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12月, 2007の投稿を表示しています

センス・オブ・ナンダー?

よしながふみ「大奥」(→ amazon )を1から3まで一気読み。ユーゾッタさんをはじめ、最新巻が面白いというので、ここのところよしながふみ旋風が脳内で巻き起こっている身としては速攻で飛びついてしまった。いやー、超面白かったー。いろいろ面白いんだけど、まずは、若い男子にだけ伝染する疫病のために男女比がアンバランスになってしまった江戸時代、女性中心の社会が出来上がってしまったという実験的な設定に眼目があるんでしょうね。センス・オブ・ジェンダー賞(→ wikipedia )とかいう初めて耳にする賞を受賞しているようだし(センス・オブ・ワンダーのもじりか)。寺沢武一がセンス・オブ・ワンダーは古典に見出せとしたように、よしながふみは幕藩体制に見出せと。いや違うか。姫である三代将軍家光と還俗坊主の恋物語も萌えるものが(初めて使ったこの単語!)あるが、やっぱり至るところに仕込まれているジェンダーバイアスへのチクリとした一刺しからして、ジェンダーものとして明確に意図されて描かれてるよ、近代文学の人~!よくできてるからこれ。つかこの人慶応の大学院にも進んだ人だったんだ(→ wikipedia )。慶応萌え~。←全然使い方を間違えている。

12/24 バリ(最終)

日本に戻る道すがらバリのデンパサールに1泊させてもらうことに。バリの観光コースをフルコースで案内してくれるという!パプアのセンタニ空港から来たのと同じようにティミカ経由でデンパサールへ。疲労困憊の中、意識とびとびで観光地を回ったんだけど、マッサージくらいしか記憶に残っていない…。あと道端で食べまくった果物、マンゴー、バナナ、マンゴスチン、ランブータン…。 ああ、そうだバリ文字の看板。バリ語って存在そのものを知らなかったんだけど、オーストロネシア語の一種らしい( wikipedia:ja , wikipedia:en )。すでに実家に帰ってきているのでレファレンスがない。外語大のAA研に教則ホームページが開設されている( バリ語教室 )。同じ著者によるバリ文字についての概説( バリ文字 , PDF)によれば、インド系文字の流れを汲むようだ(詳細は インド系文字系図 )。wikipedia:enの Balinese Script では、アラビア文字のようなアブギダ(子音主体の文字で母音は記号によって補助的に示す, wikipedia )であることが示されている。インド系の文字を使用しているというのは、16世紀ごろにもたらされたというヒンズー教の影響と考えてよいだろうか。というわけで、 babad bali や balinese alphabet, language and pronunciation というサイトを手がかりにこの看板を読むと、「オーム、sua…」やっぱ読めない。やめやめ。 パプアでの日記をつけていたのは、PCではなくwillcomの w-zero3 。締め切り間近の原稿もこれに突っ込んで、旅路に少しでも進めようと思いきや、無理無理無理。日記が関の山だった。ダラダラメモ書きしてきたパプアについての日記はこれにて終了!

病院行脚、新宿ラーメンカフェ清水山下

病院行脚。12/10、12/22、12/28と今月は順調に3回の偏頭痛を迎え、さすがにおかしいだろうこれはということで池袋日大病院で診てもらう。結果、まあMRI撮るけども典型的な偏頭痛、以上、とのこと。連続で起こったことは、まあ疲れてるんじゃないですかって、何か心当たりありますかって、どっちも覚えがありまくりだったので事なきを得た(のか?)。薬は?と尋ねられたので、この10年間医師に言われて金科玉条のように守っている「偏頭痛の発作は始まったら止めようがない、薬を飲んでもムダ、ただ耐え抜くのみ」を話した。医師は驚いて「それはものすごく驚きますね」と。10年前から偏頭痛に効く薬はあるし、痛みが始まったら痛みを抑える薬を飲むものですよ、あなた痛みを我慢してきたんですかと。それはこちらの方が驚きますよ。そんなものがあるなら毎度使ってましたよ、痛みに耐えて授業を敢行する(補講がいやだから)ということもありませんでしたよと。ええー。誰がそんなことを言ったんですか?と尋ねられたので「お医者さんです」と即答したら苦笑い。 僕はどっちかというと痛みとか辛さには敏感でとても嫌なのだが、我慢する能力には長けている、と思っている。小さい頃から保健室の病室を見上げたことが何度もある。あれとかこれとか変な病気がちょくちょくあって、そのたびに早く通り過ぎろーって思って育った結果、耐性が高くなった。それが良かったかどうかは分からないが、偏頭痛に為すすべなく10年を耐えることができたのは、そのおかげなのだろう。自慢にならない話だが。 というわけで救いの薬を処方されることになった。あとは個人の血管の太さに見合った薬があるとのことで、あなたの血管を調べるためにMRI撮りましょうというわけ。MRIは池袋のメディカルスキャニングセンターで。それにしても、病院もMRIんとこもどっちも意を尽くしたかつ要点を押さえたかつ相手に伝えようとする気持ちのある説明で、納得して得心して安心できた。 常日頃思っていることだけど、山形の病院や役所や警察の犬とかはいっつも説明が下手、というかきちんと説明する気ねえだろ君らと。満足したのは現在通いつめている鍼灸医くらいだ。関東だから説明力高いとか言うつもりもないけど、説明力の高い人にちょくちょく会える体験はいまのところ関東だけだ。山形での、結果だけ通達しようとする態度は、本当にどう

12/22 papua最終日

早くも授業最終日となった。片言でしかやりとりしていない生徒との別れも、名残惜しい。できるだけ生徒の名前をたくさん覚えるよう努力した3日間だが、実際半分くらいか(25名程度が3クラス)な。彼らのオリジナルの名前は綴り字規則を完全に覚えていない僕にとってはやや難しい。何遍覚えようとしてもどうしても覚えられなかった名前、ヤミネラとアンセリナ。 授業終了後、お決まりの写真ラッシュとなった。ここでフラッシュを浴びすぎてまさかの偏頭痛勃発(というか正確には発作直後のめまいと吐き気)。前兆の暗点に似た状況を作り出すことで偏頭痛が起こるとは意外。このところやっぱり頻度が高い。まあ疲れてるしな。 午後は某大学日本語センターの歓迎を受ける。定期的に開かれているオープンのコースらしく、別れたばかりの生徒たちの顔もちらほら見える。上達している子とそうでない子との違いが、一つにはこういうところに通えるかどうかの経済力にあるよなあと思う。 ホテルで少し休息してから、夕食までの時間、本屋と野菜果物市場へ。本屋では地図とインドネシア語の地図、おみやげのインドネシア語版コミックを買う。ジャンプコミックもモーニングのコミックもサイズがやや大きくて薄い。市場ではまたもバナナ、それとアボガドを買う。買い食いしながら、残った分は夕食のお別れパーティー会場で食べてしまうつもり。 フェアウェルパーティーが7時スタートだったのに、我々が本屋を出たのは7時半で、さすがに感覚がパプア化しつつあった。まあ30分遅刻でちょうど良いくらいでしょとか何とかいいながら到着するとまだ1人しか来ていない。結局開始は8時半近く。人間の大きさでパプアに負けた…。

12/21 papua, 観光の一日

仙台出張からこのかた休む暇が全くないまま5日目、ようやく休日が取れた。パプアは人口の8割がカトリックなのに、少ないムスリムの休日のために、公的機関はすべて休みとなるようだ( wikipedia-インドネシア-祭日 の項目によれば、中華系・ヒンズー教徒・ムスリム・仏教・キリスト教の祭日がそれぞれ定められていて、多宗教への権利保護?みたいなことになっているのが面白い)。街は中東の音楽に乗せてコーランらしき読経がひびき、また近づく真夏の聖誕祭の聞き慣れたメロディー、でもリズムは南国らしいどこかゆったりとしたアレンジで、多宗教多音楽が綾をなしている。 落書き3種。ピューと吹くジャガーみたいのと、インドネシア語?によるものと、すきっ歯の人間。 午前中は空港近くのセンタニ湖へ。2台の車に分乗したのだが、僕の乗った車はどういう配慮かパプア人ばかりでなんかもうすごく楽しい。日本語とインドネシア語を混ぜ混ぜで会話。言語圧が低いのが気持ちいい。センタニ湖にはいくつも島があり、周辺も含めていろいろな部族と言葉があるようだ。湖に到着後、モーターボートで島の一つに向かう。モーターボートでは日本で教えたことのあるバニアイ族の男性からエカリ語を教わる。パプア諸語のなかでは決してマイノリティではないのだが、日本からきた僕が一言二言エカリ語を話すのを聞いて大喜びしていたのは、身体化した母語が他者に模倣され反復される喜びか。数詞も録音する。wikipediaの パプア諸語 の項目が増えてる!昨年見たときは全然だったのに。英語版のほうが若干詳しいか( Ekari language とかね)。米国アマゾンで購入したことないのであれですけど、"Papuan Pasts: Cultural, Linguistic and Biological Histories of Papuan-speaking Peoples."(→ amazon )なんての出てますね。 湖面にせり出した水上家屋。生活廃水をバケツにためて湖面にえいやっと。洗濯は湖に腰まで使ってゴシゴシやってた。体を洗う人も…。生活のための湖ですね。 湖の奥まったところにある島では、パプアの伝統的な主食 サゴヤシ の精製?を行っていた。葛湯をもう少しもったりさせた感じにして食べる。 到着した島では地元のおじいさんに昔話を聞く。国生み伝

ぐるぐる

帰国後すぐセンター試験の説明会、雑務を中途半端にこなして研究室の忘年会のため高田馬場に。あれとかこれとか全然終わってない。荷物をかばんに手当たりしだい突っ込んで、沙村広明「無限の住人(22)」(→ amazon )、迫稔雄「嘘喰い(6)」(→ amazon )を購入して新幹線に。と思ったら、狙っていた時間に乗れず、忘年会にちょっと遅刻した。欠席した会議の資料と宿題を渡される。原稿のほんとうのデッドラインが近づいている。2週間後生まれる子どもの検診で超音波測定による赤ちゃんの画像を見る。超似てる、僕に、女の子。妹のガン手術がひとまず終わる。転移部分の切除完了とのこと。お見舞いまだ。実家に届くように注文していたBOSEのヘッドホン(→ amazon )が届いている。音がすごくいい。あらゆることに、感傷的にならずに粛々と、という決意。

12/20 市場ぶらり旅

仕事を終えてから港の鮮魚や野菜を取り扱う市場を訪れる。おみやげにウルルン滞在記で知られるワメナのペニスケースを大小取り混ぜて買いまくり(あとで好きなサイズを選んでもらう趣向)、自分のおみやげにはピンと来ないくせに香辛料の山を見てつい財布の紐を緩めてしまう。一通り買いそろえると店の男性が困った顔で隣の店を指さしている。薄幸そうな女性が不機嫌な顔をしていた。彼女は自分の子供まで連れ出してフォトジェニックな状況を演出したのに、自分の店で買い物をしてくれないことに拗ねているようだった。気づけば周りの店の人たちが彼女にものすごく気を使ってこちらを見ている。こういう空気の読み方は、これが商売のテクニックだと仮にしても、つい乗りたくなるものがある。大きな額の紙幣しか残っていないのでそれを伝えると女性は困惑した表情で、お釣りがないことを伝えてきた。すると周りのお店の人たちがいっせいに手をさしのべて両替役を買って出た。 魚市場。カツオに似た魚がたくさん揚がっていた。カメラを向けて「フォト、OK?」と尋ねると、かっこいいポーズを取るからそこを撮れというが、あんましあれだったな~。なのでふつうに魚の写真。 スパイス天国。胡椒をたくさん買う。 フォトジェニックな状況を演出しようとして子供にいやがられるお母さん。買いますからー。 パプアと聞くと、諸星大二郎『オンゴロの仮面』でしょ絶対。コドワみたいなのがいっぱいいるパプア。仮面もこんな感じ。パプアニューギニアの原住民が日本で有名になったのって、やっぱり本田勝一以降ですかね。 夜は屋台料理。これが結構高かったようだ。屋台だから安いというものでもないらしい。とはいえ今回は経費はすべて予算で下りているので、その辺の庶民感覚を実感する機会はほとんどない。

12/19 ポスト植民地

パプア州は金属資源の利権をめぐってというか、インドネシアやアメリカの視線が交差したところにバランスを取っているため、政治的にも経済的にも不安定であるようだ。ポスト植民地で、かつ日本への心情は悪くない人間が一定数いる一方で、新しい支配層との関係は良好ではないという点で台湾と似ている。市場を歩くと親しげに日本語で話しかけてくる人たちもいる。

12/18 得意・不得意

初めての授業が終わって、パプアの教員向け研修。パプアの多くの日本語教員が日本語教育を専門的に学んだわけではないので(日本の外国語教員の多くがそうであるように)、我々の教え方を通じて彼ら彼女らのスキルを向上させることが目的だった。もっとも我々の中では本当に日本語教育を専門にしているのは一人だけ。僕もそっち方面は見よう見まねレベルに日本語学の知見を独自に組み合わせた、はなはだ心許ないものではある。おまけに日本語教育で語られる日本語に未だなじめないということもあるが、良い言語研究者は良い言語教育者を兼ねることができるという言葉に自分の怠惰さごまかしてもらえるような気もして、片足を突っ込んでいる次第。 僕がパプアでの仕事に参加して今のところ感銘を受けているのは、草の根レベルの交流に尽力してきた先達のハートと仕事の仕方である。草の根レベルとなると世界各地のボランティアの人たちなわけだが、ともかく学校教育の枠内とは異なる次元で日本語の習得と上達を図っていて、それが実質的(に少なくとも感じられる)な人的交流を生み出していることに、ねじ伏せられてしまった。彼ら彼女らのノウハウと専門的に習得された日本語教育、やや専門がずれたところにある日本語の知識、それぞれ得意・不得意な領域がある。 ジャヤプラの中心街。地元のパプア系、ジャワ系、中華系がいる。 マンゴー。 お昼に食べたパダン料理。辛い。パダンに限らず、パプアでは鶏肉の料理がほとんど。宗教は、カトリック、イスラムが多い。 豚肉を揚げて、唐辛子を乗せたもの。 サンバルと呼ばれる薬味みたいなもの。唐辛子とライムのようなもの、あとはトマトなどと和えてある。パプアではどこに行ってもこのサンバルがついて回る。さわやかな辛みで、癖になってしまう。

1216-17 仙台からジャヤプラまで

仙台空港からグアムまで5時間、グアムからバリのデンパサールまで3時間半、デンパサールからティミカ経由センタニまで6時間、そこからバスで2時間でインドネシアパプア州都ジャヤプラ到着。 拡大地図を表示 山形から仙台空港までを入れれば片道24時間以上の強行軍でへとへとになるも、自分にとっての新世界のインパクトでにわか元気に。地平線の限り広がるニューギニア島の原生林や、頂上に氷河を冠するジャヤ山など地球丸だしな感じで、あからさまな非日常空間にテンションが急上昇。 ジャヤプラではそのまま各所を表敬訪問する。国際交流協会と短大のコラボ企画であるが、パプアのことなんかほとんど知らない我々はただ連れてゆかれるのみ。パプアと山形の交流が戦後の遺骨探しに端を発しているとか、戦中は激戦区であったとかにわか知識は詰め込んだ。もちろん国語としての日本語教育が他と同様行われたらしいということも聞いている。ただ過去の歴史をきっかけにしながらも、パプアにも山形にも全力のコミュニケーションをしようとしている人たちがいて、経済的な交流も視野に入れながら、等身大目線を忘れない「異文化」交流を進めているということは、それはそれとして不可侵の価値のあることだと思った。結局は、当たり前のことだが、日本語が何のためにどうやって話されるのかということなのかもしれない。

出発前にメモ

■24日まで戻りません。パプア州(→ wikipedia )に日本語を教えに行ってきます。関係の方どうぞよろしくお願いします。 ■本康彦「ワイルドマウンテン(5)」(→ amazon )が、ますますくだらない展開になっていて笑った。このマンガ、あいかわらず最高だと思うんだけど、その最高さを伝えるのは難しい。子供向け楽屋落ちメタフィクションを装いつつシニカル、ときおりベタに熱い展開となる、その落差かなー。主人公のいい加減さとかかなり共感できるし。これ読んだのでしばらくはマンガ欲を我慢できるかも。ハンターハンターも10週で再び休載状態になったので、心おきなくジャンプも休める。 ■先日触れた(→ 2007/12/09民謡チップチューン超イカス )kokiriko bushiが収録されているCANTATA No.147(→ Far East Recording )には花笠音頭のアレンジも入っていて、面白い。ただ残念なのは付属DVDが中途半端なところ。一番楽しみにしていたkokiriko bushi(→ youtube )がオープニングのところしか収録されていない。だったらyoutubeみたほうがいいよ…。 ■今回は諸事情あってパソコンを携帯して行きません。向こうにパソコンがあれば、ちょくちょくレポートできるかもだけど、そんな暇があるかどうか。ではひとまず。

昼ビール・ヤッチマイナー

明日からのインドネシア行きのために仕事を猛然と片づけるはずが、週頭の偏頭痛もあってなかなかはかどらない。出張2本をこなしつつ、書類の消化もどうにか目処が立ってきた。これで何とか…。 仙台出張の帰り、山形では食べられそうにない洋食にビールをつけてえいやっとごちそう気分。疲れを取らないと。山形行きのバス停が見つからないのは、市バスに比べて都市間バスが不当におとしめられているからではないかと愛憎入り交じった不満が噴き出してます。 インドネシア語の語学エッセイ、あとちょっとで読み終わる。そしたら明日だ。

買い物ラッシュ

偏頭痛後の平衡感覚を失った状態では気持ちよく読めるはずもないよしながふみの対談集(→ amazon )、リメディアル教育のツールとして検討すべく購入してみたnintendo DS(→ amazon )、音声研究の現場で使われつつあるDATの後継者Roland 24bit WAVE/MP3 Recorder R-09R(→ amazon )。ひもとく時間がほとんどないないない、恋じゃない。そしてそのまま今週は出張が2件、そいで3件目はいよいよパプアなのだが…。超不安。

来訪頻度高くない?

さわやかな月曜日の朝に、偏頭痛の前兆が来た。もう目の前きらきらしてます。閃輝状態が続いているうちに、仕事を終える!というかそろそろ画面が見えない…。暗転したら頭痛の嵐だー。今日、仕事できっかな。前回からペースはやすぎでちょっと心配だなー。

松本克己・世界言語のなかの日本語

松本克己『世界言語のなかの日本語 日本語系統論の新たな地平』(→ amazon )が猛烈に面白くて、ちょっと仕事を圧迫している。著者はいわずとしれた元日本言語学会会長だった方。雑誌論文ではスルーしていたので、著者の主張は初見だった。この10数年分の論文を本にまとめたもの。忘れないうちに、以下メモ。 本書の主張は、従来不明だった日本語の系統関係による位置づけは、比較言語的手法に基づいていては無理な話で、言語類型論的な手法を用いれば、ユーラシア大陸東沿岸部から南洋諸島をぐるっと回って、北米・南米大陸の西沿岸部あたりまで広がる「環太平洋言語圏」が描けるのだ、という壮大な構想を打ち立てるところにある。そして、この手の話題にほぼ素人であるぼくが言うのもアレだが、それなりの説得力があった。 比較言語学の手法は、AとBの2つの言語について、主に音素の対応から祖語を設定し、時代を遡行して、いわば言語の親縁関係を推定していくものである。「インド・ヨーロッパ語族」などの考え方に用いられた理論として有名。ところがこの手法では、せいぜい5000年から6000年を探るのが最上限で、その先は無理だという。根拠は、スワデシュの言語統計学の成果、すなわち2つの言語が分岐してから約1000年で同源の基礎語彙が20%ほど失われる、という計算を6000年まで推し進めると、93%が失われて残りがわずか7%になってしまう。あらゆる言語には約5%くらいは偶然に一致する言葉が含まれることからすると、2つの言語が同系であるかどうかは言えなくなってしまうということにある(清水義範みたいに英語と日本語が同系であるというギャグも言えてしまう)。 5000年から6000年まで遡れるといっても、近隣に同系の言語があって、だとか、ものすごく古い歴史資料が発掘されていてだとか、いろいろな条件が整った場合の最上限なのだろう。文献資料が1000年前くらいまでしか遡れず、近隣との系統関係が不明な日本語の場合、本書では比較言語学の手法は有効ではないと結論付けている。 一方、言語類型論の手法は、音素のようにわりあい変化しやすいものではなく、語順など変化しにくいものを比較の対象とする。本書で松本氏は1万年前あたりまで言及しようとするので、言語類型論の射程はかなり深いと言えるのだろう。ちなみに人類の言語獲得がおよそ5万年前とも10万年前とも

イチジクと鶏肉

一日中自宅で本読んだり仕事したり原稿書いたりネットしたりして、外出せず。冷蔵庫の中身もそろそろ尽きてきていて、と思ったら冷凍庫にイチジクと鶏肉。昼に作った大根とゴボウの味噌汁と。イチジクと肉類は合うね。胡椒たっぷりもイチジクのややスパイシーな香りと相乗効果。そろそろ買い足さないとだ。

民謡チップチューン超イカス

なにこれ!すっげーかっこいいんだけど。富山民謡のkokiriko bushiがこんなことに。音楽もすごいんだけど、ビデオがもろ好み。「Stevie Wonderの Don't You Worry 'Bout A Thing をカバーした Incognito ヴァージョンをさらにチップチューンでカバーして民謡界の至宝、金沢明子の"こきりこ節"マッシュアップ」( DIGITAL DJ による)だそうで、もはや複雑すぎる上に口の中で渾然一体となっているので、ここは元ネタさぐることなどせず、うまい!もう一杯!と言えばいいんじゃなかろか。ともあれ僕の好みを幾重にも重ね塗りしたひとつのかたちといえよう。 興味しんしんでこのビデオ作ったアーティストのことを調べていたら、寺田創一という方なんだそうで( Far East Recording )、プロフィール見てみたら、あれもこれもかって感じで有名な方だったんですね。ってsumo jungleの人だったんだ!1996年。懐かしいなあ。早速サイトからCD+DVDで注文をかける。バッハのカンタータ147番のマッシュアップ(なんすか)、競艇の歌"fortunate 1 mark"も貼り付けちゃう! やっばい、ホントにイカスわこれ。語彙の貧困さが露呈したね。

正座してください

約2ヶ月ぶりに鍼灸院に行った。もうこのところ体がガチガチで全然動かなくて、横になってもろくろく眠れないし、立ってればきついしで、もともと体の疲れに鈍感な僕にもはっきりと分かるいろんな蓄積を、来週からやってくるハードスケジュールの前に取り除いておかないともうダメと思ったのだった。山形で2件目で出会うことができた(相模大野の導師は4件目で出会えた)腕のいい鍼灸師さんにぐいぐい柔らかくしてもらう。お灸と鍼と指圧のフルコースで3時間。特別サービスだった。カトウさんためすぎ、これは大きな病気になってもおかしくない体だよ、と言われてしまった。実際思えば、肋間神経痛に似た何かが先週は訪れていたな。 相模大野の導師が疑似科学をやまほど使ってくるのに対し(でも効いた気持ちになるし値段は適切だからもう深くは考えない)、こちらの鍼灸師はできるだけ科学的であろうとし、また説明責任を果たそうとする。その徹底した態度に時折「もーうっるせーなーアハハ」と思ったりもするのだけど、結果的に僕はこの人をすごく信頼するようになった。そんな彼に僕は全然非科学的なことを思っていて、鍼灸治療のたぐいは術者とのメンタルな相性が重要で、「あ、なんかいやだな」と思っていると全然気持ちよくならない。この、ある種の合わせみたいのが、ぴたっと合うと、一つ一つの治療が全部気持ちよくなる。術者は男ですよ、いや、つうか性別関係ねえ、エロいこと考えた奴、その場で正座。 いつもいつも思うんだけど、ちょっと疲れがたまったなという段階で、適切に体のシグナルを読み取って休みが取れる人ってすごいと思う。ちうわけで仕事仕事!

窓から蔵王を見れば

研究室の窓からいつも見える蔵王には、ときおり比較的低い位置に雲がかかっていて、これが山を見慣れない関東者としてはとにかく絶景。デジカメで撮影してもこの感じは伝わらないだろうなあと思っていたが、ふと思い立って、3枚の写真をパノラマ合成してみたらこの感じがあの感じで実現した感じだ(→ panorama factory利用法 )。君に伝えたかったこの光景。どうだ。すごいだろう(クリックするとおっきくなるよ!)。

この写真なーんだ?

はいクイズ、これなんの写真でしょう? 答え:山形の空を覆う低い雲。自分で携帯で撮影しておきながら、サムネイルを見るたびに「なんだこの雪景色は?」と思うので、そんな気持ちを皆さんにも共有していただきたく存知候。 留学生が、山形の人は、他の地域の日本人より背が低い!理由はぜったい空が低いからだ!と主張していたのはユーモアとしても、やっぱり空は低い。このものすごい圧迫感は、雪国はみな共通しているものなのだろうか。

よしながふみ「きのう何食べた?」

荒木飛呂彦「スティールボールラン(14)」(→ amazon )、乙一「The Book―jojo’s bizarre adventure 4th another day」(→ amazon )、すぎむらしんいち「ディアスポリス-異邦警察(6)」(→ amazon )、松本克己「世界言語のなかの日本語―日本語系統論の新たな地平」(→ amazon )と「よしながふみ「きのう何食べた?(1)」(→ amazon )を購入。マンガだけざっと読んだ。あと立ち読みでジャンプSQの、荒木飛呂彦の読みきりとフジリューの。 どれも豊作って感じでおなかいっぱいだったなかで、ひときわ面白かったのが、よしながふみ「きのう何食べた?」だった。 モーニング連載中からオクサマとこれ面白いよねって、めずらしく意見が合った作品で、いやーもう何だこれ。ゲイのカップルが送るハートウォーミングホームコメディって装いに、話題としてはマイノリティから見たチクチクとしたあれとかワハハとかを交えつつ、おうちで作るごはんでしめる奇跡的な作品です。おうちで作るごはんの最高峰は五十嵐大介「リトルフォレスト」(→ amazon )だと今でも思ってるけど、というかリトルフォレストは日常という感じでもないんで立ち位置は特殊だとすれば、こっちが現時点での暫定チャンピオンということにする。 こんなふうにおうちごはんマンガに惹かれるものがあるのは、僕もおうちごはん(とかそれっぽいものが)この9年くらい好きだからだ。山形に越してきてから、土地の雰囲気もあってか和食を作ることが増えてきて、ますますおうちごはんぽい感じになってきた。 ところで9年前つったらあれだ、シミズがうちにふらっと来てメシ食わせろ~なんて言うんで、じゃあなんか作る、みたいなそういうシチュエーション(僕がごはん作るからうち来い、みたいなのも半々くらいあったな)を覚えたころだ。以来、ややそれは定式化している。なわけで、「きのう何食べた」的な心性にはわずかの既視感もおぼえつつ、いちばんヒットしたシーンは主人公がパートナーの帰宅を待ちつつ夕食の準備を進め、こう思い悩むところだった。 あーコレ盛り付け雑だけど この方が男っぽいのか? それともオバサンぽくて男らしくないのか?(p.112) 思わず声に出して笑った日本語だった。僕も全く同じ事で時々立ち止まります。こういう選択

酒田の雪は横に降る

話には聞いていた横に降る雪というのを、突発的な出張で初体験。内陸から月山を越えて庄内に出るとものすごい横風で車体が揺らぐ。夜の雪山越えもちょっとした新鮮体験だったけど、横雪はすごい。日本は広いなあ。雪は上から下に降るものとは限らない。 今朝になってホテルから窓の外を見ると雨が横向きに降っている。東京式アクセントでは「雨」の発音をするときに、「ア」が高く「メ」が低い、なぜなら雨は高いところから低いところに降るからなのだ、というある種の言霊的な言語実体論が俗解として存在すると聞いたことがあるけれども、ここではそれが通用しない。もっとも、これの反証は、東京式アクセントの地域では、「雪」も上から降るのに?ですむのだが。

5歳の誕生日

子どもの5歳の誕生日ということで実家に帰る。大きくなるのは早いなあ。来月にはもう一人生まれる。またこうやって成長の早さに驚くのだろう。昨晩仕事も途中に新幹線に飛び乗った。晩御飯を家族と食べるつもりだったが仕事に見切りをつけたのが夕方だったので、結局新幹線のなかでまっずいコンビニ弁当を食べながら慣れないビールで仕事を続行。当然満足にできるはずもなく、実家に戻ってからも仕事。 今日は誕生日プレゼントに購入したウルトラマンかるたと、妻が購入した子供用腕時計でまずまず子どもはゴキゲンだった。ウルトラマンかるたでは子ども相手に一切手加減しない妻の猛攻に父子やや引き気味となるも、果敢に戦う子ども。最後は悔し泣き。まだ文字は読めないくせに、怪獣やウルトラマンのイラストをたよりに戦う。5回くらいやると文句を覚えて、取るまでの速度が上がる。もちろん腕時計もちょっと大人気分で得意げ。 予約していた誕生ケーキを取りに行きがてら散歩。太平洋側の空はとにかく高い。公園で紙飛行機をとばしまくるおじいさんと出会う。研究を重ねているらしく、とにかく飛ぶ。所沢は航空発祥ということで、大きな公園に行くと簡単な模型飛行機を飛ばす人たちがたくさんいたりして、飛行機人口の高さが特徴であると密かに思っているのだが、裾野が広い分無駄にレベルが高い。 首の下部分にある切りかけに輪ゴムを引っ掛けて飛ばす。広告紙で作られているにもかかわらず、よく飛ぶ。初速が大きいため手を離すといったん視界から消え、空高くに一点を補足すると大きく弧を描いてゆっくりと滑空しながら降りてくる。飛行機おじさんはレクチャーも上手で、羽のちょっとした折り目や角度で飛び方が変わることを教えてくれるので、5歳と34歳はケーキを忘れて飛行機飛ばしまくり。 山形は積雪もあったのに、所沢はもみじの盛りを迎えている。外気の冷たさも山形に比べればとてもやわらかい。 明朝からの仕事を控えて、夕方に山形に向かう。以前はどうということもなかったのに、物心もついてきて別れ際によく泣く。5歳の記念に泣き顔を激写。自分もおばあちゃんと別れるたびに大泣きしてみなを困らせていたことを思い出した。来年からはいよいよ一緒の暮らしが始まるからね、と説明したら黙ってうなづいていた。 次はクリスマスね!