聞くにも十分に使えることだった。 音楽での重宝振りもさることながら、ちょっとしたことでネット閲覧するのにものすごく便利!wifi限定だから外出したら無理だけど、外では携帯性が利便性に先立っているので電話でも全然苦ではないし。カレンダー、メールの類も、携帯電話もパソコンもiPod touchも文字通りすべて「端末」なので、すべて整合的に使える。 いつもこの手のものに手を出すのって、すごく遅いのだよね…

年末から年始にかけてのマンガ

うすた京介『ピューと吹く!ジャガー(18)』(→ amazon )、サイバラ『上京ものがたり』(→ amazon )、ジョージ秋山『オリは毒薬』(→ amazon )、ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』(→ amazon )、遠藤浩輝『オールラウンダー廻(1)(2)』(→ amazon )を。 ジャガーはクスリとも笑えなかった奇跡の巻だが、これは作者がいいかげんをかましているのではなく、実験的な笑いを探索し(結果的に失敗したが)たものと前向きに評価したい。焼き肉卓球の話だけはなんか脳からα波が出る。あれはいい。サイバラは『お金の話』(→ amazon )をもう少し抒情的にまとめた感じ。感動とか元気を人からもらう図々しさは承知の上で、サイバラってどうして読むと元気になるんだろうな!ジョージ秋山のこのシリーズはもういいんじゃないかと思う。出たら絶対買うけどね…。テルマエ・ロマエは佐々木倫子みたいに静かに笑わせる。ローマ時代の風呂設計師が現代日本にタイムスリップして、その風呂文化をローマに持ち帰るというお題なのだけど、毎度のお約束がもうドリフだな。オールラウンダー廻は修斗の話。格闘技オタク受けしそうなところは良く分かんないのだが、二人の主人公の田舎が東北(たぶん秋田)で、その青春時代の薄暗さに妙なリアリティがある。遠藤浩輝だしヤクザがらみの乾いた語り口は冴えまくるよねえ。じっくり描こうとしている感じなので、先々楽しみ。 嘘食い、黒鷺死体宅急便、榎本俊二のカリスマ育児、海月姫、petのそれぞれ最新巻とか買ったけど、特筆すべきことなし。東京怪童(2)とpet(5)を狙う。が、何しろあと9週間はハンタが楽しめるからな!

リセット夕食

■年末以来の肉中心の食事がさすがに体に堪えてきたので(オクサマ実家は結構な肉食)、身体のモードを変えるために大根のスープを。大根半分(深底のカレー鍋なんかを半分くらい満たす量)を拍子木切りにして、昆布、しめじ、水で戻したキクラゲを千切りにして、水からゆっくり煮る。水はたっぷり、料理酒を半カップ。45分くらい弱火を通すと大根の甘みが出ている。もっと早くてもいいのかもしれないが、マンガ読んでたらそれくらいの時間だった。塩と醤油で味を調える。優しい甘みとキクラゲの歯ごたえ。以上、全くの自己流なのでもっとおいしく作る技があるかもしれない。 ■アクセントとして、ざっと茹でねぎの中華風サラダ。おそらく地方はどこも同じだと思うが、そこいらで取れたばかりの太いねぎが20本くらい束で売られている。それを2本~3本使ってまるまる食べてしまう料理。ねぎは3ミリ程度に斜め切りして、ボールでかき混ぜて層になったところを少し崩しておく(火の通りが早い)。沸騰したたっぷりのお湯に1、2分さらしてすぐ上げる。このあたりは好みだが、湯につけすぎるとドロドロになるし、早すぎると胃にきつい。やや堅めで上げても余熱で火が通るので、きつさが少し残る程度でも大丈夫。湯からあげたら、ざるで水分を切る。絞ると成分が抜けるのでざるで振る程度。ごま油・酢・塩でドレッシングをお椀半分くらいの分量作り、ボールでねぎと混ぜる。温かいうちに皿に盛る。これも本日思いついた料理だが、思いのほかオクサマには好評。 ■しかし、年齢のためか、5年くらい前までしきりに作っていた濃いめの中華をほとんど作らなくなった。カネリリの人に、「昔は自分が食べたい料理を作ってましたよね」とか言われて、実はオクサマにも同じことを言われていたのだけど、友人のハバラさんちの料理とかアイボンちの料理とかにお呼ばれされてから大反省をかましたのだった。ただ、今思い返すとあれが「食べたかった料理」なのか、自分でも判然としない。どちらかというと「作ってみたい料理」ではあった。友人宅の料理で気付きを得て、山形でそっち系の料理に路線変更といった感じだが、自分以外には何のことやら分からない記事でほんとごめん。あの頃は「派手で手早い」料理で、いまは「地味で凝らないがややじっくりした」料理?というところか。パーティーみたいなのには向かないかもね。 ■実は3が日に食べた、新大久

山形帰宅後のメモ

■ハンター連載再開。しかし巻末のひとことが「できるだけ描きます」で…。「できるだけ落とさぬよう」ではないのね…。せめて年内に単行本2冊のペース希望…。 ■ジャガーの出だし良かったなあ。マンガじゃなきゃできない表現で笑わせるのって、マンガ好きにはたまらないものがある。そして期待通りのオチで、今年も無我の境地で笑いたいと思います。あ、僕の初笑いはジャガーのツカミネタだったな。 ■友人soraにもらったパルメザンチーズとチーズおろしでチーズソースクリームパスタ。市販品と違って、しっかり発酵させた香り。塩気が効いていないので、料理に合わせやすいのがありがたい。 ■宮迫とかが出ているアデランスのCM、まるっきりfatboy slimのweapon of choice(→ YouTube - "Weapon of Choice" by Fatboy Slim )じゃないか。いいのかこれ。 ■子どもの国語の宿題を一緒にやる(手伝いじゃないよ)。国語の世界に限れば、良問と悪問とがあるんだろうが、そもそもが国語が養おうとしている力って、何なんだろうと改めて考えさせられる。国語世界の暗黙の了解っていうのが多すぎ。文中から適切な部分に着目して過不足なく答えさせる、とかってよくある問題だけど、ふつう談話でもテクストでも余剰情報が言語の表裏に網目をなしているものだし、過不足ない言い方って自然言語からすれば不自然なんだけどなあ。余剰がそぎ落とされた、過不足ない回答を要求する、というのはむしろ言語から離れて、数学的な純粋論理学をフィールドにしているように思える。自然言語にとって自然な答えが時に否定されるような暗黙の了解って、どうなんだろう。それに馴致されてしまった僕らは何を言語だと見ているんだろうね。

岩石 on the machine

今年もどうぞよろしくお願いします。 正月は初日:鬼の書類書き、2日:子どもを後楽園に連れていく、3日:奥さんと新大久保めぐり、とフツーに家族と過ごしました。新大久保で3が日からタイ料理というのはいかにもnjm的な話題だとして、後楽園でスピンコースター舞姫に乗ったことは特筆せねばならないでしょう。 なぜなら飛行機を始めとした落下や揺れを前提とした乗り物は、アウト中のアウトだからです。いつかは子どもにねだられるだろうと覚悟していた日がついにやってきたのでした。しかし!飛行機の少なからぬ恐怖体験の中で開化しつつある能力「恐怖の瞬間だけ岩石になる」のおかげで、正気で帰還することができました!この手の乗り物は、並んでいる途中にコースをしっかり頭に叩き込んでおくことで、岩石になるタイミングをシュミレーションすることができます。ゆえに飛行機と比べて圧倒的に無機物になりやすいのです。油断して飲み物を手にした瞬間突然エアポケットに落ちて無機物になり損ねたために正気を失う!などの不意の失敗がありません。予測できる恐怖のタイミングなどわたくしにかかれば秋口の死にかけた蚊を叩き落とすくらいたやすいことです。3,2,1ターン!…アンド3,2,1落下アンド上昇!ここでスピードを落としたと思わせておいて急降下!ヒトto岩石、岩石to人、思いのままであります。ただ、短時間における有機物と無機物の連続往復によって、なぜか停止後、無機物(岩石)モードが解けずに困りましたが…。30分ほどで緩やかに有機物モードに戻りましたが、なぜか両太ももだけが以後もしばらく無機物に…。 そんなわたくしの夢は、いつかタイムマシンに乗って、この人類の発展に何の寄与もしない無駄な乗り物を考えた最初の人間に、その着想が芽生えたまさにその瞬間に、富士山のふもとにあると伝え聞く強烈な豪速落下乗車物にベルト無しで乗っていただき、着想の数歩先にそのような恐怖の子孫があることを骨の髄まで理解していただくことにあります。 全長300メートルにわたる人類の負の遺産はここ(→ 東京ドームシティ公式サイト | 東京ドームシティ アトラクションズ「スピニングコースター舞姫」 )! 追記:親のしつけの不行き届きで、子どもははしたなくも大喜び!誠に恥ずかしく思う所存でございます。このようなことが今後はできるだけないよう、またこのたびは身長130センチ