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3月, 2010の投稿を表示しています

電子化作業:上から下へのTL

さえずり1 scansnapを導入して、2週間くらいか。手元の雑多な書類はおおかた電子化を終えて、いまはこれまでコピーしまくった研究論文のコピーに着手している。これまではコピーした論文を、20部ずつまとめて紙のファイルケースに収納し、さらにファイルケース3つずつを1つのプラスチックケースに収めて保管していた。本棚の上にプラスチックケースを並べる。本棚3つでは置き場所に足りなくなって、横に積んだりしていた。約1000本の論文だが、15年くらいの研究時間で貯蓄したものである。これが多いか少ないかは、見る人によって変わるだろう。 さえずり2 アクセスで作った検索用のメタデータで収納場所を特定し、必要な論文を読むという仕組みである。ということは必ずしもすべて読んでいるわけではない。論文を書く必要からコピーしたもの、いつか「使う」かもしれないからと保存しておいたものとが、混在している。 さえずり3 このファイル群をNo.1から順繰りに電子化して行っているわけだが、コピーした論文を時系列に眺めて行くのは、twitterのタイムラインにしたがって、情報を読みなおしていくのに似ている。現在No.400前後。博士課程の初めのころだ。いずれは電子化したものをどう読み、どう消化していくか、その方法も作っていかなければならない。 さえずり4 さて、この作業は少しむなしさが伴わないわけではない。というのも、本当はこの作業は学会の決定を受けてどこかの組織が一気に電子化をして、大学のリポジトリみたいな形で公開してくれればそれで済む話だからだ。英語文献の多くや、理系世界では電子化がずいぶん進んでいるようだし( 科研費(研究成果公開促進費)データベース公開状況一覧(学術誌)-日本学術振興会 参照)。人文系研究の世界ももうすぐ、そうなる。だとするといま僕がやっているこの作業は何なのだ? さえずり5 間違いなくこれはメディア史上の過渡的な取組なのだ。紙媒体から電子媒体に大きく移ろうとする時代に生きた者が、自分で適応努力をしているだけなのだ。あと10年先に研究を始める人文系研究者は初めから電子化された論文を読み、電子化された貴重古典籍を調査し、必要に応じて原典に触れるようになるだろう。すべてに足を使い、交通費を使い、時間を使う労力から開放されて、その分、質(考察の深さ)や量(論文作成量)に持てるものを費や

結果的に抜絲地瓜に

大学芋の中華バージョンみたいなやつのこと。抜絲(バースー)というのは糸をひくという意味で、大学芋の砂糖ダレを煮詰めて飴状にしたやつを、芋に絡めるときに空中に箸で芋を持ち上げたりして糸を出す。ホントにこれでいいのか不明だが、中国や台湾の人がうちに遊びに来ると時々やっていたのを思い出す。 今回は大学芋を作るつもりだったのに、火加減が強くて飴が煮詰まりかけたので、結果的に抜絲っぽくなってしまったという代物。けど子どもは大喜びみたい。歯にくっつくけどな。 あんまり上手に糸は引けていませんが。

置賜の雛人形

仕事の絡みもあって、子どもと 【川西町のイベント】玉庭ひなめぐり:川西町観光協会<ダリヤリズム> を訪れた。米沢藩の武士が参勤交代で江戸に行った時、御土産として持ちかえった享保雛とか、古今雛の展示。そんなわけで山奥ではあるものの、かつてはお武家さんが住んでいた御屋敷が玉庭には点在していて、お蔵に眠っていた雛人形を地域イベントとして使っているというわけ。だから芸術品として楽しめるほど保存状態は思わしくなく、歴史遺産として楽しむべきなのかもしれない。 良かったのは、地域内にある7か所の展示場のうち5か所は民家なので、「お邪魔します」というノリで見に行けること。人んちの私的空間に立ち入るのが何というか新鮮だった。置賜の方言も聞けたし。子どもは「あの人たちナニジンかと思った」というギリギリの感想を。確かに方言分かんないよねえ。どこに行ってもお茶や漬物やお菓子などを振舞われるので、1500円は結果的に相当コストパフォーマンスが良かった。と勘定をするのは無粋だろう。 雛人形は表情がとても豊か。見たことあるような顔もある。会ったことありますよね?って合コンか。 囲炉裏でお茶を御馳走になりながら、とは書いてみるものの、僕一人で訪れたのでは絶対に間が持たない。こういう時に子どもを連れて行くのは、ずるいかもだが、ホント助かる。以前、在日コリアンのライフヒストリー調査をライフワークにしている知人から、子どもを連れて行くと結果的によく話をしてくださるケースもあったらしい。戦略とかあさましい話ではなく、ね。 同じ山形でも村山地方に残る古い雛人形は、最上川水運で紅花貿易によってもたらされたものみたい。昔、埼玉県桶川市(紅花で有名)の宿場町で蔵の文書調査につきあったとき、同じように雛人形が蔵から出てきたのを思い出した。もう7年も前だ(→ d0312 )。紅花つながりの雛人形つながりで思い出した、というだけの話。

GNU is not unix的な

豚のように眠りやがって! 豚のように眠っている豚ですが何か(フゴー)。 暖かい日差しの中で惰眠をむさぼる豚の人。これこそあらゆる生物が目指すべき幸せの形ッ! * * * * * それにしても、アクアマリン福島内でお魚が食べられたり、千本松牧場内でジンギスカンが食べられたり、動物愛護と食が一体化している施設はすばらしい。子どもたちが「かわいー」という横で大人たちは「おいしそー」を連発する施設。 キャッチアンドイートを至上命題にする僕だからといって、もちろん「コーヴ」は見てみたいわけです。

連休にサービス

で、出張続きで子どももアレなので、アレするために水族館、アクアマリン福島へ。子ども以上に親がアレだったので、写真を貼りつけておきます。 イワシの回遊(上方に見えるのが。手前はカマスのむれ)。客が「おいしそう」「食べたい」を連発する水族館なんて初めてだ(妻含む)。 トウキョウサンショウウオ。かわゆいかわにゃん。 沼とかにいるエビ。実は共食いしています。 亜熱帯コーナーの、ヒスイカズラ。もぎ取ってマフラーにしてステージに立ちたい。 という水族館は漁港にある。 見て興奮したあとは食べて興奮。 サザエでございます。 かもめと一騎打ちでございます。 その後、栃木に住んでいる妹の改造ハウスへ。朽ち果てた農家を自分たちで改造し、好き勝手に住もうとするクラフト系のひとたち。テーブルに見えるのは、中国に住んでいたときにゲットした廃材(門)。 日曜大工のお店で買ったというストーブ。 門テーブルのうえで書類まとめの仕事。 この他は後日。 (次回予告) 近所のガソリンスタンド(セルフ)でクレジットカードを機械から抜き忘れたことに、次の給油地点で気づいたサザエさんは…。前の給油地点ははるか300キロ彼方!

出張終了

もうメモみたいな使い方になっちゃうけど。16日の深夜バスで山形から東京まで。朝から資料館で文献をガツガツ調査。山交バスはリクライニングシートが大きめで、それなりにぐっすり眠れるので、朝から仕事モードにきちんと移行できる。これは4月以降に上手に使いたいところ。 19日の夜に行った高田馬場のお店が最高だった。手料理のお店という触れ込みで、煮物が本当に美味しい。シメはふわっふわの伊勢うどん。お値段もお手頃。18日に行った、噂の貝料理専門店@新宿三丁目は、うーん、どうなんだろう。5年前に地獄の非常勤先を味わった仲間の、久しぶりの再会。校務の仕事量について、異文化摩擦の話とか。貝料理があんまり進まなかった。 20日の深夜バスで戻るつもりが、職場から急な呼び出し。泣く泣く新幹線で帰る。けどこの時期、次年度準備で色々あるから「後で」というわけには行かない。

今人生はゼロ成長

たまった書類をがっさがっさ処分していたら、通知表のファイルが出てきた。こんなもんどうすんだよ、という代物だが、母が取りまとめて保存していたものを送りつけてきたのを、箱のなかに突っ込んだままにしておいたのだった。 小学校1年生から順に取ってある通知表のうち、人物評価みたいな欄があるじゃないですか。書かれている内容が、ほとんど今の自分の評価と変わりがないことに気づいた。よって、今人生はゼロ成長と評価します。来人生に乞うご期待! いや~、こういうのは失笑しつつも結構本気でへこむんだよね…。これ電子化するべきか否か。どうせ70才くらいになってもゼロ成長だろうし、高齢でこれを見たら寿命が短くなって逝去前倒しになるだろ。

scansnapとevernoteの出現で見えてきたもの

先週辺りからツイッタ経由で知ったscansnap(僕が購入したのはS1300; ScanSnap S1300 WindowsR/Mac OS ハイブリッドモデル製品情報 : 富士通 )による紙文書の電子化(PDF化)で、自分の持っているデータの在り方について考える機会が増えた。 まず、scansnapはとにかくすごい。紙文書がいかに現実の場所を浪費していたかが分かった。1日の作業だけでダンボール一箱分の書類が廃棄となった。電子化して行く過程で、捨てられるものと捨てられないものの境界が自分の中で明確となり、「役に立つかどうか分からないけれど取っておこう」的なものがなくなった。そういうものは電子化すれば、迷いなく捨てることができるからだ。特に分類に困るような展示会のチラシとかパンフとか。部屋がみるみるすっきりして行く。 そうやってガンガン電子化して行くうちに、今度はそれをどうやって管理するかという問題に突き当たった。第一候補はevernote。フォルダに分けられて、タグ管理もできる。プレミアム会員になれば、evernoteのOCR機能でテキスト化されるという。管理&検索という観点では、現状ではこれ以上ない選択となる。容量もフリーで月額40MBのところを500MB(各月のアップロード量に対して課金)まで使えるので、すでにローカルに溜まっているものを小出しにアップロードしていけば、この容量でもいつかは完璧なクラウド環境に以降することはできるだろう。しかし、運用面での問題がつきまとう。10MBを超えるようなPDFファイルはやはり開くのに時間がかかってしまう。これがどうにもストレスに感じられてしまって、evernoteへの現段階での完全移行はためらいがある。 evernote(→ すべてを記憶する | Evernote Corporation )はこれまでメモツール、クリップツールとして、どちらかというと動的な使い方をしていた。何かを作り出して行くような作業にevernoteは向いている。たぶんこれは本来の使われ方として間違っていないだろう。そして静的な、データの蓄積場所として使うには、向いていないように思える(少なくとも今は)。フォルダ&タグによるデータの管理と、OCR機能は大きな魅力だが、google desktopのようなローカル向けのサービスにもそうした機能が装備される

姉さんだったらドコを切る?

morleyさんのツイッタから。 赤松広隆農林水産相は9日の閣議後会見で、反捕鯨団体シー・シェパード(SS)が地中海のクロマグロ漁に妨害の矛先を向ける構えを示していることについて、「同じ肌の色をした人(白人)たちがどう受け止めるか」と発言した。 時事ドットコム:反捕鯨団体と「同じ肌の色」=地中海マグロ漁への妨害示唆で発言-農水相 欧米=肌の色が同じ人達、という恐ろしくアナクロなステレオタイプに突っ込むべし(時事ドットコムが入れている注釈も鬼微妙)。そういう認識から逆に導き出される、「黄色い肌の俺たち」は対「あちらの色の肌の人たち」と同じくらい均質な集団として語られる。もう、そういうのやめろ。妄想言うのやめろ。ねえ、姉さんだったらドコを切る?

レッツ馬車馬

こういうのに救われるようになった。さすがに先週は過労死するかと思ったよ…。というか、これって忙しい状況なのかな?と自問しちゃうくらいダメな感じになりながら仕事してた。アリナミンで正気を取り戻した。レッツ馬車馬!

久しぶりのビアンキ

誰かさんの来訪で昨晩は何だかんだ結構飲んでしまった。朝も全然抜けないので少し体を動かして気分転換を図りつつ職場に向かうために、久しぶりにビアンキ出動。歩くのはちょっと…。ようやく山形は雪も溶けて自転車に乗れるようになった。自転車に乗れるようになると春の訪れを感じる、と同僚も言ってた。雪国の中学生って、冬は自転車に乗るのを学校から禁じられていると聞いたが、ホントかね。 で、3ヶ月くらい、屋根付きとはいえ屋外に放置していたので、至る所が少しずつアーな感じ。帰宅途中に自転車屋さんで見てもらう。自転車はよく乗る(乗ってた)くせに仕組みがほとんど分かっていないので、完全に人任せ。車も同じか。店員さんにどこをどう調整すればいいのか聞いているうちに、メンテの話がお掃除の話となり、サビ取りだとかなんかよく分からない金属をキレイにする薬液を教えてもらう。店員さんもノリノリで自転車を少しキレイにしてくれた。 少しのメンテだったのに、いろいろ教えてもらって掃除まで…。なんだか悪いなと思ってサビ取りクリームみたいなのを購入。マイミクゆきのふすきー氏みたいに、いつかはきちんとバラしてきれいにして組み立ててみたい…(夢のまた夢)。

相互行為のイマココ性とかなんとか

次年度の異文化交流関係の授業準備にいそしんでいる。いろいろ目を通しているが、「異文化コミュニケーション」を検索語として調べてみると、八代京子他編『異文化トレーニング』三修社,1998(→ amazon )、八代京子他編『異文化コミュニケーション・ワークブック』,三修社,2001(→ amazon )、桜井厚・小林多寿子編著『ライフストーリー・インタビュー 質的研究入門』せりか書房,2005(→ amazon )は、いまでも概説書としては新しいのではないかと思う。研究ベースでは僕は異文化交流だとかコミュニケーション論などの質的研究は専門ではないが、言語史の量的研究だけでは見えない世界が認識されるのは、自分には必要なバランスである気もしている。 で、『ライフストーリー・インタビュー』のキーワード「コミュニケーションと相互行為」(pp.96-97)が示差的だった。インタビューなどの質的調査では、調査姿勢が客観的になりすぎてもいけないし、親しくなりすぎてもいけない。その意味でラポール構築(信頼関係構築)は必要とするが、結局そこで言われているラポール構築は、所詮調査のためのラポール構築なので、それはそれで実際の語りに現れるはずの意外性や多様性が抑圧されたり、見過ごされたりしてしまう。インタビュー自体が相互行為なのだから、今その場所で起こっているあらゆる現象を、現実を構築する契機と考えておいた方が良いというもの。ちょっとこれは励まされるなあ。 お題目化したラポール構築に限らず、既存の制度・やり方を自明視しない、あるいはそれ自体を目的化しないやりかた。そのやり方に沿わない人間を「マナーができていない」「教育が不十分」「コミュニケーション力がない」とせず、相互に現実を構築しようとする行為自体がコミュニケーションであると捉えることができれば、なんというか、ただ所与の世界を、もっと歯車が噛み合った形で生きられると思う。そこで要求されるのは、コミュニケーションを一回性の成功/不成功のものととらえず、よく付き合うということに尽きるのだろう。 * * * * * 数年前に学生を行事として山村(山形は基本山村が多いが)に連れて行ったことがあった。当時、うちの職場は、地方短大にお決まりの「地域との連携」をお題目にして、やり方はよく分からないけれど地域と連携ってこういう感じ?と模索しつつ、なんとな

thinkpad x200起動せず→復旧

thinkpad x200が起動しないという謎の事態に陥ったが、どうにか復旧した。僕くらいの素人+α向けのチュートリアルがなかったのでメモしておく。 そもそもは、このところ相次いだwin vistaのアップデートにまかせるままにしていたら、スリープ後に復旧しないという現象が起こったことがきっかけ。いや、ちょっと前からスリープに入る時点で勝手に復旧されて蓋を閉じることができないことも続いていた。ネットを検索すると、x200に限らずスリープで失敗するのはウインドウズの問題としてちょくちょく起こっている模様。めんどいのでubuntuを起動して使ったりしていたが思い立って根本的解決を図ろうとする。 で、x200のBIOSの問題もあろうと考えて、ThinkVantageを使用してもろもろアップデート。170MBくらいあったか。作業工程の96%間際にBIOSのアップデートが入り、自動的にシャットダウン&リスタートとなった途端に起動しなくなった。 症状は電源はONになっているのに、画面には一切表示されない(黒背景)というもの。2ちゃんの書き込み( 上の解説にある通りCMOSバッテリ外したらクリアできると思うけど、BIOSが壊れてたら意味ないかも )に基づいて、CMOSバッテリ外し=CMOSクリアを行う。筐体の開け方は、 Service Videos にて懇切丁寧な説明が。CRU Removal/Replacements>CMOS Batteryへと進む。あとはRemoveとReplaceのビデオを見ながらクリア。途中、画像が小さくて見にくいところもあるので、撮影した写真を貼り付けておく。 キーボードとパームレストを外したところ。向かって奥がディスプレイ。中央の黄色いのがCMOSバッテリー。 CMOSバッテリーから伸びている白いケーブルを、白いコネクタからそっと外す。何となくそのまま30秒くらい放置して(意味あるかは分からない)、またつなぐ。 ここのところ。あとはビデオにしたがって組み立て直す。 バッテリーをくっつけて、電源ケーブル差し込んでスイッチオン。何度か落ちる。意味不明。が、起動の画面が立ち上がるので、すかさずF1キーを押す。BIOSセットアップ画面に入るので、 このマニュアル にしたがって、BIOSを初期状態に戻す。 BIOSを初期設定に戻す方法 「バージョン情報」の章

マンガ

東村アキコ『ひまわりっ(13)』の後書きを読み忘れていた。この人、ネームの流れは相当適当に書いていたらしい。それで古川うなぎ編の最後がきちんと健一父さんに戻るって?こりゃ天才の類だな。東国原はこの人に賞をあげればいいのに。実際、このマンガを読むと宮崎に行きたくなるし。貴重だよ、こういうの。"ウィークエンド!皆適当に集合して回せ回せ!","~どころか彼女が俺のじゃねえ!"(ライムスター,ウィークエンド・シャッフル) 元町夏央『熱病加速装置』(→ amazon )、冒頭に収められている「てんねんかじつ」が特に良かった。絵が朔ユキ蔵に似ている、というか何となくスピリッツ的。ややエロなので弟子なのかな。作風はスピリッツ的ではない(そして僕はスピリッツとか代理店ぽいものは好きではない)。 そして小川糸原作・鈴木志保画『食堂かたつむり』(→ amazon )。原作が山形の人だということでちょっと興味を持っていた。が、読んでみたらあとから鈴木志保が絵を描いていることに気づいた!ものすごく詩的な作品になってる!原作は読んでない。鈴木志保の復刊ブーム以来の作品はあまりピンと来なかったが、これは良かった。

概ね片思い

なぜなら買ったスウォッチが1~2年で必ず行方不明になるからだ。いい年してスウォッチが大好き。プラスチックの感じとあのよく分からないラテックスみたいな素材が好きなのだ。どこかに落としているのか、子どもが隠しているのか(おもちゃっぽいから)、酔っ払った勢いでそこいらの人に配り歩いているのか分からない。なくなってみると、また新しいスウォッチを求めて、アマゾンを検索しまくっているそんな朝を、140字以上でつぶやいておきたかったそんな朝。(216字) ただいま行方不明モデル。 ヨダレが出かけているモデル。 ネフェルピトーなデザインである。

おかん弁

久保久保『よんでますよ、アザゼルさん(4)』(→ amazon )だ。この巻も笑った。イノセントなバカは人を幸せにする、ということを再確認した。浅くてかわいくてバカなら極上だ。この巻では栗之助。マサルでいえば、ピヨ彦が羽つけられてスポンのやつだ。解説はしない。 ところで、このマンガは天使も悪魔も実家に帰れば親がメシ作って待っているという昭和風の匂いを醸すのがうますぎ。天使ゼルエルが母親と団地住まいのニート30代ぽい設定だったのには苦笑いだったが…。主人公の悪魔ゼルエルのおかんなんてもう最高。これ大阪なんだろうか。関西弁であることは間違いなくて、どうして関西のおかんてこう最高なんだろう。悪い仲間と一緒に部屋に人間を連れ込んで拷問かましてたら「あんたドンドンどんどん何やっとんねんなー!」みたいにフスマ開けておかん登場、みたいな。この巻では巻末のおかんぶりがほんと秀逸。悪魔主人公がフィーチャーされた限定版商品が出るに際して、主人公おかんがヒロインの前で大喜び。 母「すごいやないのアンター そんな汚いことやらせてもらえるようになったんかいなー 立派になったやないの!」 主「そうゆうことをゆうなや…あほやろお前…」 母「ほんで肝心の中身はどないなってますんや しょおもないもんやったら通常版でいかせてもらいますからね」 ヒ「フフフ…しょおもないなんてとんでもない… なんとアニメDVD付きです!!」 母「買うしかないやないのそんなもーん」 あけすけなおかんの前で照れ隠しに「あほやろお前」ゆうような関西弁がめっちゃ好きや。おかんの内面のないカンジもめっちゃ好き。そして主人公の友人モロクよしのぶのストラップ化についてのおかんとのくだりも、絶妙。主人公アザゼルは自分より先に友人がストラップ化されたのでややすねるシーン。 母「みてみ これよしのぶ君やで アンタよー遊んどったやないの」 主「やかましいわ」 母「遊んでーゆーてるわ(モロクのストラップを手で動かしながら)」 主「いらんゆーとんねん」 母「エエ加減にしときやアンタ!!いつまでもウジウジしてから!!できてもーたもんはもうしゃあないやないの!!アンタは次頑張ったらエエんちゃうの!!」 主「うるさい!!もうほっとけやババァ!!」 母「またそないしてやる前から諦めてからにアンタはァ!! そんなんやから公文もすぐにやめてしまうんやないの!