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12月, 2008の投稿を表示しています

ドラゴンボールに見る人種進化論笑

実家に戻って、子供とアニメのドラゴンボールを見ている。親子で同じアニメ体験を持つっってことは、この半世紀で初めての世代なのではないかと思う。とかいう話ではなくて、悟空がスーパーサイヤ人になったときに、ほとんどステレオタイプ化された欧米人になっていることを、誰か指摘しているだろうか。 スーパーサイヤ人の特徴といえば、髪が金色になって逆立つことのほかに、瞳が青色になる、肌の色が赤みを帯びた白になることなどが気づかれる。心なしか鼻の形もシャープになって先が尖っているようにも見える(この画像ではそうでもない?)。といってもこれは彩色されているアニメ版での話で、漫画原作のカラー原稿などのことは知らないし、アニメ版は回ごとの作画担当によって絵も微妙に違うだろうから、厳密にはそう言えない部分もあるだろう。しかしおおむねにおいて、金髪で碧眼で鼻が高いという特徴は、結果的にステレオタイプ化された欧米人=アングロサクソン系を表象してしまっていることは、まず疑いがないように思える。 スーパーサイヤ人が登場する、ドラゴンボール(Z)のナメック星編はwikipediaによれば、1989~1990の放映だそうで、ちょうどこの時期は「ナメック星編が佳境に入る頃には、『ドラゴンボール』の人気および経済効果は、国内のみならず世界的な規模に拡大していた」とのこと。となれば、世界に打って出る戦略として、ヒーロー性を担保するキャラクター作りを考えることは、あったのではないかと深読みの1つもしたくなる。 一般的に言って、アニメのような創作物のキャラクター作りには、現実世界の文化的序列などがステレオタイプ化された上で、刻印されるものだ。言語面におけるこのステレオタイプ化を指摘したのが、金水氏の「役割語」だった。そう考えてみると、スーパーサイヤ人に変身した悟空が突然「オラ」口調から「オレ」口調に変わるのも、戦略としてはよく分かる。本当に強くて格好良くて正義の裁定者たる主人公は、「お調子者で守銭奴」「力持ち」な関西人であってはならないし、「男気だけが妙に強い」九州人でも、「田舎者で素朴」な東北人であってもならず、首都圏の「洒脱さと権威」を表象する関東標準語話者でなければならない(このくだり、マジかよと自分でもツッコミを入れつつ)。ちなみに普段の悟空は素朴な田舎者設定であり、一人称「オラ」に分かるとおり東北弁に似た

オービタルとともに暁に死す…

そして気づくと狂ったようにorbitalをDLしまくっている。泣くよこれは!泣くから。ライブ行ってたら死んでたな。2004wireやばすぎ。これ車の中でかけさせてくれるかなあ。これなら体が死んでも魂だけで踊り続けられる…。というわけで来年も涅槃の向こうからみんなを見守ってるから…忘れないから…輪廻の輪が閉じる場所であなたを待ってる… 久しぶりに頭がおかしくなっています。わーい。 誰か代わりに仕事やってください。2008年、オービタルとともに暁に死す…

コンプーター&戸川純&ストロングマシン2号

山形から実家に帰る道々、子どもに聞かせるCDを作っているうちに、いつの間にか自分たちの懐かしソング集へと変貌を遂げつつある夜中の作業。今年は下道で行くので、分量を多めに作っていたことが転じてのていたらく。やっぱりNHKみんなのうたは外せないよねー、とメトロポリタンミュージアムとか恋するニワトリとかコンピューターおばあちゃんとか、YouTubeからガンガンDLする。iTunes経由でCDに焼こうという算段なのだった。久しぶりに出会う名曲のさなかに、polysicsがコンピューターおばあちゃんをカバーしている!これはいいなあ。 敬意を表してi my me mine. そして知らなかったことも。 ラジャ・マハラジャーが戸川純だということを知って驚愕。聞いてみれば確かにこれ戸川純の声だ。 そして興奮冷めやらぬまま、ストロングマシーン2号。ロボットダンス、ロボット時代の幕開けです。 めちゃめちゃかっこいい。そして僕は全然仕事が終わってませんよ…(現実逃避)。

入管法は他の法律のとの間に優劣関係はない

「 「不法滞在外国人」ってどんな人? 」( 法学館憲法研究所 )。 極私的脳戸/日々の与太 経由。いつも本当に勉強になるリンクが掲げられている。勉強させてもらってますほんと。 以下の記述は自分のためにメモ。入管法は他の法律のとの間に優劣関係はないということ、在留資格と人権をリンクさせてはならない根拠の一つとして。もちろんこんな根拠がなくとも、通じて欲しいことではある。 いまの社会には、外国人にとって在留資格は日本における全ての権利の淵源であり、在留資格を持たない不法滞在外国人には一切の人権が認められないかのような空気があります。しかし不法滞在とは法的には単に「在留資格がない」ということにすぎず、それ以上の意味はありません。在留資格を規定している入管法は、もちろん憲法の下位にありますから、外国人に対する人権保障は在留資格の有無によっては差別されないのが原則です。また、入管法は運転免許について規定する道路交通法や、生活保護法、国民健康保険法、その他多くの法律との間に一切の優劣の関係はありません。ですから、在留資格が法律上の要件となっている場合を除いて、「在留資格がないから権利が認められない。」という言い方は明らかに誤っているのです。 それに、リンク先の写真、笑顔がホントに良くて。

言葉を使う話者のありかた

山形の農村に500年以上続いた伝統芸能である黒川能を見に来ているわけだが、2年前に見たときと比べて、若い世代に言葉の変化があり、「伝承」の構築性を考えさせられる。黒川能の特徴は農村コミュニティーの生活の中で伝承されてきたことにあり、言語的には京都から伝えられたとされるにも関わらず、子音の有声化やいわゆる濁音直前のわたりの鼻音、母音iの中舌化などバリバリに山形庄内地域方言で演じられる。僕は流派に関わる演目や演式の違いや素人故の巧拙よりも、言語的な特徴こそが黒川能の「異色」さを特徴づけていると思うのだが、その言語的な特徴はそもそも「いつのもの」で「いつまでのもの」かということを考えると、「伝承」の構築性と無関係ではいられないと思うのだ。 というのも、今回の上演で舞台に立った若い演じ手には、黒川の高年層が持っている方言的特徴を失っている者が混ざっていたからだ。鶴岡市黒川は言語的には庄内地方に属しており、鶴岡市といえば国語研究所や井上史雄氏による中長期の調査がある。それらによればこの土地でも、他の地方と同様に従来の方言的特徴が失われつつあるという結果が示されている。我々は見えている変化にだけ目がいきがちだが、高年層の言語的特徴も何らかの言語的変遷を経たものであると考えるのが自然だろう。だとすれば、黒川能の持つ「異色」さも変化の結果と考えなければならない。 話は少し変わるが、山形は自称「民話の宝庫」で、それを観光資源としているところもいくつかある。そのような場で語られる民話はいかにもな方言であることが望ましく、標準語であることは望ましくない。したがっていかにもな方言的言い回しで書かれているテキストを暗記して、それが上手に語られるかといったことが目指されることもあるようだ。あるフィールドワーカーが採取した民話の文字化資料を音声資料と対照させたところ、音声資料では標準語的な言い回しになっているところを文字化資料ではいかにもな方言的言い回しに変更している、といったこともあった。民衆に受け継がれた「伝承」には、構築性がともなうというよくある話。 黒川能の「異色さ」は重要無形民俗文化財として伝承がすでにある意味で義務づけられているわけで、とすると言語的な特徴も義務の対象範囲に入ってくるのではないか。その場合の言語的特徴は、現在の高年層が継承しているものになるはずだ。そしてそれが500年