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『Hunter x Hunter(32)』すごかった!

冨樫義博『HUNTER×HUNTER-32』( amazon )。年末のこの時期に読んだこれが、今年の「このマンガがすげーっす!njm版2012」のダントツ第1位です。選挙戦の流れ、アルカ/ナニカをめぐるゾルディック家の愛と支配の物語、カイト生まれ変わりについての、ベタに魂のらせんと再生の物語が絡み合いつつ虫編の大団円を迎え、新しい冒険への旅立ち。これもう奇跡だとしか思えません。連載時もビリビリ来るところがあったけれど、単行本でまとめ読みすると改めて頭がくらくらするほどのエネルギーを感じます。 コアラとカイトの対話、他者の生をきちんと抱え込んで生きること。キルアとゴンの共依存の物語がようやく終わり、キルアは守るべき存在を見つけ、ゴンは父との邂逅を経て新しい冒険に向かう示唆。登場人物たちが閉塞した孤立ではなく開かれた孤独を選んで生きようとすること。蟻との戦いを経て、対照的ながらもそれぞれに自立の物語が描かれたように思える展開が、突き抜けた爽快感をもたらした印象です。「ベルセルク」もこうやって風通しの良い関係が得られる物語になればよいのにな、とつい考えてしまいました。 マンガ表現としても奇跡的だと思います。というのも、連載を落とす際に「殴り書き」「落書き」のようなタッチになることで有名な冨樫の線が、今回は話の内容とマッチしてしまっているからです。ちょうどコアラとカイト、キルアとアルカ/ナニカ、ゴンの許しの物語を回収するNo.336と337。ラフなタッチにおおぶりのスクリーントーンを貼り付ける、往年のフィールヤングかよ!と突っ込みたくなる(実際岡崎京子を彷彿とさせる)絵柄。狙ったかどうかが分からない、虚実ない交ぜなところもケレン味を感じてしまいますが、この技法が偶然によって生まれたことは間違いありません。そもそも狙った線だとしたら、そのデッサンの崩れ具合からしてふつうのプロの漫画家なら編集者が許さないでしょう。下書きの線が偶然に生み出してしまった表現効果だと思うのです。あの冨樫が「やっちゃった」線でありつつ、それを(大げさに言えば)芸術のレベルに「できちゃった」感満載なところに奇跡をみる思いです。 スピンの故郷の鳥の群生地のシーンや、ゴンとジンの掛け合い、モラウとノヴが酌み交わすシーンも見所。ここまでのハンターで一番読み応えのある巻です。

iPadがwifiにつながらないメモ

今年の春先に新たに構築したwifi環境がなんだかだめになってしまった。すべての機器がつながらないので、buffaloのWHR300を買い直した。無線ルータがダメなのかなと判断したわけだが、どうもひかり電話ルータのほうに問題があるっぽい。しかしもう長いことPPPoE接続なんて触ってないのだよね。セットで加入したniftyだって辞めてしまってもいいくらい。  やれることはやったので、NTT東日本に連絡して書類やCDなどの一切合切を送ってもらうことにした。それでダメならバッファローの派遣サービスに頼ることにする。もうこれ以上これに時間を費やすのはやめる(笑)! 状況とやったこと PCは2台ともつながっている。 Androidはつながっている。 iPad(第1世代と第3世代)は2台ともつながらない。 DSとiPod touchは試していない。 iPadからもSSIDは見えている。 パスワードは把握している(からPCやAndroidはつながっている)。 マルチセキュリティで、WPA、WEPの両方による接続を試している。 バッファロー謹製のQRsetupも試している。 MACアドレスによる接続制限も試している。 無線ルータのファームウェアは最新にアップデート。 無線ルータはアクセスポイントモード(ひかりルータとはブリッジ接続)。 無線ルータもひかりルータも電源OFFからの再起動を試している。 出荷初期状態に戻すことも試している。 やってないこと 固定ipをiPadに与えること。 参照サイトは、 iPad IPアドレス固定 。 ただし接続が完了していないiPadのipを固定に変更することはできず、ここでお手上げ。 ということでこれ以上自力でやれることは、上流のひかり電話ルータRT200ki側の設定をいじることだけ。ふー。

登米は「とめ」か「とよま」か

宮城県登米市( 登米市 - Wikipedia )という場所がある。「とめし」と読む。市内には登米町がある。「とよままち」と読む。「登米」に対して、2つの読みがあるのが疑問だったが、先日出張で訪れた際に地元の方にその理由を伺った。結論から言えば、元々地元では「とよま」だったが、余所から来た人たちが誤読して「とめ」になったという。余談だが、我らがwikipediaによれば奈良時代に「遠山(とおやま)」と呼ばれていた地名が「とよま」になったとか。同じく「登米町」の項目を見ると、さらにその語源はアイヌ語の「トイオマ(食べられる土)」とか。 登米市中心地に、町並みを明治大正風にアレンジした観光地がある。その一角を占める旧水沢県庁跡を頻繁に訪れていた中央の役人たちが文字に引かれて「とめ」と読んでしまい、それが国や県の指定する読み方に採用されてしまったとか。ホントかな?でも、「県立登米高校」は「とめこうこう」で、「町立登米中学校」「町立登米小学校」は「とよま」だというので、なるほどと膝を打ってしまう。 名付けの歴史的経緯はともかくとして、文字に引かれてことばが変わることは、「おほね」から「大根」(だいこん)が生まれたり「をこ」から「尾籠」(びろう)が生まれる、という国産の漢語誕生のエピソードなんかを思い出す。地名で言えば、台湾の「高雄」の曲折に思い当たる。地元先住民がタカオと読んでいたものに、植民地日本が「高雄」という漢字をあて、解放後の中華民国が北京語読みの「カオシュン」とした、といったことなど。探してみれば、地名改変の話は日本国内にも津々浦々ありそうではある。

エヴァQ

もう序も破もほとんど忘れた。ほんと、1996年にエヴァがどう終わったのか、そのあと映画版のエピソードがどうだったのか、とかすっかり忘れた。大学生の終わりの頃、謎解きが話題になってムックを読んだりしていた頃のことだけを思い出した(以下、ほのかにネタバレ)。 なので、今回のエピソードが時をおいていることが、我がことのように感じられてしまったのでした。テレビ版がああいうメタに終わらせたことに共感しながらも、どこか物語としての決着も見たかったこと。20代半ばのくよくよした感じを思い出すのは、とっても疲れることでしたよ。 次でようやく終わるそうです。こんなQを見せられたら、またあの面倒なプロセスに付き合わなければならないような、しんどい予感。早く終われ(笑)!

完成版 ニュ~東京音頭

なんなんこれ。脳みそを直接触られているような気持ちよさがあるんですけど、なんなん。 タンブラとかやってるひとが反射的にリブログするような行為があるとしたら、たぶんその感覚に一番近い島だと思います。

莫言『白檀の刑』

莫言『白檀の刑』読了。清朝末期、租界の時代の山東省を戯画的に描いた大衆小説。表題にもなる処刑方法にとどまらず、作中では清朝に伝わるさまざまな血みどろの処刑方法が紹介されるが、処刑人の誇りと内面を描いたところにケレン味がある。そして何より、本作を大衆小説たらしめている、大衆演劇「猫腔」の文句を下敷きにしながら、その文句を作中に交えているところが、いちばんの味わいどころか。実際に見てみたくて、youtubeやbaiduを探してみるも、見当たらず。作者あとがきによれば、莫言自身が少年時代に過ごした高密県で親しんだ猫腔に着想を得て、「白檀の刑」ができあがったとのこと。 余談だが、これ、書籍を購入してから自炊して、一冊まるごとiPadで読んだ。初めての体験。で、読み始める前に色々なアプリを試したが、結局i文庫HDがもっとも読みやすかった。指で頁をたぐる感覚も良いけれど、新しいこの媒体で読むのも悪くない。考えてみれば、猫腔という伝統大衆演劇を小説という新しい入れ物で演じてみせた莫言のこの作品も十分楽しめるものだった(猫腔そのものもぜひ見てみたいが)。iPadによる読書体験もまた莫言の如しであった、と。 ***** (追記1) 訳者あとがきによれば、猫腔は、本当は茂腔と呼ぶらしい。それでもういちどbaiduを検索してみると、それらしいものが出てきた。 (追記2) 作中、気に入った格言「洪水になったら土で埋めろ、兵隊に襲われたら将で防げ」。その時が来たらそのように対処するしかないのだから、慌てることはない、といったニュアンスで使われていたように思う。もうひとつ、「どの職にも状元はおる」。どんな仕事にもトップクラスのやつはいる、といったことば。本当にそう思うよ、ということで。

BiBTeXできた…(涙)

8年越しくらいにできたという話。実は、TeXで論文書いているくせにbibtexだけは放置していました。 ・著者名+年号+「論文タイトル」+掲載雑誌+号数 ・著者名+年号+「書籍タイトル」+出版社 というこれだけが欲しいというのに、8年くらい前に試行錯誤したときはうまく行かず、「別にTeXのマクロとかいじれるプロになるわけじゃなし」と諦めていたのでした。しかし本当はTeXの威力は組版の美しさと同じくらいかそれ以上に、作成した文献データベースからリストを吐き出したり、本文中に参照したりする機能が重要なのでした。これまでは、なんとbibtexだのciteだのを全く無視して、論文ごとに文献リストを作る(そしてたまにリストから文献を落として凹む)ということをやっていたのです。 そしたら今では、natbib.styという泣けるスタイルファイルが公開されているのですね(使い方は→ 文献の引用 )。素晴らしすぎる。ここの\citealp*{引用キー}を使えば、まず、本文における文献引用を「名前+年号」や、同じ著者が連続して引用する際に名前を省略ために2箇所以降を「年号」のみにする、といったことが表現できる。 しかも数年前には理系寄りのbstファイルばかりだったのが、もうちょっと人文系に優しいjecon.bst( 武田史郎のウェブサイト | jecon.bst: 経済学用BibTeXスタイルファイル )というのも公開されている。2009年公開だ…時代は進んでいたのですね。論文末尾につける文献リストから、年号の( )を取り去る方法など、かゆいところに手が届く仕様になっていて大変ありがたくて涙が比喩的に流れほとばしりました。 % year の前に付ける文字列 (日本語文献用) % FUNCTION {bst.year.pre.jp} { "" } % (default)←ここにあった「(」を取り去る % year の後に付ける文字列 (日本語文献用) % FUNCTION {bst.year.post.jp} { "" } % (default)←ここにあった「)」を取り去る …と書いてみればどうってことはないことだけれど、ここまで理解するのにマニュアル首っ引きでトライ&エラー。6時間くらい使ってるわ。 と

自転車通勤絶賛の季節

自転車通勤絶賛の季節が数週間前から到来している。夏の間さぼっていた体力が少しずつ上がってきて、ようやく良い感じの疾走感になってきた。 昨年からMapMyRideで記録を残しつつ片道約3.8kmを通勤しているわけだが、たまの休みも入れて、ここまでのところ今年は約400kmの走行距離。今年の統計を見ると、雪が溶けて走りだして、夏になって嫌になって、また涼しくなって走りだしたのがもろわかりです(笑)。 本日、けっこう飛ばした感じで、信号でちょっと停止して時速21kmくらい。え?そんなもん?と思った。御年50いくつの中学校の時の恩師は、別に普通の感じで平均時速20数キロで琵琶湖一週とかやってて、結構速いもんだと思ってたけれど、やっぱり速いんじゃないかと思う。それか街乗りは、身体感覚に見合うほどにはどうしても平均速度が上がらないものなのか、あるいはMapMyRideの計測に問題があるのか。うーん。

Tex colortbl.styメモ

表がみづらいのをどうにかしようと色々工夫をしていた。ほとんど生データに近い形で出して、とも思ったが、自分でもうすうすと感じていたけれども、読みにくい表はだめだよなあ。ということで試行錯誤のうえ、否が応にも表の一部に網掛けをすることにした。実は、わたくしデビュー論文が完全版下原稿だったのだけれど、網掛けを使って大下手こいたことがあるのです。以来、網掛けはやるこっちゃねえなあと思っていたのでした。すなわち、網掛けを選んだことはある意味トラウマを乗り越える取り組みなわけですね(笑)。 そいで、TeX環境で編みかけといえば、ネットを探すとcolortbl.styを使えとある(情報元: LaTeXで表の中の一部のセルに網掛け: バトコの子のコトバ 、 colortbl.sty: TeX パッケージ 、 CTAN web interface: Directory listing for /macros/latex/contrib/colortbl )。問題は、これstyleファイルがDLできるのではなくて、自分で生成しなければならないのでした。 よく読めば書いてあるけれども、colortbl.insをTeXに一度かけるのですね。それで生成されたstyを適正な場所に置く、と。ネット上に落ちているソースをそのまま貼り付けて名前だけcolortbl.styにしてもダメだったので、メモしておきます。 なお、自分のミスに気づいたのはネット情報からではなくて、奥村センセの『改訂第5版 LaTeX2e美文書作成入門』のp.137に「colortblパッケージがない場合は、CTANの(略)からcolortbl.dtxとcolortbl.insをダウンロードして同じフォルダに置き、colortbl.insをTeXで処理すればcolortbl.styが得られます。」という記述を読んだからでした。いつも思いますが、 ネットから生半可な知識をゲットするだけではだめで、きちんと本を読むのが大事 ということです。いちおう、コマンドプロンプトでやったこととログを載せるという恥ずかしいことをしておきます! C:\colortbl\colortbl>tex colortbl.ins←同じフォルダに置く This is TeX, Version 3.1415926 (TeX Live 201

IS05のルート奪取

IS05にてau one IDを取得したらなんだか絶対に使わないアプリがてんこ盛りになってしまった。動きが遅くなるのもアプリ一覧に余計なものが並んでいるのも嫌なので、root奪取のうえ、余計なアプリを停止することにした。僕のIS05のOSはandroid2.3.4、ベースバンドバージョンは01.01.03。 ここ(→ IS05 まとめ wiki - root化について )の手順に從う。上記マニュアルでは、IStweakでは「システムアプリケーション」によって余計なアプリを黙らせることができるとあるが、実際にやってみると「アプリケーションの凍結」にメニュー名が変更されているので注意。また、アプリケーションの凍結に進む際、ディレクトリ選択を迫られる。 /data/app グリー、グルーポン、着せ替えケータイ、サンシャイン王国、UNOHD、ニュースEX、太鼓の達人+、jive、Lismo Wave、助手席ナビ /system/app Gガイド番組表、ニュースと天気、Live Wallpaper Picker、 上記マニュアルにあるように強制終了→メニューから入り直しの連続を構わず続ける。IStweakから再起動を選んで、本体をリブート。起動するかドキドキすること数分…見事起動!ただし、停止させたはずのLismoが起動できない、というメッセージが出る(以後も通常利用中に時折ポップアップする)。これはいまのところ対処がわからないけれど、特に不具合はない。 その他、不具合が出るようだったら、ここに書き足すことにする。

鬼平・カムイ・光圀

近所のラーメン屋が、さいとう・たかを版『鬼平犯科帳』を豪華装丁版で(おそらく)全31巻をそろえた。以来、そのラーメン屋に通い続け、今日なんか「いつもありがとう、これサービス」とかいってお茶いただいたくらいの皆勤賞ぶりである。1回1時間の勝負で、まだ6巻。原作を読んでいないが、こんなにおっさんワールド全開なのだろうか。マンサンとかゴラクかという作風なので、まんま飲む・打つ・買うに殺し合い、忘れた頃に江戸の人情、とたたみかけるようなリズムによる攻勢である。こういうのがガツガツ読めてしまう程度に俺はおっさんになったのだ。 実は同僚にずっと前に借りた『カムイ伝』がなかなか進まず研究室の片隅に積んであり思い出した時に少し読み進める感じなので、内容がほとんど掴み取れていないながらも、「江戸の人情は小粋だが百姓と非人はこんな江戸を見ていない」、変なブレーキを時折かけつつラーメン屋通いの日々を送る。 で、今日は別エントリの朔ユキ蔵と一緒に三宅乱丈『光圀伝(1)』(→ amazon )を購入。冲方丁原作だからそっちを読めばいいとか言わない。それはそれ。別に光圀が好きなのではなくて三宅乱丈だから。『秘密の新選組』だって幕末好きなのは司馬遼太郎好きなおっさんくらいなのであって、三宅乱丈だから(あ!最終巻出てたの知らなかった)。『ぶっせん』『マチコ船』『北極警備隊』とかやってたころの突き抜けたギャグ期以来、なにかと読んでて苦しくなる作風を貫く三宅乱丈だから!

朔ユキ蔵『お慕い申し上げます』

朔ユキ蔵『お慕い申し上げます(2)』(→ amazon )、2巻だけ書店にあったから買って読む。1巻はまだ。しかし、またきっつい作品を書いているということはよく分かった。2巻からなので背景はよくわからないけれど、志高い坊さんになろうとしている登場人物?と色欲の眼差しの対象となる住み着いた女性、今度は仏教ベースで罪と性欲をキリキリ舞わせるみたい。3巻は憎しみがテーマであるとか。見たところメインの登場人物は3人で、それぞれの視点から葛藤が描かれるようだ。 朔ユキ蔵は寂聴とか今東光の跡を継ごうとしているのか、という勢い。アマゾンで1巻の様子を探ると、お色気コメディと受け取られるような煽りがあるけれど(悶々ライフ!)、もっとえぐられる黒さがあるので、うっかり購入してうずくまる読者が増えればいいと思う。 前作『黒髪のヘルガ』(→ amazon )では性と汚れ、嫉妬と拘束をファンタジーとして描く離れ業をやってのけ、今度はそれを宗教的信仰心の「起こり」としての局面で描こうとしている。朔ユキ蔵の作品を時系列に並べると、たぶんなんというか魂の階梯(笑)を一歩ずつ登ってゆくようすが見て取れるのではないかと思うわけです。 *参考:niji wo mita: 朔ユキ蔵『黒髪のヘルガ』 http://njmnjm.blogspot.jp/2011/09/blog-post.html

川上郁雄『私も「移動する子ども」だった』

川上郁雄『異なる言語の間で育った子どもたちのライフストーリー 私も「移動する子ども」だった』(→ amazon )読了。「移動する子ども」というのは、両親あるいはどちらかを非日本語圏に持つ、あるいは非日本語圏と日本語圏を自ら移動した経験のある子どもをさしている。「ハーフ(ダブル)」など血統を惹起させることばを使わず、移動とそれに伴う多言語体験は社会構築的なものだ、ということを意味づけるうまいフレーズだと思う。 著者は日本語教育学の方。本書の内容は子どもが言語習得をしていく過程には、社会的文脈に沿った言葉への価値付けが大きく作用する、ということのケーススタディであるように読めた。そこがたぶん、日本に生きる「移動する子ども」たちへの救いのメッセージなのだろう。僕もこの手のことをよく考える時期にこの本に出会っていたら、これまでのブログエントリもまた違った感触になっていただろうなあと思う。 本書の構成は、第一部を「幼少の頃、日本国外で暮らし、日本に来た」ケース、第二部を「幼少の頃から日本で暮らし、複数の言語の中で成長した」ケースとする。第一部には、セインカミュ、一青妙、華恵、白倉キッサダー、響彬斗・一真、第二部にはコウケンテツ、フィフィ、長谷川アーリアジャスール、NAMの各氏。インタビューと川上氏による談話の意味付けが交互に続く構成。 ここで選ばれている人たちの特徴は何なのか、と読み終わって考えるに、全員が幼少の頃にバイリンガル教育に「失敗」していることにあると気づいた時、これだけのメンバーへのインタビューをお集めになったものだと著者に敬服した。本書は、それでも別に大丈夫だよ、と呼びかけている。みな親から日本語ではない言葉を学ぶよう誘導されるが、子どもはその言葉が社会的にどう価値付けされているかにとても敏感で、たとえば「◯◯語はかっこわるいから使いたくない」だとか「英語はなんか役に立ちそうだから」といって成長の度合いに応じて言葉を値踏みする。母語継承の取り組みが子どもにとっては「大きなお世話」になりがちで、でも言葉にはすでに社会的な「ランキング」が刻まれているからこそ、逆に言えば「大きなお世話」のような「不自然」なことをしなければ言葉は継承されないということでもある。しかし、本書でも、あるいは私が見聞きするケースでも、たいていはこうした取り組みは「失敗」に

夜中のアイスコーヒー

麦茶はちょっと。熱々のコーヒーもたまにはちょっと。夜遅いしビールは見送りたいし、ラムとかでカクテル作っちゃってもいいけどお酒は少し休みたい。という気持ちでネット見てたら、ここ(→ 誰でも簡単にできる本格アイスコーヒーの淹れ方 | roomie )に出会いました。あー、美味しそう、ということで。 ただ、うち(というか僕だけ)みたいにヘビーにコーヒーを飲む家だと、コーヒーメーカーで作っていることも多いと思う。なので、カップに氷をいっぱい詰め込んでおいて、淹れたて熱々のコーヒーを流しこむ。コーヒー豆はいつもの2倍くらいの濃さにしておいて、氷が一定程度溶けるのを待てばできあがり。 という感じで目分量でいい加減につくってみたけれど、美味しい。キュっと冷やすと香りが飛ばないみたい。あっ、背景のキッチンはスルーよろしく。

『階層化日本と教育危機』を読んでみよう、という表明

今朝は妙にびびっと来ました、このエントリ(→ 内田樹の研究室 )が。 とにかく、苅谷氏『階層化日本と教育危機』を読んでみようと思った。学ぶことの意欲が、社会構築的に説明のつく背景に影響を受けているのではないか、とは教育の現場に身を置くものなら誰もが体験的にうすうすと感づいていることなのではないかと思う。それは少なくとも日本社会においては、タブー視されている社会階層に関わることなので、表立った形で論じられることは少ない。そのあたりへの知的関心がひとつ。 もうひとつはここ。 「十分な学習資本を持たない若者が大量に社会に放り出される」とどうなるか。非正規化圧にさらされている若年労働者が「学校時代に身に付けるべきことを身に付けないまま、職業に就いてからも十分な職業訓練の機会を与えられない」(本書、24頁)ままであれば、いずれ彼らを支援するための社会的コストは破滅的な規模のものになるだろう。 日本社会の雇用形態が変化して、企業いまや即戦力ばかりを求めるとはよく聞く話。一方で大学は職業訓練施設ではないので、得体のしれない「キャリア教育」にその役目をすべて突っ込んで教育ポリシーとコンテンツの再編には関心を持ちにくい状況がある。まあ文科省の思惑に乗っかって軽挙妄動も慎むべきだが、でも馬鹿正直に考えれば大学は教育ポリシーとコンテンツで「即戦力を求める企業風土」にきちんと立ち向かうのが筋と思う。 ほんで所属の進路系の委員をやっていらっしゃる方から最近お聞きしたのが、トレーナビリティの育成という概念。翻訳すれば、自分を鍛錬する能力、ということだそうだ。どのような職業に就いてもその場にあった形で自己を鍛錬できる力、とは魔法の能力に思える。いま、うちの職場ではこれをカリキュラムの中で育成できないか、と検討しているわけだが、教える側の労力は相当に求められるだろう。内田氏の文脈に従えば、この力は「学習資本の階層差」によって配当される。大学内部だけで社会階層を超えた力を与えるには、どのようなしかけが必要だろうか、と少しめまいがする思いだ。 まとまりがないまま書いているが、実は内田氏の記述で一番タイムリーに響いたのはここ。 同学齢集団内部での相対的な優劣を競わせれば、子どもたちの集団全体としての学力は必ず下がる。 ですよねー。なんか身近に聞いたことがある気がする。学生同士

友だち申請のときはメッセージを(笑)

最近、FBとかで「友だち申請の時はメッセージを付けましょう」みたいな標語がシェアで回ってきて、軽く不愉快になるわけです。またそういうくだらないルールを、世間の既定路線であるかのような顔して押し付けてきやがって、と。礼儀とか常識とかを作り出すんだか、ネット社会に持ち込むんだかして、ネット社会をどんどん住みにくくするのは止めやがれ、と思うこともままある。 しかしFBが大学生のための限定的なSNSでもなくなった昨今、また世界中に広がった昨今、各地でアダプトされれば各地の土着的風習が新しいSNSを下方から侵食するのも、文化史的には広く見られる現象です。逆にいうと、そうした土着的風習を受け入れることで新しい文化がアダプトされる、と解釈されるわけです。マスに受け入れられればマスなりの新しい「マナー」がうまれ、多様化もするのでそれにしたがうのがおとなというものでしょう(この段落はぜんぶぼうよみです)。 思えば、メールの文化も35字程度で改行って誰がマナーとか言い出したんでしょうね。知らんけど。というツッコミはものすごく大人げないのだけれども、現象学的還元として「 」にくくってアホかと言いたい衝動です。 と、ヨソのルールをアホ呼ばわりしたい一方で、スポーツ系の人たちに「それはマナー違反」とか胸を張って叫びたい衝動もあります。東北のこの近辺でエライ顔してるスポーツ業界の先生から、仕事がらみで書類を送れとの指示をいただいたのですが、その返信は一言「受け取りました」。 ほお。 以前、スポーツ系教員で上方向のタテ関係にすごく丁寧で、下方向にはおそろしくぞんざいという逸材を見かけたことがあったので、もしかしてこれはスポーツ系教員の風習かと思って、この世で一番信頼出来るスポーツ系教員のひとに電話かけて「いつもこうなわけ?」とか聞いたら「ごめん、いつもそう」とのお返事をいただく。そういう習俗ですか。でも、普遍化するのは早くない?と思っていたら、本日別件で別の人かつスポーツ系のひとに書類出したら、同じく「受け取りました」とシンプル・イズ・ベストなリプライをいただいて、先般とは異なる音色での「ほお。」が発声されたところ。 世界は広いっす、でアホがアホを指さす無限後退。でもFBでは黙って友だち申請。まだいいでしょ。

SoundEngine via.Lameでmp3 適切なサイズ

音声の切り貼りに大変便利なsound engineは、デフォルトではWAVファイルのみが取り扱える。音声調査にEdirolなどのWAVレコーダーを用いると、当然ファイルサイズがすごいことになるので(1時間半録音したら1GB近くなった)、場合によってはmp3で保存しなおしておく必要もある。音声分析にはWAV、内容の把握をチームで共有したい時はmp3といったように。もちろんメディアを複数用意して、オリジナルデータを取り分けることもできるけれど、それはそれ。 今回僕は、民俗調査の補佐として参加していて、内容を把握するにはそこまで高い音質のデータは求められていない。普通のICレコーダで録音しても良かったが、音声分析に転用するかもしれなかったので。 SoundEngineでMP3 にある通りにやってみた。ライブラリにLAMEを登録してコマンドライン経由で変換を行う仕組み。 オリジナルデータは1:25:56、WAV形式で867MB。上記サイトではmp3変換する時に、固定ビットレートが選べるのでいじってみる。192で118MB。64で39.3MB。なお最小の32だと19.6MBにサイズを落とせるが、1メートルくらい離れた話者の音声内容の聞き取りが難しいくらいの音質になってしまう。 聞き取り可能な音質とファイルサイズのバランスからすれば、「内容を聞いて確認できる」用途で共有するなら、64のビットレートが良いように思う。

thinkpad ゴム足とれた

前のthinkpadもその前のも、歴代はだいたい底面のゴム足が取れてしまう。ケースも使わずガコガコ置いたりカバンに突っ込んでいるので仕方ない。使い方が荒い自覚があります、っていうか自分で一番使いやすいやり方で使うと世間的には荒い使い方になるので仕方がない。仕方がないものは仕方がない。 取れたらボンドで引っ付けて、また取れたら引っ付けてを繰り返していたが、とうとう紛失してしまった。3本足でも机の上できちんとグリップする。けれどもキーボードが打鍵の際に押し付けられて、少しゆがむ。ゆがむと本体とキーボードにわずかな隙間ができてカタカタ音がする。あわせてエラータッチが増える、ような気がする。 ネット上を見ると、同じように苦戦されている方がたくさんいらっしゃるようで。こことか(→ ThinkPad X200 ゴム足外れたよ>_< - じゅんたん&スイスポ - 楽天ブログ(Blog) )。 速攻で注文かけました。FRU番号はこちら(→ 44C9554 )で調べて。ここ(→ ThinkPad 部品、パーツ IBM ThinkPad )の個人用電話番号にご連絡すると、いかにも職人然とした声の男性がしっかり対応してくださって、あとは注文書がファックスで送られてくるので対応するのみという流れ。 この職人さん然の方の声がまた渋いのですが、興味のある方もいたずらはしちゃだめだかんね。

あやめ祭りなど、6月最後の週末

6月最後の週末。山形県長井市のあやめ公園にて、あやめ祭り(→ 長井市観光協会 || あやめまつり )。 こんなところにも萌えキャラが。公園内には湧水があり(人工?)、ニジマスが泳いでいる。 公園の隣にある野川にて川遊び。川底の石をひっくり返すと、蛍の幼虫が営巣している。護岸されている部分が多くて心配になるが、中洲や泥溜まりもあるので孵化できるかな。 フラワー長井線の駅にて。運賃表とか、手書きなのがイカス。 最後は、白鷹と上山を結ぶ348号線から脇へそれて、「くぐり滝」へ。この滝を上に抜けていく遊歩道をあがっていくと、沼と呼ばれる湿地帯群に出る。このあたりはとても美しかった(写真なし)。一枚だけ、干上がった池と思しき写真。

ごった煮ログ

しばらく読んだもの、見たもののログつけてないなー。 JSA(→ amazon )見た。あと働きマン(→ amazon )とモテキ(→ amazon )を全部買った。あとブエノスアイレス食堂(→ amazon )読んだ。あとなんだ、反貧困(→ amazon )とか読んだし、ラップのことば(→ amazon )とか。松田洋子のママゴト(→ amazon )もだなー。しかしこの人はリスペクターのイメージが強くてなかなかどうにも。 音楽の方は、久しぶりにスチャダラの5thwheel2coach(→ amazon )、MICROPHONE PAGERの王道楽土(→ amazon )、twiggyのあかさたな(→ amazon )など。ラスト2枚は別エントリで。いただきもののタルトタタンのしょうがないマイラブもですね。

マルチSSID

WifiルータをLogitecのLAN-W300Nに買い換えてから、設定がややいい加減だったのを力技で決着させたような気がするのでメモ。まず、家庭にあるWifiにつなぎたい機器は次の通り。 ThinkPad X200 ThinkPad X40 iPad1 iPad3 iPod Touch Nintendo DS-lite is05(スマホ) なんか2年前にIT系のツールには踏み込むだけ踏み込むテスト、を試みてから機材増えた(笑)。メインの戦闘機はX200とiPad3とスマホ。 結論から言うと、いまのルータって普通にマルチSSIDができるのですね。これがなぜありがたいかというと、古いDSなどはセキュリティの比較的低いWEPでないと繋がらないけれど、他のマシンはWPAとかでネットワークを組みたいから。10年くらい前に購入したバッファローのルータでずっとやっていたので、そもそもマルチSSIDという選択肢に気づくことすらなかったです。X40(winxp)もどういうわけかWEP以外つながらないので、かつては色々面倒くさくてMACアドレスでしか制限かけてなかった。 もちろんMACアドレスはセキュリティ的には文字通りザルなんだけれども( 高木浩光@自宅の日記 - 無線LANのMACアドレス制限の無意味さがあまり理解されていない )、どうせうちのネットワークに侵入したからといってパソコンのファイアーウォールで止まるし、くらいの素人感覚で。しかし少し前にNASのハードディスクを購入して、ここに大事な情報などをバカスカ入れていきたい。そう考えるとやっぱりきちんとセキュリティ設定しないとと思いました。 ちうことで、近年にWifiルータを購入された諸賢はすでに当然のように設定されていると思いますが、MACアドレス制限+WPA-PSK(DSはWEP)という環境が出来上がりましたよ、というお話です。マルチSSIDありがたい。RADIUSサーバとかは立てていません。

山田芳裕『文庫版 度胸星』

山田芳裕『文庫版 度胸星(1)-(3)』(→ amazon )を購入。90年代の連載時も読んでいたし、単行本も持っていたけれどまた買ってしまった。久しぶりに読んでみると、有色人種の大統領がいたり不況時に税金が宇宙開発費に回されることへの反対運動など、未来への予見が当たっているなあと思うこともしばしば。火星探索に向けた宇宙飛行士の試験もの、という意味ではモーニングで連載のナントカ兄弟の原型にもなっているのかね。 それにしても、山田芳裕が描く面白さは、ストーリーより、マンガの表現法に自覚的な所にあると思う(メタ視点がある)。山田芳裕のマンガを読めば、パースの取り方が異常だったりすることには誰でも気づくだろう。線もまた独特で表現に富む印象を持つ。でも本作の表現上の白眉は、多分誰がどうみても超立方体「テセラック」の描き方だろう。四次元の存在であることが示唆されているテセラックは、三次元ではあり得ない振る舞いをする。距離の感覚が三次元である我々では捉え切れないわけだが、マンガのお約束である遠近感を敢えてぶち壊すことで我々に「四次元の存在」であることを伝えている。二次元でね。ゆえにこれは映画では再現できないし、再現しようものならとたんに陳腐な作品になるだろう。 マンガの手法にメタな視点を持ち、それを描くのはふつうギャグマンガが専門フィールドだけれど、SFもハマりどころを見つければきっちりハマるもんだなあと改めて思った。四次元を二次元で書いてみせる方法は、短編「ウルトラ伴」でも実験的に描かれていたことは、ファンなら誰しも思い出すだろう(と書いていらっしゃる方がここにも→ 度胸星 )。 ストーリーというか、脚本もよくできているように思う(登場人物の魅力の描き方、エピソードのつなげ方など)。名作。 四次元を三次元の我々が「類推」のちからを借りて理解するには、以前触れたことがある( niji wo mita: 血液型ハラスメントというのはマジで存在するか )。

学問ノススメ(ポッドキャスト)

今年の前期は車で2時間くらいの距離のところまで非常勤なのだが、車の移動があまり好きではない。それは手持ち無沙汰になっちゃうからなのですね。音楽では間が持たない。昨年度は新幹線で移動する非常勤だったので、本読んだりできるのがすごく良かった(というか間違いなく都市部の読書を支えているのは電車による通勤時間)。それで、試しにポッドキャストを聞くようにしてみたらこれがはまった。 iPadに突っ込んだのはまずラジオ版「学問ノススメ」 ラジオ版 学問ノススメ Special Edition 。しりあがり寿、横尾忠則、高橋源一郎、川上未映子、内田樹、梁石日などラインナップはすごく贅沢で、まだ全部は聞いていないけれど、「なんかやってる」気持ちを保ちながら職場まで到着することができた。ポッドキャストっていいですね。ラジオ番組のおいしいところだけ抜いている点でものすごくインターネット的な感じがするけれど。あとは「ヴォイニッチの科学書」と「JUNKサタデーエレ片のコント太郎」を入れています。 ヒントは先輩がジョグしながらiPodに科学番組を入れて聞いているという話を聞いたこと。僕も体を動かすことは好きだけれど、体を動かすこと自体を目的とするのはなんかもったいない感じもあって、大好きな自転車でさえ基本的には通勤のかたちで生活に組み込んでいるわけですが。 「学問のススメ」で本日聞いたのは、高橋源一郎(『悪と戦う』について)と川上未映子、梁石日、渡辺謙。それぞれに良かったのだけど、ただインタビュアーにはもうちょっとがんばっていただきたい!作家が難しいこと言うのはしかたがないことなんで、わかんなかったらわかんなくていいじゃんか。分かったように相槌打って無理に番組成立させるより、分かろうとする姿勢で組み合ってほしいなあ、と思うのでした。じゃないと面白い対談にならないし、学問ノススメというタイトルなのに実質的なコメントが何も引き出せないことにもなる。梁石日の回なんて残念すぎるうえに質問や共感の言葉もちょっとどうかなあと思う連続でした。すごく良かったのは、高橋源一郎と渡辺謙ですが、両者ともほとんどインタビュアーなしで語り倒していました。聞き手を語り手が圧倒している感じ。 一方で、先日読んだ『ラップのことば』は聞き手とアーティストがうまく噛み合った良いインタビュー集だった。ヒップホップの

標準語の方が言葉の規範性が高いように思う

加藤重広氏「標準語から見る日本語の方言研究」(『日本の危機言語―言語・方言の多様性と独自性』,北海道大学出版会,2011所収)を読んだ。「標準語の背後に強い規範性があり、その規範性が書き言葉を基盤にしていること」によって、標準語の話者のほうが音声主体の方言話者よりも強い規範性を持つのではないか、という指摘が興味深い。ここで具体例として挙げられているトピックスのひとつが「二重ヲ格制約」といって、「花子が太郎をグラウンドを走らせた」と言えないというおなじみの話。だが、形態上の格を表示せずに「花子が、太郎、グラウンド走らせた」なら言えてしまう。また本書によれば二重ヲ格制約がゆるいケースはいくつかの方言で観察されるという。話を端折るが、要は書き言葉、およびそれを基盤とする標準語では形態上の格を常に表示することが正しいと思われるために、二重ヲ格制約が強い制約として現れるのではないか、という指摘である。 書きことばは書き手が客体化してモニターしやすいだけでなく、論理的たらんとする不断の圧力を受けている。重複表現に過敏に反応するのはその象徴的な例であるが、書きことばと最も親和性が強く、書きことばの規範性に強く影響される標準語の場合は、書きことばの規範性が運用や適格性判断にも直接反映することを指摘したいのである。(p.252) これには共感を持って首肯できる。端的に、山形と東京の人を比べると、ある意味では東京のほうが細かい言葉の使い方に異様にうるさい、と感じることがあるからである。ある意味というのはたとえば山形でもそういう局面に出くわすことはあるが、「周縁こそ中央の権威性が過剰に働く」ことによってそれが現れることがあっても、層が違うように思うからだ。このことは、書きことばに日常的に接することができる社会階層が、その地域のどれ位を占めているかという産業構造、所得と社会階層も含めたナイーヴな問題にも直結しており、標準語と方言が地政学的な力に大きく影響を受けているということでもある(言葉にうるさい「文化人」が都市部に集中しているのも同じ)。もっとも、東京の人のほうがうるさいかどうかは僕の周辺数メートルの人間関係でのことだから根拠を持って言えることではない。しかし標準語で考える文法性判断ではアウトなことが方言で言えてしまうこと、について書きことばの規範性の影響を考えることは大アリだと思

長谷川町蔵×大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』

長谷川町蔵×大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』(→ amazon )面白かったー。2011年10月に初版が出て、もう4刷なのもうなずける。 ツイッターでごちゃごちゃつぶやいたけれど、ヒップホップの歴史が歴史を支えた機材と場の観点から語られていく仕組み。菊地成孔のジャズ解説本に近いテイスト。菊地成孔のような祭りの主体としての語りだけではなくて、引いた目線が強調されているのが入門者にはありがたい。というのもこの本は対談形式で、ひとりがヒップホップに造詣の深い音楽ライター(長谷川氏のほう)、もうひとりがどうしてもヒップホップが好きになれなかったけど最近好きになったというアメリカ音楽研究者なのですね(大和田氏のほう)。後者の視点によりそって読めてしまうのが良かった。それでいて大和田さんはアメリカ音楽史の研究者でもあるようで、カルスタ的な切り口で解説を加えてくれるのがまさに「文化系のため」。粗野でリア充で爆発しろでマッチョなヒップホップを、きちんと「僕ら」が受け入れられるようにしてくれる。 ただ、ここに書かれているのはブロック・パーティー期から東西海岸、すなわち西海岸のギャングスタ、ほんで色々あって今のヒップホップというアメリカの流れ。なので、強烈に知りたくなるのは日本のシーンはどうだったのよということ。お二人の仕事ではないだろうけれど、もし機会があれば日本のヒップホップシーンのこともこうやって読んでみたい。 本書を通じて分かったのは、ヒップホップでは「場」の要素がすごく強いということだった。そもそもレペゼンという言葉からして地元愛バンザイなわけで(ようやく意味を知った)、ヒップホップを外巻きに見ている我々が往々にして揶揄する「俺とダチ」「ダチは大事」みたいなことは、音楽自体が地元のやんちゃな人間関係を支えとして生まれたことからすれば当然の表現と言える。文化系男子はまさにそれがうざいので、それゆえに敬愛するうすた京介のマンガによく見られる「ヒップホップフォビア」的なくだり(『ピューと吹く!ジャガー』(→)に見られるハマーの徹底したオレ語りとか)には僕も強く共感したわけだ。 閉鎖的な距離の近い人間関係は逆に敵を外部に作ることで盛り上がるわけで、ヒップホップの技術でもって「オレのほうがスゲエ」をやりあうことが技術の底上げにもつながり、プロレス的な楽

切り貼り系資料

いまでも文献からコピーしたものを切り貼りして資料を作る、ということは資料作成の技法としてよくあることではないかと思うのだがどうだろう。特に資料研究の場合、その資料を提示しなければならないし、活字にする=PCで入力して出力する場合でも文字が出なかったりするときは、切り貼りのほうがずっと楽だということもあるだろう。 僕は、授業の資料には未だに切り貼りをすることがある。モノによってはiPadなりスマホとかで写真を撮影してデータを切り貼りすることもあるが、分厚い辞書ってなかなかそう行かない。影ができたり歪みが出てしまうので陰影の調整などやろうとすると、僕のPCレベルでは却って時間が掛かる。なお、コピーしてからスキャンするにも、僕が使う辞書類はでかいので自宅のScanSnapS1300ではサイズオーバー(A4まで)。 これまでは辞書はコピーしてから(可能な限りノドの部分が暗くならないように、背の部分を接地面に押し付けてコピーする。自分の本なら厭わないが、借り物だとちょっと気が引ける)ハサミと糊で切り貼りしていた。今日は少し趣向を変えて、コピーしてハサミで切るところまで同じ。切ったものをスキャンスナップに…。あとはデータ貼り付け。 しかしやっていて気づいたが、これ新しい手法でもなんでもないな。これまでもスキャナで普通にやっていたことだわ。iPadとか経由して紆余曲折しながら、ちょっと古めのテクノロジーに戻ってきたような気持ち。

久しぶりのツーリング

今年は冬が長かった(精神的にも)ので、雪がとけたらツーリングに行きたいという希望もひとしきり。冬の間、基礎体力をつけるべき体幹トレーニングは少しだけやっていた。自転車通勤もやれるだけやっていたつもり。でも、若い時みたいにすいすい先へは行けないものですね。 思い出せば、12年前に仙台から青森まで走ったのが長距離では最後だった。あいまいな昔の記憶では、一日で100キロ前後がまずまず走れた距離。全盛期は160キロ走った。という記憶に絡め取られているあたりがダメで、100キロを快適に走るにはもうちょいトレーニングが必要だった…。 今回の目的地は、山形県大石田町の千本だんご屋さん。google mapでは片道46キロだが、MapMyRIDE(→ 49.92 ?????? Road Cycling on 4? 29, 2012 at 11:34 AM in Yamagata | Bike Map | MapMyRIDE )では49.92キロ。 View Larger Map 午前中に家の片付け掃除を終えて、妻と子どもを仙台に送り出してからの11:30スタート。出だしは快調で天童道の駅まで17キロを50分くらい。平均時速20キロくらいで進む。昼食をしっかり取るはずが、混雑しすぎててドトールでパンとコーヒー。さらに村山道の駅まで45分くらい、33キロ。お茶を一本。国道13号の尾花沢左折ポイントまでで42キロくらい。このあたりで最初の疲労ピークを迎える。 千本だんご(→ 最上川千本だんご / 横丁とうふ店 - 山形県大石田町の豆腐屋が作るだんご )に到着、MapMyRIDEで49.92キロ。観光客でごったがえしていて、団子を買うのに30分待つ。しかしここでカロリーを摂取しておかなければ体力がまずいので、あんこ・みたらし・くるみを一本ずつ食べる。待ち時間の間、『日本語の歴史』を読み進める(これについてはいずれ)。狭いところで待っていたので全然疲れが取れないまま、後半戦に。15:00出発。ちなみに出発時は25度を超える気温だったので半袖にハーフパンツの格好。大石田はまだ雪が残っている状況。そこはかとなく寒いっす。 千本だんごのお店は最上川沿いにあるので、やや高台の国道13号に向かっていきなりの上り坂。気合で進むも10キロ走った時点で両腿に痛み。コンビニでリポDみた

Kinoppyの電子コミックス

新しいiPadで、電子コミックスを購入してみた。紀伊國屋書店のサービスを利用した(→ 紀伊國屋書店の電子書籍アプリKinoppy|iPhone,iPod touch,iPad,Android,PC,ソニーリーダー™で読める! )。アプリはApple storeからDLできる。そして課金はAppleIDから。 使い勝手は悪くない。しかしマンガ好きとしては解像度などにちょっと不満もある。試しに購入してみた『ヴィンランド・サガ』の(9)(10)はだいたいファイルサイズが50MBくらいで、DLして保管するには適切なサイズなのかもしれないけれど、片面フルサイズで見ると解像度の粗さが目立つ。もちろん読む分には問題ないのだが、きれいな絵で読みたい向きには少し厳しい。 たぶんスキャンスナップでいうところの、一番低い解像度設定なのかなと思う。現状ではこのあたりのニーズと共通理解みたいなのが醸成されていないので、しばらく定式化はされないままだろう。難しいところ。で、今後電子版で購入するかといえば、自炊する面倒くささと美しさ、それと利便性を秤にかけて、利便性が勝るようだったら購入に傾くだろうなとは思う。

iPadとNAS

この数週間、新年度の生活や研究環境を整えるために機材調達と設定などをちょこちょこと。 ひとつは新しいiPad。2年前から、研究雑誌、報告書、コピーした論文、コミックスなど場所をとってしかたがないものはscansnapで電子化を進めて、閲覧はPCかiPadで行うようにしていた。ただiPad1(2も)は新しいiPadからすると解像度が低く、scansnapのスーパーファインモードでスキャンしたものであっても、小さな文字は潰れてしまって読むのが難しい。同僚に見せてもらった新しいiPadの解像度でスキャンした論文を見てみたら、圧倒的に見やすかった。こういうのは相対的な良さにすぎないとも思うけれども、おそらくこの大きさでこの解像度はiPadくらいじゃないだろうか。 で、今度は逆にスーパーファイン(300dpi)で読み取ったものの粗さが見えてしまうくらい。すぐに新規購入を決めた。購入したのはwifiの64GBモデル。研究論文はそれほどデータが大きくないので全て突っ込む。雑誌類もそうする。コミックスは必要に応じて。と考えればできるだけ容量の大きなものが良いだろうという判断。エクセレント(600dpi)だときれいだろうけれども、今度は重さが災いしてページめくりが遅くなりそう。 もうひとつはNAS(ネットワークハードディスク)。具体的には リンクステーション RAID機能搭載 高速ネットワーク対応HDD : LS-WVL/R1シリーズ | BUFFALO バッファロー な。研究の方でも画像データベースの作成に予算が降りたので、スキャンした画像データを収納して、自宅や職場などでいつでも呼び出せる環境が必要なわけ。つまりファイルサーバとしての使い方なわけだん。一方で職場ではWEBサーバを立ち上げる仕事がスタートし…。ほんでこれ、自宅内ネットワークはもちろん、どこからでも、となればAndroidやiPadからも入れるちうわけですね。 環境設定に溺れそうになる甘い罠。機械類はどこかで見切りをつけておかないと危険ですね。

もやしもん11/ハンター30

酒の話とはほとんど関係がない『もやしもん』11巻(→ amazon )は、ミス農大武藤への挑戦権を争う、ミス農大落とし祭り。こういうくだらないエピソードも大好きです。二日酔いにぴったりの11巻でした。ムック付きの限定版買い落としたのが悔やまれる(涙)。 『HUNTERxHUNTER』23巻(→ amazon )はゲーム上の軍儀に表現される「王の孤立」がコムギによって打ち破られ王とコムギによる対局が続くことで、死後も二人の永遠が続くことが描かれる暗喩が素晴らしかった。ここまでも護衛軍と主人公たちの戦いが軍儀と平仄を合わせていたけれども、軍儀を通じて人であるかのように受肉した王が、孤独の中にも意味を見つけていく終わり方はよくできていたと思う。 ***** 自転車屋さんでブレーキを見てもらう。シューがもうアウトみたい。10年くらい乗ってて一度も変えたことないもんな。アマゾンでフロントとリアの分を両方注文。

コーヒー漫談(ちょうどうでもいい話)

起き抜けに開封していなかったパプアのおみやげコーヒーを淹れて飲み、ダラ読みしているマクニール『世界史(上)』のイスラムのところを終えつつある。ちょうどモンゴル軍が13世紀にイスラム世界のどまんなかバグダッドをボッコボコにするところである。 ステップ地帯からの攻撃にさらされて、アッバース朝 ペルシャ イスラムもそろそろ終わるわい、という大混乱を経て、イスラム教の見直しが始まる。宗教による社会的秩序が壊されると、新しく心の安寧を求めて宗教は内面に向かうということなのだろうかね。 いかなる想像力の離れ業をもってしても、「律法」をこれ以上拡大解釈して、イスラム世界のほとんど全土を覆っている政治の混乱状態を合法化することはもはや不可能だったからである。(p.378) そして信仰への信念は内面に向かい、次第に神秘主義へと。ベトナム戦争と禅の流行に、これを重ね合わせてしまうのは僕だけではないだろう。 そこで真の神の道を求める者は、次第次第に神秘主義に傾いていった。いずれもスーフィーと呼ばれるさまざまな聖が現れて、神との至福の合一をめざして探求を重ねた。(同) 神秘主義にはそれを体験させるための装置が必要なのであって、禅の流行に伴う大麻、みたいな感じでコーヒーが用いられた、のではなかろうか。『コーヒーは廻り世界史が廻る』(→ amazon )では、スーフィーたちは徹夜で神学の探求を行う際にコーヒーを飲んだという。昔アラブのエライお坊さんが、というやつ。その後、コーヒーが宗教的な秘薬としてではなく社交の場に用いられて大衆化していくと、今度は堕落じゃ!とか言われたりする(→ コーヒー - Wikipedia )ところも大麻に似て…などと書いてもアイキャンフライと思わないで欲しい。 してみると僕がコーヒーを飲めているには、ステップ地帯からの攻撃、イスラム律法の形骸化、オカルトの登場、という人類の歴史のパターンからいえばひじょーにまずい流れのなかで誕生したおいしー偶然があったからなのですね。まとまらんからこんなとこで。

フェイジョアーダ

知り合いのブラジル人家族のところで、人生初のフェイジョアーダをごちそうになった。ブラジルの代表的な食事フェイジョアーダは、翻訳すれば「豆の煮込み」といったところか。リオ・デ・ジャネイロあたりでは黒豆と豚肉を煮込むらしい。味付けは塩?かな。豆と煮込む調理法はアフリカ由来というが、調べてはいない。 これがその黒豆。黒えんどう豆とのこと。 豆の入った袋。ポルトガル語で「豆 お皿いっぱい」と書いてあるらしい。 フェイジョアーダはご飯にかけて食べる。コメは長粒種。パエリアのように玉ねぎと炒めてから炊く。日系のかたが「油ご飯よ」とおっしゃっていた。 お米が入っていた袋。英語訳が付いているので、長粒種のお米と分かる。 そこへ出来上がったフェイジョアーダをぶっかけて食べる。豚肉は背中のあたりを使っているというが、昔読んだ本では内蔵など余った部位を使っていたが、それは労働者が安価に食べられるパワーフードみたいな位置づけだったのかもしれない。これはご家庭で普通に食べるバージョン? 言うまでもなくかなりうまい。豚と塩の味と豆の甘みがほんのり。見た目も食感も日本のおしるこに似ているが、日系人が伝えた技ではなく、あくまでもアフリカ系の技とのこと。正体不明の辛いソース(これもうまい)と、キャッサバの粉をかけて食べる。僕も家族も、思わずおかわりをしてしまった。ただ、肉の脂がしっかり出ているので、重たいカレーを食べた時のようにそんなに量は行けない。付け合せのセロリのサラダの爽やかさが際立つが。 在日ブラジル人コミュニティー用のスーパーのチラシを見せてもらったら、2/3くらいが肉だった。本当に肉の消費量がすごい。そんなブラジル人でもフェイジョアーダは「強い食べ物」だそうで、夜には胃もたれするので昼に食べることがほとんどだという。しかも最近は水曜日がフェイジョアーダの日に指定されていて、一週間でもそんなに食べられないのだそう。実際かなりパワフルな印象はありました。 豚肉と塩という組み合わせの味は、沖縄や台湾にも通じるものがあるようにも思う。沖縄と台湾の食の類似、ブラジル移民に沖縄の方が多いといったことが関係しているのかどうか。今回ご馳走してくれた方のご先祖は佐賀にルーツがあるのだそう。日本で働く3世4世の家庭に2世のおばあちゃんが遠路はるばる遊びにいらし

きちんと廃棄

冬の間は寒すぎて、自分の部屋をずっと使わずにいた。居間で仕事をするので却って家族の顔が見えていいということはあるかもしれないけれど、長時間集中して仕事をするにはやはり都合が悪い。 で、春がきた。最低気温零度とかだけど、道路の雪がほとんどすっかり消えたので春だろう。春がきたので穴蔵の整理をすることにした。 物置同様だった部屋から、不要な書類をどっちゃり捨てる。ついでになんかもう堆積しまくった大学院生時代からの書類も捨てる。10年使わなかったのならこの先もたぶん使わない。借りた『じゃりン子チエ』はまとめる。もう絶対読まない本は捨てる。 昨年か一昨年かに壊れてしまったデスクトップPCのe-machinesJ2812。と、1997年くらいから使っていたかもしれない19インチのCRTモニタ、EIZOT731。PCはリサイクル法以後なので、e-machinesが無料で回収してくれる。モニタのほうは回収業者に送りつけて引き取っていただくことにした。ついでに人からもらった古くてクソ重くてpuppy-linuxとかいれて遊んだ記憶のあるラップトップ。あと10年くらいに妻に買った中古の、いまではとっくに壊れて捨てられずにいたマックブック。一気に捨てまくります。あとはこれまた人からもらったインクジェットのプリンタ、はまだ捨てる見通しが得られていない。レーザーのは現役だから捨てない。 ノートPCはここで回収: パソコン処分・回収隊 パソコン修理店運営の処分、回収 CRTモニタはここで: パソコン廃棄処分・回収費用が無料に!パソコンリサイクルセンター e-machinesのPCはここ: PC リサイクル (家庭系パソコンの回収・再資源化について) 以上、運送料だけで済みそう。 一昨年はマンガとか書類とか、学術雑誌とかをガンガン裁断していた。昨年の3月までやっていたが、その最中震災に見舞われて以来、すっかりやめていたのだった。昨日、久しぶりに20冊くらい裁断してスキャンした。 捨てる作業をきちんとやろう。

セキュリティ設定のメモ

メモしておこう。 これぐらいやっとけ ~Linuxサーバのセキュリティ設定~ - nabeの雑記帳 CentOS で行なっておきたいセキュリティ設定: あるSEのつぶやき root になれるユーザの限定 ssh公開鍵認証手続き VPS 借りたら、せめてこれくらいはやっとけというセキュリティ設定 : dogmap.jp 教科書には、wheelグループがどういうものかは明示的に書かれていなかったな。

Linux標準教科書

次年度から少しサーバ運営関係の仕事に携わる可能性が濃厚ということで、これまで断片的な知識で使ってきたLinuxについて概論的な勉強をしてみよう、ということで、「Linux標準教科書」(→ Linux標準教科書 無料ダウンロード LPI-Japan LPICレベル1対応|Linux技術者認定機関 LPI-Japan [エルピーアイジャパン] )を、問題を解きながらざっと読んでみた。きちんとコマンドベースで基礎を学ぶのは気持ちいいものですね。分からないなりに入力しながら進めていくと体を通じて分かることもある。 教科書自体もよくできています。基礎と、基礎のなかのちょっとだけ応用をやらせて、各章の最後につぎの章につながる疑問を少しちりばめておく。それが次の章へ進む知的推進力となっています。断片的な知識が統合されていく過程もまた気持ち良いものでした。独学でざっとした見通しを得ることができたので、講師に教わったらさぞかし気持いいのだろうと思います。ともあれ、この教科書を作った人たちに敬意を表します。もし自分がたとえば「漢語アクセント分析入門」など書くとしたら、どうするだろうな、などと想像しながら読んだ部分もありました。 なにごとも必要、ニーズに先行されてから行動に移すようではちっとも全体の見通しが得られず、いつまでたっても作業の奴隷から抜け出せないもんだなと思います。基礎をやる意味というのは大事ですね。今知りたいことの気持ちに突き動かされるだけでなくて、すぐに役に立たないかもしれないけれどやってみると、改めて見えてくる世界というのもあるもんです。

星を追う子ども

新海誠監督の「星を追う子ども」( 『星を追う子ども』公式サイト/新海 誠 最新作 )をDVDで見る。もともと映画とかあんまり見ない方だけど、子供と一緒に見る機会がすこしずつ増えた。 新海誠のことはよく知らないが、「ほしのこえ」が脚本とか作画とかほとんど一人でやっちゃった人、くらいの認識はあった。「星を追う子ども」はさすがにそうではないけれど、商業化されすぎると見えにくい作家性みたいなのんがけっこう感じられる作品だった。脚本はちょっととっ散らかった素人臭さは残る。マンガで言えばIKKIの単発作家のようなテイスト。それにいまふうの閉じた自己みたいな世界観。でも映像で伝えたい空気はバリバリ伝わるなあ、というのが好印象だった。作者、1973年生まれか。同世代ならではの日本の風景がいやというほど前半で描かれて、後半はナウシカとかでわくわくした同じく小学校高学年感がこれまたいやというほど漂っている。監督、グッと来ました! この作品には「さよならを言うたび」というキャプションがついている。人の死をきちんと描こうとしたのが、2011年公開作品だったというのはできすぎか。命のたそがれの隠喩で、全編に夕空の、夕暮れ時の美しい映像が織り込まれている。これが強烈に美しい。というかそっちが着想の最初でストーリー後付けでも僕は全然納得します。そんくらい僕はこの作品の夕暮れ時の雰囲気が大好きです。そういう映画だよ。

暗闇の速さはどのくらい

エリザベス・ムーン『暗闇の速さはどのくらい』(→ amazon )。ちょいと前に読了。 自閉症スペクトラム障害の話。ネビュラ賞受賞と書いてあったけれど、読んでみるとSFっぽさがないように感じられるので、却ってSFの懐の広さを感じてしまう。主人公の心内描写がスペクトラムのひと独自の感性で語られるのが、興味深かった。新鮮さと裏腹の違和感を持ったり、ああここは僕もそう感じることがあるな、などと読み進めるとスペクトラムのグラデーション性が感じられて面白い。 前半部分で語られる自閉症スペクトラムのひとの「内面」によって読者も擬似的にそういう自我を体験できる仕組みで、その自我が後半になって登場する「自閉症の特効薬」のために失われる悩みが戯画的に描かれる。誰しも自我が失われるのは怖いわけで、「その方が社会で生きやすくなるよ」と言われたって、逆に「社会って誰の社会じゃい」と「でも生きやすくなるなら」との間で悩まずにはいられない。 「健常者」と呼ばれる人たち(ムーンの翻訳では「ノーマル」)の権威性を無効化するための、「定型発達」というニキ・リンコさんの用語を思い出す( niji wo mita: 「向こう側」と「こちら側」 )。作中では、主人公は「ノーマル」へと生まれ変わる道を悩みの末選び、「ノーマル」たる自我を得て、代わりにそれまでの自我を捨てる。いまの世界を捨てて、新しい世界へ。このあたりがSFたる面目躍如なのかな。

スライムプリキュア、813、サニー、キートン、尾玉先生

スライ、スライ、スライ、スライ、スラーイムプリキューア!(子どもと考えた最強の替え歌)  今朝は、うっかりプリキュアを卒業しそうだった娘(4歳)を正しい心で現場に連れ戻しました。現場主義の大切さを見失わずに済んで良かったと思います。スライムプリキュアにはいろんなスライムが出てくるよ!  本日の山形は天気もよく、程良く暖かく、どじょっこだのふなっこだのにグダグダ言われるまでもない感じです。チャリンコでこまつ書店!息子にはモーリス・ルブラン『813のなぞ』(ポプラ文庫版)を強要(→ amazon )!父親はマンガをたんまり買い込む!最高の春の一日です。わたくしも小3の冬に、父親から813の謎を強要されたのが、初めて文字だけの本をちゃんと読んだ体験だったのを思い出すのであります。在りし日々のクラシック版の書影を掲げておきたいと思うのであります。  ほんでマンガ。浦沢直樹/勝鹿北星『完全版 マスターキートン(8)』(→ amazon )。 松本大洋『Sunny(チョロQ付き特装限定版)』(→ amazon )。1巻も限定版(ヨーヨー付き)を買ってしまった…。 尾玉なみえ『アイドル地獄変(完全版)』(→ amazon )。尾玉先生、ついに御尊影を公開されてます。巻末にアイドルとの対談を収めるのだけど、大変楽しみなのであります。僕は尾玉なみえ先生のように数回転した上に開き直って着地した選手が大好物です。そして『アイドル地獄変』は、ダスゲ・マイネを中心とした不謹慎なエピソードが、尾玉作品のなかでとりわけ好物です。

アメリカンジョーク、メモ

ネット上で拾ったジョークをメモ。こういうヘリクツが一回転したようなのがホント好き( アメリカンジョークの面白さは異常 )。 太った婦人がアヒルを連れて酒場に入ってきた。 「ダメじゃないか、こんな所にブタなんか連れてきたら」 「何よ、この酔っ払い。どうしてこれがブタに見えるのさ」 「今、俺はアヒルに話しかけたんだ」 男が侯爵夫人をブタ呼ばわりしたとのことで 訴えられた。裁判長は男に言った。 「お前には罰金を科す。二度と侯爵夫人のこ とをブタなどと言うのではないぞ」 「わかりました裁判長様。二度と侯爵夫人の ことをブタとはいいませんが、ブタのことを 侯爵夫人と呼ぶのもいけないのでしょうか」 「それはお前の勝手だ」 「わかりました。さようなら、侯爵夫人」 しっかしこの手のジョークというのはステレオタイプに依存しているものが多い。テンプレもステレオタイプの類かな。ブッシュやブロンドジョークなんて照英に通ずるものがあるような。 夜も更けた頃、ジョンはステレオで、大音量のロックを流した。 しばらくして父が部屋にすっ飛んで来た。 「ジョン!何時だと思ってるんだ!」 父はステレオのスイッチを切った。 次の日の夜、ジョンはまた大音量で音楽を流し始めた。 父が部屋に入って来た。 「やめろ!音楽が聴きたいならヘッドフォンを使え!」 父はステレオのコンセントを抜き、部屋を後にした。 さらに次の日の夜、三たび大音量の音楽が。 「何度言ったら分かるんだ!」 父は怒って、ペンチでスピーカーのコードを切ってしまった。 するとジョンが泣き出した。 「ステレオなんてブッ壊していいから一人っ子のままでいさせてよ~!」 これはせつない。説明のプロセスを抜く面白さもあるな。 数学者と統計学者と会計士の3人が、ある会社の入社面接を受けた。 まず数学者が面接会場に入室した。 面接官は、「1たす1はいくつですか?」と質問した。 数学者は、「2です。」と答えた。 面接官は、「きっかり2ですか?」と聞き返した。 数学者は、「何をおっしゃいます。1たす1はきっかり2にきまってます。」 と答えた。 次に、統計学者が入室した。 面接官は、「1たす1はいくつですか?」と質問した。 統計学者は、「およそ2ですね。」と答えた。 面

Win7+W32TeX+OTFパッケージ

TeXLiveを勉強する時間がなさそうなので、これまでどおりW32TeX(角藤版; W32TeX - TeX Wiki )をインストール。texinst2012.exeから。文字鏡フォントにするかどうかが、僕の最大の問題なわけだが、これまた問題を先送りにしてotfパッケージで行くことにする。 ここ(→ OTF - TeX Wiki )の情報によれば、OTFパッケージは別立てでインストールということだが、最新版のW32TeXにはすでに含まれていた。「フォントを埋め込まず使用」では、dvipdfmxを使うので(上記サイトではdvipdfm)、$TEXMF/fonts/map/dvipdfm/base/cid-x.mapに該当部分を追加記述。 上記サイトでのお題↓がどうなるかというと。 %%% -*- mode: yatex; Coding: iso-2022-jp; Encoding: ISO-2022-JP -*- \documentclass{jarticle} \usepackage{otf} \begin{document} Adobe-Japan1-5で追加された文字を使った例 \begin{itemize} \item 「\゜か」,「\゜き」,「\゜く」,「\゜け」,「\゜こ」, 「\゜カ」,「\゜キ」,「\゜ク」,「\゜ケ」,「\゜コ」は鼻濁音を表す。 \item Macintosh用キーボードの\UTF{2318}(Command key)を押す。 \item \UTF{2672}を心がけよう。 \end{itemize} Adobe-Japan1-6で追加された文字を使った例 \begin{itemize} \item ほげほげ番組\CID{20556} \item ほげほげフェスティバル\CID{20656} \item \CID{20939}(Bq: becquerel)は放射能の強さを表す単位である。 \item フラーレン(fullerene) C$_{60}$は サッカーボール状(\CID{20957})の構造をしている。 \item \UTF{9B87}とは岩魚(イワナ)のことであり,嘉魚とも書く。 \end{itemize} \end{document} こう

ThinkPadX200 HDをSSDに換装

デュアルブートで使っているThinkpad X200のWin環境(Vista)がもうたまらなく遅くなってきたので、Win7+SSD環境に移行することにした。Ubuntuばっかり使いたいところだが、MS-Officeを仕事で使わなければならない都合上、なかなかそうも言っていられない。 というわけで、Win7 Home Premium(DSP版)を約11000円、SSDはADATAのS511(120GB、2.5SATA 6Gb/s)を約13000円で購入(仙台のドスパラの店員さんはPCにすっごい詳しい上に丁寧&親切で、ほとんど知識の準備をしなかったのに納得の買い物ができたように思う、と書いておく) 。 SSDへの換装について参考にしたサイトは以下。 ThinkPad X200 SSD換装:materialの雑記帳:So-netブログ ThinkPad X200 を SSD + メモリー8GB 化した - Yaks 環境乗り換えの手順は以下。とても簡単だったし、インストールも速い。 HDに入っていた必要ファイルをUSBメモリに突っ込む 空っぽのSSDにWin7を突っ込む Lenovoのサイトからシステム系のドライバとかが入っているものをガバッとインストール 普段使いするソフトをインストール 聞きしにまさる速度です。ただいまデュアルブート環境を構築中。そして年末に書いたとおり、TeXに関する知識をアップデートして、新しく環境を構築しなおしたい。

あるある2

人に頼まれて、うちの子どもが作った秘密基地の写真を子どもに撮ってきてもらうことにした。秘密基地がどんなものか知りたいから撮ってきてねとお願いしたら、全体が全然わからないショットばかりだったので、「もっと全体がわかるような撮り方をして欲しかった」と伝えたら、「それじゃ秘密基地がどこにあるかばれるじゃん」と。確かに秘密じゃなくなったらただの基地だよな。基地じゃ面白くないんだわ。お父さんもそうだった。

あるある

片桐仁くんが出ているという理由だけで見てるんだけど。ノートンがやってるWEBビデオ。 今年はこうやってどはまる学生がいなかったので良かった。パソコンで仕事していて何が怖いってこれの怖さが分からないってことですよね。ゾクッとしました。

忘れないうちにメモ

twitterでnekojitaさんという方が、自分の子供が殺されたら相手を殺す、しかし死刑制度には反対だと書いていらっしゃるのを見て、そういう当事者としての気持ちや行動への意志と、制度への理性的なスタンスは確かに両立すると思った。これには、はっとさせられた。 今日、娘の幼稚園で行事があり、僕も参加した。途中でおやつに出されたりんごジュースが郡山市で生産されたものだった。気づいた人は他にもいるかも知れない。娘に飲ませるのは嫌だったので、隠れて妻と飲んでしまった。こういう感覚と、放射能による汚染をいたむ気持ちは、別個に存在しても良いはずだ。これは、あるいは当事者性をめぐる、パターナリズムとのせめぎあいと捉えられるのかも知れない。 無理に筋を通さなくとも良い二つの立場を、強迫観念的に両立させようとするのは何か。筋を通さなくったって、そもそもこれは矛盾を生じることではなくて、全然別問題のはずだ。

MapMyRide

ツイッタにも書いたけど、春が近づくことをこれほど待ち遠しく思ったことはないです。今年はそれくらい雪が多い。でもあたり前のことだけど、あんなに降り積もって夏まで解けないだろうとさえ思った雪がもう溶け始めているのだよね。昨日から、今年初の自転車出勤を始めました。 数日前まで徒歩出勤というのをやっていて、is05にデフォルトで入っていた歩数計で運動のログが残るのは良いなあと思いながら、自転車でもこういうのあるといいのにと思っていたところに出会ったのが、 iMapMyRIDE乗馬サイクリングGPS - Android マーケットのアプリ 。なお、翻訳がそこはかとなくおかしいのはご愛嬌(フリーだし)。自転車で走った経路をログしておけるアプリです。 僕は自転車に乗った記録を取るために使うわけですが、そもそもワークアウト全般を用途として作られているアプリ。なので、ランなどをすることも想定されていて、身長・体重などの身体情報も尋ねられます。またこうしたトレーニング全般がソーシャルワークアウトと一緒にアメリカから輸入されているっぽい背景もあって、twitterやfacebookとも連携可能なのも標準装備なのでしょう。利用にはアカウント作成が必要で、そのアカウントを用いればウェブサイトからログを閲覧したり共有したりすることも可能のようですね(→ Bike Maps, Cycling Workout, Biking Routes | MapMyRIDE )。僕はgoogleのアカウントを使いました。個人的にはワークアウトという言葉は微妙なんですが、恩恵にはあずかっておきます。 1kmに要した時間、時速、消費カロリーなど基本的な項目が表示されます。 マップモードも。傾斜が表示されるのは良いですね。精度も悪くないと思います。距離の単位は、フィートとキロを設定から選ぶことができます。傾斜で示される標高はメートルが単位。山形市内は標高130メートル前後、出勤の移動で30メートルを動くようです。いちおう地名は隠しましたが、分かる人が見ればどこなのかは一目瞭然でしょう。 アップルのアプリでも出ているようです(→ App Store - iMapMyRIDE - Cycling, Bicycling, Bike, Ride, GPS, Tour )。僕はアンドロイド版です。通

久しぶりの自転車で足がガクガク

今年はじめての自転車出勤!以前、自転車で通勤していたこともある同僚から、雪解けが来て路面が見えてくるとしみじみ嬉しいものだと聞いていたが、これは確かに嬉しいな。もっとも、僕の通勤路では路面が見えているところと見えていないところが半々くらいなので、白いところはハンドルを切らないように要注意。 1月終わりごろから、体力不足と不摂生をどうにかしようと思って、少しずつ体を動かしている。徒歩による通勤とか、簡単な体幹を鍛えるトレーニングとかをニッチな感じでやっていた。でも自転車をこぐ筋肉は全く別ですね。いま、足がガクガクです。

八神純子

一昨日のNHKに八神純子が出ているのを見て、つい引きこまれてしまった。震災でチャリティーコンサートを繰り返しているようで、震災支援と歌といったテーマでの出演だった。子ども時代以来、ライブで歌を聞いたのは初めてだったが、いやとにかく声が衰えていない。活動の場が米国に移ってからもジューン・スタンレーの名前で活動しているようだ。トレーニングは怠っていないという。練功とはこういうことだよね、と思った。 youtubeに上がっている最近のライブだと、これかな。カーペンターズのマスカレードを歌っている。 大学生の時にかベストのCDを買ったが、曲は時代がかっているものの、声がとにかく素晴らしい。というかこういう発声法はたぶんもう日本では流行らないのだよね。潤ってなめらかで高級感のある質感でありつつ、子どものころ聞いた「外国っぽい」「高級感」を見ているだけなのかもだが。 1973年生まれの僕は、ちょうど小学生になるかならないかのあたりで、八神純子「みずいろの雨」(1978年)を聞いている。電子ピアノを弾きながら歌う姿は、テレビで歌うひとといえば70年代独特の毒ッ気のない衣装で踊るアイドルやムード歌謡歌手のなかで、子ども心にそれなりにインパクトがあった。「パープルタウン」(1980年)は、なんと言っているか分からないままに「パープーターン」と口ずさんだのを記憶している。 wikipediaによれば、八神は震災後「トランス・パシフィック・キャンペーン」(→ 八神純子with トランスパシフィックキャンペーンWEST JAPAN!2011 )を自身で企画したという。このあたりの心の機微や趣旨について綴ったサイトが見当たらない。 八神純子 (junko_yagami) は Twitter を利用しています のつぶやきなどを見ても同じ。あまり心情を語らないタイプなのかもしれない。 日本でも活動を再開したようですね( 八神純子 : 八神純子、10年の時を経て復活 / BARKS ニュース )。ビッグバンドで歌う八神純子は見たかったな。

仙台ワクワクスポット

学生時代に雪降る山中湖湖畔でキャンプをした。マイナス7度の極寒と認識していたが、考えてみれば今朝も山形はマイナス7度です。なんか今年までここが雪国だということを認識できていなかったかも知れない。山形の冬はそもそも寒くて、関東とは違うのだよ関東とは!ということなのだと思います。 なので今年は個人的にはものすごいブレイクスルーな、ユニクロヒートテックとか、アンダーウェアーからきちんと防寒装備してみた。そうしたら寒くて体が縮こまっていたのが、普通に生活できる!いきおい余って昨日はノースフェイスのマウンテンパーカを購入した。どっからでもかかってこい、冬てなもんである。折しも春物にショップのラインナップも変わりつつある時期、普段なら手が届かない価格帯でも、まあ行けなくはなかった。 防寒装備購入がてら仙台をぶらぶら。駅近くのショッピングモールを外れながら歩いて行くと、我々夫婦のアンテナが同時にピコーンと立つスポットを発見。 ふれあい壱弐参番横丁ですって。これは別に時間を取ってここに攻めこまなければ!

ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で(増補版)』

ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で(増補版)』(→ amazon )を読了したのは、数週間前。少しずつ読んでいったので、読了まで購入してからずいぶんかかった。装丁のシンプルな美しさに、書店でつい手にとってしまった。 クレジットを見る限り著者は日本文学、日本近代文化論を専門とするようだ。だがこの本は社会学の質的研究法を下敷きにした、専門性の高いエッセイととらえることもできる。本書では、先の戦争と関わりが深い沖縄、山口、長崎の三人へのインタビューにもとづく、著者の情緒ぶかい考察で構成される。僕は、情緒ぶかさと論理的な考察が同居するところに、文学と社会学の質的研究の(大げさに言えば)奇跡的な接点があるように感じられてならない。 初版は1994年、原版"IN THE REALM OF A DYING EMPEROR"は1991年、バブル崩壊後、昭和天皇がホウギョして数年後に書かれている。本書に通底するテーマは、戦争責任の被害者と加害者という構図が作り出す、いつでも反転可能な状態に囚われている日本人だ。それは法が決定を下す意味での構図や、ウヨサヨの不毛な対立構図なんかも含みながら、僕らがこの問題にコミットするときにどういう空気感の鋳型にはまり込んでいるかを考えさせる。責任を持つ/持たせることが不可能な「聖性」と、それと対置される「人間性」。象徴天皇の二面性が我々の感覚に、というよりかは我々の感覚が天皇に象徴されていると言えるのかも知れない。 2011年の11月、震災のあとに増補版が発行されたことの意味は、被害者/加害者の入れ子状態の抽象度を一段階引き上げると、震災の特に原発関係の問題を同じパターンで捉えられる、という著者あるいは出版社の意向もあってのことだと思う。 少し長いが、著者による増補版によせたあとがき「あれから二十余年」から、印象深かった一節を抜き出し、掲げたい。いまここに一緒にいることの発見から出発することが希望につながると、筆者が言っているように思える。 ここまで考えてみると、どうしてもとりあげなければならないことばがもう一つある。おなじくナオミ・クラインが、前日に無名の人が演説で発したことばとして、紹介している。それは、"We found each other."だ。このfoundをどう訳そうか。「み