スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

11月, 2010の投稿を表示しています

「一杯飲めや」と「この本に敬意を示して」

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄(上)』(→ amazon )を読んでいる。ヨーロッパ人が他の大陸をどうして征服できたのかを考察するモデルとして、スペイン人ピサロによるインカ帝国の征服が取り上げられている。アタワルパはじめ、インカ帝国の人たちがピサロにあっさり騙されるあたり、バレバレの罠にインカのひとたちはどんな風に理解してはまったんだろうと疑問に思う。で、そういえば岩波文庫でティトゥ・クシ・ユパンギ『インカの反乱 被征服者の声』(→ amazon )があったなと思い、パラパラっと。 ジャレド・ダイアモンドの本にあるように、インカ人は文字のない文化であるために情報戦において圧倒的に負けていた。スペイン人が永続的に自分たちの支配者たろうと考えているとは思わなかったし、南北アメリカ大陸でヨーロッパ人の来襲のために何が行われているか知らなかったし、そのようなこともあってスペイン人の軍事力をまったく理解していなかった。 端的にいえば、アタワルパがスペイン側の軍事力についてほとんど情報を持っていなかったということである。アタワルパは、海岸から内陸にむかう途中のピサロを二日間訪れた彼の使節から口伝えで少しばかりの情報を得ているが、その使節にしても、いちばん混乱しているときのスペイン側を見ただけで、彼らは戦士とはいえないとアタワルパに報告している。二百人の兵士を出してもらえれば、スペイン側の全員を縛り上げられるとアタワルパに告げているのだ。このような報告を受けていたため、アタワルパは、スペイン側が恐るべき力を持っていることをまったく理解しておらず、挑発さえしなければ彼らは攻撃してこないと思い込んでいたのである。(ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄(上)』,p.117) 文字に情報を記録すれば、口伝えよりも多くの情報をより正確に蓄積することができる。またその情報を地理的にも時間的にも遠く離れたところへ渡すことができるので、それが戦略において優位な立場を作り出す要因になる。文字を使うスペイン人を観察したインカ側の記述は、こうだ。アタワルパの弟、マンゴ・インカ・ユパンギにインカ人の使者がスペイン人について報告する。 主君。間違いなく、彼らはビラコチャ(njm注:インカにとっての神様)であります。と申しますのも、彼らは風に乗ってやって来たと告げておりますし、また、たいそう立派な

Mozcの導入

Ubuntuに標準付属のAnthyがあんまり使えないことにストレスを感じているのは、みな同じ。Atokはお金出してまではちょっとなあ、というかLinuxを使い始める動機の一つがフリーであることからすれば、Atokにまで手が伸びないのも分かる。仕事の必要性がコスト意識を上回ればね。実のところ僕はAtokを購入することはしたけどインストールに失敗して、投げてしまった。 Winで使うときはAtokは導入していない。Google Imeがあるから。じゃあUbuntuでもそうすればいいじゃん、ということで導入したらすごく快適な入力環境が整った。以下主に Mozc - Google日本語入力のオープンソース版 - 憩いの場 を参照しながらさっくり作業を行ったメモ。 ***** まずはこちら(→ IKOINOBA Yum/Apt repository - 憩いの場 )から、該当するものをインストールして、リポジトリを有効化(場合によってはこのタイミングで再起動)。 それから、sudo apt-get install ibus-mozc。再起動してから、システム>設定>ibusの設定で、インプットメソッドの追加>日本語>mozcを選択して、追加ボタン。優先度を最上位に上げて、閉じる。本体のインストールと設定作業はこれで終わり。 次に、辞書。mozcではGoogle Imeの変換エンジンが組み込まれているものの、ネットから抽出された膨大なデータが入っていない。そこでこちら(→ Mozc+dict: 辞書を強化した(変態化した?)Mozcを作ってみた - 憩いの場 )から、sudo apt-get -y install mozc-server+dict ibus-mozc。以上。 かなり快適です。

なかでも地獄のミサワ

入江亜季『乱と灰色の世界(2)』(→ amazon )。長編漫画めいてきた。絵だなあ。 にしがきひろゆき『ちょこらん(2)』(→ amazon )。1巻ほどのインパクトがなくなってきた。わが子を見ていても、子どものアホさって最高です。 地獄のミサワ『カッコカワイイ宣言(1)』(→ amazon )。久しぶりに笑えるギャグマンガかもしれない。 荒木飛呂彦『スティール・ボール・ラン(22)』(→ amazon )。もはやマンガを自炊するための準備期間として購入を続けているとしか思えないこの最近。

パッソ、MacBookAir、タモリ

金水氏の役割語の研究以来(→ amazon )、言葉そのものや内容という次元からもう一歩引いた、メタ視点からの研究フレームが人気。言葉を価値あるモノとする視点には、ステレオタイプの問題や、言語衰退や差別の問題も隠れているが、開き直って楽しもうとする態度もまあアリっちゃアリだろう。都市部の方言萌えなブームなんかも。この何でもネタにする能力は、類人猿と人間を区別するよなあと思う。 ちょっと前に有名だった多言語対応自動販売機、東北方言バージョンなんかは、首都圏でしかありえない商品で、韓国語・中国語・ポルトガル語と並べて東北方言というところに面白さがある。それくらい東北方言はよその地域で通じないというジョークには、「言語と方言を分かつものは軍隊の有無である」みたいな社会言語学のテーマを含みつつ、やっぱり上から目線が強烈に内包されていることも事実。ゆえにこれを聞いた東北人の一部は率直に「なめんなよ」と直情的に反応する(当たり前)。 東北方言の悲しい位置づけは、役割語における「田舎者」属性は東北方言をしゃべらされるという広く知られた事実によっても支えられる。アメリカ映画の日本語吹き替え版でも西部出身は東北方言的なものを話す。それはもうそういう「役割」なんだけど、役割をずらすとおかしみが生ずる。 広島方言によるMacBookAirの翻訳なんかはそれの好例で、「男らしい・硬派・無頼」というマンガ的にはおいしい属性が、インテリジェンス漂うApple製品の広告(←そこはかとなくけなしてます)の吹き替えに当てられるとおかしくて仕方がない。すなわち中国地方の人たちには知性がないというこのステレオタイプを如何せん。あるいはappleの本質が技術者集団にあるのだとして、それが鉄工所とか造船所のイメージが持つ「技術」と地続きになるおかしみ、というのもあるか。ともあれ中国地方の人たちは東北地方の人たちみたいに怒れよ(笑)! トヨタパッソのCMは、フランス語っぽく見せた演出のなかで使われた津軽弁として話題になった。それっぽく聞かせるために言葉の配列に工夫を加えているので、ネイティヴによれば多少不自然に聞こえるらしい。これが面白いのは、トリックアート的な関心の裏側に、田舎者属性=東北方言と知的おしゃれ属性=おフランスの、価値の転倒があるからだ。 思えばタモリの伝説的演芸、一人四ヶ国語麻雀も、言葉の特徴

これは有名なのですか

いや、知らんけども。モダチョキの新・オバケのQ太郎のホーンがジャコパス先生の曲に似ているのは、以下のどれなのでしょうか、音楽に詳しい人。 ①モダチョキの矢倉邦晃がその筋の人だから ②この筋の教養だからよく本歌取りされるだけ ③気のせい YouTube - Jaco Pastorius- Soul Intro- The Chicken (Live 1982) と、 YouTube - モダンチョキチョキズ in 音楽は世界だ Part2 。twitterでつぶやいたけど、自分のためにこっちにも残しておく。 あー、TWINS I&II~ライヴ・イン・ジャパン’82(→ amazon )に入っているのね。買うか。買ってしまうか。これは。

play that funky music

土曜日なのに授業もあり、と。昨晩はヤケ酒です。今夜も軽く飲んでyoutubeぼんやり。 play that funky musicのカバーなんてやってたんだー。ヌーノの髪の毛サラサラ時代です。ゲイリー・シェロンのステージアクトがカッコ良すぎる。やっぱりあの頃のメタルとかハードロック界隈でダンサブルなのは特殊だったと思う。カッティング・ギターとかあんまりなかったんじゃ? こっちは音声のみ。ヌーノのソロが冴えてるのはこっちだな。 J.B.にも敬意を払っておこう。 そしてもちろんオリジナルのwild cherryにも。 イギリスのハードロックバンド、thunderもやってたんだなー。たったいまwikipedia先生に教わった。 すっかりファンク・アウトな感じでエクストリームの話題から遠ざかったけど、サウダージ・デ・ロックのギターとコーラスがほんとうに往年のエクストリームで聞くたび泣ける。pornographittiから3sides to every storyあたりの音。ファンク色は以前ほどではないけれど、リズムがな。これ今の人達が聞いてどう感じるのかマジ知りたいっすわ。

久しぶりにゆっくり

何だか書類を作りまくったような気がする先週。夜は文化の日の残業である映像作品を見つつ、眠い目をこすりながらの一週間だった。いまどきこの手の仕事は、教育・研究・校務が三点揃って当たり前な世界だけど、校務の占める割合が増えるとあんまり精神状態は良くない。「(  )の本来の仕事」のフレーズに当てはまるものに、「教育者」「研究者」は(笑)付きでありだとしても、校務を主体的な仕事とする名称が事務職以外にないところに、現実と建前のギャップがある。 そんなわけでこの疲れは研究方面のラッシュによる疲れとまた種類が違う。今朝は久しぶりに午前中を家でごろごろして過ごし、妻に鍼を打ってもらい、午後はどうにか子どもを連れて外出。不義理をしていた書類を某所に出しがてら霞城セントラルの科学館で子どもを遊ばせる。それから千歳山麓のこんにゃくやさんに。どういうわけか上の子どもが玉こんが大好きで、あちこちの観光地で食べた。僕は千歳山の玉こんが一番ジューシーで好き。味も本格的な高級感があっておいしいなあと思うのだが、子どもはもっとジャンクっぽい人工的な、だし風味が強い感じが好きみたいだ。 そこから山を挟んで裏側にある平清水焼の窯へ。遊び疲れと夕方の眠い時間に突入した下の子どもが、お店の床置き陳列コーナーにダイブ。幸い、箸置きを一つ破壊するのみに終わる。平謝りを重ねて「子どもがもりもりごはんを食べる」と同僚家庭で評判の茶碗を人数分買い揃え、箸置きも買う(涙)。帰宅して封を開けてみたら、サービスで湯のみが一つ入っていた。内側が紫の釉薬がかかっていて、外側はざらついた素焼きの感触。ありがたや。 いただきもののはちみつをたっぷり使って、紅茶を一杯。飲みたりないのでもう一杯。本日会えなかった友人がチャイ好きだったなーと思い出して、チャイも(写真なし)。シナモン、ナツメグ、ペッパー、塩少々。はちみつとミルクで。 読みかけの『在日一世の記憶』の続きを。そうだ、パッチギ2は教育しようという姿勢が全面に出すぎていて、映画としてはあまり楽しめなかったな。主演の中村ゆりは良かった。ふと気になって調べてみたら色々情報が出てくる。自分の情報を出すのは自己紹介なのに在日コリアンだとカミングアウトとか言われちゃう、そういう社会は抑圧しすぎだって。 中村ゆり、南果歩「カミングアウト」 「在日」隠す芸能界に異変 (2/2) : J-C

ケンタンシって何ですか

とある授業で、インタビュー内容をトランスクリプトさせた(文字起こしさせた)のだけど、その精度が個人差が大きい。人が何を聞き取っているのかに個性があるというのが面白いって話で、音と意味が結びつくゲシュタルトみたいなのの作り方には、人によって違いがあるようだ。 あるインタビューイの発話(神奈川から山形に来た人)に、どうしても聞き取れないフレーズが出てきた。学生もどうしても聞き取れないという。「ケンタンシ」って何ですか、と。僕にはその部分が「ケッタナシ」に聞こえる。話の内容は、田舎では車がなければ生活ができない、都市部で暮らしているときは車なんか必要ないと思っていた、といったもの。前後の具体的な文脈は次の通り。 「独身の時は、*****、車なんて必要ないと思ったもんね」 これを聞き取ろうとした態度のバリエーション。 (1)聞き取れない「ケンタンシ」だか「ケッタナシ」を音声レベルで何とか聞き取ろうとする人。とりあえず「ケッタナシ」だとすると、中部地方で自転車を表すケッタの神奈川への流入かと。しかしアクセントがLHHLLであるため、ケッタである可能性は低い。 (2)文脈から意味がわかるんだから、その部分は省略していいんじゃないかと考える人。文字起こしの目的を理解していません(あとでテキストマイニングにかける)。「通じるんだからいいじゃん」「そうですけど今回はそういう趣旨じゃないんで」「単語なんて会話の中でいちいち聞いてないからね私は」「そうでしょうけど、今回は違うんで」 (3)一聴して「極端な話、っていってますよね」。一同、えー!!!そうだ。確かにそう言っている。どうして聞き取れなかったんだろう。一瞬で分かりますよ、これ、だって。そうであろ。すごい。尊敬した。 (1)は日本語学の人。(2)は英語教育(オーラル中心)の人。(3)は社会学の人(神奈川出身)。ネイティヴの会話だから分かったのかなあ、と日本語学(音声音韻・歴史)は負け惜しみを言うのであった。社会学の人は質的研究手法もあわせ持つので、文字起こしの経験は豊富。(2)の人は、リーディングの指導のときも、文章の構造から著者の言いたいことを汲み取るべきと主張しており、単語とかはどうでもいいという立場を首尾一貫して保持している。(1)の人はあくまでも音声にこだわる。「ケッタナシ~ケッターナシ~キョッターナハーシ~キョクタンナハナ